『12歳男子の作文より。「祖父母の忠告を聞かない父が親に逆らうなと僕に。母を激しく罵倒する父が人には優しくしろと。時間に厳しい父だが時間を守った事など。お金遣いの荒い父が小遣いの使い方を考えろと。人に尊敬される人間になれ、と言う父。あなたはいつそんな人間になるんですか」と。あかん。』
・・・このツイートで様々な反響が。よって、ちょっとだけ後日談を。このお話、実は40年以上前の私の友人の話。この父親は家父長制時代の申し子、長男を床の間に置き大事にした時代。が、この作文を目にした父親はラッキーにも聞く耳を持つお方だった様で、心を改め、この親子、父親他界まで関係は円満。まあ、成功例といえば成功例。知る事により関係が良好になる場合も、悪化する場合も。当事者の器量も少なからず影響が。現代ではこの様な父親、そう多くは。が、わが寺でも『負うた子に教えられて浅瀬を渡る』ケースはちらほらと。
・・・時折檀家さんから「法話で全ての問題を網羅する事が出来るか」と問われる事が、「無理です」と。法話は語り手よりも聞き手の方が大事。数学で言うところの『公式』と同じ。当てはめて応用の道具として使用出来るかどうかが鍵。『結婚式のスピーチと坊主の説法は短いほど有難い』と。その短い話の奥には必ず隠れた含み言葉が。親が後ろ姿で子を育てるに似たり。これは人間関係全てにおいて言えるでしょうね。学校の講演会では常に生徒達に「読解力を身につけるために様々な本を」と。
長々とご容赦を。
(追伸)本文末尾の「あかん」は自他共に様々な意味合いが。