中頓別鍾乳洞(後編)前編はこちら
上部に開けた「メアンダートレンチ」(かつて水の流れがあった痕跡)を見上げながら、岩の隙間に作られた木製の階段を上って行きます。
ところどころで岩が出っ張っているので、頭をぶつけないように注意ですね。
やや急な階段を15メートルほど進むと、通路は右に大きくカーブしていました。
この辺は予想以上に狭く、中腰でないと進めないので中々ツラいですね……(笑)。
さて、見学路の半分以上を進んできましたが、当麻鍾乳洞で見られるようなツララ状の鍾乳石はここでは見られません。
これは、この第1洞が前回お話ししたように4層(階)構造である事が関係しています。
鍾乳洞は、雨水が地面に染み込んで石灰岩を徐々に溶かし、空洞が生まれることで形成されます。
さらに、石灰岩の炭酸カルシウムが溶け込んだ地下水が鍾乳洞内に染み出してくると、洞内の空気に触れることによって再度固まり、鍾乳石が形成されるわけです。
ここ中頓別鍾乳洞の第1洞は4階部分にある第4支洞、3階の第3支道、第2支道の順に形成され、地下水は徐々に下に落ち込んで停滞。
その後、溶食によって形成された主洞(現在いる場所)は地下水の吐き出し口となり、内部の崩落を伴いながら拡大し、現在の形になったとのことです。
よって鍾乳石などは無く、代わりに水流によって形成された侵食地形が見られるということなのです。
(※3層部分には鍾乳石があるとのことですが、安全性の関係で非公開。)
板張りのスロープを抜けると、洞内は緩やかにカーブして行き止まりとなっていました。見学路はここで終了です。
ここでは、かつて水面があったことを示す連続した窪み「ノッチ」を観察することが出来ます。
戻りぎわ、少し開けた支洞?と思われる箇所を見学路から覗き見。
人が入れる規模の洞内なのか分かりませんが、今いる主洞の他にも地下空間が広がっていることを考えるとワクワクしますよね。
そして苔がキレイ。地下水が水滴になってキラキラ輝いていました。
第1洞を出て、第3、4洞を目指します。
残念ながら現在はいずれも立ち入りは出来ないようですが、入り口だけでも見ておこうと思いまして。
なお、道中には手動のクマよけサイレンが……(゜ロ゜)
ハンドルを回すとパトカーみたいなサイレンが大音量で鳴ります(笑)。
カルスト地形に関連したドリーネがあちこちに見られます。
雨水が地下に浸透する際、周囲の石灰岩を溶かすことによって出来るすり鉢状になった窪みのことを指します。これは四国カルストでも見ることができましたね。
大抵、ドリーネの下には鍾乳洞があるとの事で、もしかしたらまだ未発見の鍾乳洞があるかもとのこと!
第3洞に到着。
入口は幅3メートル、高さ1メートル程度。
奥行きは30メートルほどで、かつては多くの鍾乳石が生成していたとのことですが、内部の崩落が進んでしまったため、現在は立ち入り禁止となっています。残念。
続いて第4洞へ。
こちらの入り口は幅1メートル、高さ1.2メートルほど。
規模は約15メートルと小さいものの、こちらでも鍾乳石が確認できたといいます。現在は崩落で立ち入り禁止です。
第3洞、第4洞ともにドリーネの底部に入り口が開口しており、我々見学者は岩の割れ目へ降りて行き、入り口を覗きこむかたちとなっています。
特徴的な地形が楽しく、青々と苔むした岩肌が両側に迫り、何やら幻想的でもありますね(^_^)。
第4洞のドリーネ開口部のすぐ脇には、樹齢500年と言われる立派なミズナラがそびえていました。
この森の主といったところでしょうか。
幹にはかつて受けた落雷の跡がありますが、長い年月をかけて少しずつ再生を続けているのだそう。
最後に。「ぬく森館」の前にあった貝殻石灰岩です。
近づいてみると、ホタテガイの化石が密集しているのが分かりました。
中頓別町、いまいち何があるのかイメージしづらい町ですが、中心部にある中頓別町郷土資料館では、同町の開拓や砂金採取の歴史などが学べるほか、重さ205匁(768グラム)の日本一の塊金や古いダットサンの消防車などが見られるのでオススメです(入館料一般120円)。近くの定食屋も美味しかったし。
完。
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