おまたせしました。約2年ぶりの続編です(^_^;)。
前編はこちらからどうぞ!
群馬県高崎市の「高崎洞窟観音」に潜入中のホルマリン。
全て人の手で掘られたという壮大な地下空間、コンクリートに固められた無機質な通路が続き、「最後までこんな感じかな?」と思っていたところ、突然雰囲気がガラリと変わりました。
ご覧の通り、通路自体がいかにも天然洞窟風の、ゴツゴツした岩壁に変化。触ってみると独特の質感です。
90年代の訪問記録では鉄柵などは無かったようなのですが、安全性などの関係で、近年になって付け足されたようですね。
そして。
ゆっくり進んでゆくと、これまでと違う色の照明に照らされた、ひとつ奥まった空間があるのが見えてきました。
見学者は鉄の柵越しに、その空間を覗きこむスタイルになっています。
「ほほぉ~、さっきみたいなドーム状の空間がまだあるのか…(*^_^*)」とワクワクしながら柵の前に立つと。
その光景は想像以上でした。
石灯篭や枯山水があしらわれた石庭と、その向こうに広がる石の渓谷。
自分の身長と同じくらいか、少し低いくらいの観音像が、薄暗い渓谷のあちこちからこちらを見下ろす。
その奥には、白くなめらかな石の滝も見える。
想像以上に広大な空間に、思わず息をのむ。
恐らく、ドーム状の天井までの高さは10メートル以上はあるのではないでしょうか。
あまりに広いので、全体像をカメラに収めきれない。
今までの細く薄暗い通路の先に、こんなに広大な空間があるとは誰が想像できるでしょうか。
白熱灯が照らす「ジジジ…」という音だけが微かに響く無音の空間。
ぼんやりと白く浮かび上がる、無表情の大きな観音像たち。
その幽艶かつ少し不気味な光景にすっかり呑まれてしまい、10分くらい見惚れていました。
驚くべきことに、巨大なドーム状の空間はこれだけではありませんでした。
通路を少し進んだところに、もう一つの渓谷が。
…奥行き、高さともに、先ほどよりも遥かに広大な空間です。
高さに至っては15メートルか、それ以上はあると思われます。
現在は柵が作られており、通路から眺めるだけとなっていますが、空間の至る所に鉄柵や石の階段があるのが見えます。
かつては中に入って散策する事が出来たのでしょうか。
そして天井近くには、外に通じているような通気口?出入り口?のようなものも見えます。
皆さん、忘れないで頂きたいのですが、この洞窟、すべて人力で掘られたというのだから凄い。
天然の洞窟ではないからこそ、これほどまでに驚嘆し、そして見惚れてしまうのです。
終盤に展開される瞑想空間
徳三氏は、その財力を以て多くの作業員を雇って洞窟建設を進めたようですが、時には天候が悪く、作業員が一人も来ない日もあったようです。
そのような日は、徳三夫妻が自らつるはしを手に、少しずつ作業を進めていたようです。
一体、何が徳三氏をそこまでさせたのでしょうか。
残念ながら、昭和39年に徳三氏が死去したことにより、洞窟の建設はいったん終了。
噂では計画の半分も完成していないという事らしいのですが、それ以降、建設が進む事はありませんでした。
工事中、作業員の出入り口だった作業用通路をそのまま出口としているため、洞窟はいきなり直角にカーブし、無機質な通路を経て終了…という、やや尻すぼみな結末なのが残念です。
実は、この通路には洞窟建設途中の証が残る、という事なのですが、薄暗くよく分かりませんでした。
ただ、どこからか人の声が響いてきて「?」と思いながら外へ出ると、山の斜面から3人組の男性グループが降りて来たので、どこかに外の山林へ続く通路の痕跡があるのかもしれません。
さて。洞窟探検のあとは、敷地内に建つ「山徳記念館」の見物としましょうか。
かつての徳三氏の自宅を改築したもので、現在は風刺漫画などを中心とした漫画記念館となっています。
洞窟観音のチケットで、合わせて見学する事が出来ます。
館内には、美しい五福神のステンドグラスが。徳三氏が営んでいた呉服店にあったものを復元したものなんだとか。恐らく「呉服」と「五福」をかけて造られたものなのでしょうね(*^_^*)。
そして小さな館内には、歴代総理の似顔絵など愉快な展示がズラリ。
徳三氏は「のらくろ」で有名な近代漫画家・北沢楽天と親交が深かったようで、楽天の貴重な資料が豊富。
受付でもオススメしていたので、これらの展示が山徳記念館の一番の売りのようです。
少しですが、洞窟観音についての展示もありました。徳三氏とその妻ナヲが映る写真は非常に興味深い。
ところで、外の徳名園には、記念館や笑い閻魔(前回紹介)の他に「防空壕」という素敵な案内板も。
ドキドキしながら記念館の正面入り口を通過し、坂道を下っていくと…。
ちょうど記念館の下に潜り込むかのように、小さな入り口がポッカリと開いていました。
言うまでも無く、この防空壕も徳三氏の手作り。自宅の勝手口からも利用できるように、専用の通路も作られていました。
壮大な洞窟の他に、防空壕の建設にも取り組んでいたとは恐れ入る。
…徳三氏は「穴」というか「地下」がお好きだったのでしょうか…??
トンネル状の通路は直角にカーブし、この先には8畳の部屋があるとの事ですが、安全性の関係で金網で閉じられており、奥まで行く事は出来ません。
…そして、こんな所に思わぬ展示物が無造作に置かれていました。
「洞窟観音掘削時に使用した道具類」との事で、作業員のヘルメットや安全ロープ?のようなものが。
どうしてこんな場所にあるんだ!もっと炭鉱記念館みたいに、堂々と館内に展示すれば良いのに(^_^;)
以上で、高崎洞窟観音の見学は終了です。
以前からずっと行きたい、行きたいと思っていた場所だったのですが、その凄さは期待以上でした!
そのスケールに圧倒され、途中から「…スゴイ!!」をひとりで連発していました。
こういった洞窟や、地下空間が好きならば絶対にオススメしたいスポットです。
みなさん、ぜひ高崎洞窟観音へ!!
完。
(2017年1月訪問)
前編はこちらからどうぞ!
群馬県高崎市の「高崎洞窟観音」に潜入中のホルマリン。
全て人の手で掘られたという壮大な地下空間、コンクリートに固められた無機質な通路が続き、「最後までこんな感じかな?」と思っていたところ、突然雰囲気がガラリと変わりました。
ご覧の通り、通路自体がいかにも天然洞窟風の、ゴツゴツした岩壁に変化。触ってみると独特の質感です。
90年代の訪問記録では鉄柵などは無かったようなのですが、安全性などの関係で、近年になって付け足されたようですね。
そして。
ゆっくり進んでゆくと、これまでと違う色の照明に照らされた、ひとつ奥まった空間があるのが見えてきました。
見学者は鉄の柵越しに、その空間を覗きこむスタイルになっています。
「ほほぉ~、さっきみたいなドーム状の空間がまだあるのか…(*^_^*)」とワクワクしながら柵の前に立つと。
その光景は想像以上でした。
石灯篭や枯山水があしらわれた石庭と、その向こうに広がる石の渓谷。
自分の身長と同じくらいか、少し低いくらいの観音像が、薄暗い渓谷のあちこちからこちらを見下ろす。
その奥には、白くなめらかな石の滝も見える。
想像以上に広大な空間に、思わず息をのむ。
恐らく、ドーム状の天井までの高さは10メートル以上はあるのではないでしょうか。
あまりに広いので、全体像をカメラに収めきれない。
今までの細く薄暗い通路の先に、こんなに広大な空間があるとは誰が想像できるでしょうか。
白熱灯が照らす「ジジジ…」という音だけが微かに響く無音の空間。
ぼんやりと白く浮かび上がる、無表情の大きな観音像たち。
その幽艶かつ少し不気味な光景にすっかり呑まれてしまい、10分くらい見惚れていました。
驚くべきことに、巨大なドーム状の空間はこれだけではありませんでした。
通路を少し進んだところに、もう一つの渓谷が。
…奥行き、高さともに、先ほどよりも遥かに広大な空間です。
高さに至っては15メートルか、それ以上はあると思われます。
現在は柵が作られており、通路から眺めるだけとなっていますが、空間の至る所に鉄柵や石の階段があるのが見えます。
かつては中に入って散策する事が出来たのでしょうか。
そして天井近くには、外に通じているような通気口?出入り口?のようなものも見えます。
皆さん、忘れないで頂きたいのですが、この洞窟、すべて人力で掘られたというのだから凄い。
天然の洞窟ではないからこそ、これほどまでに驚嘆し、そして見惚れてしまうのです。
終盤に展開される瞑想空間
徳三氏は、その財力を以て多くの作業員を雇って洞窟建設を進めたようですが、時には天候が悪く、作業員が一人も来ない日もあったようです。
そのような日は、徳三夫妻が自らつるはしを手に、少しずつ作業を進めていたようです。
一体、何が徳三氏をそこまでさせたのでしょうか。
残念ながら、昭和39年に徳三氏が死去したことにより、洞窟の建設はいったん終了。
噂では計画の半分も完成していないという事らしいのですが、それ以降、建設が進む事はありませんでした。
工事中、作業員の出入り口だった作業用通路をそのまま出口としているため、洞窟はいきなり直角にカーブし、無機質な通路を経て終了…という、やや尻すぼみな結末なのが残念です。
実は、この通路には洞窟建設途中の証が残る、という事なのですが、薄暗くよく分かりませんでした。
ただ、どこからか人の声が響いてきて「?」と思いながら外へ出ると、山の斜面から3人組の男性グループが降りて来たので、どこかに外の山林へ続く通路の痕跡があるのかもしれません。
さて。洞窟探検のあとは、敷地内に建つ「山徳記念館」の見物としましょうか。
かつての徳三氏の自宅を改築したもので、現在は風刺漫画などを中心とした漫画記念館となっています。
洞窟観音のチケットで、合わせて見学する事が出来ます。
館内には、美しい五福神のステンドグラスが。徳三氏が営んでいた呉服店にあったものを復元したものなんだとか。恐らく「呉服」と「五福」をかけて造られたものなのでしょうね(*^_^*)。
そして小さな館内には、歴代総理の似顔絵など愉快な展示がズラリ。
徳三氏は「のらくろ」で有名な近代漫画家・北沢楽天と親交が深かったようで、楽天の貴重な資料が豊富。
受付でもオススメしていたので、これらの展示が山徳記念館の一番の売りのようです。
少しですが、洞窟観音についての展示もありました。徳三氏とその妻ナヲが映る写真は非常に興味深い。
ところで、外の徳名園には、記念館や笑い閻魔(前回紹介)の他に「防空壕」という素敵な案内板も。
ドキドキしながら記念館の正面入り口を通過し、坂道を下っていくと…。
ちょうど記念館の下に潜り込むかのように、小さな入り口がポッカリと開いていました。
言うまでも無く、この防空壕も徳三氏の手作り。自宅の勝手口からも利用できるように、専用の通路も作られていました。
壮大な洞窟の他に、防空壕の建設にも取り組んでいたとは恐れ入る。
…徳三氏は「穴」というか「地下」がお好きだったのでしょうか…??
トンネル状の通路は直角にカーブし、この先には8畳の部屋があるとの事ですが、安全性の関係で金網で閉じられており、奥まで行く事は出来ません。
…そして、こんな所に思わぬ展示物が無造作に置かれていました。
「洞窟観音掘削時に使用した道具類」との事で、作業員のヘルメットや安全ロープ?のようなものが。
どうしてこんな場所にあるんだ!もっと炭鉱記念館みたいに、堂々と館内に展示すれば良いのに(^_^;)
以上で、高崎洞窟観音の見学は終了です。
以前からずっと行きたい、行きたいと思っていた場所だったのですが、その凄さは期待以上でした!
そのスケールに圧倒され、途中から「…スゴイ!!」をひとりで連発していました。
こういった洞窟や、地下空間が好きならば絶対にオススメしたいスポットです。
みなさん、ぜひ高崎洞窟観音へ!!
完。
(2017年1月訪問)
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