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みかん

   街を行き子供の傍を通る時 蜜柑の香せり冬がまた来る   
                           木下利玄

 毎日みかんを5、6個食べている。風邪を引かないようにビタミンを補充しようと冬になってからせっせと食べている。そのせいあってか今のところ風邪は引いてない。もともとみかんは好きだ。大学の頃、下宿への帰り道果物屋があってよく一袋買って行って、一晩で食べたものだ。それが夕飯の代わりになったことさえある。みかんというものは食べ出すと止まらない、いくらでも食べられる。ピーナッツも同じように食べ出すと止まらないが、みかんはさすがに満腹になる。しかし、水分が主なのですぐにお腹が空く。決して夕飯代わりにはならないように思うが、学生の頃はそれで満足していたから不思議なものだ。
 みかんを漢字を使って「蜜柑」と書くとなんだか別の食べ物のような気がする。私が好きなのは平仮名のみかんであって、漢字の「蜜柑」などではない。同じようでいて微妙に違う。りんご・れもん・いちご・なしも、漢字で「林檎」・「檸檬」・「苺」・「梨」と書くと、簡単には食べられないもののような気がする。片仮名で「ミカン・リンゴ・レモン・イチゴ・ナシ」と書かれてもやはり違和感を感じる。私の好きな果物の名前は、平仮名で表記したいと言い張りたい気がする。
 
 ここまで書いてきて、そう言えば「みかんの皮をむかなくても中の袋の数が分る」という技があったのを思い出した。どうやるんだったかはっきりしなかったので妻に聞いてみた。すると、
 「みかんの緑のヘタをとると白い点々が並んでいるから、それを数えればみかんの袋の数と一致するよ」
と教えてくれた。なるほどと思って実際に試してみた。


芥川龍之介は「蜜柑」の中で、みかんの色を「心を躍らすばかり暖かな日の色に染まっている」と書いているが、絶妙な表現だ。みかんのもつやさしい色合いを過不足なく表している。このみかんのてっぺんにある緑のへたを取ってみると、確かに丸いくぼみの中に太陽の光の矢のようなものがいくつか見える。


老眼鏡の世話にならなければならない私には何本あるのかを視認するのは相当難しかったが、10か11あるのが分った。そこで、みかんの皮を剥いてみて袋の数を確認した。


袋は11あった。確かに妻の言ったとおりだ。不思議な気がして少し調べたところ、この緑のへたの下にある白い点々は水分や養分を運ぶ管の断面なのだそうだ。一つの袋に1本の管が通っているのだろうから、「点々の数=袋の数」という公式が成り立つのだろう。妻は「昔はもっとこの点々がはっきり見えたんだけどな」といかにもみかんの品質が変わったようなことを言った。しかし、私が見たところ、それは妻の老眼が進んだことの証左に過ぎないとしか思えなかったが、黙っておいた。
 皮を剥いたみかんはもちろん食べたが、みかんの食べ方は大別すると次の4パターンになるそうだ。
   1. 白いスジだけ簡単にとり、房ごと食べる人
   2. 房もスジも気にせず丸ごと食べる人
   3. スジをていねいにとり、房も吐き出す人
   4. 夏みかんのようにひと房づつむく人
面倒くさがりの私は、2のやり方で2口ぐらいで食べてしまう。なかなか豪快でしょ?
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マフラー

 冬になっても、私の塾内での服装はカッターシャツにジャケットを羽織るだけの簡単なものである。綿パンを履いて素足でいるので、生徒からよく「寒くないの?」とたずねられるが、さほど寒いと思ったことはない。勿論それは塾の各教室が暖房設備で暖められているからなので、外に出ればやはり寒い。素足というのは、もう長い習慣で何も感じないのだが、上半身は当たり前に寒い。かと言って、外に出てもすぐにバスに乗り込むため、コートなどを着るまでもない。そこで、防寒具として私が冬になると必ずしているのが、マフラーだ。マフラーを首に巻けば、全身が暖まってくる気がするのは不思議だ。
 
 

これらは私が愛用しているカシミアのマフラーだ。左はもう10年以上使っている。娘が中高生の時には、ずっと彼女の首に巻かれていたのだが、大学生になったら、ブランド物など恥ずかしくってしてられないなどと偉そうなことを言って、私のもとに帰って来た。その間に私が自分用に買ったのが、右のものである。今ではこの2枚を併用していて、手元にあるほうをグルグル首に巻いている。
 これ以外に、弟から譲り受けた同じブランドのウールのマフラーも使っていたことがあるが、表面がチクチクしてやたら痒くなってしまったので、すぐに使うのを止めてしまった。カシミア製の方は、柔らかくて10年経ってもその肌触りは以前とほとんど変わっていない。価格は高いが、長い目で見ればカシミア製の方がずっとお得だと思う。
 マフラーの巻き方は色々あるようだが、今の私はジャケットの上から適当にグルグル巻きにしているだけだ。


妻からは、どこかの国のゲリラみたいだからそんな巻き方は止めろとよく注意される。だが、この巻き方が一番手っ取り早いし、誰も私のことなど気にかけたりしないだろうから、これで十分だ。しかし、少し前にはちょっとおしゃれな巻き方をしていた。マフラーを縦に2つに折って、それを横に2つに折る。それを首に巻きつけて、一方の端を二つ折りのマフラーの間に入れて完成。


これは学生風な感じで、すっきりしていてなかなか気に入った巻き方だが、最近では折るのが面倒になってしまってこの巻き方はしなくなってしまった。身だしなみに無頓着でいるわけでは決してない。私なりにこざっぱりしようとはしている。でも、簡単で暖かなほうを・・とついつい妥協してしまっている。これじゃあ、オヤジ化が進むばかりだ。
 これではいけないと思って、ネットでおしゃれな巻き方を探してみた。すると「ヨン様巻き」というのが写真つきで紹介されていた。私は韓流スターは好きではないのだが、物は試しにやってみた。

写真を見ながら30分ほど頑張ってみた。う~~ん、うまくいかない・・。やっぱりぶきっちょなのかなあ・・。
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お気に入り

 寒い!暖冬だなんて言っていたのが嘘のように寒い。いったい何だろう、この極端な変わりようは。体が気候の移り変わりについていけず、調子を崩す生徒も多くなってきた。これから正念場を迎える私は、何とかこの寒さをしのいで満開の春を迎えたいとは思っているが、体調とともに心を穏やかに保つことも重要な仕事である。受験を控えた生徒が浮き足立つのと一緒に私までもふわふわしていてはどうしようもない。どっしり腰をすえて生徒が落ち着いて勉強に打ち込める環境を作らなければならない。そのためには、まず私が平常心を維持することが何より大切だ。
 とは言っても、これから2ヶ月近くずっと塾から離れられない。はっきり言って息が詰まりそうになることもある。そんな時、自分のお気に入りのものをあれこれ眺めてみるのもちょっとした気分転換になる。すると、すぐに頭に浮かんで来るのが一枚のシャツである。これだ。


RAIKA というブランドの PIA SPORTS というラインのシャツだ。もう5、6年も前に買ったものだが、3、4回しか着たことがない。アロハではないが、さらっとして着心地のいいポリエステルの生地にアニメのキャラクターが大きく描かれていて、色使いも派手で大好きなシャツだ。店で見つけたときにはさすがに躊躇したが、店員さんに「似合いますよ」などと乗せられて、思わず買ってしまった。
 でもいざ着るとなると、なかなか勇気が出なかったが、その年の夏に海に出かけたときに思い切って着てみた。素肌にこのシャツを着て、短パンをはいてみたらなかなかかっこよかった。私は自分ではなかなか服の着こなしはうまいと自惚れているので、これも当然だろうと調子に乗ってふらついていたら、何たる偶然、一人の塾生が家族とその海に来ていたのに出会ってしまった。私は、自分がなんだかオチャラケな格好をしている気が急にしてきて、ばつが悪くなって挨拶もそこそこに、その場から逃げてしまった。。今思えば、休日に遊びに来ているのはお互い様なのだから別に何も照れる必要もなかったのに、とは思うのだが、そういった時にそうした反応をしてしまうことが私にはよくある。思い過ごしも甚だしいのだが、塾生やその家族からは、しっかりした人間に見られなければ、という気持ちが常に働いているようだ。(いくら無理しても、だらしないのは直しようもないのだけれど)
 あれからもう5年以上も経って、このシャツを単独で着るのはますます恥ずかしい年齢になってしまったが、このシャツを着た上にジャケットを一枚羽織れば、相乗効果でシャツとジャケットの両方が一段とかっこよく見えるということを少し前に発見した。


何の変哲もない、ダブルの紺色のブレザーであるが、このブレザーが妙にこのシャツとマッチする。ずいぶん昔に買った薄い地のブレザーで、普段着る機会がめったにない私には一張羅のようなものである。少し前の5月の連休に出かけたとき、このシャツを着て行きたい誘惑に駆られた私は、半袖ではまだ涼しすぎるかもしれないと思い、このブレザーを上に着てみたのだが、その組み合わせの素晴らしさに驚いてしまった。紺のブレザーで、シャツのハデハデさを弱めることができるのと同時にちらちら見える絵柄の可愛さも強調してくれる。単なる紺のブレザーもシャツの力を受け取って、すごくおしゃれな上着に見える。天の配剤とまで言いたいような、この取り合わせの妙は、いつ見ても惚れ惚れしてしまう。素晴らしい。

 などとものすごく手前味噌なことを書いてしまったが、この服を見ていると幸せな気分になれるのはいいが、一つだけ困ったことがある。それはこの服を着て出かけたくなることだ。海に行きたい、温泉にも行きたい・・・
 しかし、今は真冬、さすがにこのシャツとブレザーでは出かけられない。それで、何とか我慢できている。
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修学旅行(2)

 1年前の11月14日の記事で小学生の修学旅行について書いた。主に生徒が買ってきてくれたお土産についての話だが、今年もまた、何人かの生徒がお土産を買ってきてくれた。「お土産買ってきてね」、などと頼んだことはないから、生徒が好意で買ってきてくれるものであり、「これ」と言ってお土産を渡してくれるときは本当にうれしい。かと言って、買ってきてくれなかった生徒もいるわけだから、その子達の気持ちも考えて、あまり大仰に喜ぶわけにはいかない。でも、もらえばうれしいのは人情だから、素直に「ありがとう」とだけ言って、受け取っている。


1年前にも書いたが、私は八つ橋というものが苦手だ。ニッキの香りがどうにも好きになれない。1年で好みが変わるわけもなく、今年も食べずに、生徒たちに分けて食べてもらった。もちろん、八つ橋をくれた生徒に断っての上だが、食べられないものは仕方がない。「土産を買ってきてくれるなら、八つ橋だけはやめてくれよ」と事前に通達するのは土産を請求するみたいで、やはり無理なことだ。多分これからも、買ってきてくれる生徒がいるだろうから、一口くらいは食べられるようにしなければいけないのだろう・・・でも、無理だなあ。

 


これは初めてもらった、「誠くんのいちごだんご」。「新撰組!」に便乗した商品のような気がしないでもないが、京都と新撰組の関係は歴史上も確かなものだから、こんな商品があってもおかしくはない。でも、なぜイチゴなんだろう?封を開けたら、イチゴの香りが部屋中に広がった。甘くていい香りだ。これも生徒に分けたのだが、みなおいしいと言った。粉で口の周りが真っ白になったのはご愛嬌だが、その辺りが評価の分かれるところかもしれない。

 

これは大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行った生徒のお土産だ。市内の小学生の修学旅行は長く、奈良・京都と決められていたが、今年初めてUSJに行く小学校が現れた。中学生の修学旅行では、東京ディズニーランドへ行く学校も多いから、何も不思議なことではないが、最初聞いたときは驚いた。子供たちは奈良よりも楽しいとおおむね喜んでいたそうだが、遊べる時間が少ないと贅沢な不満を述べる子供もいたそうだ。この写真のクッキーは、スヌーピーのキャラクターの顔の形をしていてなかなか可愛かった。右上のチャーリーブラウンが嬉しそうな顔をしているのがいい。食べるには惜しい気がした。


最後に、一番驚いたお土産、「木刀」!長さが1m近くあり、樫の木でできている。私立中学受験を目指す、体重が80kgもある巨漢の男の子が買ってきてくれたものだが、これを持って教室に入って来たときには、正直ぎょっとした。普段勉強が進まず、私が叱ってばかりいる子なので、意趣返しに、などと思わないでもなかったが、嬉しそうな顔をして私に木刀を手渡してくれたので、ほっとした。何でも、自分と友達と私の分、合わせて3本買ってきたのだそうだが、これを修学旅行の間ずっと持っていたのかと思うと、少しばかり異様な気がする。よく先生が許してくれたものだと思うが、今までもらったお土産の中でも1、2を争うインパクトを受けたお土産だった。

 毎年、こんなにお土産がもらえる私はなんて幸せだろう、しみじみありがたく思っている。


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I'm a champion!!

 プッチンプリン・レギュラーサイズ試してみました。

 えっ? うそ? こんな簡単でいいの?
 チュルチュル一飲み・・・

 こんなものですか?


 


 こんなものです・・・
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プッチンプリン

 先日スーパーですごいものを見つけた。その名も、「Happy プッチンプリン」。パーティーサイズなのか、とにかく大きい。


普通サイズのプッチンプリンが1個78gだが、これは400gある。約5個分の重さだが、これだけではどれだけ大きいものかよく分からないので、普通サイズのものを横に並べてみた。

 

ポッキーでパーティーサイズと呼ばれる大きな物は何度か見たことがあるが、プッチンプリンではこれが初めてだったから、思わず買ってしまった。買ってしまったのはいいが、さてこれをいったいどうしよう。実は私、今までにプッチンプリンというものを食べたことがなかった。昔からある有名な商品で、売れてもいるだろうから、まずいものではないだろう。しかし、今まで食べたことのない私が、果たしてこんなジャンボサイズのものを全部食べきることができるだろうか。妻や息子に食べないかとたずねても、「そんな大きなものはいらない」と答えるから、自分で処理するしかない。う~~ん、何か動機付けがあったら一度に食べられるかもしれない、と思いついた私は、どれだけの時間で食べきれるかを計ってみようと決めた。
 とは言っても、ご飯を食べた後ではとてもこんな大きなプリンは食べきれないだろう。ならば、少々きつい気もするが、朝起きて朝ごはん代わりに食べてはどうだろうと思いついた。起きたばかりなら、お腹もすいているだろうし、きっと上手くいくぞと試してみることにした。
 そこで、昨日の朝、目覚めてすぐにストップウオッチを用意して、チャレンジしてみた。

 

容器から取り出して、普通サイズのものと並べるとかなりの威圧感がある。鼻を近づけるとキャラメルのいい香りがしてくる。しかし、甘そうだ。あんの甘さならどれだけ食べても平気だが、こうした物の甘さはあまり好きではない。ちょっと尻込みし始めたが、ここで引くわけにはいかない。皿を持ち上げると、プニプニ動くプリンをスプーンで掬い上げながら食べ始めた。

 

24秒で、スプーン3口食べたが、思ったとおり甘い。前夜から冷蔵庫で冷やしてあったから冷たくて食べ心地はいいが、この甘さに最後まで耐えられるかがポイントだ。
 

51秒で半分以上は食べられた。甘さにも慣れてきたのかさほど気にならなくなった。元来が甘党なので、順応も早いのかもしれない。何にしてもちゅるちゅると喉の中に入っていくから食べやすい。もうあと少しだ。

 

1分17秒で、残るはスプーン2杯か3杯のところまで来た。ちょっとほっとしたのがいけなかったのかもしれない。口中に甘みが急に広がって何だかこれ以上食べるのがいやになってきた。どうしようか、と一瞬迷ったが、気持ち悪くなったらそのときだ、とにかく全部食べてしまおう、と無理やり口の中に押し込んで何とか食べ終えた。

 

1分42秒63、この記録はどうなんだろう。私は早食いで、家族からもっとゆっくり食べてよ、といつも叱られるのだが、この記録はひょっとしたら現時点での、「ハッピープッチンプリン」早食い世界記録ではないだろうか?いくら馬鹿げたことであっても、世界記録保持者であるとするならば、気持ちのいいものだ。

 まあ、誰の挑戦でも受けますけどね・・・

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特技(2)

 以前、「特技」というタイトルでさくらんぼの軸を口の中で結ぶという少々地味な特技を披露した。実は、次の日も調子に乗って、特技(2)という題名で記事を書いたのだが、PCのキーボードをどこか間違えて押してしまったため、ほぼ完成していた記事が消えてしまった。がっかりして全身から力が抜けてしまい、また同じ記事を書く気になれず、たまたま書き溜めてあった記事をその日の記事として載せた。いつかまた書こうとは思っていたが、なかなかそんな気になれず、いつしか忘れてしまっていた。
 それが、一昨日の記事に竜虎の母さんから頂いたコメントに返事を書いているとき、急にそのことを思い出して、もう一度記事にしてみようと思い立った。今度は、ヘマをしないように注意しながら書いていくつもりだ。

 大学生のとき、主任教授がある助教授を評して、「あの先生のフランス語の能力は素晴らしい。同時通訳ができる語学力は他の先生とは比べ物にならない」とべたほめした後で、「もう一つすごい才能があって、意味の分からない単語を辞書で引くときに、一度でその単語の載っているページを開くことができる」と言われた。私はそのとき、そんなすごい先生でも、「辞書を引かなけりゃならないのか」などと学問の深さを垣間見た思いがしたが、勉強不足の私にはそんな神業のようなことは一生できないだろうなとも思った。
 そんな話は卒業後ずっと忘れていたが、塾で生徒を相手に辞書を使うことが多くなって、あるとき、自分がほとんど一発で意味を知りたい単語のページを開けられるようになっていることに気がついた。「おお、すごい」と、それ以来生徒の前で自慢してやって見せるようになった。少しの誤差はあるが、それも4、5ページの範囲に収まっている。試しにやってみた。まず、love という単語を引いてみる。

  

使った辞書は研究社の英和中辞典、かなり使いこんである。慣れた手つきでこれくらいだろうと開いてみたら、1077ページ、love の載っているのは 1083 ページだから 6ページも誤差があった。これではちょっと悔しいからもう一度試してみた。次は peace で。

 

今度は、1312 ページのところを 1316 ページを引いてしまった。う~ん、やっぱり一発でそのページを引くのは至難の業だ。でも、これくらいの誤差なら許容範囲だろう、などと甘めの採点をしておく。
 でも、これだけでは少し特技というには物足りない気がしないでもない。そこでもう一つ、とっておきの妙技を披露しよう。私の塾では、できるだけ生徒一人一人の勉強を丁寧に見ていこうとしているので、黒板を使った授業はしていない。問題を説明するのは各生徒のノートや問題集を使うことになり、顔を見ながら説明することが多い。そのため向かい合ったまま字を書こうとすると、反対側から書くことになって、簡単にはいかない。私もちゃんと読めるような字を書けるようになるまで大分時間がかかった。試しに英語で、love and peace と書いてみた。

  

どうだろう、なかなかのものだと自負しているが。ちなみに一番右の写真の下の文字が普通に書いたアルファベットである。大して変わらないように見えるのは、自慢すべきか恥ずべきかよく分からない。ならば、漢字ならどうだとばかりに書いてみた。

 

これもうまく書けた。右の写真の下の字が普通に書いた「愛」だ。余り変わらないできばえだ。すると、私はやっぱり字が下手なんだろうか・・・。ちょっとがっかりしてしまった。
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おみやげ

 何度も繰り返すようだが、今年の短い夏休みは旅行などには出かけず、だらだらすごした。子どもが小さい頃は、夏休みと言えば毎週日曜ごとに海や山へ出かけていた。今思えばご苦労なことだが、当時はそうやって子どもたちといろんなところへ行くのが楽しくて仕方なかった。子どもたちにすればただ連れ回されただけで、つまらなかったかもしれない。私の単なる自己満足に過ぎなかったかもしれないが、とにかくよく出かけた。
 それが娘が高校生になったくらいから徐々に出かけなくなった。夏休みになっても家族で旅行に行くなんてことはなくなった。妻や娘は個別でちょこちょこ出かけるようになったので、わざわざ家族で出かける必要などなくなったのかもしれない。そのおかけで私は、去年京都で2泊3日したのを除けばここ数年、籠の鳥状態で家以外のところで寝たことなどまったくない。最初の頃は寂しい気もしたが、もうだいぶ慣れっこになって、今度の休みもどこかに出かけようなどとは思わなかった。慣れというものは恐ろしい。
 しかし、この季節、私が出かけなくても塾の生徒が家族旅行に行って、その楽しみのおすそ分けをしてくれるから、それだけでも憂さが晴れる。いろんな所へ行っておみやげを買ってきて私にくれる生徒も時々いる。

 

これは両方とも大阪のUSJに行った子どもたちのおみやげだが、左は今年で5周年になるお祝いのクッキー、右は塾生でもある姪と甥が私の家族一人一人に買ってきてくれたスヌーピーの人形とその後ろがバームクーヘン。これを見て、もうできて5年も経つのかと何だか感慨がわいたが、私は未だにUFJ銀行との区別がはっきりしない。時々間違えては失笑を買うが、リピーターも多いようで、それなりに楽しい場所なのだろう。私など、USJはおろか東京ディズニーランドにも行ったことがないので、テーマパークの楽しさなどまったく見当も付かない。

 

これは静岡の富士急ハイランドに行った生徒が買ってくれたおみやげだ。「呪いの書」などとおどろおどろしい名前が付いているので受け取ったときは「何だ?」と思ったが、開けてみたらクッキーだった。意表をついてなかなか面白かった。でも、生徒がこんなものをくれると私に何か恨みでもあるのかしらと、ちょっとばかり肝を冷やした。

 

これは中国に単身赴任している父親を訪ねていった小学生のおみやげだが、どう見てみてもロシアのこけし、マトリョーシカだ。絵柄もロシアなんだか、中国なんだか判然としないが、まあ可愛いから細かいことはどうでもいい。生徒の前で、一つ一つ取り出していったら全部で5体になった。最後は1cmくらいの高さで顔など目と口が点々と描いてあるだけだが、一応人間の顔らしくなっている。なかなか趣深くて愉快なおみやげだ。
 うれしくなってほかの生徒にも自慢して見せたのだが、中に一人面白いことをした女子生徒がいた。


取り出した5体を私が横に並べておいたら、いつの間にかトーテムポールのように縦に乗せていた。「おお、こんな風に重ねるのもなかなかいいじゃないか」、と私は思わず唸ってしまった。美術部に属する彼女はやはり発想がやわらかい、私などにはとても考え付けない。
 いろんな子がいて、本当に楽しい。

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特技

 先日父が名古屋の御園座へ、藤山直美の芝居を見に行ってきた。「妻をめとらば」という与謝野晶子と鉄幹夫婦を描いた芝居のようだが、期待して行った割にはあまり面白くなかったと言っていた。これは妻の妹が農協の関係で切符が手に入ったものを自分の母親と私の父に回してくれたものだった。食事がついてお土産までもらってという至れりつくせりの観劇だが、土産は私がもらった。松河屋老舗というところの饅頭の箱詰めだったため、甘いものには目のない私は喜んでもらった。箱をあけてみると中にみつ豆が入っていた。


これは冷やして食べたらおいしいだろうなと、早速冷蔵庫に冷やしておいたが、しばらく忘れていた。それを昨日になって思い出して食べてみた。

 

左は封を切ったそのままであるが、右は好みによって加えるために添付されている黒蜜を入れたものである。実はみつ豆は2つ入っていて、1つ目は黒蜜を加えず、もう1つには加えてみたのだが、私の好みを言えば、加えないほうが甘さがくどくない分さっぱりしておいしかったように思う。みかん、桃、キウイ、寒天、豆などがいずれもおいしくて、思わぬ拾い物をした気持ちになった。順番に食べていっても、どういうわけか最後に残ったのは、2回ともさくらんぼであった。

 

もちろん食べた、おいしかった。さくらんぼなんて本当に久しぶりに食べた。あまりに久しぶりなので、種を吐き出してそのまま捨ててしまうのもなんだかもったいない気がして、ちょっと種を口の中で遊ばせていた。すると、思い出した。私にはさくらんぼを使った特技があったんだ。種を吐き出して、軸を口の中に入れた。舌と前歯を微妙に駆使して軸を結んでみようとした。もう何年も、10年も、下手すりゃ20年近くもやっていなかったから自信はなかったが、もごもごしばらくやっていると、何とかできた!決してきれいではないが、一応の形は整ったと思う。


どうだ!と大見得を切れるほどの技ではない。世の中にはこれができる人などごまんといるだろう。またこんなことができたところで何の役にも立たないし、自慢できる代物でもない。しかし、私は久しぶりにやってみて成功した自分がうれしくて仕方なかった。だからこうしてブログの記事にしてしまったのだが、少しばかり晴れがましい気持ちでいる。

 馬鹿だなあ・・・
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武勇伝3

 このところ、父と息子の武勇伝(?)を続けて書き記したが、とうとう私にも披露することのできる武勇伝ができた。うれしい。さっそく書く。

 塾の手伝いをしてくれている大学生が、最近送迎用のバスの中に大きなハチがよく入り込んでいるので、車庫のあたりを調べてほしいと言ってきた。窓を開け放しておくと必ずといっていいほどハチがいるそうだ。毎回追い出してから車を出しているが、生徒が刺されても困るからすぐに調べてくれと言った。それは大変と、翌日になってバスの置いてある車庫を調べてみたら、あった!車庫の天井に直径5~6cmのハチの巣が1つ見つかった。巣は小さなものだが、大きなハチが一匹と小さなハチが一匹、巣のそばで羽をぶんぶんいわせている。

 

はっきり言ってびびった。こんな大きなハチはなかなか見たことがない。スズメバチなんだろうが、大きな体全体が赤黒く光っていて、羽音で威嚇している。どうしようかとためらったが、ぐずぐずしている時間はなかったので、度胸を決めて自分で退治することにした。そのために殺虫剤を取りに行った。殺虫剤を巣めがけて散布して、巣から離れない大きなハチをやっつけようと考えたのだ。


殺虫剤をおよそ1本使い果たした。小さいハチはすぐに飛び去ったが、大きなハチはなかなか離れようとしない。女王蜂なのだろうか?よくは分からないが、こちらももう後には引けない。まだか、まだかとぶつぶつ言いながらも、いつ襲ってくるかもしれないので、逃げる用意だけはしていた。緊張して胃が痛くなり始めたが、そのとき我慢できなくなったハチがぽとりと落ちた。

 

しばらくはぶんぶん羽を鳴らしながら苦しんでいたが、ようやく事切れたようだ。殺虫剤の恐ろしさを実感したが、これで安心だと思って、棒でハチの巣を叩き落した。

 

ハチの巣はいつ見ても美しい形をしている。これほどの芸術品とさえ呼べるものをハチが作り上げるのも自然の神秘だ。敬意を表しながら、ばらしてみた。言うまでもなくハチの子を見つけるためである。すると、大きなやつが2つ見つかった。


大きかった。以前酔っ払っていたときに、食べてみろと差し出されたハチの子を面白半分で生のまま食べたことがある。噛み潰すと、ぷちっと、中のものが口中にひろがっでなんとも言えなかったが、食べられないものではなかった。今回も蛮勇を奮って食べてやろうかなと一瞬思ったが、自分であれほど殺虫剤をかけたものから出てきたのをさすがに食べることはできないと思い直した。

 ああ、それにしても無事退治できてよかった。ほっとした。
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