新型コロナの蔓延により、旅行中でも海外旅行は難しくなっている。加えて日本経済の衰退により、為替レートは円安のままであるから、海外に出かけるには、かつてなくお金がかかるようになってきた。一方で、外国の人々にとっては、日本の物価は安く、お買い得商品、サービスに溢れていることになる。一時期、スペインあるいは南米に行ってみたいと思っていた。そのために、ラジオのスペイン講座を数年聴いていた。生憎その願いはコロナ及び年をとったことによる出不精によって減退しつつある。ヨーロッパだと最低でも11時間狭い空間に押し込められる。そこに時差による睡眠不足、さらには旅の後半になると必ず胃腸の不調に悩まされる(食べ過ぎが原因だと分かっているのだが、つい食べ過ぎてしまう)ので、これを覚悟しなければならない。さらに連れ合いは、海外よりも温泉のある国内を希望していて折り合わない。
そんな時に福岡伸一著「生命海流ーGALAPAGOS」に出会った。この本には著者のほプロの自然写真家も随行していることもあり生き物写真はもちろんのこと借り上げた船(マーベル号)の乗組員、料理なども掲載されており、十分行った気にはなる。
副題からもわかるように、南米エクアドルの西の太平洋上にあるガラパゴス諸島(名前の付いている島123、主要な島だけでも13島、しれが関東地方くらいの範囲に分布)の紀行文である。この著者は生物学者、かつての昆虫好き少年で、彼の書く文章はわかりやすく、かつ面白いので、是非読んでみて欲しい。ちなみにここを観光で訪れようとすると日数で9日間、費用50~60万円くらい最低でもかかるようである(もちろん今はコロナで行くことはできないと思うが)。
(中の地図)南米大陸から1000km離れている、(左)海イグアナ(右)ガラパゴスゾウガメ いずれもガラパゴスを代表するは虫類である
さて、著者はどのような旅を計画したのであろうか。1835年にイギリスの軍艦ビーグル号(排水量242トン、軍人70余名が乗船)が訪れたガラパゴス諸島、この時訪問した島々に上陸する計画だった。そしてこの船には、後に「種の起源」として結実することになる22歳のダーウィンが船長のコネで乗船していた。だから著者はここへ是が非でも、そしてビーグル号のたどった航路で行ってみたかったのである。この本前書きが長いがさすがに飽きさせることはない。最初テレビ局の仕事でここに行く計画(有名タレントに説明する役回りの生物学者)もあったが、著者の意向もありこれは破談。あきらめかけていたところに今回スポンサーとなった出版社(朝日出版社)の有名編集者との出会い等モあり、実現の運びとなった。
ダーウィンはこの時、進化論の構想は全く心の中に準備されていなかった。ダーウィンは島々に分布する「フィンチ」(文鳥やカナリヤの仲間)を持ち帰った(今では生き物ばかりでなく無生物も持ち出し禁止で持ち出せば刑務所いきとなる、南米の刑務所はとても怖いとも書いてある)。硬い実を割るフィンチは太くて硬いくちばし、一方細い穴から虫を掘り出すフィンチは細長くて繊細なきちばしを持っている(以前テレビで見た)。この時ダーウィンは環境に適応し進化したものだとは考えていなくて、全く別の種だと考えていた。
フィンチ右が太いくちばし、左が細いくちばし
ガラパゴスの謎が三つあるそうです。一つはこの島に生息する奇妙な生物たちはどこから来たのか。そしてなぜこのような特殊な進化を遂げたのか。一番近い南米の大陸からも海上1000km離れている。ガラパゴスゾウガメは甲羅の長さ1m、体重数百kgだが、その祖先といわれるリクガメはもっと小振り、しかもガラパゴスの方が環境が厳しいにもかかわらず。おなじみのイグアナ、海イグアナと陸イグアナでは生息環境が全く違うが、交雑することがたまにある(子どもはできないそうだが)。二つ目は誰がガラパゴスを発見したのか。スペインから南米インカに派遣された伝道師の船が漂着したのが1535年だが、それ以前に到達した人がいるのではないか。そして三つ目は1535年から300年世界史の中から忘れ去られていたこと。エクアドルが独立したのは1830年、そのすぐあとガラパゴスの領有を宣言した。ビーグル号到着のわずか3年前だった。
最後にガラパゴスの生き物たちは人間を怖れない。なぜだろうか?伝説ではガラパゴスの生き物たちが人間世界から隔絶されており、人間をよく知らず、人間の恐ろしさに無知だからという説だ。ダーウィンは人間の脅威というものが学習されていない。人間の恐怖を経験しても、それが世代を超えて伝承されるためには膨大な時間がかかると考えた。著者は、こう考えた。すなわち、人間を怖れないどころか、人間に興味を持つような行動を示すのは、ガラパゴスの生き物たちには「余裕」があり「遊び」を知っているからだと。その理由はこの諸島へ来ることができたものは、そもそも選ばれし生き物であり、熱や乾燥に強く、植物性のそれもごく限られた貧しい餌に耐え、水もわずかしか必要としない生き物。ゆえにこの諸島では大陸で起きているような生存競争とは無縁の世界である。だから余裕、遊びが出てくる。なんとも羨ましいような環境ではないか。著者の言葉、ガラパゴスはあらゆる意味で進化の最前線であり、本来の生命の振る舞いを見せてくれる場所なのである。
※以下はおまけ。今日の早朝里でも雪が降った。冬靴を履き、いつもの城台山から城ヶ峰まで足を伸した。去年の里の雪はブログによると12月16日だった。
揖斐小から城ヶ峰 8:51
一心寺 9:01
城ヶ峰(351.5m) 9:50
城台山から池田山 10:20(帰り) ⒉回目か3回目の冠雪
そんな時に福岡伸一著「生命海流ーGALAPAGOS」に出会った。この本には著者のほプロの自然写真家も随行していることもあり生き物写真はもちろんのこと借り上げた船(マーベル号)の乗組員、料理なども掲載されており、十分行った気にはなる。
副題からもわかるように、南米エクアドルの西の太平洋上にあるガラパゴス諸島(名前の付いている島123、主要な島だけでも13島、しれが関東地方くらいの範囲に分布)の紀行文である。この著者は生物学者、かつての昆虫好き少年で、彼の書く文章はわかりやすく、かつ面白いので、是非読んでみて欲しい。ちなみにここを観光で訪れようとすると日数で9日間、費用50~60万円くらい最低でもかかるようである(もちろん今はコロナで行くことはできないと思うが)。
(中の地図)南米大陸から1000km離れている、(左)海イグアナ(右)ガラパゴスゾウガメ いずれもガラパゴスを代表するは虫類である
さて、著者はどのような旅を計画したのであろうか。1835年にイギリスの軍艦ビーグル号(排水量242トン、軍人70余名が乗船)が訪れたガラパゴス諸島、この時訪問した島々に上陸する計画だった。そしてこの船には、後に「種の起源」として結実することになる22歳のダーウィンが船長のコネで乗船していた。だから著者はここへ是が非でも、そしてビーグル号のたどった航路で行ってみたかったのである。この本前書きが長いがさすがに飽きさせることはない。最初テレビ局の仕事でここに行く計画(有名タレントに説明する役回りの生物学者)もあったが、著者の意向もありこれは破談。あきらめかけていたところに今回スポンサーとなった出版社(朝日出版社)の有名編集者との出会い等モあり、実現の運びとなった。
ダーウィンはこの時、進化論の構想は全く心の中に準備されていなかった。ダーウィンは島々に分布する「フィンチ」(文鳥やカナリヤの仲間)を持ち帰った(今では生き物ばかりでなく無生物も持ち出し禁止で持ち出せば刑務所いきとなる、南米の刑務所はとても怖いとも書いてある)。硬い実を割るフィンチは太くて硬いくちばし、一方細い穴から虫を掘り出すフィンチは細長くて繊細なきちばしを持っている(以前テレビで見た)。この時ダーウィンは環境に適応し進化したものだとは考えていなくて、全く別の種だと考えていた。
フィンチ右が太いくちばし、左が細いくちばし
ガラパゴスの謎が三つあるそうです。一つはこの島に生息する奇妙な生物たちはどこから来たのか。そしてなぜこのような特殊な進化を遂げたのか。一番近い南米の大陸からも海上1000km離れている。ガラパゴスゾウガメは甲羅の長さ1m、体重数百kgだが、その祖先といわれるリクガメはもっと小振り、しかもガラパゴスの方が環境が厳しいにもかかわらず。おなじみのイグアナ、海イグアナと陸イグアナでは生息環境が全く違うが、交雑することがたまにある(子どもはできないそうだが)。二つ目は誰がガラパゴスを発見したのか。スペインから南米インカに派遣された伝道師の船が漂着したのが1535年だが、それ以前に到達した人がいるのではないか。そして三つ目は1535年から300年世界史の中から忘れ去られていたこと。エクアドルが独立したのは1830年、そのすぐあとガラパゴスの領有を宣言した。ビーグル号到着のわずか3年前だった。
最後にガラパゴスの生き物たちは人間を怖れない。なぜだろうか?伝説ではガラパゴスの生き物たちが人間世界から隔絶されており、人間をよく知らず、人間の恐ろしさに無知だからという説だ。ダーウィンは人間の脅威というものが学習されていない。人間の恐怖を経験しても、それが世代を超えて伝承されるためには膨大な時間がかかると考えた。著者は、こう考えた。すなわち、人間を怖れないどころか、人間に興味を持つような行動を示すのは、ガラパゴスの生き物たちには「余裕」があり「遊び」を知っているからだと。その理由はこの諸島へ来ることができたものは、そもそも選ばれし生き物であり、熱や乾燥に強く、植物性のそれもごく限られた貧しい餌に耐え、水もわずかしか必要としない生き物。ゆえにこの諸島では大陸で起きているような生存競争とは無縁の世界である。だから余裕、遊びが出てくる。なんとも羨ましいような環境ではないか。著者の言葉、ガラパゴスはあらゆる意味で進化の最前線であり、本来の生命の振る舞いを見せてくれる場所なのである。
※以下はおまけ。今日の早朝里でも雪が降った。冬靴を履き、いつもの城台山から城ヶ峰まで足を伸した。去年の里の雪はブログによると12月16日だった。
揖斐小から城ヶ峰 8:51
一心寺 9:01
城ヶ峰(351.5m) 9:50
城台山から池田山 10:20(帰り) ⒉回目か3回目の冠雪