民主主義は人を選ぶ権利ではなく、政治を民意に沿った正しい軌道に乗せられるかです。
また、民意も個々の要望と言うよりは全体にとっての利益であり、社会全体なので秩序も考慮されるべきです。
日本のマスメディアがこれまで公平や信頼を担保出来たのは豊かさに裏打ちされていたからです。
ところが上記のグラフのように立場が逆転してしまいました。
ターゲッティングと言うテレビにはない特徴で有意差がネットとの間に生じています。
それを背景にネットと親和性の高い人達は良い情報を得ようとします。
ですが、それを逆手に取った詐欺的な悪い情報も玉石混交で存在します。
それで情報に対する不信感から情報の選定に長けると言う事が起きます。
それまで中学生卒の義務教育でも分かるレベルの解説を基本としていたテレビからすればネットは自己責任の世界です。
ただ、残念ながら未だにテレビを見ていた頃のまま、ネットに書き込む中学生並みの人達が多いのも現実です。
言われている事に素直で疑わないのがYahoo!コメント欄などで確認されます。
中には社会経験や資格所有でそれが常識的に違うよと指摘出来る人もいらっしゃいます。
現状はそんなものです。
つまり、選挙の判断にネットを利用するとしてもマスコミが言う「ネットで真実を知った」的なレベルの人もまだ確かに多いのでしょう。
マスコミの一部、例えばミスターサンデーの取材にネットで調べて自分で判断したと言うような映像が流れてもそれもまたテレビ特有のトレンドをキャッチしたように見せる演出の可能性もあります。
ただ、では本当に判断するだけの適法なのかや実際のデータとの付き合わせなどが出来るのかと言えばまだそこまで良くなっているとは望めません。
全体がそうなるには時間がかかります。
どちらかと言えば、テレビの演出とかは御機嫌取りの傾向が強く最初からある程度の狙いを定めて企画されます。
ところがネットにその傾向は薄いのです。
あっても高等な方の予定調和ではなく、自分達がそうなって欲しいと望む程度の事に収斂させていく程度の空気読みはあります。
これが空気読めないと昔KYと言われた状況になります。
その差があって自己実現欲の強いテレビ出演者や制作スタッフ等とYouTuberに代表されるような個人勢ではその性格も異なります。
今回の兵庫県知事選挙等の件で若者だけでなく、高齢者もスマホから情報を得るまで状況が確認され自己判断するトレンドになるようです。
まだ、都会で頭が良いとされる兵庫の投票行動ですから、地方、田舎の選挙ではまだドブ板で握手されると投票してしまう可能性は高いです。
ネットでは一部の人が兵庫県民の悪口を書き込んでいましたが、実際は反対で他の地域までこうなるのかは観察していかないとまだなんとも言えないのでしょうね。
選挙が人気投票ではなく、国民民主の言う政策選択になるような選挙になっていければまだ日本が復活するチャンスは残っているのでしょうけど。