イエス・キリストは弟子たちの質問に答え、ご自分の臨在と事物の体制の終結の前に生じる複合的なしるしの大預言をされました(マタイ24:3~14)。一連の話の中で、イエスは弟子たちに「ずっと見張っていなさい」と忠告をされました(マタイ24:42)。イエスはさらに弟子たちに、「天(神)の王国は、自分のともしびを持って花婿を迎えに出た十人の処女のようになります」と、たとえ話を用い、クリスチャンたちは霊的な備えを怠らないように、注意深く話を進められました。十人の処女の内、5人は思慮深い処女であり、5人は愚かな処女でした。イエスは、たとえ話を用い5人の思慮深い処女のようになることを励まされました(マタイ25:1~12)。これらのたとえ話による教訓を述べた後に、イエスは今日紹介する聖句の警告の言葉を告げられました。
「それゆえ、ずっと見張っていなさい。
あなた方は、その日もその時刻も知らないからです」(マタイ25:13)。
イエスは、何をずっと見張っているように告げられたのでしょうか。イエスはこの事物の体制の終結の前に生じる複合的なしるしを予告し、天の王国、つまり神の王国が地上に実現する時のたとえ話の中で、5人の思慮深い処女の様に霊的な備えを怠らないように忠告されています。
イエスが明らかにされているように、何年何月何日にこの事物の体制が終結するとは教えられず、生じる複合的なしるしを明らかにされました。この地上に何時神の王国が到来するのかについても、王国の花婿、つまりイエス・キリストの到着についても、いつであるかの時を明らかにされませんでした。また続くタラントの例え話を通しても、イエスの到着は「長い時を経たのち」であることを明らかにされています(マタイ25:14~30)。ですから、「ずっと見張っている」ことには、イエスの予告された1914年以降に生じる複合的なしるしの推移、及び、霊的な備えの必要と忠実に霊的な働き・神の王国の良いたよりを宣べ伝える、真のクリスチャンの業を行っているかどうかが含まれています(マタイ24:14)。
私たちがイエスの教えられた通りに、さらに「ずっと見張って」いなければならないのは、聖句は次のように明らかにしているからです。「人々が、「平和だ、安全だ」と言っているその時、突然の滅びが・・・臨みます」(テサロニケ第一5:3)。私たちは世界の政治、経済の推移・変化もずっと見張っている必要があるのです。皆様方もみ言葉に注意を払うことは賢明な事なのです。
路地ものの トマトの香り 豊かなり 今日の一句
曇り空の下で、近くに咲いている「サルスベリ」
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