がん細胞が、焼いた餅のように膨張して破裂する…ほったらかしにしていた実験から見つかった「光免疫療法」。その仕組みとは? (msn.com)


11/24/2023
厚生労働省が発表した「簡易生命表(令和4年)」によると男性の平均寿命は81.05年、女性の平均寿命は87.09年だそうです。健康寿命はこれよりも更に短い結果となっています。健康寿命を延ばして、できるだけ長く日常生活を制限なく過ごすためには…。医師の森勇磨先生は「健康寿命を延ばすのに、それほどお金は必要ありません」と言っていて――。
* * * * * * *
当初はがんを可視化するための研究だった
2009年5月、米国メリーランド州ベセスダ。
ワシントンD.C.のすぐ北西に隣接するその町に、
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当初はがんを可視化するための研究だった
2009年5月、米国メリーランド州ベセスダ。
ワシントンD.C.のすぐ北西に隣接するその町に、
アメリカ最大の医学研究機関、
米国国立衛生研究所(NIH:NationalInstitutesofHealth)はある。
そのNIHの主任研究員、小林久隆の実験室で奇妙な現象が起きていた。
──がん細胞がぷちぷち壊れていく。
当時、小林が取り組んでいたのは「がんの分子イメージング」である。医学における〈イメージング〉とは人体内部の構造などを解析、診断するために画像化すること。「がんの分子イメージング」とは、つまりがんを可視化する研究だ。がんを「治療する」ための研究ではない。ましてやがん細胞を破壊するなどということが目的ではない。
がん細胞の表面には他の正常細胞にはないタンパク質が多数、分布している。がん細胞を移植されたマウスの体組織内に、このタンパク質とだけ(特異的に)結合する物質を送り込んでやれば、がん細胞にだけその物質がくっつくことになる。
この物質に蛍光物質をつけてやればどうなるか。がん細胞だけを光らせることができる。外科手術の際は、その光っている部分、がん細胞だけを取り除くことが可能になるし、取り残しも防げる。簡単に言えば、当時の小林が取り組んでいた研究のひとつはそうしたものだった。
失敗した実験
その日、朝から試していたのは〈IR700〉という光感受性物質だった。光に当たると化学反応を起こして発光する物質である。IRはInfrared=赤外線の略だ。700nm(ナノメートル)付近の波長の光に反応するからIR700と名づけられた。
700nmの光とは、テレビの赤外線リモコンでも使われるような無害安全な種類の光である。紫外線のような波長の短い光だと細胞を傷つけてしまう恐れがある。そのために選ばれた可視光に近い近赤外線である。
その光を何度がん細胞に当ててもうまく光らない。
マウスのがん細胞と試薬はちゃんと結合しているはずだった。だが、きれいに光らない。がん細胞が仄かに発光はするのだが、際立った反応を見せることもなく、そのまま暗くなってしまう。明らかにほかの試薬とは違う反応だった。実験は失敗に見えた。
「またダメだ……」
実験に当たっていた小川美香子(現北海道大学大学院薬学研究院教授)は、蛍光顕微鏡のモニターを見つめていたその時のことをよく覚えていた。小川は京都大学薬学部出身。浜松医大の助教職から2年間という期限で小林のもとに留学していた。
小川の研究テーマもまた「がんの分子イメージング」だ。自他ともに認める“化学屋”で、実験の精度や手順には定評がある。実際、NIHでも優秀な博士研究員(フェロー)に与えられる賞を受賞していた。
何度やっても上手く光らない
「どうしてなんだろう」
がん細胞と結合させる試薬によって、がんの光り方や明るさも変わる。リストアップした試薬を片っ端から実験し、その差異をデータとしてまとめるのが小川の仕事だった。
東京慈恵会医科大学の大学院からNIHに来たばかりの光永眞人(現慈恵医大医学部講師)も戸惑いながらモニターを見つめていた。
帰国を控えた小川から実験を引き継いでいる光永の役割は記録用に撮影データを残すことだった。当時を振り返って光永は言う。
「パッと光を当てれば、ほかの色素はだいたいこちらの予想通りに光ってくれました。近赤外線の強さや露光時間を計算してやると、がん細胞がどのくらい光って、何秒後には消えていくというパターンがある程度は分かっていたんです。ですが、IR700の場合はがん細胞の光り方も違っていて、近赤外線を当てた後、顕微鏡の視野が急激に暗くなっていきました」
この2年で小川はすでに200近くの蛍光物質を試している。近赤外線を当てたとたん、その光エネルギーに反応してモニター内でがん細胞が鮮やかな緑色に光ればそれは「よい試薬」だ。
しかし、リストの最後の方にあったこのIR700は、何度実験を繰り返してもきれいに光らせることができなかった。ぼんやりと光るには光っても、その淡い光はすぐ消え、顕微鏡の視野が暗くなる。その繰り返しだった。
IR700は、何度実験を繰り返してもきれいに光らせることができなかった(写真提供:Photo AC)
© 婦人公論.jp
試行錯誤を繰り返す中で
そもそも、このIR700の実験を小川が後回しにしていたのにはわけがある。
「小林先生には前々からやってみてと言われていたんですけどね」と小川は言う。
「“化学屋”の私としては、IR700の化学式があまり素敵な形じゃないなあと思っていたんです」理系の研究者はしばしば自分の専門分野を伝える際にこうした言い回しをする。“物理屋”“化学屋”“数学屋”などだ。それはともかく、小川のような薬学の専門家の目からはIR700という物質はそう見えたらしい。
「化学式を見るとわかるんですが、この試薬はもともとは水に溶けにくいフタロシアニンという色素を水溶性にするために、スルホ基を上下につけているんです」
スルホ基とはスルホン酸の陰イオン部分で、水によく溶ける。スルホン酸自体は硫酸に匹敵する強い酸なのだが、このスルホ基の性質を利用して、染料や界面活性剤など水に溶けていないと使えない有機化合物を合成する際に使われる。
「実験の素材としては非常に扱いにくそうな化合物だったんですね。なので、正直なところ、ほったらかしにしていたんです。でも、そろそろ留学期間も残りわずかだし、小林先生にもお尻を叩かれていたので、ちょっとやってみようかと」
フタロシアニンは光や熱に強い性質を持つ色素である。道路標識や東海道・山陽新幹線の車体のあの青色の塗料に使われている。これを水溶性にしたIR700は小林が以前から懇意にしていた小さな化学メーカーが売り込んできた。この物質が気になった小林はメーカーと調整を重ね、実験や治療に使えるよう仕立てていたのだ。
そのIR700の実験がうまくいかない。
それどころか、がん細胞は死んでしまっているようだった。死んだがん細胞を特定できたところで画像診断としては意味がない。生きたがん細胞を光らせてこそ、治療に役立つのだから。
ぷちぷち壊れていくがん細胞
急いで倍率を上げてよくよく観察してみると、がん細胞がどんどん壊れているように見えた。まるで水風船が割れるように、あるいは焼いた餅が膨らむように、がん細胞が次々と膨張して破裂していくのだ。その様子を小川は「ぷちぷち割れる」と表現した。
「そんなふうにがん細胞が割れるのはそれまで見たこともありませんでした。それに、がん細胞を光らせる実験中にがん細胞が死んじゃうっていうのは、少なくとも担当者の私は求めていない結果でしたし、どこで実験の手順を間違えたんだろうって、そればっかり考えていましたね」
実験のエキスパートである小川が「それまで見たこともなかった」と首をひねるような現象だった。
光永も困った顔でモニターを見つめるばかりだった。光永にとってもがん細胞が割れて死んでいくのは想定外だった。普通に考えれば、近赤外線を当てるだけでがん細胞が壊れるはずがない。光の出力は正常値。高出力でがん細胞を焼き殺しているわけではないのだ。そもそも実験に使う光として近赤外線が選ばれているのも、「細胞には影響を与えない安全な光」だったからだ。だが、何度繰り返しても結果は同じ。
「やっぱりコイツの形が悪いんじゃないかなあ。このスルホ基が何かを邪魔してるんじゃないかと思うんですけど」
小川が言ったのはIR700のことだ。
「なんだか光り方も変ですよね……」
このIR700には光永も朝から撮影のタイミングや露出の調整で苦労させられていた。
すでに午後一番のラボ・ミーティングの時間が迫っていた。
発見の瞬間
小川はミーティング直前、実験の様子を上司である小林に伝えた。
「今朝からIR700を試しているんですけど、うまくいかなくて……」
「うまくいかない?」
「何度やっても死んじゃうんですよ」
「……死ぬって、何が」「がん細胞が、です」
「がん細胞が死ぬって……小川さん、それってどういうことや」
小林は時折、生まれ故郷の西宮の話し言葉が出る。
そそくさとミーティングを終え、小川が顕微鏡室でその現象を小林に見せた時だった。小林が大きな声でこう言った。
「これはおもろいなあ!」
食い入るようにモニターに見入っていた。
「すごい、すごいで! これは治療に使えるんちゃうか!」
光免疫療法が“発見”された瞬間だった。
光免疫療法の仕組み
小林が研究室を持ってから光免疫療法の「発見」まで4年、オバマが取り上げ注目を浴びるまで7年、日本で早期承認がなされるまで15年。
小林が開発した光免疫療法とはどのようなものなのか、少し詳しく見ていきたい。
光免疫療法は4つのステップからなる。
(1)「薬剤の注入」IR700と抗体などを結合させた複合体を薬剤として患者に点滴し、狙ったがん細胞と結合させる。
(2)「近赤外線の照射」薬剤投与の約1日後、患部に近赤外線を照射する。
(3)「がん細胞の破壊」近赤外線の光エネルギーでIR700が化学変化を起こし、結合していたがん細胞の細胞膜に無数の傷がつくことでがん細胞が破壊される。
(4)「免疫系の活性化」がん細胞が破壊されると周辺の免疫細胞が活性化し、がんに対してさらなる攻撃を開始する。
この4つのステップはこう考えるとイメージしやすいかもしれない。(1)スイッチを入れない限り爆発しない安全な爆薬、いわばダイナマイトを狙った場所に設置する。(2)スイッチを入れる(近赤外線が信号となる)。(3)信号を受け取ったダイナマイトが爆発する。(4)がん細胞があった時は抑制されていた免疫細胞が、がん細胞が死んだことで元気になって、ダイナマイトが届いていないがん細胞や信号が届かない範囲にあったがん細胞を攻撃し始める。
ダイナマイトというのはオーバーな言い方ではない。がん細胞の壊れ方について小林は「まるで人体の内側に小さなダイナマイトを仕掛けられたような感じ」と言い、IR700と抗体の複合体を〈ナノ・ダイナマイト〉と名づけている。
「光が当たった瞬間にがん細胞の細胞膜が破壊されていくので、がん細胞は瞬間的に死んでいきます。がん細胞の表面にナノレベルのダイナマイトを無数に仕掛けて、そこに近赤外線のエネルギーで“起爆スイッチ”をオンにするようなものです」
※本稿は、『がんの消滅――天才医師が挑む光免疫療法』(新潮社)の一部を再編集したものです
──がん細胞がぷちぷち壊れていく。
当時、小林が取り組んでいたのは「がんの分子イメージング」である。医学における〈イメージング〉とは人体内部の構造などを解析、診断するために画像化すること。「がんの分子イメージング」とは、つまりがんを可視化する研究だ。がんを「治療する」ための研究ではない。ましてやがん細胞を破壊するなどということが目的ではない。
がん細胞の表面には他の正常細胞にはないタンパク質が多数、分布している。がん細胞を移植されたマウスの体組織内に、このタンパク質とだけ(特異的に)結合する物質を送り込んでやれば、がん細胞にだけその物質がくっつくことになる。
この物質に蛍光物質をつけてやればどうなるか。がん細胞だけを光らせることができる。外科手術の際は、その光っている部分、がん細胞だけを取り除くことが可能になるし、取り残しも防げる。簡単に言えば、当時の小林が取り組んでいた研究のひとつはそうしたものだった。
失敗した実験
その日、朝から試していたのは〈IR700〉という光感受性物質だった。光に当たると化学反応を起こして発光する物質である。IRはInfrared=赤外線の略だ。700nm(ナノメートル)付近の波長の光に反応するからIR700と名づけられた。
700nmの光とは、テレビの赤外線リモコンでも使われるような無害安全な種類の光である。紫外線のような波長の短い光だと細胞を傷つけてしまう恐れがある。そのために選ばれた可視光に近い近赤外線である。
その光を何度がん細胞に当ててもうまく光らない。
マウスのがん細胞と試薬はちゃんと結合しているはずだった。だが、きれいに光らない。がん細胞が仄かに発光はするのだが、際立った反応を見せることもなく、そのまま暗くなってしまう。明らかにほかの試薬とは違う反応だった。実験は失敗に見えた。
「またダメだ……」
実験に当たっていた小川美香子(現北海道大学大学院薬学研究院教授)は、蛍光顕微鏡のモニターを見つめていたその時のことをよく覚えていた。小川は京都大学薬学部出身。浜松医大の助教職から2年間という期限で小林のもとに留学していた。
小川の研究テーマもまた「がんの分子イメージング」だ。自他ともに認める“化学屋”で、実験の精度や手順には定評がある。実際、NIHでも優秀な博士研究員(フェロー)に与えられる賞を受賞していた。
何度やっても上手く光らない
「どうしてなんだろう」
がん細胞と結合させる試薬によって、がんの光り方や明るさも変わる。リストアップした試薬を片っ端から実験し、その差異をデータとしてまとめるのが小川の仕事だった。
東京慈恵会医科大学の大学院からNIHに来たばかりの光永眞人(現慈恵医大医学部講師)も戸惑いながらモニターを見つめていた。
帰国を控えた小川から実験を引き継いでいる光永の役割は記録用に撮影データを残すことだった。当時を振り返って光永は言う。
「パッと光を当てれば、ほかの色素はだいたいこちらの予想通りに光ってくれました。近赤外線の強さや露光時間を計算してやると、がん細胞がどのくらい光って、何秒後には消えていくというパターンがある程度は分かっていたんです。ですが、IR700の場合はがん細胞の光り方も違っていて、近赤外線を当てた後、顕微鏡の視野が急激に暗くなっていきました」
この2年で小川はすでに200近くの蛍光物質を試している。近赤外線を当てたとたん、その光エネルギーに反応してモニター内でがん細胞が鮮やかな緑色に光ればそれは「よい試薬」だ。
しかし、リストの最後の方にあったこのIR700は、何度実験を繰り返してもきれいに光らせることができなかった。ぼんやりと光るには光っても、その淡い光はすぐ消え、顕微鏡の視野が暗くなる。その繰り返しだった。
IR700は、何度実験を繰り返してもきれいに光らせることができなかった(写真提供:Photo AC)
© 婦人公論.jp
試行錯誤を繰り返す中で
そもそも、このIR700の実験を小川が後回しにしていたのにはわけがある。
「小林先生には前々からやってみてと言われていたんですけどね」と小川は言う。
「“化学屋”の私としては、IR700の化学式があまり素敵な形じゃないなあと思っていたんです」理系の研究者はしばしば自分の専門分野を伝える際にこうした言い回しをする。“物理屋”“化学屋”“数学屋”などだ。それはともかく、小川のような薬学の専門家の目からはIR700という物質はそう見えたらしい。
「化学式を見るとわかるんですが、この試薬はもともとは水に溶けにくいフタロシアニンという色素を水溶性にするために、スルホ基を上下につけているんです」
スルホ基とはスルホン酸の陰イオン部分で、水によく溶ける。スルホン酸自体は硫酸に匹敵する強い酸なのだが、このスルホ基の性質を利用して、染料や界面活性剤など水に溶けていないと使えない有機化合物を合成する際に使われる。
「実験の素材としては非常に扱いにくそうな化合物だったんですね。なので、正直なところ、ほったらかしにしていたんです。でも、そろそろ留学期間も残りわずかだし、小林先生にもお尻を叩かれていたので、ちょっとやってみようかと」
フタロシアニンは光や熱に強い性質を持つ色素である。道路標識や東海道・山陽新幹線の車体のあの青色の塗料に使われている。これを水溶性にしたIR700は小林が以前から懇意にしていた小さな化学メーカーが売り込んできた。この物質が気になった小林はメーカーと調整を重ね、実験や治療に使えるよう仕立てていたのだ。
そのIR700の実験がうまくいかない。
それどころか、がん細胞は死んでしまっているようだった。死んだがん細胞を特定できたところで画像診断としては意味がない。生きたがん細胞を光らせてこそ、治療に役立つのだから。
ぷちぷち壊れていくがん細胞
急いで倍率を上げてよくよく観察してみると、がん細胞がどんどん壊れているように見えた。まるで水風船が割れるように、あるいは焼いた餅が膨らむように、がん細胞が次々と膨張して破裂していくのだ。その様子を小川は「ぷちぷち割れる」と表現した。
「そんなふうにがん細胞が割れるのはそれまで見たこともありませんでした。それに、がん細胞を光らせる実験中にがん細胞が死んじゃうっていうのは、少なくとも担当者の私は求めていない結果でしたし、どこで実験の手順を間違えたんだろうって、そればっかり考えていましたね」
実験のエキスパートである小川が「それまで見たこともなかった」と首をひねるような現象だった。
光永も困った顔でモニターを見つめるばかりだった。光永にとってもがん細胞が割れて死んでいくのは想定外だった。普通に考えれば、近赤外線を当てるだけでがん細胞が壊れるはずがない。光の出力は正常値。高出力でがん細胞を焼き殺しているわけではないのだ。そもそも実験に使う光として近赤外線が選ばれているのも、「細胞には影響を与えない安全な光」だったからだ。だが、何度繰り返しても結果は同じ。
「やっぱりコイツの形が悪いんじゃないかなあ。このスルホ基が何かを邪魔してるんじゃないかと思うんですけど」
小川が言ったのはIR700のことだ。
「なんだか光り方も変ですよね……」
このIR700には光永も朝から撮影のタイミングや露出の調整で苦労させられていた。
すでに午後一番のラボ・ミーティングの時間が迫っていた。
発見の瞬間
小川はミーティング直前、実験の様子を上司である小林に伝えた。
「今朝からIR700を試しているんですけど、うまくいかなくて……」
「うまくいかない?」
「何度やっても死んじゃうんですよ」
「……死ぬって、何が」「がん細胞が、です」
「がん細胞が死ぬって……小川さん、それってどういうことや」
小林は時折、生まれ故郷の西宮の話し言葉が出る。
そそくさとミーティングを終え、小川が顕微鏡室でその現象を小林に見せた時だった。小林が大きな声でこう言った。
「これはおもろいなあ!」
食い入るようにモニターに見入っていた。
「すごい、すごいで! これは治療に使えるんちゃうか!」
光免疫療法が“発見”された瞬間だった。
光免疫療法の仕組み
小林が研究室を持ってから光免疫療法の「発見」まで4年、オバマが取り上げ注目を浴びるまで7年、日本で早期承認がなされるまで15年。
小林が開発した光免疫療法とはどのようなものなのか、少し詳しく見ていきたい。
光免疫療法は4つのステップからなる。
(1)「薬剤の注入」IR700と抗体などを結合させた複合体を薬剤として患者に点滴し、狙ったがん細胞と結合させる。
(2)「近赤外線の照射」薬剤投与の約1日後、患部に近赤外線を照射する。
(3)「がん細胞の破壊」近赤外線の光エネルギーでIR700が化学変化を起こし、結合していたがん細胞の細胞膜に無数の傷がつくことでがん細胞が破壊される。
(4)「免疫系の活性化」がん細胞が破壊されると周辺の免疫細胞が活性化し、がんに対してさらなる攻撃を開始する。
この4つのステップはこう考えるとイメージしやすいかもしれない。(1)スイッチを入れない限り爆発しない安全な爆薬、いわばダイナマイトを狙った場所に設置する。(2)スイッチを入れる(近赤外線が信号となる)。(3)信号を受け取ったダイナマイトが爆発する。(4)がん細胞があった時は抑制されていた免疫細胞が、がん細胞が死んだことで元気になって、ダイナマイトが届いていないがん細胞や信号が届かない範囲にあったがん細胞を攻撃し始める。
ダイナマイトというのはオーバーな言い方ではない。がん細胞の壊れ方について小林は「まるで人体の内側に小さなダイナマイトを仕掛けられたような感じ」と言い、IR700と抗体の複合体を〈ナノ・ダイナマイト〉と名づけている。
「光が当たった瞬間にがん細胞の細胞膜が破壊されていくので、がん細胞は瞬間的に死んでいきます。がん細胞の表面にナノレベルのダイナマイトを無数に仕掛けて、そこに近赤外線のエネルギーで“起爆スイッチ”をオンにするようなものです」
※本稿は、『がんの消滅――天才医師が挑む光免疫療法』(新潮社)の一部を再編集したものです
批判も覚悟のうえで自ら情報提供
山崎製パン株式会社(ヤマザキ)が3月、一部の角食パンに食品添加物「臭素酸カリウム」を使い始めました。臭素酸カリウムは遺伝毒性発がん物質とされ、添加物批判の記事や書籍等では必ず、猛批判される物質。同社は、臭素酸カリウムを2014年以降は使っていませんでしたが、使用再開です。
山崎製パン株式会社(ヤマザキ)が3月、一部の角食パンに食品添加物「臭素酸カリウム」を使い始めました。臭素酸カリウムは遺伝毒性発がん物質とされ、添加物批判の記事や書籍等では必ず、猛批判される物質。同社は、臭素酸カリウムを2014年以降は使っていませんでしたが、使用再開です。
3/13/2020
https://wedge.ismedia.jp/mwimgs/d/8/1000/img_d8cbfee2aaa1e23142bdb02678120b3b277887.jpg
しかも、2月25日からはウェブサイトで、自主的に使用再開を情報提供し始めました。法的には、告知する義務はないのに……。
3・31・2020
さっそく同社に尋ねました。「発がん物質を食品に使う? 週刊誌などからまた、猛烈にたたかれますよ」。答えは、「もっとおいしいパンを提供するために使いますが、安全は絶対に守ります。詳しく説明しますので、なんでも聞いてください」。
さっそく同社に尋ねました。「発がん物質を食品に使う? 週刊誌などからまた、猛烈にたたかれますよ」。答えは、「もっとおいしいパンを提供するために使いますが、安全は絶対に守ります。詳しく説明しますので、なんでも聞いてください」。

さっそく取材しました。添加物はイヤ、と思う皆さんにこそ読んでもらいたい、科学的根拠に基づく企業の毅然とした判断が、ここにはあります。
■食感改善に絶大な効果
臭素酸カリウムは、小麦粉処理剤として厚労省が使用を認めている食品添加物です。パン生地の中で臭素酸とカリウムに分かれ、さらに臭素酸から酸素が発生し、小麦中のたんぱく質を酸化します。それにより、パンのおいしさを大きく左右するグルテンというたんぱく質の構造がよくなり、できあがったパンは水分が保たれ、キメが均一でやわらかくしっとりとした食感が長く続く、とされています。
※左:臭素酸カリウムを使った食パン。右:生地改良剤として臭素酸カリウムを使わず、ビタミンCを用いた食パン。微細構造の違いが、食感の違いやパサつきやすさ、劣化の速さなどにつながる
https://wedge.ismedia.jp/mwimgs/3/e/1200/img_3e67797ba1626c3a2451c330557bab36728530.jpg
臭素酸カリウムは日本では1953年に添加物としての使用を認可され、まちばの小さなパン屋さんでも普通に使われていました。しかし、70年代に「発がん性があるのでは?」という疑惑が持ち上がりました。反対運動も激化して、ほとんどの業者が使わなくなりました。
通常、遺伝毒性発がん性が判明した物質は、添加物としての使用を認められません。しかし、残留しなければ、人の健康への悪影響はありません。そのため、厚生省は1982年、「使用した場合には最終製品に残存してはならない」というルールを設定しました。多くの業者が使用を再開しました。
以降、厚生省、現厚労省は「使っても、残っていなければよい」とするルール自体は、ずっと変えていません。その後の1992年、FAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)が「小麦粉処理剤としての使用は適切ではない」との見解を示したのを受け、山崎製パンを含む国内メーカーは使用を自粛しましたが、同社は2004年には使用を再開しました。
こうした紆余曲折の背景にあったのは、残存するかどうかを測定する分析方法の精度の問題です。以前の方法は精度が悪かったのですが、技術の進歩によりレベルアップしました。日本では2003年から、パンに臭素酸として0.5ppb残っていれば検出できる方法で、残存の有無を確認することになりました。0.5ppbというのは、パン1kgあたり0.5μgの臭素酸があるという濃度、極めて微量です。こうした高度な検査で検出されなければ、臭素酸カリウムをパン製造に使ってよい、というのが2003年からの日本のルールです。
山崎製パンは、臭素酸カリウムの高精度の分析法の研究で、米食品医薬品局(FDA)などとも共同研究を重ね、国際的にも貢献してきました。その技術力を活かし、2004年から14年まで臭素酸カリウムを使っていました。
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