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さあ、夏休みだ。

 今日から夏休みが始まる。受験生にとっては、正念場。今勉強しなくていつ勉強するんだ、と連日塾や予備校の宣伝に辟易した人も多かろうが、塾・予備校にとっては生徒を集めるのに絶好の機会だから、宣伝にも力が入って当然だ。わが塾でも、夏期講習と銘打って、およそ40日間、朝早くから、夜遅くまで授業を続けるのだが、中心となるのはやはり私なので、連日連夜、殺人的なスケジュールをこなしていかなければならない。毎年のことながら、やはり、塾にとっても正念場なので、ここで力を振り絞らなければ、来春の受験にいい結果が残せなくなってしまうと、思わず力が入る。
 幸いなことに、木曜日から夏休みが始まるので、木・金・土とやってみて、準備の足りなかったことや、考えが十分でなかった点を、日曜日を使って修正できるのはうれしい。いくら入念に準備したつもりでも、毎年何らかの手落ちはあるものなので、早い時期に修正できるのは、長い夏休みを乗り越えるのにとても役に立つ。
 しかし、以前ほど、夏休みだから勉強をしようという意識が、子供達は言うまでもなく親達にも希薄になってきているように思う。ゆとり教育の名の下に勉強などしなくてもいいや、という風潮が蔓延しているとしか思えない。少子化の影響もあって、以前ほど生徒が集まらなくなってきているのは事実で、塾の経営も決して楽ではないが、何も営業の観点からだけで物を言っているのではない。
 幼少年期には、いやなこと、面倒なことを我慢して行う忍耐力を身につけることが大切だ。社会に出れば、自分の思うとおりにならないことばかりだ。そんな時に我慢して何とか切り抜けるだけの忍耐力がなければ、立ち行かなくなってしまう。目先の楽なことだけを追っているだけでは何も身に付かない。努力の大切さを説く前に、努力の苦しさを味あわせ、それを乗り越えるだけの心の強さを身につけさせなければならない。
 『なら、お宅の夏期講習に行けば、そうしたものが身につきますか』、と問われたなら、逡巡なく『はい』と答える。それだけのことをやる自信があるからこそ、こんなにも偉そうなことが言えるに決まってるじゃないか・・などと堂々と言ってみたい。なかなか言えないけれど・・・いや、生来大風呂敷を広げるのが嫌いだから、そういうだけで、自信は本当にありますよ。
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祝、ヤンクス、首位!!

 松井秀喜の所属するN.Y. ヤンキーズがとうとうアメリカンリーグ東地区で首位に立った。開幕から、大きな連勝をするかと思えば、長い連敗を何度も繰り返し、今年のヤンキーズはひょっとしたら・・・と思わないでもなかった。それがいつの間にやら、本当にあっという間に、ここまで勝ちこんでくるとは、少し前だったら、とても想像できなかった。それは、やはり長いスランプから立ち直った松井や、それ以上の不振を極めたジアンビの華々しい活躍が大きな貢献をしたお陰であろう。この2人と、開幕からずっと好調を維持してきた、シェフィールド、Aロッドが並ぶヤンキーズ打線の破壊力は、現在のメジャーリーグでも1.2を争うだろう。
 これほどまですごいバッターがそろいながら、何故今まで低迷していたのだろう。その原因は1にも2にもピッチャー陣の不甲斐なさに尽きるだろう。先発投手5人の年俸だけで軽く60億円を超える豪華投手陣が、開幕から機能せず、その中の3人、ライト、ブラウン、パヴァーノは、DL(故障者リスト)入りしてしまうし、その穴埋めとして抜擢された台湾人投手ワン・チェン・ミンがしばらく投手陣の屋台骨を支えたが、彼もまたDL入りしてしまった。ジョンソンとムシーナの2人はずっとローテーションを守ってきたが、それでも彼らの実績からすればまだまだ物足りない。さらには、目を覆いたくなるようなリリーフ陣が、火に油を注いだ。まるで打たれるためだけに登板するかのようなリリーフ陣のうち、3人がもう解雇されてしまったが、成績を見れば仕方ないことだろう。確かにここまで打ちこまれるにはちゃんとした理由があるのだろうけど、キャッチャー・ポサだのリードにも首を傾げたくなることが多々あった。ピンチになると外角一辺倒のリードには、『誰でも打てるぞ』、と何度叫んだことか。
 ヤンキーズがこのままずっと首位を守り続け、ポストシーズンを勝ち抜き、ワールドチャンピオンになるためには、どうしてもこのピッチャー陣を再建しなければならない。折りしも、野茂と高津がそれぞれのチームから放出されてしまった。日本のメディアはすぐにヤンキーズと関連付けて報道したがるが、実際にこれらの選手が入団する可能性は低いだろう。ファンとしては、誰でもいいからとにかくピシッとした投球ができるピッチャーを後何人か探してきて欲しい。本当に切実な願いだ。
 勿論、松井がこれからもガンガン打ち続け、少々点を取られても、跳ね返すだけの力を持ち続けてくれれば、何も心配はないのだけれど。
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♪なんでだろ~♪

 ちょっと古いけど、思わず、♪なんでだろ~♪と歌いたくなるのが、この土・日・月の三連休だ。もう夏休みも目前だというのに、何故今ここで3連休にする必要があるのだろう?勿論、社会人にとって、学生のように21日から夏休みなんてことはないから、連休があるに越したことはないだろうが、私が問題にしたいのは、小・中・高の子供達のことだ。どういう趣旨で『海の日』なる祝日が作られたのか、詳らかではないから要らぬコメントは差し控えるが、誰がどう見たって、夏休み直前に3連休は必要ないだろう。ただでさえ、少ない授業時間しかない現状で、補修の時間を増やすなら納得できるが、さあ、お休みください、お遊びくださいでは、不満が募るばかりである。
 確かに、世の中は学生ばかりではないから、祝日を増やすのに敢えて反対はしないが(私には祝日なんてない、休んでいられない)、今の学校が何のためにあるのかよく分からなくなってしまった私には、何でこんなに子供達を甘やかすのか分からない。もう週休2日あれば十分だろう。子供が祝日で休んだ週には、半ドンでいいから、土曜日に登校するようにしたっていいのに。学校の職員は交代で休めばいいし、第一長い夏休みがあるんだから、それくらい文句言わずに働いたって、ばちは当たらないだろう。今の子供達を見ていると、妙に緊張感のない子供達が多いような気がしてならない。オンとオフの切り替えができないというか、いつでも、どこでも同じペースで、取り立てて、ここではこうしなければ、という意識がないように思う。まあ、それは子供に限ったことではなく、社会全体がオブラートで包まれたような、よく言えば『ゆるやかな社会』、悪く言えば『ダラダラした社会』になってしまったから、子供達がそれを映し出す鏡になっているのだろうけど。
 それは、受験を控えた高校3年生に如実に表れている。以前は高3といえば、志望校に向かって「夏に勉強するぞ」と、意気込む生徒が多かったが、今では志望校さえ決まっておらず、何をどう勉強していいのか分からない、と言ってくる生徒もいるぐらいだ。確かに、今では出願さえすれば合格できる学大学がかなり多くなっているから、無理して背伸びしなくても、そこそこの大学にいければいいやという子供が多いのは仕方がないのかもしれない。。『そんなこと言ってると、どこの大学にもいけないぞ』というのが脅し文句にならない現状では、子供達のモチベーションを高めることはかなり難しい。
 いいことを思いついた。来年から、夏休みを3日前倒しにして、その代わり、2学期も3日早く始めるようにすればいい。授業時間と、休み時間が共に確保できていいじゃないだろうか。------
てなこと言うと、お叱りの言葉がどこからか聞こえてくるかな。それにしても、駄目だこれでは!
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大阪公演、楽しかったかい?(2)

 先ほど、妻が帰宅した。満足げな顔を見れば、何も聞かなくてもいいかと思ったが、儀礼上、『よかったか』とたずねてみた。『うん。でも大阪は、なんか埼玉や名古屋とは雰囲気が違う。笑う所じゃないのにと思う所で笑いが起こるから、やっぱり「のり」が違うんかなあ。私の前の席の人、大きな人だったけど、カーテンコールで全身ゆすってキャーキャー言うから、見えなくって参った。』と意外なことを言った。たしかに、土地柄によって、観客の「のり」は違うだろうが、笑うところが土地によって違うというのは、面白いなと思った。脚本を、演じる場所によって変えることはできないだろうから、演じる者の感性によって対処していかなくてはならないだろうが、それは結構難しいことじゃないかと、素人考えで思ってしまう。まあ、それが本能でできてしまうであろう藤原竜也はすごい役者なんだろうけど。(また、「卒塔婆小町」でも、詩人さんが・・てなことを言っていたが、よく分からなかった。見ていない者に語るには不親切な対応だな、よく考えてみれば)
 だが、彼女がいないと、やっぱり一日にメリハリが利かない。今日は久しぶりの休日だったが、夏休みの準備をだらだらやっていたので、暇をもてあますほどではなかったが、昼食を食べるにしろ、ちょっと買い物に出かけるにしろ、彼女がいないとなんとなく、しっくり来ない。ふだんから四六時中一緒にいるわけでもないから、別にどうってことはないはずなんだけど、何だかヘンな感じがする。幼な子が一心に遊んでいたのに、周りに母親がいないことにふっと気がついたときに見せる、あの不安感のようなものが私の中にあったように思える。私を甘やかしてくれるどころか、文句しか言わない存在だけど、近くにいないとなると、妙に不安になってしまう。おかしなものだ。
 こんなことを言ったら、迷惑がられるだけだから、内緒にしておかなければいけないけど、この気持ちは何だろう。今までこんな気持ちを味わったことがないから、自分でもよく分からないが、おかしなものである。これも一時の気の迷いで、明日になって、『眠いよお、疲れたよお』を連発する彼女を見れば、いい加減遊んできてそれはないだろうと、むかむかするに決まっている。だから、何だか知らないが、今はこの気持ちがどこから来たのか、もう少し考えてみることにしよう。きっと、分からないけれど。

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大阪公演、楽しかったかい?

 今日は待ちに待った藤原の舞台、妻は朝早くから起きて、せっせと準備をして、さっさと出かけて行った。私は今日も仕事なので、家を出しなに、準備に忙しい彼女に向かって、『藤原クンによろしく』と馬鹿を言うと、うれしそうな顔で『ありがとう』と訳の分からぬ返事をした。昼公演のチケットであるため、昼過ぎには新幹線に乗らなくてはいけないそうで、家事から手を離さずに、『実はいいことがあるんだ。最終日のチケットが当たったらしいの。』『最終日って、明日のことか?』『違う、SMAPのライブの最終日のチケットが手に入るらしいの。』『それってすごいことか?』『うん、今年はファンクラブに入っている人でも、チケットがなかなか当たらないらしい。何故だか分からないけど。』もう、心は SMAP に飛んでるのか、とちょっと驚いたので、『大阪は今日1回だけなんだろ、観るのは』と確認してみたところ、『うん。今日は京都が祇園祭で人が多いから、なるべく早く京都に入ろうと思って。』確かに今日は宵山だ。想像も付かないほど人であふれているだろうから、娘の部屋までたどり着くのも難しいかもしれない。
 しかし、こうやって妻がライブだ、観劇だと言って家を空けることに私や息子は慣れっこになってしまって、なんとも思わなくなってきたが、世間的にはどうなんだろう。やっぱり、変なのかな、などと考えながら、家を出たが、まあ、そんなに深く考えなくても、こちらに迷惑がかからないなら、やりたいことをやって楽しんでくれればいいやと、いつもの常套句で、自分に言い聞かせた。
 今はもう夜の12時を回っているから、藤原がどうだったとか、祇園祭の様子はどうだとか、娘は元気かとか、聞こうと思えば聞けるのだが、こういう日に電話すると億劫そうな声で電話に出ることが多いので、最近はなるべく電話をかけないようにしている。かと言って、妻の携帯のメールアドレスを私は知らないので、(妻が教えてくれないし、あまり必要を感じないから、ほかってある)文字でやり取りすることもできない。まあ、連絡はないから、まずいことは何も起こらなかったのだろうが。
 そういえば、妻が昨夜、忘れ物をしないように作ったメモの中に、サングラスと書いてあった。何のために、と思いたずねたところ、『私には遠くを見るための、老眼鏡の度が入ったのはサングラスしかないので、暗い中でも、仕方なくサングラスをかけてるのよ』と哀れなことを言った。闇夜のカラスでもないだろうが、薄暗い劇場の中でサングラスをかけた、ちょっとファナティックな、中年の藤原竜也ファン、それが私の大事な妻だ。なんてね。
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県名および県庁所在地

 妻は、小学生に英語を教えているのだが、その授業で、New York が出てきたので『New York ってどこにあるか知ってる?』とたずねたそうだ。これには、『アメリカ』と答えることはできたが、『じゃあ、アメリカの首都は?』と問い返しても、誰も答えられなかった。そこで、『答えは、ワシントンだけど、なら、日本の首都は?』と再度たずねても、『東京』という返事は返ってこなかったそうだ。その授業は5年生対象だったため、私に、『小学校って何年生で、県名や県庁所在地を教えるの?』とたずねてきた。『そんなこと今の普通の小学生が知ってるわけないよ、だって今は高校生が夏休みの課題として勉強することなんだぞ。』と、私は嘲笑交じりで答えた。すると、『何なの、それ』と冗談は言わないでという感じで妻が詰め寄ってきたので、私はちょうど前夜に味わったばかりの驚きを伝えることにした。
 期末試験も終わり、夏休みまでの期間を自習やら、球技大会やらで無意味にすごす高校が多い中、少しでも早く夏休みの課題を学生に渡してやらせようとする学校も多く見受けられる。そんな高校に通う生徒たちは、課題を塾に持ってきて終わらせようとするのだが、前夜は1人の生徒が夏休みの宿題をやるから地図を貸して欲しいと私に言ってきた。何を調べるんだろう、と思って、地図を渡しながら、その子の持ってきたプリントを見てびっくりした。なんと、B4の用紙一面に、大きく日本地図が写されているその横に、解答欄が2列並んでいて、左に県名、右に県庁所在地を答えるようになっていた。『えっ、これが宿題なの?』と驚く私に『そう。』と何のためらいもなく答えたその生徒にしてみれば、これは立派な宿題であり、なんら異議をさしはさむ類のものではないのだろう。
 確かにその生徒が通っている県立の普通科高校は、この地域ではレベルの高い学校ではなく、いわば底辺校一歩手前の学校ではあるが、それにしても、高校生に県名と県庁所在地を書き込む宿題はないだろうと、思わざるをえない。何にせよ、基礎学力は大切なものであり、それなくしては何も先に進まない。しかし、いくらなんでも、それくらいのことは小学生のときに教えてもらっていろよと、私は言いたい。
 私の塾の、私立中学受験コースで学ぶ者たちには、4年生で県名と県庁所在地を覚えさせる。そして、平野名、山地名、河川名・・などは、社会の基礎中の基礎として、4年生の間に完璧にしておくよう指導している。それなのに、公立中で学んだ者たちは、高校に入って初めてそんな基礎の基礎を学ぶのか。私が思うに、昨今の学力低下は、週休2日を優先する余りの、授業時間の大幅短縮に大きな原因がある。また、詰め込み教育反対などといって、基礎学力の反復練習を軽視する風潮も、学力低下を生み出した大きな原因となっていると思う。
 とにかく、今の高校の現場は、一定のレベルを下に超えたら、もう惨憺たる状況だ。これで、高校生?と疑いたくなるような事例は山ほど転がっているらしい。本当に、教育体制を再構築しないと、この国は立ちいかなくなってしまうだろう。どうする、日本?

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デパート

 今日は久しぶりと言っても、2週間ぶりに名古屋のデパートに出かけた。何か特別に目的があったわけでもないが、夏休みになると自由な時間がなくなってしまうので、その前にちょっとした息抜きといったつもりで、毎年この頃になると妻と出かける。私の住んでいる町とは違って、さすがに名古屋の人通りは半端じゃないが、デパートの中は中元商戦真っ只中の割には、思ったほど客がいないというのが実感だった。2週間前にも同じデパートに来て同じ感想を持ったのだが、やはり万博に人を奪われているのかなあと、思わずにはいられなかった。
 夕方、近所の私より7歳ほど年長のご夫婦がおそろいで帰宅されたのを見かけて、『万博でしたか?』と声をかけてみると、『そう。何かはまっちゃって、面白いよ』と答えてくださった。『今日で何回目ですか』『ゥ~ん、10回ぐらいかな。』とご夫婦とも満足そうに笑っておられた。また、妻の通うスポーツジムには、多くの初老から中老と言った年恰好の方々が多く来られるが、そこで、常に話題になるのが、万博だそうだ。どこのパビリオンが楽しいだとか、イベントがどうだったとか、話題には事欠かないらしい。妻も話に加わることもあるらしいが、一人一人が万博に関する薀蓄を語ってくれるので、結構面白いらしい。
 このように、私の町では、万博が生活の一部になった人がかなり多いようだ。すると、デパートに足を向けるより万博へ行こう、という人が多くなり、やはり、例年よりも客足が鈍くなっているのだろう。と、ここまでの分析を妻に自慢げに話したところ、『何言ってんの、万博期間中にデパートの売り上げは伸びているらしいわよ。』と意表をついた返事をした。どういうことだろう。万博に行った人がわざわざデパートへ立ち寄るとは考えにくいし、第一そんなに何箇所かで散財するとも考えられない。『どうしてなんだろう、分からないな。』と妻に助けをを求めたところ、『そんなことがあなたに分かれば、私達はもっと羽振りのいい生活ができてるでしょ。』と言われてしまった。
 もう、まったく。確かに私は経済音痴だし、稼ぐよりも、使うほうが得意で、毎日ピーピー言ってるけど、そんなにずばり言わなくてもいいだろう。正鵠を射すぎて、何ら反駁できないってのも、むなしすぎる。
 でも、分からないなあ、ホンと・・・
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野草を食べる会

 今日、3年ぶりに、『京大野草を食べる会』の同窓会(?)が開かれるとの案内状が送られてきた。今年の正月に頂いた先輩からの年賀状に、今年の夏当たりにどうですか、とコメントが書かれていたので、ある程度心積もりはしていたのだが、7月になっても案内が来なかったので、今年は開かれないものだと思っていた矢先だった。3年前は諸先輩がほとんど参加され、末席を汚した私も楽しいときを過ごさせていただいた。なにせ、私の世代が卒業した後、程なく自然消滅してしまったサークルなので、私が一番若い参加者だったのには笑ってしまった。私より若い会員も何人かいるにはいたが、彼らまで声をかけなくてもいいだろうと先輩達が判断して、私達世代が最年少参加者になったのだった。
 前回は、ちょうどお盆休みと重なり、私もうまく塾の休みと調節できたので参加することができた。その時は、ちょうどSMAPの広島ライブと日程が重なったため、妻は娘と息子を連れて広島まで行き、私は一人で京都へと家族総出の旅という形にはなった。京都までは新幹線で一緒だったので、ちょっとした家族旅行の浮かれた気分を味わったため、一人で京都で下車し、一人でホテルにチェックインしたときは少しばかり寂寥感に襲われた。まあ、それも同窓会の会場で懐かしい顔に会えた瞬間に、吹き飛んだのだけど。
 前回は、20年以上お会いしていなかった先輩も多数みえたので、久しぶりの挨拶を交わすときには、突然老けた顔がいくつも現れたような印象を受け、竜宮城から戻った浦島太郎もさもありなん、といった感慨にふけった。今回は、間に3年はさんだだけだから、さほどの変化は見られないかもしれないが、大部分の先輩が50才台に突入されているから、一層倍老けた顔が集まることは間違いないだろう。
 確かに、この3年で変わったことは、私の身の回りでも多数ある。高校生だった娘が大学生となり、京都で一人暮らしをしているし、息子は高校生となり、大分しっかりした言動が見受けられるようになってきた。子供達にとっての3年はかくも大きな変化をもたらしたのだが、振り返って、私は?と自分に問うてみても、はかばかしい答えは浮かんでこない。やはり、容姿はそれなりに衰えてきているだろうが、さて中身はどうだろうか。
 来月、京都で先輩達に再会するまでに、自分に対する答えぐらい見つけておきたいものである。
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コメント

 2日前の私の記事にコメントを頂いた。滅多にコメントを頂いたことがない私としては、うれしくて妻に話したところ、『余り変なことを書かないでよ』、と釘をさされてしまった。『勿論、お前から聞いたことをそのまま情報として出しているだけだよ』、と言い訳はしておいたが、事実何の脚色を施さずとも、彼女のすることはそのままで結構面白い。
 今日も、その話の後で、『そう言えば週末に大阪だったよね』と確認すると、『うん、日曜日で日本は最後。その後、N.Y.で公演』えっ、N.Y.にも行くつもりかよと驚いたが、さすがにそこまではぶっ飛んでいないようで、『千秋楽は本当にいいらしいよ』と、大阪公演の話題で済みそうだったから安心した。『日曜は行かんのか?』とたずねると、『うん、我慢する。』と珍しく殊勝なことをおっしゃる。『まあ、すぐにSMAPもあるから。』と、考えようによっては当たり前のことを、さも立派なことをするかのように言う。なんでも、久しぶりに京都の娘の部屋に泊まるから、日曜はその部屋の掃除をして、娘のためにちょっとした料理を作ってやるつもりだそうだ。
 ふ~ん、大人しいことを言うなあ、何か変だぞ、と私は思わないではない。と同時に、3年前のことが思い出されて、疑心暗鬼にさえなってくる。それは、、、
 3年前、SMAPのライブに北は北海道、南は福岡まで縦横無尽に駆け巡った彼女は、満足げに振り返って言った。『最終の東京はもう行かなくてもいい』、と。それはそうだろう、こんなにも行ったらもう十分すぎるぜと私も思ったのだが、事実は全く違っていた。東京での最終日が日に日に近づくにつれ、彼女の様子が見るからに変わってきた。始終イラつき、子供や私にちょっとしたことで当たってきて、こちらもだんだん我慢できなくなり、爆発寸前までいったのだが、『何だ、そんなことか、やっぱりな』と気付いて、彼女に『鬱陶しいから東京まで行って来い!』と言ってやった。『そんなんじゃない、行かなくていい。。。第一、チケットがないもん。』『チケットなんかどうにでもなるだろう、行け!!』と、とうとうブチ切れてしまった。彼女は、といえばそうい言われてからは、まるで憑き物が落ちたかのように、粛々と色々な手はずを整え、東京へ出向いて、オーラスライブを堪能してきた。
 まあ、彼女の陽動作戦にまんまと引っかかったのかもしれないが、その後は、この時の彼女の様子を真似して、何回かいじめてやったから、こちらの気も済んだ。
 それ以来、できるだけ最終日は行くように言ってきたし、彼女も喜んでそうすることが多かったから、今回の彼女の落ち着き方は何かしっくり来ない。しかし、やっぱり本命はSMAP、そこで爆発するつもりなんだろうな。
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前半戦終了

 前半戦が終了して今日から3日間のオールスターブレイクに入るが、前半戦の松井の成績を列挙しておくと、打率 .320、HR.14本、打点 70。HR.数を除けば、打率、打点とも昨年を大きく上回っている。この結果だけを見れば、開幕前に見せた自信と余裕は本物だったんだな、と一言で片付けられるだろうが、松井を毎日追いかける者にしてみれば、ここにたどり着くまでのハラハラ、ドキドキは筆舌に尽くしがたいものがあった。
 開幕後、4試合で3本HR. を打ち、今シーズンの大活躍を予感させたが、その後 203打席HR. なしという大スランプに陥り、打率も .231 まで下がったときには、今年の松井はこのまま終わっちゃうんじゃないかと、最悪のシナリオまで覚悟させられた。まさかそんなことはないだろうと思いながらも、肉が削げ落ちた彼の姿を見るたび、涙が出そうになるほどだった。やっと待望の HR. が出て、打撃も上向きかけた矢先に右足首を捻挫するというアクシデントに見舞われ、連続出場記録が途切れるのではとの周囲の心配もなんのその、次の試合では HR. を放ったのには、やっぱりこいつはただ者じゃないと再認識させられた。その後の試合は文字通り獅子奮迅の活躍で、開幕から波に乗り切れなかったチームも勢いづき、首位レッドソックスとの差は、2.5 ゲームにまで追い上げてきた。残念ながら3年連続オールスター出場は果たせなかったが、この3日の休暇を心身ともにリフレッシュするよい機会であると捉え、後半戦で更なる活躍をするための糧として欲しいものだ。
 ヤンキースの松井を追いかけて、今年で3年目だが、今年の私が過去2年と違うのは、松井を応援する掲示板サイトに、投稿をするようになったことだ。今までは見るだけで、書き込みなど夢にも思わなかったが、思い切って飛び込んでみると、一人で応援しているのではなく、多くの人と苦楽を共にしながら、松井に声援を送っているんだと実感でき、楽しくも頼もしくもある。様々な意見の人々が集まる場所だから、私と全く違う見解を持つ人々も散見されるが、それも一つの意見と尊重し、一概に攻め立てたりしてはいけないというスタンスで、仲間に入れさせてもらっているので、今後もでしゃばりすぎぬよう、注意しながら書き込みを続けていけたらいいと思っている。
 3日たてば、また連日試合が行われる。私にとっても、英気を養うのによい休暇だ。しっかり休養しておこう。
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