日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

カザフの銅の故郷を訪れて ジルキバエワ・シャラフアット

2023-08-09 21:11:51 | 日記
カザフの銅の故郷を訪れて  ジルキバエワ・シャラフアット
 2023年7月19日から27日までの間、カザフスタン共和国ウルタウ州文化遺産保護センター所長コプバエフ・バヒットジャンさんのご招待で中央アジアの銅の巨大産地ウルタウ地域に行きました。
 皆様に歴史の趣き深い中央カザフスタンのパワースポットについて少しお話ししたいです。

 以前には国の最大地区だったウルタウは2022年6月8日にカラガンダ州から分立して、独自の州となりました。
 ウルタウの州都は工業都市としてしられるジェズカズガンという都市です。国の旧首都アルマティからジェズカズガンまで飛行機で約1時間30分かかります。首都アスタナから行くと、直行便で50分のフライトです。

 ウルタウ州はカザフスタン最大の銅鉱床であり、金、銀、石炭、石英、マルガン、鉛などの鉱物資源が豊富に存在しています。都市名「ジェズカズガン」とは「黄銅の国」という意味で、ウルタウ州の他の町村名も鉱物があって呼ばれた名です。例えば、Жезді(黄銅の町)、Қорғасын(鉛)、Кенқазған(鉱石を掘った地)等々。
 カザフスタン国内で銅鉱石を初めて産出したのは3000年前の時代でした。18世紀から19世紀にかけて中央アジアを旅したロシアとヨーロッパの東洋学者たちフィリップ・ヨハン・フォン・シュトラーレンベルク、カール・ミラー、イバン・アンドレエブ、ニコライ・ポタニン等がウルタウ地域の自然地理について記録を残しました。
 また在ロシア英国初代大使アンソニー・ジェンキンソン(1529~1610)は1558-1559年頃、中央アジアを訪問した時に、中央カザフスタンについても書かきました。ソ連科学アカデミー正会員カニシュ・サトパエフ(1899-1964)はウルタウ地域で15年間地質調査を行い、地下資源が濃集して存在する場所を見つけました。ウルタウ州のカルサクパイ町にサトパエフの記念博物館があります。

 中央カザフスタンで最も古い銅の文化が存在しました。ウルタウ地域に発見された、青銅器時代の銅の塊、鏃、青銅ナイフと古代の溶鉱炉などがその証拠になります。
 カザフの考古学者たちはウルタウの古代の銅鉱石の産地に近い古墳から石造の手鍬、鶴嘴、鎚などを発見しました。

 同地域から発掘された鉱物の標本がジェズカズガン歴史考古博物館とジエズディ町に位置するマケン・トレゲルディン名称鉱業製鉄歴史博物館に展示されています。またブランティ川岸遺跡から発見された仏の石、縁回りが銀の糸で刺繍された長靴と100年前の揺り籠など約5千件という膨大な所蔵品が所蔵されています。
 「ウルタウ」国立歴史文化自然保護区博物館が1990年に設立されました。同博物館にウルタウ地域の古墳から発掘された古代兵装、サカと匈奴時代の装飾とカザフの伝統的な移動式住居の家具など貴重な文化財が保存されています。

ビジターセンターもあり、近くにエムシェクタウ(乳山)山が聳え立っています。ちなみに、このビジターセンターには便利な宿泊施設があって、窓からウルタウ山の景色が見えます。
 ウルタウ(アクメシットとも呼ばれる)山の麓に湧いているエムブラクという泉の水は健康に良い効果があると言われます。地元の人々はウルタウ山をアウリエ・タウ(神聖な山)と崇拝して、神様に祈願して、儀式を行います。

 「ウルタウ」国立歴史文化自然保護区博物館の館長クジェルバエフ・アリベックさんの話によると、ウルタウ山にトクタミシュ、エデゲなどカザフのハンたちの古墳があります。
 またチンギス・ハンの長男ジョシ(ジョチ)ハンと全テユルク諸民族の祖先アラシャ・ハンのお墓と廟が残っています。つまり、ウルタウはカザフのハンたちの戴冠式が執り行われた神聖な地です。

 ウルタウの山々は北東から南西へと230-240キロメートルに連なっていて、春と秋に半砂漠地帯は放牧場として使われます。
 ウルタウは自然が豊かな地域なので、羊歯、木苺、スギナ、ゴマノハグサ、ノビエ、オダマキ、ノイバラ、樺の木、黒すぐり、柳、イブキなど970種の植物が自生して、その内、約100種が薬草とされます。蓬だけが30種以上も旺盛に繁殖しているので、ウルタウの羊の肉が美味しいと言われます。やっぱり、ウルタウの美味しいクムズ(発酵した馬乳酒)を飲むと、爽やかな気分になります。

 私は、コプバエフ・バヒットジャンさんと考古学者イスカコフ・アイダルさんと一緒にウルタウ地域の古代遺跡バスカミルに行きました。

 これはジェズカズガン市を北西へ83キロメートル所に、ジエズディ川の左岸に、タルデサイ村の近くに位置する、小高い丘に囲まれた町の遺跡です。バスカミル古墳で1994年に考古学上の発掘が行われ、衛兵のタワーと灌漑用水路の遺跡が発見されました。
 また鉱坑もあって、カザフの歴史家たちはバスカミルは領主の城塞だったと推測しました。
 マケン・トレゲルディン名称鉱業製鉄歴史博物館管理部長アブデべコワ・ショルパンさんは古代カザフの鉱業と製鉄について話してくれました。

 ウルタウ地域には総数400に達する古代の町、住民地の旧跡が発見されたようです。石器時代、青銅器時代と金帳汗国の大形の古墳などを研究した結果、焙焼炉、溶鉱炉など銅鉱産業の旧跡が見つかれ、ユーラシア地域で銅採掘の最古の地と認められました。
 さらに、2500年前にウルタウ地域では100万トンの銅が溶解されました。



 ジェズカズガン市を北東へ50キロメートル所に行くと、ケンギル川の左岸に位置するチンギス・ハンの長男ジョシ・ハンの廟が見えます。近くにジョシ・ハン国の最初の首都オルダ・バザル町の遺跡があります。
 煉瓦作りの住宅街からなる町はジョシ廟の北東に発掘されました。
 カザフの歴史的物語ではチンギス・ハンは長男ジョシにイルティシュ川からウラル川までの領域を与えたそうです。ジョシ・ハン博物館と同じ建物内にホテルがあります。

写真の右から:著者、バヒットジャンさん、ベクザットさん
 私はこの旅の時、アラシャ・ハン廟、アヤクカミル廟、ボルガン・アナ廟、クラン・アナ廟を訪問して、エデゲ山とペトログリフが群がったテレクティ・アウリエ、アルテン・ショキ、ジンギルタスという小山まで行きました。ウルタウの他のパワースポットについて次回お話しさせていただきます。
 中央アジア、考古学、遊牧民の文化に関心のある方は是非、ウルタウにいらっしゃってください。
ジルキバエワ・シャラフアット
カザフスタン共和国
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第27回 2023年平和のための広島の戦争展

2023-08-09 21:04:51 | 日記
2023年8月18日(10時~18時30分 ~ 21日(17時)
県民文化センター地下
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日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年7月31日

2023-08-09 20:53:17 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年7月31日
【2023年度ロシア語能力検定試験】
第82回ロシア語能力検定試験(1・2・3・4級)は10月28日29日実施予定です。

【今秋以降のイベントの紹介】
  • [①広島留学生会館祭]毎年11月の第1日曜日に開催される留学生会館まつり。2023年11月5日に開催されます。
  • [②2023年国際フェスタ]11月19日、広島国際会議場及びその前の平和大通りで開催されます。国際フェスタは、在住外国人を含む参加市民に国際交流・協力活動に親しみ、理解を深めてもらうとともに、広島市の都市像である国際平和文化都市の実現に資することを目的に公益財団法人広島平和文化センターが主催し、独立行政法人国際協力機構中国センターと広島市が共催して行っており、今年で24回目の開催です。国際協力バザー(民芸品)とひろしま国際村~世界の屋台に参加予定です。
  • [③ペアセロべ]1984年、国際平和文化都市ひろしまで、国際交流を図ろうと始まった『ぺあせろべ』。今年度は年を越した2024年1月14日に開催されます。場所は旧広島市民球場跡地です。

【広島・セミパラチンスク合唱交流の旅】 2023年9月15日(金)~9月20日(水)6日間 成田、関空、福岡発着可 ※参加者を引き続き募集しています(前号参照)。日本のうたごえ全国協議会、日本ユーラシア協会広島支部後援。

【せこへい美術館】
8月11日~16日 県民文化センター地下 11日15時オープニングセレモニー

【初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語:第14話 阿部和夫】
幕府の方針と四人の引き取り
 レザーノフが待ちかねた日本代表の人物として,江戸から目付遠山景晋等の一行が長崎に到着したのは,年を越しさらにひな祭りも過ぎてからでした。いよいよ全権同士による日露交渉が始まることになりました。最初の会談が行われたのは三月六日ですが,長崎奉行所は,江戸から交渉の当事者が来る三か月前(前年十一月末)に既に幕府の方針を受け取っていたのです。
 その内容は次のようなものでした。①先ず,通商を断った上で漂流民を引き取るようにせよ。②若し,通商の要望が受け入れられないからといって,漂流民の引き渡しを拒否する場合は,受け取らなくとも構わない。③漂流民をロシアに連れ帰る場合は,関わり合うことはない。④一旦帰国し又来日するという場合,入港してもいけないし,漂流民を受け取らないことを申し渡せ。⑤どうしても漂流民を引き渡したい場合には,紅毛人(オランダ人)を通して送り返させるようにせよ。
 幕府は,鎖国という国策の維持のためには,仙台藩の船乗り四人を見捨てることも躊躇しませんでした。三回に及ぶ会談の結果,幕府が示した回答は,レザーノフにとって耐え難いものでした。・鎖国は我が国の祖法なので,通商の申し出は受け入れられない。・ロシア皇帝からの国書も贈答品も受け取るわけにはいかない。
・以後,日本には来ないで貰いたい。・今後,ロシアに漂流する日本人が居ても,直接連れてくることはなく,オランダ人に引き渡して貰いたい。通商交渉は失敗しましたが,四人の漂流民は,三月十日に長崎奉行所に引き渡されます。四人は,レザーノフの前に平伏して,これまで受けた数々の配慮に感謝の言葉を述べました。彼は「このまま別れれば,二度と会えないだろう」と四人と抱擁して今生の別れをします。津太夫は,「必ずあの世で会おう」と地面を踏んで涙を流しました。レザーノフは,失意の内に長崎を離れますが,それがロシアの日本攻撃へと繋がります。

【ウクライナ情勢~Kakhovkaダムの決壊】
 6月6日、ロイター電は「ウクライナ南部カホフカ水力発電所の巨大ダム決壊は、同国のロシアに対する大規模反転攻勢計画に混乱をもたらしている。また、現地の住民や希少な野生動物が暮らす地域に重大な環境被害をもたらす恐れが出ている。周辺の村や農地は洪水に見舞われ、多数の市民が避難を余儀なくされる中で、ウクライナとロシアの政府は、互いに決壊は相手方のせいだと非難をぶつけ合っている状況だ」と伝えました。貯水池は、ウクライナのヘルソン州、ザポリージャ州、ドニプロペトロウシク州で、総表面積2,155㎢(琵琶湖は670.4㎢)をカバーしており、長さ240km、最大幅23km、深さは3mから26m (平均8.4m)で、総水量は18.2㎦です。ダムは高さ30m、長さ3.2km。
 ウクライナ南部ヘルソン州にあるカホフカ水力発電所の大型ダム決壊に伴う洪水による死者は、ウクライナ側で16人に上りました。ロシア当局によると、ロシアの支配地域では29人が死亡しました。水没地域はウクライナ側20%、ロシア側80%。ダム決壊が世界屈指の穀物輸出国であるウクライナの農業や環境に広範なダメージを与え、ロシア側には塹壕の水没、クリミア半島への水源の喪失があります。ロシアが占拠しているザポリージャ原発の取水レベルの低下も懸念されます。2022年2月26日には、ロシア軍のウクライナ首都攻略にたいして、ウクライナ側がイルピン川のダムを破壊して、防御しました。水が武器になる状況が生まれていることに対しては、双方とも第三者的な国際機関での審議を求めています。
 ダム攻撃・決壊は現在では、国際法違反との認識がありますが、第二次世界大戦前後ではしばしば行われていました。1943年5月17日イギリス空軍第617飛行中隊はナチス・ドイツのルール工業地帯の6つのダムを爆撃しました。エダーダム(2億㎥)、メーネダム(1億3500㎥)が破壊され、12,000人が死亡しました。1952年米軍は中朝国境の水豊ダム(高さ約106m、幅約900m、総貯水容量116億㎥)を6月23日に攻撃し、9月12・13日には沖縄嘉手納基地から爆撃機が飛び立ち攻撃しました。
[岩村義雄さんのザポリージャ訪問(2023年6月11日~24日)報告より]
 7月上旬,第40次球磨川(熊本豪雨)ボランティアへ行く備えが万端でした。食料等も余分にハイエースに積み込んで神戸を5人で出発しました。偶然にも北九州で水害の牙が襲いました。毎年繰り返される洪水とはいえ、7月10日、九州北部の水害で9名の死者が出ました。ちょうど私たちが福岡県にいる時に、福岡市内7区の延べ9万1817世帯、18万9858人を対象に避難指示が出ていました。しかし、例年、7月上旬は、エルニーニョ気象、地球温暖化、線状降水帯により、水害が集中するという学者、政府、国土交通省(以後、国交省)傘下の気象庁の発表には首かしげます。全国紙もとりあげませんけれど,寺内ダムの放流のせいで、水が引かないと地元の人たちは口をそろえて言われます。被災者を訪問しながら、私たちは川が猛烈な勢いで濁流をもたらしている上流に向かいます。すると轟音をたてて、ダムが危険水位のため放流している現場を撮影することになります(写真右下。)。2018年7月、岡山県倉敷市真備町で災害があったとき、第二福田小学校で炊き出しに仕えました。そのときも、上流に向かい小田川、高梁川の上流の成羽川ダムの放流について報告させていただきました。2020 年7月、球磨川(熊本豪雨)関連死を含め81人の死者・行方不明者を出しました。当日、市房ダムの放流の動画撮影をしました。しかし、マスコミは私たちの報告、証拠写真もこれまで一切取り上げようとしません。おそらく20年、30年後にはじめて認められるのでしょう。
 ダムと言えば、ウクライナ国のザポリージヤ原発近くのカホウカダムの決壊現場に6月18日に訪問しました。日本の砂防ダム決壊、ダム放流と異なっています。下流は水没です。上流は水がなくなり干上がっていました。多くの漁関係者の生活が立ちゆかなくなっている例を目撃し、現地で傾聴ボランティアをしました。人類の叡知であるはずの技術至上主義が多くの犠牲をもたらしています。私たちは引き続き、弱い女性たちに「もう泣かなくてもよい」、とボランティア道をさせていただきます。

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