中小企業のES=人間性尊重経営のパイオニア/有限会社人事・労務 ES組織開発・人事制度改革ブログ

社員の幸せ、職場の幸せを基準に経営を、社風を変えたいと本気で思っている社長さん・人事担当者の方へのエールをあなたへ!

新しいお金のあり方、生き方とは?共感で繋がる共感資本主義社会を目指す ~株式会社eumo 新井社長 講演~

2021-09-28 17:39:17 | 組織開発・社風改革

先日、弊社の畑中が会長を務める東京白金ロータリークラブ例会にて、株式会社eumo代表取締役 新井和宏氏のセミナーを拝聴させていただきました。



子ども時代の新井さんは、ご家庭の状況からお金に大変苦労されたそうです。その後、学生時代に恩師の会計士と出会い、「お金とは何か」という問いをもらいながら、銀行員になられます。その後、資産運用会社に勤めますが、お金をいかに儲けるかということだけが目的の資本主義社会に違和感を覚え、その会社を離れました。

 

人生を変える『日本で一番大切にしたい会社』と、その著者である法政大学の坂本教授との出会いから、「儲けるための投資」ではなく、「応援するための投資」を目指し、鎌倉投信という会社を設立します。そして、現在の共感資本主義を目指すeumoという会社の設立に至ります。

eumoは、合理性・効率性を求める資本主義社会ではなく、「共感」という貨幣換算できない資本をベースとする共感資本社会を目指しています。

 

お話の中で特に印象的だったのは、「お金は貯めるためのものではなく、幸せになるための何かを得るためのもの」ということです。

お金を得ることが目的ではなく、それを手放して何を得るのかという過程を目的とする必要があると言います。

 

いかに効率よく、より多くのお金を稼ぐかを考え、稼ぎ続けることに人生を費やす。お金を持っていることが地位や名誉に繋がり、またお金はお金であり続ける。だからこそ格差という大きな代償が生まれてしまっている。

新井さんはそんな資本主義社会に疑問を呈し、共感という目に見えないものに価値を置く新たな社会を生み出そうとしています。

 

eumoのコンセプトである共感で繋がる社会は、弊社や弊社が母体として立ち上げた903シティーファーム推進協議会の、人との繋がりやご縁を大切にするという理念と通じるものがあります。

903では共感を軸とした地域コミュニティカフェ「田心カフェ」を運営しており、商品の生産者さん、運営に携わるボランティアメンバー、カフェに来られるお客さんなど、日々カフェを通じて様々な繋がりが生まれています。

そして、eumoの理念に賛同したからこそ、田心カフェでも共感コミュニティ通貨eumoを導入しています。

共感で繋がった関係性、そこにコミュニティが生まれます。

コミュニティの中では、お互いの思いやりや信頼が求められます。

 

自分らしい生き方を求めることは自己を大切にするということですが、自分だけを押し通してしまうとコミュニティは成り立ちません。

だから共感、相手の思いを受け入れることが重要なのです。

共感を通して人と繋がり、自己と他者が共存する中で、自分自身の幸せを見つけていける、そんな社会が生まれたら素敵だなあと思います。

 

*田心カフェも、新井社長のeumo加盟店として活動させていただいています!

 

 

会社名であるeumoは、ギリシャ語の「Eudaimonia」からきており、「持続的幸福」という意味を持つそうです。

持続的幸福とは、自己実現や生きがいを感じることで得られる幸せのこと、つまり自分らしい生き方を求める人が多い現代社会に通ずるものがあると感じます。

自分は何に幸せを感じるのか、誰と関わりどう生きていきたいのか、改めて見つめ直したいと思いました。

 

11月20日には、弊社併設の日本ES開発協会が主催する「日光街道 太陽のもとのてらこや2021」にて、新井社長にお越しいただき、「ありがとうを運ぶお金の話」というテーマでオンラインセミナーが行われます。

今後も目まぐるしく変わる世界を生きていく中で、これからの生き方・社会のあり方について共に学び、考えてみませんか?






「ともに生き、ともに働く」協同労働についてお話しました

2021-09-24 19:31:39 | 組織開発・社風改革

一般社団法人協同総合研究所が発行する『協同の発見』にて弊社金野を取材していただきました。

ワーカーズコープ(労働者協同組合)は、働く人びとや市民がみんなで出資し、経営にみんなで参加し民主的に事業を運営し、責任を分かち合って、人と地域に役立つ仕事を自分たちでつくる協同組合です。2020年12月に、「労働者協同組合法」が成立しており、2022年10月1日より施行され、「NPO」「株式会社」などと並ぶ組織体となります。

 

そこで行われる、【出資】・【経営】・【労働】を“三位一体”で組合員全員が担い合い、「ともに生き、ともに働く」社会をつくる働き方を協同労働といいます。

 

 

「弊社が掲げるES(人間性尊重)経営と協同労働にはどんな共通点があるのか」

「協同労働というあり方が、この先中小企業でどんなふうに活用されていくのか」

 

などについてお話しさせていただきましたので、こちらではその要点をお伝えします。

■ES経営と協同労働との共通点

ES経営も協同労働も、人がいて、それぞれの心や自分の特性があり、お互いを活かしあいながら地域・社会課題に対して向き合う働き方だと思っています。

 

一人の人間には、仕事場でのつながりだけではなく、地域社会とのつながりもあります。仕事と暮らしがつながるような働き方という意味で、協同労働とES経営は親和性が高いものだと考えています。

 

一人ひとりの特性を認識しながらそれを活かしあうかたちで組織をつくり運営していく時代が来ていることを受けとめ、企業経営においてもその視点を持つことが必要だと思うのです。

■中小企業において協同労働はどう活用されていくか

現在の日本社会では、本来分断されていなかった仕事と暮らし、地域と会社が分断されがちですが、協同労働の実践から、これらを融合させるあり方を学ぶことができると考えています。具体的に、企業のなかでの協同労働の活用方法としては以下のようなかたちをイメージしています。

 

  • 企業がワーカーズコープと連携し、シニアの方々が協同労働で働く場をつくる
  • 社内起業として協同労働で起業し、ワーカーズコープと連携して企業全体にその実践と学びを還元していく

 

これらをすると、自組織にいながらも地域社会と融合した自分のキャリアを歩むことができ、Z世代の若い社員にも求めらる会社になる可能性があります。シニアの姿を見て、すでに企業で働いている若い世代も、生き生きと協同労働をするシニアの姿から新たなキャリアのあり方を学ぶこともできると思います。

また、企業だけでなく、個人事業主(フリーランス)にも協同労働は活用できると考えます。

フリーランスにも、困ったときに相談できるような、ゆるやかにつながるコミュニティがあることは大切だと思いますので、そうしたコミュニティそのものを協同労働で運営していくことも可能だと考えています。

 

■これからの“はたらく”を伝えていく

まだこのような考え方を持っている会社はとても少なく、すぐには理解されないこともあります。ですが未来のあり方としてES経営と共通するところが多い協同労働の働き方を、自社からはたらく個々に伝えていければと考えています。

 

取材終了後は、協同総研のお二人に、田心カフェでランチを召し上がっていただきました。

ワーカーズコープの準会員として加盟させていただいている田心カフェ。

“ともにつくり、ともに働く”の場で、本格インドカレーを食べながら、これからの“はたらく”についてにぎやかに語らうひとときとなりました。

 


オリンピックメダルのオークションから考えたこと 

2021-09-14 19:26:41 | 日記
人事・労務の荒木です。

私は毎朝、NHKラジオニュースを聞きながら台所仕事をしています。先日の深読みコーナーでは、メダルの値段、というトピックが扱われて、私は料理をしながら興味深く聞いていました。

先日閉幕した東京オリンピック。女子やり投げで銀メダルを獲得したポーランドのマリア・アンドレイチク選手がメダルをオークションに出品し、ポーランドのコンビニストアチェーンのジャプカ社が12万5,000ドルで落札した、というニュースが話題になっているそうです。

ここまでの情報を聞いた時点での、瞬発的に私の心の中での反応はこうでした。「そこに市場があるのなら、個人はどんなふうに利用してもいいと思う。動機がどうあれ、個人の自由な経済活動は “見えざる手”に導かれて結果的には一定の調和をもたらす、って、アダム・スミスも言っているし。」



と、そこにバスケ部の部活に出かける高校生の次男が起きてきたので、さっそく投げかけてみました。「オリンピック選手が銀メダルをオークションに出したんだって。どう思う?」

彼の即座の反応は、「えーっ⁉ あり得ない!そのために辛い思いをしながら努力してきたのに、その象徴のメダルを手放すなんて考えられないし、第一、売るという発想が僕には断じて無い!」でした。

「でも、銀メダル自体は単なる物質で、それが手元になくたって、銀メダルをとったという事実は変わらないんじゃない?」と、私。

「いやいやいや。僕はスポーツをやっているからかもしれないけれど、メダルは思いが詰まったロマンで、かけがえないもの。プライスレス! 売るなんて絶対にあり得ない。お母さんは真剣にスポーツをやったことがない文科系だから分からないんだよ。」
・・・なるほど、思いが詰まったロマンですか。だとしても、ロマンの市場があるのなら、私はそこでロマンを売ってもいいと思いますけれどね、買う人がいるのならば。

こんな会話をしながら再びラジオの音声の続きに集中すると、生後8か月の先天的な心臓疾患のある男の子(アンドレイチク選手と面識はなかったが、ネットで男の子の両親の嘆願を読んだ)の手術費用を捻出したいという決意が出品の動機であること、手術には38万3,000ドルが必要で、その半分は既に集まっていたことが分かってきました。実はアンドレイチク選手自身、3年前に悪性腫瘍の骨肉腫との苦しい闘病を乗り越え、回復し、この東京オリンピックで銀メダルを手にした選手なのです。

ああ、そんな利他的な動機があったんだ、と知れば、“メダルを売る行為”に対する心象は随分と変わってきますが、もとより「動機がどうあれ」という前提を持っているので私の結論は変わりません。

一方の息子は、「手術費のために・・・。そんな動機があったのか。うーん。」と、実に人間らしく逡巡し始めています。

このニュースの顛末としては、ジャプカ社の落札で調達した資金によって、男の子にはアメリカで手術を受けられる見通しが立ち、またジャプカ社は落札後、美しく気高い行動に感動した、というメッセージと共にアンドレイチク選手に銀メダルを返還しました。

アンドレイチク選手の高潔な振る舞いは多くの感動を呼んでいるし、またジャプカ社の対応には称賛の声が寄せられているようです。

ラジオのリスナーの皆さんからも、関係者の素敵な振る舞いに賞賛を寄せる声が続々と届いているようでした。一点、メダルは選手一人でとったものではなくて支える人達みんなでとったものなので、メダルを売却すること自体に対して批判される可能性があることについての覚悟は必要だ、という意見があり、これは鋭い視点だと思いました。

さて、私は、このトピックをふと耳にした時の、自分の瞬発的な反応が淡々としたものであったことをとても面白く感じています。同じ場面に遭遇した時の、私ではない人(今回は高校生の息子)の人間味溢れる即座の反応を観察したことも、私の反応を相対化するにはちょうどよかったと思います。

私の人間味の薄い反応について、後から言い訳のように理屈をつけるとすれば、それはアダム・スミスの『道徳感情論』に因ります。アダム・スミスは『国富論』に先立ち『道徳感情論』の中で、個々人が自由に活動した結果、それでもなお社会がそれなりに秩序だったものになるのだとすれば、そういった秩序を生み出すことができる人間の本性とは一体何であるのか、について論じています。そして人間はどんなに利己的であったとしても、その本性には他人の不幸に関心を寄せ、他人の幸福を自分にとって必要なものと感じる原理があるとして、その一つに人間の共感する能力を挙げています。共感の能力は、今度は自分が他人から共感を得るためには何が必要か、という考えを自分自身に対して促します。こうして人間は、他人からの共感を得るために自分自身の中に“公平な観察者”という基準を形成し、“公平な観察者”から自分の感情や行為が責められないように努力するという、優れた能力を持っていると考えるのです。

だから悪人ばかりではない世の中で、個々人は自分の心に従って自由に動けばよいのです。多様な個人の利己心に基づく自由な競争が、計画されたものではないのに、社会全体で見たときには一つの調和を生み出すのです。

つまり私は、性善説に立ち、そして多様性のある人間の自由な行動の帰結を信じているのです。



最後にメダルのオークションのニュースをもうひとつ。先の東京オリンピックでベラルーシ代表として陸上女子100メートル予選に出場したクリスツィナ・ツィマノウスカヤ選手については、ルカシェンコ政権による弾圧を恐れてポーランドに亡命したことがニュースになりましたが、彼女は亡命先のポーランドで、2019年に獲得した欧州競技大会での銀メダルをオークションに出品したようです。2万1,000ドルで落札されました。出品の動機は、自分と同じように当局から圧力を受けている母国のスポーツ選手を支援する資金に充てたい、と考えたからだそうです。

ソサエティ5.0時代 共感でつながる私達の社会 ~多様性の功罪を問う、最適化社会で実現する共通善の世界!~

2021-09-08 16:39:38 | ダイバーシティ

前回は読書会に先立ち、ゲストに最適化社会日本の著者、元参議院議員の二之湯先生にご登場いただきお話を伺いました。

二之湯先生の学生への質問に対するキッパリとした受け応えは、私達に二之湯先生の日本の未来に対するリーダーとしての真摯な思い、あり方を感じました。

受講している学生におもねるのではなく日本の行く末を案じての学生に対する一見厳しい指摘だが、そこに対する優しさを感じました。

前回の詳細はこちら>>

さて、今回はいよいよ前回の内容を踏まえて読書会スタート。ここからは、メンバーとの4回に渡る最適化社会日本の著書を皆で学び会いながら進めていきます。

 

書籍では、最適化社会の定義を次のように示しています。



つまり最適化≒調和です。

分断の世界から生まれる様々な障害。

格差問題

気候変動問題

 

など私達の世界は多様という名の下、分断を食い止めることはできません。

 

二之湯先生は今こそ哲学が大事なのだと言います。

 

この統計から何が見えるでしょうか?

将来に希望を感じる人が15パーセント。

 

私達日本人が宗教のように信奉していた経済、科学が陰りを見せ始めたいま、その反動で社会に希望が持てない状態に陥っているといいます。

 

まさにいま真善美と言った誰もがそうだという共感が大切なのではないでしょうか?

オリンピックを見ていて思うこと。

オリンピックで金メダルを取る選手は誰が見てもすごいと思いませんか?




プラトンは、社会の根幹を真善美と定義しさらに、真や美は善をありきで初めて存在すると述べています。

善を最高のイデア、概念と置きましたが、正に共通善に向って社会を見つめ直すときなのではないでしょうか?

 

最適化社会は、AI、テクノロジーの力でそれが可能になる時代なのです。



例えば私達の研究テーマである人事の世界でも、

ソサエティ4.0までの工業化社会、情報化社会までは、この図のように組織は、人材を会社のある一定の型に当てはめて△の目標に向って人材を動かすほうが効率は良かったわけです。人間はバラツキのない個性を剥ぎ取った、いわば材料であるというわけです。ソサイエティ5.0はAI、テクノロジーの力で個性を活かしたまま最適な組み合わせが可能になり、人間性を尊重した組み合わせで△の目標を実現することが可能な社会へと進化していくのです。

 

プラトン、そして師匠のソクラテスは対話の手法を通して高次の真理へと行き着く方法を説きましたが、まさに私達に取って大切なのは共感に至るための対話のプロセスなのではないでしょうか?

 

私達のソサエティ4.0までの世界は、科学、数字から世界全体の真実をとらえて来ました。

しかし、フッサールは科学の限界を次のように述べています。



まさに私達は数字や科学の客観的な世界の中で現実感、手触り感の乏しい生きている実感が得られない社会の中にいるのではないでしょうか?

あなたにとっての家庭とは?

あなたにとっての会社とは?

あなたにとっての地域とは?

 

そんなことを問う暇もなくただ何となく毎日が過ぎていく。

モノよりコトをもとめる時代とは、科学や数字だけで世界を実感できる範囲はますます限られて来ることの表れではないでしょうか?

 

最適化社会ではそんな個々人の主観を大切にし、人間性を尊重した経営、社会が実現する時代になるのだという。

確かに、複業解禁、在宅勤務の流れや自動運転、無人の農業機械での作業など私の身近な世界でAI,テクノロジーが人間性の豊かさを実現している。

 

多様なモノやコトを多様なままで共通善のもと一つにまとめ、つないでいく。

 

一方でフッサールは多様性、相対主義についてこんな警告を述べています。




ヘーゲルの言う各々の主観をぶつけ合いそこから真へと鍛え上げていく行程を私たちは大切にしなくてはならない。忙しくて対話の時間がないと目先の経済活動に奔走する日常からは多様性あふれる豊かさ職場や社会は実現しない。

改めてこれからの会社の役割を問い直してみる。

会社はお金を稼ぐ場以上に生きていくリアリティを私たちに与えるそんな最適化社会へ向かう過程のなかでコミュニティへと進化していくはずだと今回の読書会を通して思いました。


次回の読書会は、9/15実施です。

詳しくは・・読書会「最適化社会における生命論的組織のあり方」>>






在宅勤務を始めてから・・

2021-09-03 22:17:53 | 日記

在宅勤務をはじめてから、3か月余りがたった。

会社へ出勤することが週5日から2日~3日にかわり、自分の生活様式も以前と比べると変わってきていると思う。

 

私は片道、2時間かけて、通勤をしている。今の働き方により、確かに物理的な体の負担や通勤のストレスは減ったと思う。

 

ただ、目に見えないストレスを回避しようとしているからなのか・・まず、散歩するようになった。音楽を聴くようになった。雲って流れているのだなと改めて感じることもあった。

今振り返ってみると、ここ4~5年は、本当にそれらをすることや感じることなく、過ごしてきたのだなと少しもったいない気持ちを感じながら歩いている。

 

 

 

さて、私なりにこの意識の変化を分析してみた。

 

散歩に行くことは、一日中家にこもることにより、外部への接触機会の減少というストレスを解消し、また、運動不足により健康を害するのでは?という危機意識からの行動。

 

 

音楽に時間を使うのは、ストレス解消もあるが何より好きだからだと思う。

倉庫に眠っていたギターを久しぶりに取り出して触ってみた。結構基本的なポジションは覚えているのだなと夢中になっていた頃を思い出した。

 

40代後半、やっている人がいるのだろうか?YouTubeを見ると、同じぐらいの年齢の人がガンガンに弾いていた。便利な世の中になったものだ・・、まだまだいけるのではないだろかとの期待。いろいろな意味を含めて、人と人がつながる手段が広がった、情報化が進んだ現在とアナログの感覚が重なった時代だからこそできる考え方や今の新しい働き方だと思う。

 

私は、どちらかというと一人でいることが、人よりも好きな人間だと思っているが、リアルに人の声がない世界、やっぱり人は1人では、生きていけないなと思う。

 

ただ、在宅勤務では、どうしても、外部とのつながりが薄くなり、健康にも悪い。普通それは、誰もが避けたい寂しいことだ。

 

コロナ禍で、やむを得ない事態だったこともあるが、私は今の生活を通して、便利になった世の中を実感する一方で、人としての本来の感覚を思い出した。

と同時に、改めて組織に属しているありがたみも感じることができていることは、貴重な経験だと前向きに考えている。