神エホバは、イザヤを通して偶像崇拝の愚かさを際立たせて教えられました(イザヤ46:7)。科学や文明や情報の発達した現在社会でも偶像崇拝が蔓延していますので、イザヤ書から教訓を学びたいものです。
神エホバは、イザヤを通して偶像崇拝が無益であることを明らかにした後、今度はご自分の契約下の民に、唯一まことの神であるご自分に仕えるべき理由を次のように教えられました。
「「こうした事柄(偶像は誰おも苦難から救えないこと)を思い起こし、勇気を出しなさい。(偶像う崇拝の)違反を犯す人たちよ、それ(違犯)を心に留めなさい。ずっと昔の事柄を思い起こしなさい。私(エホバ)が神であり、ほかにはいないことを。私(エホバ)が神であり、私(エホバ)のような者は誰もいない」」(イザヤ46:8,9)。
真の崇拝と偶像礼拝の間でふらついている人々は、歴史上の出来事を思い出すべきでした。神エホバは約束通り何を行われて来たかを思い起こし、心に銘記すべきなのです。そうすれば、勇気を奮い起こし正しい事柄を行い、神エホバへの崇拝に戻ることができたでしょう。
上の聖句の励ましの言葉は、今日でも有効です。当時の神エホバの契約下のイスラエル人と同様、誠実なクリスチャンは様々な誘惑や自分自身の不完全さと闘わなければなりません(ローマ7:21~24)。その上、目に見えない非常に強力な敵・悪魔サタンの策略との霊的な闘いも避けられません。使徒パウロはこのように述べています。「・・・この闇の世の支配者たち、天にいる邪悪な天使(悪魔サタン)の勢力と闘っています」(エフェソス6:12)。この邪悪な悪魔サタンとその勢力との闘いに勝利するには、神エホバの言葉の武具を身に装備することによってのみ、勝利ができます(エフェソス6:11)。古代のイスラエルの例から教訓を学び、神エホバの目から見て正しいことを行うための闘いにおいて、決してふらつかないように決意したいものです(コリント第一10:11)。
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