「戦争」と言う言葉を耳にするだけでも、私には涙が出るほどです。
サイパン、硫黄島など南の島は全てに陥落、沖縄も玉砕という戦局にあ
って、本土広島、長崎に原子爆弾が投下されるまで日本が負けるなど、子ど
ものころには思わなかった10歳のわたしでした。
しかし67年前の今日、天皇陛下の玉音放送で「敗戦」を知りました。
原子爆弾については
「今度の爆弾は新型爆弾で、黒い服を着ているといけない。」と言う情報
は伝わっていました。
太平洋戦争勃発当初からアメリカには勝てない軍事力だったのですから
負けることが分かっていての戦争でした。そのために幾多の若者が兵士と
してかりだされ無残な最期を遂げているのです。日本本土でも度々の大空襲
で焦土となり命を落としています。(その最たるのが広島、長崎そして沖縄)
また直接戦争には関係のない南方諸島の住民、中国、朝鮮(韓国)をも
巻き込んでいたから多大の賠償を未だに要求される日本です。
戦時下にあってわたしは田舎への疎開で空襲はあったものの直接
爆撃での被害は受けてはいません。食糧難の時代でも買出しに行かずと
も生産物で間にあっていました。ですから大都会で空襲で孤児となったり、
住まいを失くす悲嘆は知らずに済みました。
ただわたしの場合は二人の兄が戦死と最も悲しむべき現実でしたから、
両親の苦しみは如何ばかりだったか計り知れない思いは未だに消えませ
ん。私自身も戦争によって運命は変わったと言う思いです。
平和な世の中にどっぷりと居座っていると、遠い遠い昔の話となってしま
いますがこの思いはお墓に入るまで背負っていくことになるでしょう。
今日はテレビで全国戦没者追悼式が行なわれていました、12時、わた
しも謹んで黙祷を捧げました。
甲子園高校野球
三重松坂高校×倉敷商業でした。 3:2で勝っていると思ったものの
8回に6点を一挙に入れられ結果は8:3で初戦敗退でした。魔の8回
だったようです。・・・・この時間はテレビで慰霊祭を見ていました。・・・・