(2020年訪問)
※青森ミステリー見聞録より記事を抜粋しております。
・キリストの墓(青森県三戸郡新郷村大字戸来字沢口)
皇祖皇太神宮(茨城県磯原村)の菅長・竹内家に代々伝わる「竹内古文書」の記述によると、
ゴルゴダの丘で処刑されたのは実は身代わりとなった弟イスキリで、刑を逃れたキリストは
密かに日本へ渡り、ここ青森県新郷村(旧・戸来村)で106歳の長寿を全うしたという。
そもそも、キリストが日本へ初めて渡来したのは21歳の時。33歳まで修行を重ね、ユダヤへ帰ってその教えを説いて迫害にあったらしい。
一見トンデモ伝説ともいえるこの古文書が発見されたのは昭和6年。
同10年、古代史研究家らが村を訪れて調査したところ、村長の案内で本当にキリストの墓を見つけたというから驚きだ。
小さな村に突然降って湧いた「湧説(ようせつ)」とも言われているが、当時マスコミは大熱狂。
……まぁ、信じるか信じないかはあなた次第だ。
一帯は「キリストの里公園」として整備されており、小高い丘を登った向かって右側が「十来塚」と名付けられたキリストの墓。
そして向かい合うように、左側には「十代墓」として弟イスキリの墓まである。
二つの墓のすぐ近くに、伝説や村の歴史について展示した立派な施設「キリストの里伝承館」がある。
入場料は大人200円。さっそく入ってみよう。
小ぎれいな館内には、昔の農機具などが並べられ、普通の郷土資料館のような趣もある。
しかし「民家復元コーナー」と名付けられた一角に、不思議な展示物が……。
この地方では、藁で編んだかご「エジコ」をゆりかご代わりにして子育てしていたというが、
子どもの額には十字架が……。
なんでも、生まれて間もない子を初めて外に出すとき、厄除けなどを願い墨で十字架を描くという風習が
古くから言い伝えられてきたというのだ。
……ううむ。
伝承館の奥には、キリスト伝説の裏付けともいえるいくつかの言い伝えが解説されていた。
まずはこの村をはじめ、青森県南部~岩手県北部の旧南部藩領内に古くから伝わる
「ナニャドヤラ」という謎の盆踊り唄。村の入り口の看板にも書かれていたアレである。
他の地域では笛や太鼓などの音が付け加えられ、リズムがアップテンポなのに対し、
新郷村の唄は「ナニャドヤラ~ ナニャドナサレド ナニャドヤラ~」という意味不明な言葉を
ただ単調に繰り返すのみ。
神学博士の川守田英二氏は、これは古代ユダヤの軍歌で、ヘブライ語で神を讃える意味であると分析。
「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を掃蕩し~」といった感じである。
旋律もユダヤで古くから歌われてきたそれにそっくりだという。
6月の第一日曜日には「キリスト祭」という村の伝統行事が行われ、
「ナニャドヤラ」は祭のクライマックスに墓の周囲を回りながら披露される。
次に「キリストの子孫」と言われる沢口家である。
キリストはこの村で「十来太郎大天空」と名乗り、二十歳の女性との間に3人の娘を持ったと言われている。その長女が嫁いだとされるのが沢口家。
代々キリストの墓を守っており、その先祖の風貌は「眼は青く、目鼻立ちが日本人離れしていた」という。
考古学、歴史学ジャーナリストの山根菊子氏は、現在の当主・沢口豊治氏の父・三次朗氏の印象について「絵に見るキリストの肖像の生き写しだ。頭の毛がズッと禿げ上がって居り、鼻は高く眼は大きく、
身体のガッチリした風貌はあまりによく似ている」と記載している(『光は東方より』1937年)。
そしてその沢口家の古い戸袋には、六芒星がもとになっていると言われる星形の家紋があった。
形が多少違うのは「沢口家の家紋の桔梗が変化したから」「ダビデの紋章を打ち付けるのは恐れ多いと形を変えたから」などの説がある。
現物は現存しておらず、館内にはレプリカが展示されている。
↑キリスト伝説の発端となった「竹内古文書」の複製。
そもそも、この村は元々の名前が「戸来(ヘライ)村」。
お気づきのように「ヘブライ」の発音に似ている。
方言でも、大人の男(父親)を「アヤ」「ダダ」、女性(母親)を「アパ」「アバ」と呼ぶことについて、聖書の「アダム」と「イブ」が訛ったものではないかとも言われている。
先述した子どもの額に十字を描く風習の他にも「足がしびれた時に額に十字を3回描く」「農作業の作業着がパレスチナのそれに似ている」など、挙げるといくらでもある。
「キリストの遺言書」なるものも展示。こちらも竹内古文書の中にあったもので、展示品は複製。
布教には努めなかったものの、日本全国を行脚し言語や風俗などを視察する傍ら、庶民救済に尽力したことなどが書かれている。
なお、当時のキリストは禿げ頭白髪で赤ら顔の鼻高、ヒダの多いオーバーを着ていたことから、人々に天狗として敬われていたという。
まさに「真実は神のみぞ知る」である。
「キリストの里公園」のすぐ向かいには「キリストっぷ」なるネーミングセンス抜群の休憩処がある。
せっかくなので開店時間を待って立ち寄ってみた。
開店時間はキリストだけに「十字架ら(10時から)3時まで」(土日限定)。
ロゴをあしらったTシャツやトートバッグ、缶バッジ、そして「ナニャドヤラ」の完全版CDなどを販売している。
所々に散りばめられたユーモアに、それこそバチが当たらないのかと心配してしまったが、
スタッフのおばあちゃんによると、かれこれ開店してから10年ほど経つという。
村の高齢女性グループが運営、維持管理を行っているそうだ。
完。
※青森ミステリー見聞録より記事を抜粋しております。
・キリストの墓(青森県三戸郡新郷村大字戸来字沢口)
皇祖皇太神宮(茨城県磯原村)の菅長・竹内家に代々伝わる「竹内古文書」の記述によると、
ゴルゴダの丘で処刑されたのは実は身代わりとなった弟イスキリで、刑を逃れたキリストは
密かに日本へ渡り、ここ青森県新郷村(旧・戸来村)で106歳の長寿を全うしたという。
そもそも、キリストが日本へ初めて渡来したのは21歳の時。33歳まで修行を重ね、ユダヤへ帰ってその教えを説いて迫害にあったらしい。
一見トンデモ伝説ともいえるこの古文書が発見されたのは昭和6年。
同10年、古代史研究家らが村を訪れて調査したところ、村長の案内で本当にキリストの墓を見つけたというから驚きだ。
小さな村に突然降って湧いた「湧説(ようせつ)」とも言われているが、当時マスコミは大熱狂。
……まぁ、信じるか信じないかはあなた次第だ。
一帯は「キリストの里公園」として整備されており、小高い丘を登った向かって右側が「十来塚」と名付けられたキリストの墓。
そして向かい合うように、左側には「十代墓」として弟イスキリの墓まである。
二つの墓のすぐ近くに、伝説や村の歴史について展示した立派な施設「キリストの里伝承館」がある。
入場料は大人200円。さっそく入ってみよう。
小ぎれいな館内には、昔の農機具などが並べられ、普通の郷土資料館のような趣もある。
しかし「民家復元コーナー」と名付けられた一角に、不思議な展示物が……。
この地方では、藁で編んだかご「エジコ」をゆりかご代わりにして子育てしていたというが、
子どもの額には十字架が……。
なんでも、生まれて間もない子を初めて外に出すとき、厄除けなどを願い墨で十字架を描くという風習が
古くから言い伝えられてきたというのだ。
……ううむ。
伝承館の奥には、キリスト伝説の裏付けともいえるいくつかの言い伝えが解説されていた。
まずはこの村をはじめ、青森県南部~岩手県北部の旧南部藩領内に古くから伝わる
「ナニャドヤラ」という謎の盆踊り唄。村の入り口の看板にも書かれていたアレである。
他の地域では笛や太鼓などの音が付け加えられ、リズムがアップテンポなのに対し、
新郷村の唄は「ナニャドヤラ~ ナニャドナサレド ナニャドヤラ~」という意味不明な言葉を
ただ単調に繰り返すのみ。
神学博士の川守田英二氏は、これは古代ユダヤの軍歌で、ヘブライ語で神を讃える意味であると分析。
「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を掃蕩し~」といった感じである。
旋律もユダヤで古くから歌われてきたそれにそっくりだという。
6月の第一日曜日には「キリスト祭」という村の伝統行事が行われ、
「ナニャドヤラ」は祭のクライマックスに墓の周囲を回りながら披露される。
次に「キリストの子孫」と言われる沢口家である。
キリストはこの村で「十来太郎大天空」と名乗り、二十歳の女性との間に3人の娘を持ったと言われている。その長女が嫁いだとされるのが沢口家。
代々キリストの墓を守っており、その先祖の風貌は「眼は青く、目鼻立ちが日本人離れしていた」という。
考古学、歴史学ジャーナリストの山根菊子氏は、現在の当主・沢口豊治氏の父・三次朗氏の印象について「絵に見るキリストの肖像の生き写しだ。頭の毛がズッと禿げ上がって居り、鼻は高く眼は大きく、
身体のガッチリした風貌はあまりによく似ている」と記載している(『光は東方より』1937年)。
そしてその沢口家の古い戸袋には、六芒星がもとになっていると言われる星形の家紋があった。
形が多少違うのは「沢口家の家紋の桔梗が変化したから」「ダビデの紋章を打ち付けるのは恐れ多いと形を変えたから」などの説がある。
現物は現存しておらず、館内にはレプリカが展示されている。
↑キリスト伝説の発端となった「竹内古文書」の複製。
そもそも、この村は元々の名前が「戸来(ヘライ)村」。
お気づきのように「ヘブライ」の発音に似ている。
方言でも、大人の男(父親)を「アヤ」「ダダ」、女性(母親)を「アパ」「アバ」と呼ぶことについて、聖書の「アダム」と「イブ」が訛ったものではないかとも言われている。
先述した子どもの額に十字を描く風習の他にも「足がしびれた時に額に十字を3回描く」「農作業の作業着がパレスチナのそれに似ている」など、挙げるといくらでもある。
「キリストの遺言書」なるものも展示。こちらも竹内古文書の中にあったもので、展示品は複製。
布教には努めなかったものの、日本全国を行脚し言語や風俗などを視察する傍ら、庶民救済に尽力したことなどが書かれている。
なお、当時のキリストは禿げ頭白髪で赤ら顔の鼻高、ヒダの多いオーバーを着ていたことから、人々に天狗として敬われていたという。
まさに「真実は神のみぞ知る」である。
「キリストの里公園」のすぐ向かいには「キリストっぷ」なるネーミングセンス抜群の休憩処がある。
せっかくなので開店時間を待って立ち寄ってみた。
開店時間はキリストだけに「十字架ら(10時から)3時まで」(土日限定)。
ロゴをあしらったTシャツやトートバッグ、缶バッジ、そして「ナニャドヤラ」の完全版CDなどを販売している。
所々に散りばめられたユーモアに、それこそバチが当たらないのかと心配してしまったが、
スタッフのおばあちゃんによると、かれこれ開店してから10年ほど経つという。
村の高齢女性グループが運営、維持管理を行っているそうだ。
完。
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