”百歳の論語〝伊與覺先生の講座を受けることが出来、残りの人生
ではなく、目の前の新しい人生が開かれて来たようです。
記憶力が凄い、感じる力は少年時代のまま、伊與田先生には、元気
で長生きは好奇心が強いこと以外に、子供のように震える感受性が
おありだということを、今回の論語講座で感じました。
”瞼の母”から始まったお話は、やさしい母性愛と素直な子供心が
百歳を支えて来たのですね。
押し付けるような話ぶりではなく、淡々としていながら、そのお話
は、当時思い出をたどりながらそこには、お母さんの香りややさし
い肌のぬくもりなどで、先生の目から涙がこぼれているのではと、
思うくらい感情豊かな百歳の先生に敬服いたしました。
伊與田先生のお話。
「論語を話すときに”自由に話したらよい”ということで、あんまり
とらわれないで、話しましょう。
はからずも百歳を迎えました。
35年間山にこもりました。平成5年山を下りたら文化生活にビック
リしてしまいました。
あんなにいっぱいの車があって、交通事故にあわずに帰って来ました。
家内と二人でよく帰って来たなと、考えたものです。(笑)88歳の時でした。320mの高地に住んでいたから、これから先は天に
昇るしかないと思っていたが、シャバに降りろと云うことで、急に降り
て来ました。
それからちまたの隅で静かに暮らしていたら、思いがけず藤尾社長さん
にお会いしました。
東京に来て話をせいと、東京には、一流さいさいのお方がおられる。わ
しのような人間の話を下さるなんて。
もう一回もう一回と言っているうちに、10回となりました。
そういうことですから、あまり世に認めてもらおうとか、そういうことは、
私にはありませんでした。
明日に続く。
百歳の反転論語、これからが面白くなります。
ではなく、目の前の新しい人生が開かれて来たようです。

記憶力が凄い、感じる力は少年時代のまま、伊與田先生には、元気
で長生きは好奇心が強いこと以外に、子供のように震える感受性が
おありだということを、今回の論語講座で感じました。
”瞼の母”から始まったお話は、やさしい母性愛と素直な子供心が
百歳を支えて来たのですね。
押し付けるような話ぶりではなく、淡々としていながら、そのお話
は、当時思い出をたどりながらそこには、お母さんの香りややさし
い肌のぬくもりなどで、先生の目から涙がこぼれているのではと、
思うくらい感情豊かな百歳の先生に敬服いたしました。
伊與田先生のお話。
「論語を話すときに”自由に話したらよい”ということで、あんまり
とらわれないで、話しましょう。
はからずも百歳を迎えました。
35年間山にこもりました。平成5年山を下りたら文化生活にビック
リしてしまいました。
あんなにいっぱいの車があって、交通事故にあわずに帰って来ました。
家内と二人でよく帰って来たなと、考えたものです。(笑)88歳の時でした。320mの高地に住んでいたから、これから先は天に
昇るしかないと思っていたが、シャバに降りろと云うことで、急に降り
て来ました。
それからちまたの隅で静かに暮らしていたら、思いがけず藤尾社長さん
にお会いしました。
東京に来て話をせいと、東京には、一流さいさいのお方がおられる。わ
しのような人間の話を下さるなんて。
もう一回もう一回と言っているうちに、10回となりました。
そういうことですから、あまり世に認めてもらおうとか、そういうことは、
私にはありませんでした。
明日に続く。
百歳の反転論語、これからが面白くなります。