梅雨の最中、少し暗い話題になることをご容赦いただきたい。映画をほとんど見ない私が、なぜか見た映画の一場面がこれからお話しする本を読んでいて、すぐに浮かんだ。この映画、本当に不条理な映画だった。息子と暮らす女性セルマは、工場で働いていたが、視力が急速に失われ、その結果失職した。さらには同じ病気の息子のためにためたお金が自宅に侵入した警察官により奪われ、その際に誤って警官を殺してしまった。その結果、セルマは絞首刑を言い渡され、執行の当日大勢の関係者の見守る中で、刑が執行された。
国連人権委員会は日本政府に対し、死刑制度を見直すよう何回も勧告している。これに対し、政府は日本の世論が死刑制度を支持しているとの理由で維持することを主張している。確かに世論が死刑制度を支持しているのは事実である。しかし、死刑を廃止した国の中で世論の意向により、廃止した国はないことも事実である。廃止は、政府当局の強い意思のもとで、世論の反対があるにもかかわらず行われたというのが真実に近い。
主要な先進国の中で、死刑制度を維持しているのは、アメリカと日本。アメリカは州により事情が違う。廃止している州もあるし、制度としてはあるが執行停止しているところもある。韓国も制度はあるが、すでに長く執行されていない。このアメリカとの比較をしながら、日本の死刑制度の持つ問題点を分かりやすく述べたのが、デイビッド・T・ジョンソン著「アメリカ人のみた日本の死刑」(岩波新書)。新書の形でなぜ岩波書店はこの本を出したのかということも興味がある。たくさんの日本人に読んでもらいたいと考えたのか。
比較の中で日本の特異な点が浮かび上がる。まず、死刑を科する時も、単純な多数決、裁判官3名、裁判員6名で構成されるから裁判官1名を含む5名で決定される。すなわち、日本は死刑は、特別の手続きを要するものでないことに著者は驚く。アメリカでは陪審員が一致しないと死刑と決定できない。さらに、判決後の秘匿性が際立っている。いつ刑が執行されるか受刑者はもちろんわからない。執行当日の朝、お迎えが来たと告げられる。執行には検察官、刑務官などきわめて限られた人間しか立ち会うことができない。セルマのように多くの観衆の中での執行が良いかというとにわかには賛成できない(自身としては見たくない)。法務大臣として執行に立ち会った千葉景子氏は、耐えがたい光景であったと証言している。
しかし、問題は国家がこのように死刑制度の実態を隠してしまうと、賛否の正しい議論ができないことである。憲法は、残虐な刑の執行を禁止している。過去、日本の裁判で絞首刑が憲法違反になるとの疑義が弁護側から出されたことがある。しかし、いずれも受忍限度を超えるものでないと判決されている。誰も見たことがないような執行現場であるにもかかわらず。アメリカでは、絞首刑、電気ショックなどを経て薬物による刑が執行されている。これは受刑者の苦しむ様を多くの者が見ていることが影響していると思われる。アメリカでは薬物注射という比較的安楽な方法になったことにより、かえって死刑の廃止が難しくなったという事情もある。
日本にはえん罪を究明するための正式な組織がない。国家は間違えないことを前提にしているようだが、どこの国でもえん罪はしばしば起こる。死刑の場合、刑が執行されてしまえば、無実を証明する道は閉ざされる。裁判員制度の導入により、日本において死刑制度が見直しになる可能性を著者は期待したが、今のところそのような事態は起こっていない。また、被害者遺族の参加により、厳罰化が進んでいると著者は指摘する。死刑支持の世論が、復讐や償いの感情からくるものであるという著者の指摘は心にズシリと響いてくる。ここに書いたこと以外にも今まで考えてこなかったことが満載されている。是非、一読されたい。
国連人権委員会は日本政府に対し、死刑制度を見直すよう何回も勧告している。これに対し、政府は日本の世論が死刑制度を支持しているとの理由で維持することを主張している。確かに世論が死刑制度を支持しているのは事実である。しかし、死刑を廃止した国の中で世論の意向により、廃止した国はないことも事実である。廃止は、政府当局の強い意思のもとで、世論の反対があるにもかかわらず行われたというのが真実に近い。
主要な先進国の中で、死刑制度を維持しているのは、アメリカと日本。アメリカは州により事情が違う。廃止している州もあるし、制度としてはあるが執行停止しているところもある。韓国も制度はあるが、すでに長く執行されていない。このアメリカとの比較をしながら、日本の死刑制度の持つ問題点を分かりやすく述べたのが、デイビッド・T・ジョンソン著「アメリカ人のみた日本の死刑」(岩波新書)。新書の形でなぜ岩波書店はこの本を出したのかということも興味がある。たくさんの日本人に読んでもらいたいと考えたのか。
比較の中で日本の特異な点が浮かび上がる。まず、死刑を科する時も、単純な多数決、裁判官3名、裁判員6名で構成されるから裁判官1名を含む5名で決定される。すなわち、日本は死刑は、特別の手続きを要するものでないことに著者は驚く。アメリカでは陪審員が一致しないと死刑と決定できない。さらに、判決後の秘匿性が際立っている。いつ刑が執行されるか受刑者はもちろんわからない。執行当日の朝、お迎えが来たと告げられる。執行には検察官、刑務官などきわめて限られた人間しか立ち会うことができない。セルマのように多くの観衆の中での執行が良いかというとにわかには賛成できない(自身としては見たくない)。法務大臣として執行に立ち会った千葉景子氏は、耐えがたい光景であったと証言している。
しかし、問題は国家がこのように死刑制度の実態を隠してしまうと、賛否の正しい議論ができないことである。憲法は、残虐な刑の執行を禁止している。過去、日本の裁判で絞首刑が憲法違反になるとの疑義が弁護側から出されたことがある。しかし、いずれも受忍限度を超えるものでないと判決されている。誰も見たことがないような執行現場であるにもかかわらず。アメリカでは、絞首刑、電気ショックなどを経て薬物による刑が執行されている。これは受刑者の苦しむ様を多くの者が見ていることが影響していると思われる。アメリカでは薬物注射という比較的安楽な方法になったことにより、かえって死刑の廃止が難しくなったという事情もある。
日本にはえん罪を究明するための正式な組織がない。国家は間違えないことを前提にしているようだが、どこの国でもえん罪はしばしば起こる。死刑の場合、刑が執行されてしまえば、無実を証明する道は閉ざされる。裁判員制度の導入により、日本において死刑制度が見直しになる可能性を著者は期待したが、今のところそのような事態は起こっていない。また、被害者遺族の参加により、厳罰化が進んでいると著者は指摘する。死刑支持の世論が、復讐や償いの感情からくるものであるという著者の指摘は心にズシリと響いてくる。ここに書いたこと以外にも今まで考えてこなかったことが満載されている。是非、一読されたい。