城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

終活について考える 20.3.3

2020-03-03 20:44:03 | 地域のこと他
 3月2日に久しぶりに能郷白山に行くつもりだった。1日にほとんど冬のフル装備を準備し終わったところ、親戚から思いがけず、かねて施設に入っていた義父が亡くなったとの知らせを受けた。通夜は2日、告別式は3日とのことだった。否応なくE氏に断りの連絡を入れた。1日に弔問に行き、葬儀は家族葬で行うと告げられた。かつて町内でも家族葬と告げられていたが、実際普通の葬儀であったことがある。家族葬も定義はあいまいで、実際は「地味葬」「簡易葬」というのから故人の子ども、兄弟に絞る場合など実に幅が広い。今回の場合は、子ども、親戚、兄弟(甥、姪等含む)が参列者で、祭壇も花を中心とするものであった。

 通夜も主唱寺の導師(実は我が家はこの寺の檀家。ただし男だけで女は別の寺の檀家)により短時間で済んだ。翌日の告別式も比較的短時間で済み、その後引き続き初七日。これには少し驚いた。普通、告別式が過ぎ、野送りが済んでから行われるものと思っていた(もちろん初七日を告別式の後で行うのも簡素化の一環であるが)。初七日の後、出棺そして収骨は普通。このように随分、簡素化されつつある。故人が90歳代ともなれば、すでに子どもも第一線を退いていることが多く、自宅で長く介護ましてや施設に入居していれば地位との縁も薄くなっている。したがって、家族葬や簡単葬が増えるのは当たり前ということになる。

 さて、古希ともなれば自分の終活を考えざるを得ない。ではどのような弔いをして欲しいのだろうか。私の場合、退職して10年以上経っている。地域との縁は色々な役職をやらされているので深い。しかし、やはり家族葬しかもできれば子どもと孫だけで良いと思っているが、そうすると親戚との間で余計な摩擦を引き起こすこともあるかもしれないので、今一歩決断できない。2月16日に中村伸一医師(プロフェッショナルに出演した有名人)の講演会「エンディングノートから始める人生会議ー今から始める『いってきます』の準備」を昨年に続き聴いてきました。実際にエンディングノートを渡されて、それぞれ書く時間も与えられました。特にお世話になった人へのメッセージ(私の場合は家内を想定)は難しいですね。気恥ずかしい気持ちでありきたりの言葉を書きました。

 亡くなった故人、彼は2回の脳梗塞を患いましたが、懸命にリハビリに努めた方でした。そして自宅で嫁の世話になることを嫌い(仲が悪かったということではありませんので念のため)、施設入所を希望しました。ある意味、人生の終盤においてはっきりした意思をしめしたともいえます。我が家の老母も最初の頃は介護が大変になったら施設でいいよと言っていました。ところが、今はショートステイに送り出すのさえ、少し苦労してような状況です。


 中村医師が出たプロフェッショナルで見た感動的な場面が今でも浮かびます。終末期の男性が自宅で桜の開花を見たいと家族に告げました。しかし、病状から判断するととてもそれまでもたないと思われましたが、奇跡か開花に間にあったのです。その開花を見届けて安らかに旅だっていかれました。こんな格好いい死に方をしたいなあと思っています。

 
コメント
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