パリの古い地下鉄駅

2014-10-25 11:00:00 | 写真
パリにはアールヌーボー建築の一つ地下鉄駅舎の出入り口があり、1900年に建設された。

メトロ1号線の西側端の駅 Porte Msillot の駅舎入口です。

パリに残るただ一つの1900年建造のアールヌーボー駅舎入口(観光案内書より)

カメラのレンズの先1KMほどに凱旋門があります。

また後ろ側は、ブローニュの森が広がっています。



ここはモンマルトルの麓駅

地下鉄12号線の駅舎入口です。

この建物は再建であるとのことです。



この駅からモンマルトルの丘に直に登ってゆくかいだんです。

迂回してゆく道もあります。この駅のこの写真では左手前に、前の写真では左手前に「愛の壁」があります。



この方はアメリカから来たと言っていました。もちろんブログ掲載OKの了承は取ってあります。


Please comment if you would look at this blog.I will send the your photo.




浅草光と影

2014-10-24 11:00:00 | 写真
2014年9月13日まだ日差しが強く残暑厳しい日々でした。

浅草合羽橋から六区、花屋敷、雷門にかけて歩いてみました。

日差しがきつく、浴衣姿の若者達、着物を召したご婦人たちが目立ちました。

特に陽射しと陽射しの作る陰影に焦点を当ててみました。

合羽橋商店街の合羽橋南交差点辺りかと思います。

お皿を並べるお店



同じく合羽橋の商い札専門のお店



花屋敷の和服店



仲見世通りの仲のいいカップル




パリって面白い

2014-10-23 11:00:00 | 写真
パリの街を歩っていて、どこもかしこも写真になる(GOOGLEで見るとよく解ると思います)

あっち向いてホイではないけれど、一か所5カット位写真が撮れる。

そんなパリで見事にだまされた実例です。

モンマルトルの丘の階段の真下



この写真としたの写真の違いはわかりますか?



そうです。上の写真が彼の正式なポーズです。

下の写真は準備中です。

こいつが、此処にいたのです。



この写真の丁度右側の外れた所にいたのです。

パリは歩道の真ん中にも銅像が立っているんだ、やっぱ日本とは考え方がチガウナーと思いながら

直ぐ脇を通り抜けたのですが、その時誰かに見られたような気がしたのですが、知人がいるわけでもなし

気のせいだと思っていました。

この場所で鳩が飛び立つ瞬間を撮ろうとして15分くらいカメラを構えたまま立っていました。

あいつも身じろぎもせず箒をもって立ち尽くしていたには、いうまでもありません。

だから「あいつは」すぐそば1Mほどの所にいるのにカメラの枠から意識してはずしたのです。

はとが羽音高く一斉に飛び立ってもピクリともうごきませんでした。銅像だから?とうぜんです。

コノヤロウ!にくいね!うまいね!だまされた!



この写真は、新婚さんが写っているから、あるいはモンマルトルの丘からのパリの街の景色が素晴らしいから掲載したのではありません。

ここにもうつってはいませんが、写す気もなかった。

あいつの友達がいたのです。

中東諸国の男性のまとう白い服を着ていて頭に黒いわっかを載せたやつが、

階段の下の門柱ふうの上に立っていたのです。写真の左端の石の台みたいなところです。

皆さんモンマルトルに行ったら探してください。

街角

2014-10-23 09:17:56 | 写真
2014.05.11のサンジェルマン・デプレ15:53

この写真は隣り合った次の写真です。

分かりにくいかと思いますので写真番号が6886番、6887番です。

時間にして15:55ですから2分ですが、おそらく限りなく1分に近いと思います

何を言いたいかと言いますと、モダンな街、洗練された街と、1928年ころの街が混在しているのです。

私がパリに写真を撮りに行こうと決めたおおきな原因は、「佐伯祐三」の絵です。

「佐伯祐三」の絵とのはじめての出合は、昭和43年大阪天王寺区の予備校です。

英語の講師(名前は忘れた)が「佐伯祐三」のはなしをしてくれたのです。

昭和43年当時70歳をいくらか過ぎた白髪の長身の講師でした。「佐伯」の絵はすごいんや

友達やから言うんやない、ほんまもんや一度みてみー。の一言に動かされて以来「佐伯祐三」におぼれています。

ついこの間2014年04月16日静岡県立美術館まで国道246、国道1号線を走って

「佐伯祐三展」を見に行ってきてしまいました。

1928年佐伯祐三30歳のころのパリの雰囲気がほんの少し残っているのです。

「佐伯祐三」ファンとしては、可能な限り書かれた絵の地を訪ねてみました。

その結果として、観光地としてはマイナーかと思われる”メニルモンタン””オベルカンフ通り”を歩いたのです。

感じることはできたけれど、「佐伯祐三」の世界はとっくになくなっていました。

時期的には木村伊兵衛のパリと同じ時代になります。

冗長にすぎました。写真です。



この写真に写っている左側にいる、トレンチコートのおじさんを覚えておいてください。

撮影時間で17分後にこのおじさんが劇的に登場します。



この雰囲気が待ち望んでいた雰囲気に近いと感じました。


神田須田町・万世橋 再投稿

2014-10-21 09:05:39 | 写真
記事途中で食事のためPC前を離れて、そのまま投稿してしまったようです
すみません。あらためて投稿し直します。


40年前に神田須田町近くの「藪蕎麦」に連れていってもらいました。

当時の私は、蕎麦のうまさが全く解らず、ただ有名な「藪蕎麦」で蕎麦を食べたという記憶だけです。

おもえばもったいないことをしました。

連れていってくれた先輩は、社会勉強のために、有名どころでの食事を経験させてくれたのでしょうけれど....。

当時の私にとっては、銀座三笠会館の食事もスカイラークの食事もあまり変わり映えせず

どちらかというとスカイラークの食事のほうが量が多くすきでした。

三笠会館で昼食にビーフシチューだったかと思うのですが、値段が高くぐずぐずで、

量が少なく失望したのを覚えています。当時昭和44年の私の初任給は85000円と記憶しています。

ビーフシチュウーは6500円でした。13000支払って....。

愚痴を言っていないで、その「藪蕎麦」さん10月20日に開店したようです

この写真は丁度一か月前9月20日の写真です。ここに食べにきたなーという感慨でシャッターをきりました。

入口の向かって左角の位置です。



その路地の手前の歯医者さん。表具屋さん





ここ神田須田町界隈は、大都市東京のど真ん中にも拘わらず大正・昭和の時代が色濃く残っています。



この建物は神保町方面に靖国通りを向かって、本郷通りの交差点の神田淡路町郵便局の隣の角にあります。

淡路町方面に戻って神田郵便局を通り過ぎたところが万世橋です。

旧万世橋駅下で見つけた日本酒専門店です。撮影許可を頂こうと店を覗いたら丁度店主さんが戻ってきて

撮影快諾していただきました。店内も非常に良いふんいきでした。



神田郵便局から突きあった旧万世橋駅の線路下、この右先に日本酒専門店があります



旧万世橋駅への入口付近です。



旧万世橋駅入り口の近くのカフェレストラン



本当はこれで万世橋付近の撮影は終了なのですが、上の写真右端に写っている二人組、この二人がいるからパチとやったのですが

撮影了承を撮った後求め、了解していただき、その後撮った写真も良かったのでアップしておきます。

東京の街に外国人が多くなったような気がします。この場所のように昔の風景によくなじんでいます。