毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
佐久間ダム
旅行2日目のメインは佐久間ダム見学。2年前に行った黒部ダムほどではないにせよ、かなり大きなダムのようなので、かねがね行ってみたいと思っていた。
愛知県と静岡県の境を流れる天竜川の上流にある佐久間ダムは、
「電源開発(J-POWER)が管理する高さ155.5メートルの重力式コンクリートダム。日本第9位の高さと第8位の総貯水容量を有する日本屈指の巨大ダムであり、戦後日本の土木技術史の原点となった日本のダムの歴史に刻まれる事業である。佐久間発電所と新豊根発電所により最大147万5,000キロワットを発電する水力発電を主目的とし、副次的に豊川用水の水源にもなっているほか、2004年(平成16年)より洪水調節目的を付加して多目的ダムとするダム再開発事業が国土交通省によって進められている。ダムによって形成される人造湖は佐久間湖と命名され、ダム湖百選に選定されたほか天竜奥三河国定公園に指定されており、地域の主要な観光地になっている」
と Wikipedia には記されているが、到着するまでの道のりはかなり面倒だった・・。
途中、秋葉ダムを見た。これも電源開発が管理を行う、高さ89.0メートルの重力式コンクリートダムであり、「佐久間ダムの放流水を調整して下流の水量を平均化する逆調整池であり、同時に秋葉第一・秋葉第二・秋葉第三の各発電所で水力発電」を行っているそうだ。
確かに大きなダムだが、これくらいではもう驚かなくなった。写真を1枚だけ撮って、すぐに車を走らせた。
「着いたら起こしてやるから少し寝たら」
と安請け合いをしたのがいけなかった。だんだん道が細く険しくなるにつれ、対向車とのすれ違いにも神経を使い、助手席で目を閉じている妻が羨ましくなった。しかし、妻の運転でヒヤヒヤするよりはマシかと思い直して、ゴールめざしてひたすらナビの誘導に従った。
なんとか無事たどり着いたときはかなり疲弊していた。しかし、こんな大きなダムを見たら体の底から力がわき出てくるような感じがして、歩き回って写真を撮った。
佐久間ダム
ダムはやっぱりすごい。この佐久間ダムは1953年から56年までの3年ちょっとで完成したと言われているが、こんなに巨大なダムがどうしてそんな短期間に出来上がってしまったのだろう。きっと当時は、戦禍からの復興に向けて、国が一丸となっていたのだろう。とすれば、日本人の力の源がこのダムにあるはずだ。誰もが明日のために懸命に生きていた時代の息吹がこのダムから感じ取れるような気がした・・。
そうだ、日本人の知恵と力を結集すれば、現今の難局もきっと乗り越えられるはずだ。前を向いて進んでいこうではないか!
妙に高揚してしまったが、苦労してたどり着いただけのことはあった・・。
愛知県と静岡県の境を流れる天竜川の上流にある佐久間ダムは、
「電源開発(J-POWER)が管理する高さ155.5メートルの重力式コンクリートダム。日本第9位の高さと第8位の総貯水容量を有する日本屈指の巨大ダムであり、戦後日本の土木技術史の原点となった日本のダムの歴史に刻まれる事業である。佐久間発電所と新豊根発電所により最大147万5,000キロワットを発電する水力発電を主目的とし、副次的に豊川用水の水源にもなっているほか、2004年(平成16年)より洪水調節目的を付加して多目的ダムとするダム再開発事業が国土交通省によって進められている。ダムによって形成される人造湖は佐久間湖と命名され、ダム湖百選に選定されたほか天竜奥三河国定公園に指定されており、地域の主要な観光地になっている」
と Wikipedia には記されているが、到着するまでの道のりはかなり面倒だった・・。
途中、秋葉ダムを見た。これも電源開発が管理を行う、高さ89.0メートルの重力式コンクリートダムであり、「佐久間ダムの放流水を調整して下流の水量を平均化する逆調整池であり、同時に秋葉第一・秋葉第二・秋葉第三の各発電所で水力発電」を行っているそうだ。
確かに大きなダムだが、これくらいではもう驚かなくなった。写真を1枚だけ撮って、すぐに車を走らせた。
「着いたら起こしてやるから少し寝たら」
と安請け合いをしたのがいけなかった。だんだん道が細く険しくなるにつれ、対向車とのすれ違いにも神経を使い、助手席で目を閉じている妻が羨ましくなった。しかし、妻の運転でヒヤヒヤするよりはマシかと思い直して、ゴールめざしてひたすらナビの誘導に従った。
なんとか無事たどり着いたときはかなり疲弊していた。しかし、こんな大きなダムを見たら体の底から力がわき出てくるような感じがして、歩き回って写真を撮った。
佐久間ダム
ダムはやっぱりすごい。この佐久間ダムは1953年から56年までの3年ちょっとで完成したと言われているが、こんなに巨大なダムがどうしてそんな短期間に出来上がってしまったのだろう。きっと当時は、戦禍からの復興に向けて、国が一丸となっていたのだろう。とすれば、日本人の力の源がこのダムにあるはずだ。誰もが明日のために懸命に生きていた時代の息吹がこのダムから感じ取れるような気がした・・。
そうだ、日本人の知恵と力を結集すれば、現今の難局もきっと乗り越えられるはずだ。前を向いて進んでいこうではないか!
妙に高揚してしまったが、苦労してたどり着いただけのことはあった・・。
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