日光街道143キロを歩いて13年、今回あるいてみて感じたことは、コロナ禍にも関わらずこれほど自立し頑張っている都市と荒廃が進んでいる都市の差を感じた年はない。
中央に頼りきりの地域と自分の街のことは自分たちでなんとかしようと言う街の姿をまざまざと見た。これは毎年歩いているからわかることだが、街に落ちているゴミの量が違う。
今回、古河の街では、コロナ禍にも関わらず地域の青年会議所がブースを設けてウォークラリーをやっていた。
草加の街や春日部の街では、地域のお店が、私達に中継点で今年も変わらずに声援を送ってくれる。
今は亡きスマートテロワールの著者 松尾氏は、もとカルビーの会長でこの書籍は松尾会長の遺言のような書籍。
松尾会長はこの書籍が書かれた2014年当時の経済偏重、都市化の影響による日本の農村の荒廃していく現状を憂いこの書籍を書き記した。
私はこの書籍に書かれている内容は農村に対する無策が都市に及んだ結果だと見ている。国に依存して来た地方や企業の状態。まさにここで記されている状態は、今まさにこの日本でそして都市でおきていることである。
ところで、松尾会長は奇しくも著書の中この日光街道を世に知らしめた探検家のイザベラバードの言葉を紹介している。
イザベラバードがみた 日本の大地そしてはたらく豊かさ
130年前山形置賜盆地
「米沢の平野は南に反映する米沢の町があり北には人々がしばしば訪れる湯 知場のあかゆがあり、まったくエデンの園である。豊根にして微笑む大地がありアジアのアルカディアである。繁栄し自立しその豊かな大地のすべては、それを耕す人々に属し、圧制から解き放たれている。これは、 専制政治下にあ るアジアの中では注目に値する光景だ。美しさ勤勉安楽に満ちた魅惑的な地域、どこをみわたしてもうつくしい農村」
これが130年前にイザベラバードの目に映った日本の姿。
日本奥地紀行は、1878年に発刊された。産業革命から120年余たったイギリス人であるイザベラバードは何を思い日本にやってきたのか?日本の大地、働く農村の人々の姿を目にしてここは理想郷だ!と彼女の感嘆の声が今でも聞こえてくる。
日本の近代化はまさにイギリスから遅れて始まった。その前年の1877年は西南戦争の年、本格的に日本の近代化が始まる。あれから130年今、イザベラバードがこの日光街道を歩いたらなんと言うだろうか?
松尾会長は次のように述べています。
「日本そのものに問題があるというより米国が抱える経済 的思惑に振り回された結果である。米国は目指す理想に近 つきつつある。しかしそれは、米国民の1パーセントにも 満たない支配層、超富裕層でしかない、それは、その道しか進むべき選択肢がみえないからではないのか?」
(書籍:P108)
続けて日本の大切にする道を述べている。そこには日光街道に縁のある二宮尊徳の思想をあげている。
富豪の世界、一円融合の世界
二宮尊徳を敬うように上杉鷹山の業績を受け継ぐように日本人はそこへ向う道を敬ってきた。その道はどんなに努力しても富豪にはなれない。農村では、富は隣人との協働で生まれる富。地域社会に富を生むほどの多く 消費者はいるわけではない。
でも、自由がある。自らの自由な選択が他者に及ぼす影響にたいしてしっか りと責任を持つことで約束される自由がある。(書籍:p200)
毎年日光街道を歩き美田100選に選ばれる田川の地域を眺めながら今市にある二宮尊徳記念館に行く。
素晴らしい田園風景が広がっている。かつて二宮尊徳が村人と対話を繰り返しながらこの田川の治水工事にあたったという。その三百年前の光景が、いま私の目の前に広がっている。
コンビニとフランチャイズのお店と自動車会社のショールームと街道のお決まりの郊外を走る街道の光景とどちらがこれから先の日本に遺したい光景か?
1%の為の経済とつながりを大切にした互酬経済。毎年日光街道を歩けばきっと誰もが思うだろう。
何を私達は後世に遺すべきかを!