中小企業のES=人間性尊重経営のパイオニア/有限会社人事・労務 ES組織開発・人事制度改革ブログ

社員の幸せ、職場の幸せを基準に経営を、社風を変えたいと本気で思っている社長さん・人事担当者の方へのエールをあなたへ!

『対立の炎にとどまる』~対立を超え学び合う読書会

2024-07-30 11:24:06 | 組織開発・社風改革
「『対立の炎にとどまる』読書会」。
総勢20名のサムライ業の方々にご参加いただき、12月まで、アーノルド・ミンデルさんのプロセスワークに関する学びと気づきを深める場として、いよいよスタートです。



初回は、ゲストスピーカーとして横山十祉子さん(トコさん)にお越しいただき、基調講演を行なっていただきました。
6月10日にミンデルさんがお亡くなりになったというこの時期に、ミンデルさんのもとで学び日本のプロセスワークセンター長も務めたトコさんからじきじきにお話を伺う機会が生まれたのは、この複雑性の時代に”働く”に関わるさまざまな課題と向き合っていく私たちに、「いまこそ、対立から逃げず葛藤に蓋をせず渦中へ身を置いてみなさい」という大切なメッセージをいただいたということなのかなあ、等々考えながら、当日を迎えました。
一人ひとりのチェックインを経て、トコさんからのお話でお伝えいただいたのは大きく四つ。



一つは、ミンデルさんの生きざまとプロセスワークの歴史について。
二つ目は、私たちが日頃取り扱う「制度・法律・ルール」からのアプローチと、プロセスワークにおける人間関係へのアプローチが、二項対立ではなく補完し合う関係であるということ。
三つ目は、ミンデルさんの源流であるユングの深層心理学で捉える心の構造について。
四つ目は、私たちが向き合う”個や組織”を捉える視点として、ミンデルさんの「深層民主主義」とアダム・カヘン氏の「対話の四象限」から考える「変容の4象限」について。

そして最後に、対立・葛藤の渦中に身を置くわたしたちに対して、”対立の解決の仕方”といったHOWだけでなく、制度・ルールだけに偏らず、関係性にも着目して両面を踏まえながら、”自身と向き合い耕していこう”というメッセージをお伝えいただきました。

トコさんの講義と共に、グループ対話の時間も持ちましたが、「対立にまつわるエピソードの共有」というテーマにおいては、本当にさまざまな物語りが為されました。
事業承継の過程における親子の葛藤。新たなこころみを進めようとしたときの社長と社員の対立。問題社員と言われる社員と職場のメンバー間の溝。
その物語りには、その状況と向き合うそのひと自身が、エンパシー的な共感が働いてキュッと胸が痛んだり、その状況に何かが投影されて観ているのが苦しくなったりと、自身もその状況(システム)の一部として存在しているからこその”痛み”が生じているように感じました。



「誰が悪い」「どちらが良くない」という二項対立の捉え方ではなく、一円融合、相似の関係として全体を捉えようとするには、相当のエネルギーが必要となります。
また、日本の”和を重んじる文化”で生きてきたわたしたちが、緊張・葛藤のフェーズに身を置いて、薪を燃やし尽くすまで待つのも、相当のエネルギーを要すると思います。
例えば「ひとはコミュニケーションをしっかり取れば分かり合える」という前提があると、”相手の靴を履いて”みて、そこにずっと存在してきた溝に気づかないと、いくら対話・議論を重ねても解決せず、平行線をたどってしまうこともあるかもしれません。
そのような状況と向き合う上でも大切な、真のエネルギーが沸き起こるには、自身の「源」とつながっていくことが大切。
トコさんの講義で、「和を持って尊しとなす」という文化が根付いた日本の”対立への苦手感”がある一方で、「武士道」にあらわされるような「対立を受け入れる決闘文化」の存在も取り上げ、「個の精神性を高め、全体性に開いていく大切さ」のお話がありましたが、身体性ある経験・場の中でソトに開きながら、自身の源につながっていく機会を、わたしたち自身が意図的に作り出していくことが必要なのではと思いました。


終えてみて感じているのは、「対立や葛藤の渦中に身を置く」ということについて、一人でがんばろうとする必要はない、ということ。
少なくとも今回集まった方たちは、何かがアンテナにひっかかり何かおもいがあって参加してくださった顔ぶれなので、それぞれの現場でのサムライ業としての試行錯誤を時にはシェアしながら、対立・葛藤を受け入れてみるための研鑽を共に重ねていけると良いなあと思いました。




読書会で深まる『タダの箱庭』の魅力

2024-07-29 18:17:24 | 組織開発・社風改革
『タダの箱庭』。SNSでよく見かけ、そのインパクトある見た目とメッセージ性で気になっていたこの本を、JUNKANコミュニティのけいちょんこと石野慧太さんが読書会として取り上げているということを伺い、ぜひ弊社でも!ということで、先日初めて社内で開催しました。



📚『タダの箱庭』については、けいちょんがまとめてくださっているこちらの記事をご覧ください☆彡
https://note.com/lifetransit/n/n1819c8c589da


初回はリアルで。
一冊ずつ、大きな本をけいちょんから受け取り、まずはパラパラと開いて、それぞれに気になるページに目を通していきました。



この本には、「仮想未来世界を舞台にした社会実験」というメッセージが重ねられており、1059名もの支援者が集まり、1000万円を超えるクラウドファンディングによって一万冊が各地に配られました。

「市場規範(見返りを求めるコミュニケーション=金銭的インセンティブや損得勘定が関わる)」と「社会規範(見返りを求めないコミュニケーション=親切心や贈与に基づくコミュニケーション)」という、全くルールが異なる2つの世界を生きている一方で、この2つのルールが全く異なる世界をごちゃまぜにしてしまっており、その結果として日常に不調和が生じているため、両者の違いを理解し合うことで関係性を改善し、”人生という名の物語のクオリティを上げることができるはず”、と言います。

そして、それら2つの異なる世界の存在を認識・理解し、適切な選択をしやすくするために、この『タダの箱庭』を通して社会規範的世界を体感していこう、というメッセージを受けて、けいちょんが各所で読書会を開催しています。



『タダの箱庭』で取り扱われているのは「お金」というテーマ。
日本では、日頃なかなかオモテで話題にして話すことは控えようという風潮が強く、家族内ですら”直接は言いづらい””何か起きた時に初めて深く考える”という分野になりがちな「お金」。
生き方・働き方における「お金」との関わりエピソードを記事として読み進める中で、無意識に自身の中に装備している固定的なメガネ(捉われ)の存在に気づくことができる、というわけです。
そして、グループ内で対話をすることで、お互いのメガネを知り、その背景にあるできごとや気づきを知り、自身の視点や視野の広がりを体感することができるのです。



今回の弊社の読書会では、最初の章の2記事を取り上げて、時間を定めて「読み」、その後グループ内で「対話」、という形式で進めていきました。
同じ場・同じ時間の中で同じ記事を読んでいるのに、気になるポイント・解釈のしかた、そしてひもづくエピソードが異なっていることがおもしろく感じました。
そして、たった数十分の対話の中でも、「あの時こういう感覚で居たからあの言葉が出てきたんだなあ」「そういえば自分も同じように考えていたなあ」等々、”他者の言葉に触れながら自身の内省が深まっていく”という作用が生じることに、不思議な感覚を覚えました。

対話を重ねるごとに”異なり”が明確になるのだけれど、その重なり合いから、文脈や話題の軸があぶり出されてきて、新たな視点をもって物事の事象を捉えることができる-、そんな対話の効能を体感できたように思います。

社会人になると、「わたしたちは(We)」や「これは(It)」で語ることに慣れてしまい、「わたし」を主語に自身の違和感や小さな違いを言葉で伝え合うことから遠のいてしまいがちです。
しかし、この『タダの箱庭』という共通の題材を通して、「わたし」を主語に気づきを述べ合うことで、自身の真からの言葉をIメッセージで伝え合うトレーニングにもなるのではないかと感じました。
そして、”扱いにくいテーマ”でもある「お金」について、ひもづく物語りを掘り起こし、他者の視点に触れることで、少しずつ自身の中にある固定的な囚われが緩んでいく感覚も味わることができます。


この読書会を続けてみた時に何が起きるのか。どのように観える世界が変化するのか。
楽しみに次回も参加したいと思います。


「進撃の巨人」の壁と「街とその不確かな壁」の共通点と相違点

2024-07-01 14:55:45 | 日記
『進撃の巨人』は、圧倒的な力を持つ巨人とそれに抗う人間たちとの戦いを描いたダーク・ファンタジー漫画です。『別冊少年マガジン』(講談社)で2009年9月から連載を開始し、2021年の5月号をもって完結しています。


『街と、その不確かな壁』(村上春樹/著)は、1980年(昭和55年)に、中編小説『街と、その不確かな壁』を発表していました。2020年3月の初め頃から、再び書き改めて完成させたのが『街とその不確かな壁』で2023年4月13日に新潮社から発売されています。



『進撃の巨人』は漫画、『街とその不確かな壁』は小説なため、一見交わることが無いように思われますが、唯一、両作品に共通して登場するものは「壁」です。

『進撃の巨人』と『街とその不確かな壁』に登場する壁は、両作品において異なる意味合いや機能を持っていますが、いくつかの共通点も見出すことができます。

❶両作品の壁は、物理的な隔たりを象徴しています。漫画の『進撃の巨人』では、人類を巨人から守る目的で作られた壁があります。一方、小説の『街とその不確かな壁』では、街と外部世界を隔てる壁が登場します。

❷両作品において、壁は登場人物たちにとって安全と危険の境界線を示しています。『進撃の巨人』では、壁の内側は比較的安全である一方、外側には危険な巨人が待ち構えています。世界の終りでは、街の壁の内側は平穏な生活が保たれているものの、外部世界には未知の危険が潜んでいるとされています。

当然ながら、相違点もあります。

❸漫画の『進撃の巨人』における壁は、主に物理的な保護を提供しています。巨人から人類を守るために建設された壁は、文字通りの防壁として機能します。一方、小説の『街とその不確かな壁』における壁は、現実世界と心の世界、あるいは二つの異なる現実を隔てる象徴的な境界線として描かれています。

❹両作品における壁の目的や存在意義にも違いがあります。『進撃の巨人』では、壁が破られることによって危機が訪れ、物語が展開していきます。しかし、『街とその不確かな壁』では、壁は物語の舞台そのものを区切る役割を果たしており、登場人物たちの探求心や好奇心をかき立てる要素となっています。

自分としては漫画の『進撃の巨人』が好きですが、パラディ島から巨人を一掃したところで読むことを止めてしまったので、これを機会に、最後まで読破しようと思っています。