今日は1月17日、かつて神戸市を中心に甚大な被害を齎した阪神淡路大震災が起こった日です。
同時にこの区間を走るJR、私鉄各社にも大きな被害を受けました。
今回はJR線の復旧に関する話題です。
JR線の被害はかなり大きかった方でしたが阪神電鉄や阪急電鉄などに比べればまだマシでした。
理由としてはJR各社からの支援や迂回路線などが存在した事などが挙げられています。
JR神戸線を例に見ると特に大きな被害を受けた駅は新長田駅と六甲道駅です。
特に六甲道駅は高架部分が崩壊して駅舎が下敷きとなった為に復旧までに約2年を要すると試算されていました。
この駅を含む灘駅~住吉駅間は他区間が復旧する中でも最後の最後まで残った区間でもあります。
ちなみにあまり知られていませんが当時、加古川線と播但線が迂回路として非常に大きな役割を果たしたと言われています。
被害の少なかった福知山線が復旧すると即座に多数の臨時列車(「ノンストップ快速」など)が運転されました。
この時には輸送力の増強を目的にJR各社から寄せられた車両(主に気動車中心)が使用されました。
震災後も大規模災害時には再び迂回路として機能する可能性が高い点から両線共に電化されました。
東海道新幹線は京都駅~新大阪駅間で高架橋に罅割れ、山陽新幹線は新大阪駅~姫路駅間を中心に数か所で高架橋の落下が発生しました。
しかし幸運(?)にも営業列車は運転開始前であった為、落下部分に列車が突入するなどという様な大事故は避けられました。
全線復旧した日である平成6年4月8日以降も当面の間、徐行運転(170km/h程度)が行われました。
最後にですがこの大震災は早朝に起きたからこそ被害が最小限で済んだのではと一部の間では言われています。
確かにあと1~2時間後、帰宅時間帯などに発生すれば確実に死者は2万人近くに達していたかもしれません。
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