昨日は従兄の訃報、葬儀関連は東京で7日と8日との事、彼の実家の方
で 行ってくれるため、お供えなど託けることとなりました。
今日は1週間ほど前に救急車で日赤病院へ運ばれた叔母を見舞いに親戚
のTさんと伊勢市の日赤へと行きました。
わたしの母の妹で唯一残っている叔母です。母の兄弟は当時としては少な
く、男2人、女2人で、弟二人は結核とガンでそれぞれ20歳、51歳で亡くなっ
ています。母は明治30年生まれで89歳でかなり長生きでしたが、妹の叔母
は97歳です。
この叔母も若い頃は肺浸潤、今も5年ほど前に心臓のペースメーカーを
入れています。さほど丈夫なほうではなかったようですが、寿命は分からない
です。、息子3人とお嫁さんとが病院の付き添 いです。
母、叔母共に背も高く(細身でしたが)大柄でしたが、97歳では小さくなり
顔も小さくわたしの母に似ていました。わたしも100歳近くになればこん
な顔になるのかとふっと思いました。
叔母は頭の方はしっかりしていて、話も分かるようでホットしました。
「言いたいことが、いっぱいあるけれど・・・」と言葉に出したり、手で書く
真似をして、手を振り書けないとしぐさをしていました。 思ったことが話せ
ない、文字も書けないのが辛そうで涙が出ました。とても賢い人でした。
叔父の務めの関係で戦前は蒙古に行き、終戦の年の12月に三人の子
と引揚げ、一人は途中で亡くなったのでした。戦後こちらで生まれた子ども
も山(西穂高)で滑落死、一人娘を2年前にガンで亡くし哀しみもいっぱい
背負って生きてきました。
「十分生きてきた。」と言葉に出していました。100まで生きられるかな
との思いで帰りました。