城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

映画ダンサー・イン・ザ・ダークの一場面が今でも 19.6.15

2019-06-15 17:07:28 | 面白い本はないか
 梅雨の最中、少し暗い話題になることをご容赦いただきたい。映画をほとんど見ない私が、なぜか見た映画の一場面がこれからお話しする本を読んでいて、すぐに浮かんだ。この映画、本当に不条理な映画だった。息子と暮らす女性セルマは、工場で働いていたが、視力が急速に失われ、その結果失職した。さらには同じ病気の息子のためにためたお金が自宅に侵入した警察官により奪われ、その際に誤って警官を殺してしまった。その結果、セルマは絞首刑を言い渡され、執行の当日大勢の関係者の見守る中で、刑が執行された。

 国連人権委員会は日本政府に対し、死刑制度を見直すよう何回も勧告している。これに対し、政府は日本の世論が死刑制度を支持しているとの理由で維持することを主張している。確かに世論が死刑制度を支持しているのは事実である。しかし、死刑を廃止した国の中で世論の意向により、廃止した国はないことも事実である。廃止は、政府当局の強い意思のもとで、世論の反対があるにもかかわらず行われたというのが真実に近い。

 主要な先進国の中で、死刑制度を維持しているのは、アメリカと日本。アメリカは州により事情が違う。廃止している州もあるし、制度としてはあるが執行停止しているところもある。韓国も制度はあるが、すでに長く執行されていない。このアメリカとの比較をしながら、日本の死刑制度の持つ問題点を分かりやすく述べたのが、デイビッド・T・ジョンソン著「アメリカ人のみた日本の死刑」(岩波新書)。新書の形でなぜ岩波書店はこの本を出したのかということも興味がある。たくさんの日本人に読んでもらいたいと考えたのか。

 比較の中で日本の特異な点が浮かび上がる。まず、死刑を科する時も、単純な多数決、裁判官3名、裁判員6名で構成されるから裁判官1名を含む5名で決定される。すなわち、日本は死刑は、特別の手続きを要するものでないことに著者は驚く。アメリカでは陪審員が一致しないと死刑と決定できない。さらに、判決後の秘匿性が際立っている。いつ刑が執行されるか受刑者はもちろんわからない。執行当日の朝、お迎えが来たと告げられる。執行には検察官、刑務官などきわめて限られた人間しか立ち会うことができない。セルマのように多くの観衆の中での執行が良いかというとにわかには賛成できない(自身としては見たくない)。法務大臣として執行に立ち会った千葉景子氏は、耐えがたい光景であったと証言している。

 しかし、問題は国家がこのように死刑制度の実態を隠してしまうと、賛否の正しい議論ができないことである。憲法は、残虐な刑の執行を禁止している。過去、日本の裁判で絞首刑が憲法違反になるとの疑義が弁護側から出されたことがある。しかし、いずれも受忍限度を超えるものでないと判決されている。誰も見たことがないような執行現場であるにもかかわらず。アメリカでは、絞首刑、電気ショックなどを経て薬物による刑が執行されている。これは受刑者の苦しむ様を多くの者が見ていることが影響していると思われる。アメリカでは薬物注射という比較的安楽な方法になったことにより、かえって死刑の廃止が難しくなったという事情もある。

 日本にはえん罪を究明するための正式な組織がない。国家は間違えないことを前提にしているようだが、どこの国でもえん罪はしばしば起こる。死刑の場合、刑が執行されてしまえば、無実を証明する道は閉ざされる。裁判員制度の導入により、日本において死刑制度が見直しになる可能性を著者は期待したが、今のところそのような事態は起こっていない。また、被害者遺族の参加により、厳罰化が進んでいると著者は指摘する。死刑支持の世論が、復讐や償いの感情からくるものであるという著者の指摘は心にズシリと響いてくる。ここに書いたこと以外にも今まで考えてこなかったことが満載されている。是非、一読されたい。
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早起きは三文の徳 19.6.13

2019-06-13 20:38:16 | 野菜作り
 5月下旬から8月一杯くらいまで、朝畑に行くために早起きする。収穫、草取り、追肥、水やりなどかなりの仕事があるし、だんだんと暑くなると早朝の涼しさの中で仕事するのが一番。また、スイカやカボチャなど人工授粉する場合は、朝の9時頃までが良いとされる。


 まずはスイカ 5月中に実を付けているので、本来なら摘果するべきだが、この後実が付くかわからないので生かした。結果、かなりの大きさになっている。
 写真では実を認識することは難しいかもしれない
 人工授粉も意外と難しい 晴れた朝と雄花・雌花が充実している必要がある。今受粉すると7月中下旬から8月上旬に収穫となる。


 手前からキュウリ、シシトウ、ナス すでに少しずつだが収穫している


 昨日と今日とでジャガイモを収穫した


 カボチャ 種から育てているので、まだ雄花すら咲いていない


 ブルーベリーを初収穫 4本あるので熟したものから順次収穫 すべてジャムにする
 当初、畑で育てていたが、格好の鳥のえさとなったので、自宅の庭で10号の鉢で育てている。結構収穫できる。

トマトは大が4本、ミニが6本。ミニトマトの一部が少し色を変えたが、収穫はまだ先
枝豆の花が咲き出したので、第一回目の追肥をする時期になった
里芋の二回目の追肥もしなければいけない
ブロッコリーの収穫時期が近づいている 相変わらず青虫を見つけて退治する作業続行中
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初めての六甲・荒地山に登る 19.6.9

2019-06-10 13:35:22 | 山登り
今日は、当初の計画では、長野県の大川入山を登る計画であった。リーダーを悩ませたのは、刻々と変わる天気予報。前日の土曜日に実施が決まったものの、その後計画地の降水確率は高まるばかり。出発地の大垣に参加者26名が勢揃いしたものの、中止か強行か賛否が分かれる中、チャーターしたマイクロバスが到着。いまさらキャンセルもできないリーダーは、いまだ梅雨入りしていない西への転進を考えた。
 5時40分大垣を出発、西大垣インターから西へ西へと車は走る。大垣では今でも泣きそうな天気であったが、西に進むうち、少し青空も見えてきた。そうなると現金なもので参加者の会話も弾んでくる。結局、芦屋市から六甲山に登ることになった。しかし、我が会にとって、六甲はなじみが薄い。そこで、O氏など少しは詳しい参加者の出番となった。
 8時40分芦屋川駅の近くから歩き出す。すぐに立派なお屋敷が目に入る。少なくとも岐阜にはこのような高級住宅地はない。敷地内の車の種類も違う。ここへ来ると日本の格差の実態を垣間見ることができる。話を少し変えよう。六甲山とは一体どういう存在なのだろうか。少なくとも、岐阜にたくさんある里山とは違う。まさかここで燃料のまきを収集していたはずはない(もちろん時代をさかのぼれば燃料のため日本の山々は禿げ山ばかりであった。)今や六甲の自然は芦屋の付加価値を高めていることは事実であろう。難しく考えないで、都市に隣接するレクレーションの場だと思えば良い。我々以外にも目の前を多くの登山者が通り過ぎていく。

 出発点

 お屋敷が続く

 右に行くと城山 左は高座ノ滝

 住宅街から城山に登る登山道に入る。

少しひんやりしていて、気持ちが良い。そして、登山道のまわりは自然のままの植生がどこまでも続く。その植生が突然切れる岩場のようなところが散在する。そこからはこれから登る山と神戸港が見渡せる。何となくこの山の持つ価値が少し理解できたような気がする。

 山桃にまつわる歴史の話を聞く

 こんな場所もあった

 鷹尾山を過ぎると荒地山(549m)の登りにかかる。この先キャッスルウォールとの表示があった。そこは岩場が連続する場所であった。参加者の中には初めて経験する岩場ということもあり、ここで大渋滞。岩場に最後はザックを担いだままでは通過が難しい胎内くぐり。私も初めての経験だ。


 ここを過ぎるとすぐに荒地山の山頂に達する。

大勢の登山者もいる中、控えめの恒例の万歳を行う。

昼食後、登ってきた道とは違う道を下ったが、谷まで下ったせいか、その後の登り返しがきつかった。右の方に岩場を登攀する者を見ながら、ロックガーデンを経て、高座ノ滝に到着。行程中、登り下りの登山者の多さにさすが、東の高尾山、西の六甲山と言われるだけのことはあると再認識した次第。

 ロックガーデンと神戸港

 高座ノ滝

 かくして初めての六甲の一角を登れた幸せ、これはリーダーの的確な判断のたまものと思う次第。

行程 大垣5:40→芦屋市出発点8:40→城山9:24→荒地山11:19~12:15→高座ノ滝14:05→出発点14:30

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