(2019年訪問)
※兵庫、岡山、広島珍スポットラリーより記事を抜粋しております。
兵庫県姫路市、JR姫路駅から徒歩数分。
裏通りにあるビルの中心から、コンクリートの煙突のようなものがピョッコリ飛び出ています。横に目をやると、同じような煙突が横一列に続いているのが分かります。
実はこれ、モノレールの廃線跡なのです。
1966(昭和41)年から1979(昭和54)年まで、わずか13年の間ですが姫路市内に存在していた姫路モノレールです。(※休止期間が5年あったので、実際の運行年数は8年ほど)
運行区間はここ姫路駅前から手柄山までの1.63キロ、駅数はたったの3駅。
既に廃止から40年近くが経つのですが、撤去に莫大な費用が掛かるため、このように未だ至る所に遺構が残っている状況なのです。
故に姫路市民には「幻のモノレール」として認知されているご様子。
終点の手柄山駅跡にモノレールの歴史館があるとの事なので、廃線跡探索がてら徒歩で向かってみることにします。
存在感あるT字型の橋脚
カメラでズームしてみると、車両に電力を送る電線のようなものや、ガイドレールを固定していた跡のようなものまで確認できます。
さすがにモノレールの通る軌道自体は撤去されてしまっていますが、橋脚は建物と合体しているようで撤去は難しいのか、そのまま残されている状況です。
なお、これらの遺構をキレイさっぱり撤去するには20億円ほどかかるそうです。
このように建物から独立して、フェンスや町内掲示板で囲われたものも。
何やら古代遺跡のようでもありますね。
路線は大きく南へとカーブし、手柄山方面へ向かってゆきます。
そして路地を出たところにある広い駐車場は、中間駅の「大将軍」駅が建っていた場所。
なんとマンションと合体した駅舎で、4階部分にホームがあり、軌道がそのまま建物を貫通しているという特徴的な外観だったようです。
この大将軍駅は開業後わずか2年で廃駅となり、以降路線の廃止までは単なる通過地点となっていたそう。
マンション自体はつい最近(2016年)まで残っており、駅の設備もほぼそのままの状態だったようです。
中にこそ入れませんでしたが、外観から軌道部分や4階のホーム跡を確認することができ、マニアに人気のポイントでした。
2016年の解体前には内部を特別公開する見学会が行われ、全国から応募が殺到したようです(行きたかった……)。
ここら辺は近年まで軌道跡も残っていたポイントでしたが、マンションの解体と前後してゴッソリ一掃されてしまった模様。
景観向上計画でツタに覆われた橋脚と、その色あせた説明版のみがポツンと残ります……。
路線跡がよく分かります……。
幹線道路のコンビニのすぐ裏には、ほとんど手つかずの遺構が辛うじて残っていました。
裏道でそれほど危険も無いからでしょうか。
橋脚の根元部分は個人所有の土地になっているのか、家庭菜園?のようなものが展開されていました。
…残念ながら、わずか数十メートルで軌道跡は分断。
すぐ先には新幹線と山陽本線の高架があるので「新幹線建設時に撤去されたか?」と思いましたが、開通時はモノレールはまだ現役。
1972年に、モノレールを跨ぐギリギリの高さで新幹線の高架が造られました。
近年まで、高架と近距離でクロスする軌道跡を見ることが出来たそうですが、現在は撤去されています。
新幹線と山陽本線を超えると、しばらく遺構は消えてしまいますが、少し歩くと駐車場裏に再び現れます。
会社の敷地内のようで、これ以上近づく事はできませんが…。
この上をモノレールが走っていた事を想像すると、ロマンがありますよね。
終点・手柄山駅跡を望む
軌道跡の撮影地点から振り返ると、レンガ造りの手柄山駅跡(真ん中)が見えました。
そして建物下に、ポッカリ空いた黒い穴があるのが分かるでしょうか??
実はあの穴からモノレールが出入りしていたのです!
言うまでもなく、ここからあの穴まで軌道が一直線に伸びていましたが、現在は橋脚含めすべて消滅してしまっている模様。
手柄山駅跡に到着!!
手柄山中央公園内にあるこの建物、現在は「手柄山交流ステーション」として市民に親しまれています。
内部は改修され、水族館や市民ホール、そして目指すモノレールの歴史館となっている訳です。
水族館は入場料がかかりますが、嬉しいことにモノレールの方は無料。
終点駅であった手柄山駅を改装して作られており、なんとモノレールの入出場用だった穴がそのまま建物の出入り口になっています。
そして…、嬉しいことに当時の車両が展示保存されているんですね。
姫路モノレール 200形車両
開業時のものを再現したであろう「祝・開通」のヘッドマークが誇らしげです。
1966年製造ですが、意外と古さを感じさせないデザインなのでは。
なんと廃線になってから数十年間、ここ手柄山駅跡にホコリを被って眠っていたのだそうです。
駅もろとも封鎖されて長らく半放置状態だったものが、観光資源として再評価。
2009年に封印が解かれ、展示施設としてめでたく蘇ったという事なのです。
「ロッキード式」に注目
モノレールの構造は大きく「懸垂式」「跨座式」に分けられますが、このモノレールは跨座式の中でも大変珍しい「ロッキード式」を採用しています。
…あの航空機のロッキード社です。
一般的な跨座式はゴムタイヤを採用していますが、ロッキード式は軌道の上に鉄道のようなレールを敷き、鉄の車輪で走行するというもの。
米ロッキード社が考案しましたが、採用事例は日本のみで、しかもここ姫路と小田急向ヶ丘遊園の2か所のみ!!
向ヶ丘遊園のモノレールも既に廃止されているので、ロッキード式で現存している路線はありません。
展示館の外にも、実際のモノレールの台車が展示されていました。
保護カバーがなく、構造が分かりやすいですね(^_^)。
ロッキード式は乗り心地、高速性能に優れる一方、鉄車輪ゆえに騒音が激しい、登坂性能が乏しいなどのデメリットがありました。
またロッキード社もモノレール事業から早々に撤退してしまった事もあり、普及することはありませんでした。
後編へ続く。
※兵庫、岡山、広島珍スポットラリーより記事を抜粋しております。
兵庫県姫路市、JR姫路駅から徒歩数分。
裏通りにあるビルの中心から、コンクリートの煙突のようなものがピョッコリ飛び出ています。横に目をやると、同じような煙突が横一列に続いているのが分かります。
実はこれ、モノレールの廃線跡なのです。
1966(昭和41)年から1979(昭和54)年まで、わずか13年の間ですが姫路市内に存在していた姫路モノレールです。(※休止期間が5年あったので、実際の運行年数は8年ほど)
運行区間はここ姫路駅前から手柄山までの1.63キロ、駅数はたったの3駅。
既に廃止から40年近くが経つのですが、撤去に莫大な費用が掛かるため、このように未だ至る所に遺構が残っている状況なのです。
故に姫路市民には「幻のモノレール」として認知されているご様子。
終点の手柄山駅跡にモノレールの歴史館があるとの事なので、廃線跡探索がてら徒歩で向かってみることにします。
存在感あるT字型の橋脚
カメラでズームしてみると、車両に電力を送る電線のようなものや、ガイドレールを固定していた跡のようなものまで確認できます。
さすがにモノレールの通る軌道自体は撤去されてしまっていますが、橋脚は建物と合体しているようで撤去は難しいのか、そのまま残されている状況です。
なお、これらの遺構をキレイさっぱり撤去するには20億円ほどかかるそうです。
このように建物から独立して、フェンスや町内掲示板で囲われたものも。
何やら古代遺跡のようでもありますね。
路線は大きく南へとカーブし、手柄山方面へ向かってゆきます。
そして路地を出たところにある広い駐車場は、中間駅の「大将軍」駅が建っていた場所。
なんとマンションと合体した駅舎で、4階部分にホームがあり、軌道がそのまま建物を貫通しているという特徴的な外観だったようです。
この大将軍駅は開業後わずか2年で廃駅となり、以降路線の廃止までは単なる通過地点となっていたそう。
マンション自体はつい最近(2016年)まで残っており、駅の設備もほぼそのままの状態だったようです。
中にこそ入れませんでしたが、外観から軌道部分や4階のホーム跡を確認することができ、マニアに人気のポイントでした。
2016年の解体前には内部を特別公開する見学会が行われ、全国から応募が殺到したようです(行きたかった……)。
ここら辺は近年まで軌道跡も残っていたポイントでしたが、マンションの解体と前後してゴッソリ一掃されてしまった模様。
景観向上計画でツタに覆われた橋脚と、その色あせた説明版のみがポツンと残ります……。
路線跡がよく分かります……。
幹線道路のコンビニのすぐ裏には、ほとんど手つかずの遺構が辛うじて残っていました。
裏道でそれほど危険も無いからでしょうか。
橋脚の根元部分は個人所有の土地になっているのか、家庭菜園?のようなものが展開されていました。
…残念ながら、わずか数十メートルで軌道跡は分断。
すぐ先には新幹線と山陽本線の高架があるので「新幹線建設時に撤去されたか?」と思いましたが、開通時はモノレールはまだ現役。
1972年に、モノレールを跨ぐギリギリの高さで新幹線の高架が造られました。
近年まで、高架と近距離でクロスする軌道跡を見ることが出来たそうですが、現在は撤去されています。
新幹線と山陽本線を超えると、しばらく遺構は消えてしまいますが、少し歩くと駐車場裏に再び現れます。
会社の敷地内のようで、これ以上近づく事はできませんが…。
この上をモノレールが走っていた事を想像すると、ロマンがありますよね。
終点・手柄山駅跡を望む
軌道跡の撮影地点から振り返ると、レンガ造りの手柄山駅跡(真ん中)が見えました。
そして建物下に、ポッカリ空いた黒い穴があるのが分かるでしょうか??
実はあの穴からモノレールが出入りしていたのです!
言うまでもなく、ここからあの穴まで軌道が一直線に伸びていましたが、現在は橋脚含めすべて消滅してしまっている模様。
手柄山駅跡に到着!!
手柄山中央公園内にあるこの建物、現在は「手柄山交流ステーション」として市民に親しまれています。
内部は改修され、水族館や市民ホール、そして目指すモノレールの歴史館となっている訳です。
水族館は入場料がかかりますが、嬉しいことにモノレールの方は無料。
終点駅であった手柄山駅を改装して作られており、なんとモノレールの入出場用だった穴がそのまま建物の出入り口になっています。
そして…、嬉しいことに当時の車両が展示保存されているんですね。
姫路モノレール 200形車両
開業時のものを再現したであろう「祝・開通」のヘッドマークが誇らしげです。
1966年製造ですが、意外と古さを感じさせないデザインなのでは。
なんと廃線になってから数十年間、ここ手柄山駅跡にホコリを被って眠っていたのだそうです。
駅もろとも封鎖されて長らく半放置状態だったものが、観光資源として再評価。
2009年に封印が解かれ、展示施設としてめでたく蘇ったという事なのです。
「ロッキード式」に注目
モノレールの構造は大きく「懸垂式」「跨座式」に分けられますが、このモノレールは跨座式の中でも大変珍しい「ロッキード式」を採用しています。
…あの航空機のロッキード社です。
一般的な跨座式はゴムタイヤを採用していますが、ロッキード式は軌道の上に鉄道のようなレールを敷き、鉄の車輪で走行するというもの。
米ロッキード社が考案しましたが、採用事例は日本のみで、しかもここ姫路と小田急向ヶ丘遊園の2か所のみ!!
向ヶ丘遊園のモノレールも既に廃止されているので、ロッキード式で現存している路線はありません。
展示館の外にも、実際のモノレールの台車が展示されていました。
保護カバーがなく、構造が分かりやすいですね(^_^)。
ロッキード式は乗り心地、高速性能に優れる一方、鉄車輪ゆえに騒音が激しい、登坂性能が乏しいなどのデメリットがありました。
またロッキード社もモノレール事業から早々に撤退してしまった事もあり、普及することはありませんでした。
後編へ続く。
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