「豊川海軍工廠」 「工廠」(こうしょう)って最近は耳にすることありませんよね。
旧日本海軍の軍事施設を「工廠」って言います。
豊川にあったのが「豊川海軍工廠」。弾薬兵器工場を中心に90棟以上が立ち並び「東洋一の軍需工場」といわれた巨大な軍事施設です。
その「豊川海軍工廠」が終戦の7日前の1945年8月7日午前 サイパンなどから飛来した米軍のB29爆撃機124機の爆撃を受け、
30分間に500ポンド(250kg)爆弾3256発(約800t)が投下され「豊川海軍工廠」は壊滅した。
動員学徒約450人を含む2500人余りが命を落とした。その動員学徒の中にうちの親父の兄もいました。
「豊川海軍工廠」の跡地に2018年6月9日に開園した「豊川海軍工廠平和公園」に一度行ってみたいと思っていた。
整備された綺麗な公園になっています。
残念ながら、「豊川市鄭和交流館」内部は写真撮影NGでしたが、中には、貴重な資料がたくさん展示されていました。
「豊川海軍工廠平和公園」の敷地は「豊川海軍工廠」のほんの北側の一部のみで、実際の「豊川海軍工廠」は公園の40個分位あります。
色々な遺構が残っており、見学する事ができます。
この小高い丘みたいなのは「第一火薬庫」これは当時そのままの建物だそうです。
火薬を保管していた建物で、建物の構造体上にカモフラージュで土をかぶせてあるんだそうです。
他にも水槽跡や、街路灯、防空壕あとなども。
こちらは、「第三信管置場」弾丸の起爆装置「信管」を保管した施設。
この建物は高さ約5mの土塁で囲まれており、土塁内は南側のトンネルを介して出入りするようになっています。
これは、爆発事故が起きた時に周囲に被害が及ばないようにするためだそうです。
今は綺麗に整備された公園となっていますが、爆撃を受けた当時は悲惨な状況だったんだと。
弾薬兵器工場を中心に90棟以上が立ち並んでいたのですが、30分の爆撃で壊滅ですから。
死者が2500人以上、重軽傷者は1万数千人に上り、工場施設の空襲被害としては国内最大だった。
「豊川海軍工廠」も兵器を造る加害の場でもあった。と思うと、やはり戦争は愚かな事なんですよね。
同じことを何回も繰り返す人間って。高度な知能を持っている割にはって思っちゃうんですよね。
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