サウル王はダビデの命を狙い、ダビデが、その邪悪なサウル王の命を奪う機会がしょうじましたが、そでもダビデはサウル王の命を容赦しました。その時のダビデの温和な義の言葉によって、サウル王悔い改め、ダビデと平和の契約を結びました(サムエル第一24:1~22)。しかし、サウルの悔い改めは偽りでした。邪悪なサウル王は再びダビデの命を狙ってダビデを追いました。サウル王は夜陣営の中で槍を頭の傍らに立て、眠っていました。再びダビデは眠っている邪悪なサウル王の命を奪う機会が生じましたが、証拠にその槍のみを奪ってその場を去りました。ダビデは再びサウルの命を容赦したのです。ダビデはその後、サウルに「エホバこそ、各々に対して各自の義と忠実さとに報いてくださる方」と、述べ、エホバが「私をすべての苦難から救い出してくださいますように」と、エホバに依り頼む全き信仰、義を示したのです(サムエル第一26:1~25)。しかし、そのダビデも心の中で、邪悪なサウル王によって「一掃されるだろう」と言い、フィリステア人の地に逃れました。それでも、ダビデは一貫し、神エホバのご意志の善を行いました(サムエル第一27:1~4;30:1~30)。一方、悔い改めが偽りだったサウル王は、どのような悲惨な結末を迎えたのか、聖書のサムエル第一に、次のように記されています。
「さて、フィリステア人とはイスラエルと戦っていた。イスラエルの人々はフィリステア人の前から逃げ去り、ギルボア山で打ち殺されて次々に倒れていった。そして、フィリステア人はサウルとその子らに追い迫って来た。フィリステア人はついにサウルの子らであるヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを討ち倒した。そして、戦闘はサウルに対して激しくなり、射手たち、弓を持つ者たちはついに彼(サウル)を見つけた。彼(サウル)は射手たちによってひどい傷を負った。それでサウルはその武具持ちに言った、「お前の剣を抜き、それでわたしを刺し貫いてくれ。これら割礼を受けていない者ども(フィリステア人)がやって来て、、わたしを刺し貫き、わたしをむごく扱うようなことが決してないためだ」。ところが、その武具持ちはそうしょうとしなかった。非常に(王を刺し通すことは)恐れていたのである。そこで、サウルは剣を取って、その上に突っ伏した。その武具持ちはサウルが死んだのを見ると、自分もまた剣の上に突っ伏して、彼(サウル)と共に死んだ。こうしてその日、サウルと彼の三人の息子とその武具持ち、それに彼(彼)の部下たちも共々に死んだ。低地平原の地域やヨルダンの地域にいたイスラエルの人々は、イスラエルの人々が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、諸都市を捨てて逃げるようになり、その後、フィリステア人が入って来て、そこに住むようになった(サムエル第一31:1~7)。
その後、サウルとその三人の息子の城壁にくくり付けられた遺体は、勇敢なイスラエル人が立ち上がり、城壁から取り外し、埋葬し、7日間断食をしたことが記されています(サムエル第一31:8~13)。
上の聖句の記録の通り、サウル王は自分のまいたものを刈り取る結果の、悲惨な最期を遂げたのです(ガラテア6:7)。サウル王の3人の息子たちもサウルと共に滅びを被ったのです。その状況を知ったダビデは、サウル王とその子ヨナタンのために哀歌を詠唱したその内容がサムエル第二1:17~27に記されています。その後ダビデはイスラエルの王になりました(サムエル第二2:4)。
ダビデは、サウル王に命を狙われる苦難に直面しても、いつもエホバのご意志を行い、善を行い続け、エホバから祝福を受けました。あなたも、ダビデの模範に見倣う方々のお一人であれば幸いです。
かいつぶり 来ぬ池になり 里変化 今日の一句
切り花の「菊」
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