城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

石徹白の薙刀山を目指したが 20.3.18

2020-03-18 17:40:26 | 山登り
 この時期の石徹白(郡上市)が最高に好きだ。里では春の陽気だが、800m以上のこの地ではまだ冬の雰囲気が残る。そして何よりも石徹白を囲む魅力的な山々(1600m~1800m野伏、小白山、薙刀、願教寺、銚子ヶ峰、丸山、芦倉山)。和田山にテントを張り、これらの山々のどれかに登れたならば本当に幸せな気持ちになれる。

 まずは未踏の薙刀山(1647m)、できれば野伏ヶ岳(1674m)に縦走できればということで、Eさんを誘い、18日と19日の一泊二日の山行を計画した。しかし、「てんきとくらす」で見る野伏ヶ岳予報では両日とも良いとはならない。前日まで粘ったが、結局18日の日帰りとした。予報では朝雪が残り、その後晴れるとのこと。家を5時前に出発、白鳥あたりでは雪模様、桧峠では除雪車が出て作業中。白山中居神社の駐車場も10cm程の積雪だった。

 白山中居神社駐車場
当初林道は少し雪が残る程度と思っていたが、前夜から朝にかけて降った湿雪に覆われていた。

 林道には日曜日あたりに付けられたものであろう溝(その上に新雪が乗っている)、そして新たなスキーの跡がついていた。途中まで壺足で登るが、やはり先頭はきつい。先頭私が1とするとEさんは2。最後のショートカットをする前にスノーシューを履いた。樹間からは芦倉の秀麗な姿が見えてきた。


和田山牧場跡付近は平坦な道であるが、重い新雪のせいでなかなか進むことができない。後発の単独女性スキーに追いつかれる。彼女も湿雪のことを言っていた。

 牧場跡についた頃の野伏ヶ岳

それでも野伏ヶ岳を目指して登っていった。さらに単独スキーの男性が戻ってきた。彼は野伏ヶ岳の北東尾根を登るつもりであったが、沢に出くわし、この沢を渡ることができなかったということだった。彼はダイレクト尾根の登り口を確かめると言って、我々を追い抜いて行った。

 牧場跡から芦倉山

 私たちは和田山の状況、スノーシューを使っても30cmあるいは40cm沈んでしまう。これでは薙刀どころか野伏にも12時までには届かない。10時時点の判断なのだが、雪の状態が悪すぎる。ともかく私の体力を考え、ここでギブアップすることとした。ダイレクト尾根にあがる斜面の前に池があり、ここで昼食をとり、下ることに決定した。

 この林の奥に池がある
和田山には過去2回来ているが、雪面は堅く、ダイレクト尾根も雪面は緩んでいなかった。しかし、このようなある意味僥倖に恵まれなければ、私の実力では登ることはできないことを痛切に思い知らされた。

 かくして、晴天の山々を後にして、私はすごすごと退散したのであった。しかし、和田山での時間そして初めて長い時間のスノーシューの着用は十分満足できるものであった。実力のあるEさんにつきあってもらったのには最大の感謝を捧げる。お客が少ない「満天の湯」にゆっくり浸かりながら、また来ようと思った。家に帰ると意外な早帰りに驚く家内、そしてその晩のビール、楽しみは続いていた。


 帰る頃の野伏ヶ岳

 銚子ヶ峰方面

 Eさん 奥は大日ヶ岳


 帰る途中林道から見た小白山

コースタイム 白山中居神社7.30→和田山牧場跡10.10→池10:55~11:35→白山中居神社13:35

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出戻りの月一健康山歩クラブメンバーとともに貝月山へ 20.3.14

2020-03-14 13:41:33 | 山登り
 還暦を迎える少し前から山登りを再開した。まずは未踏の富士山、焼岳に登ったが、年に何回もない高い山に登るほかに、月に数回近くの山に登れるような仲間を探していた。家内のつてでHさんが主催している山の会があるということがわかり、そこに参加することになった。その会は、基本は第2週の土曜日、さらにもう一回(第4土曜日か第1土曜日)に美濃、鈴鹿の山を中心に登っていた。メンバーはHさんを除くとほぼ私の年齢の前後の方達であったので、毎回おしゃべりをしながらの山行は楽しかった。そのうちワカンを使っての雪山にも挑戦したが、力量不足で途中までということが多かった。

 その会に大垣山協のOさんが雪山の助っ人のような形で参加されていた。2月に花房山に登ったときのことであった。この時は今の山友のE氏を含む大垣山協グループもこの山に登ろうとしていた。800m付近の痩せ尾根を無事通過できるかが課題であったが、私はワカンでその箇所を渡りきった。山協はE氏がロープを張っていた。しかし、両グループともにここから引き返すことになった。その帰りに目撃したことだが、山協は猪鍋を囲んで楽しそうに昼食を食べていた。E氏にはよくこの時の話をするのだが、その猪の肉を用意したのはご本人であったことが後にわかった。その翌年、いろいろ躊躇したが、もう少し山のレパートリーを増やしたいと思い、O氏の勧めもあって大垣山協に参加することになった。

 古希になり、体力に自信が持てないことから山協をやめ、貝月山から6年ぶりに月一クラブに参加することとなった。そして集合場所に行くと懐かしい顔を大勢見ることが出来た。中には名前を思い出せない方もあった(私は人の名前を覚えることが大の苦手である)。Y氏の「出戻りの方」という紹介も嬉しかった。会長のKさん(Hさんの後継者)の車ほか合計3台15人で貝月山に向かった。2月23日の貝月山のときと同様小雨が降っていた。天気の悪いこともあり、第2リフト終点から歩き出すことになったので、8時避難小屋前に車を停め歩き出した。

 避難小屋から歩き出す

 カッパを着て歩く 私はカッパの上着を忘れたが、雪に変わってきたので、そのまま歩いた

昔のままNさんの話し声が聞こえてくる。いつも話題を提供してくれて、話が尽きない。Mさんも懐かしい。そこら中で写真を撮っている。いつも寡黙のIさん、毎年4回の絵画展を仲間とともに開いているそうだ(確かに以前聞いたが、すっかり忘れていた)。雨はみぞれ、さらに湿雪と変わり、あたりは幻想的な景色に変わってきた。吹きだまりには堅い雪がまだ残っていた。

 小貝月の手前

 小貝月付近

 小貝月を過ぎたあたり

 先月は時間の関係と強い風が吹いていたので、小貝月までだった。今日は貝月山の山頂に立った。

 貝月山山頂 
10時前に到着したので、昼食は避難小屋でとることとなった。そしてKさんの話を帰りに聞かしていただいた。大学時代には剱に足繁く通い、海外にも遠征した。その後すっかり山とはご無沙汰となったが、少し前の冬に貝月山に登ろうとしてあわや遭難という経験をした。低い山を嘗めきったためだと言っておられたが、やはり一歩間違えば死に直面することもあるのである。4月は11日、橫蔵寺から東海自然歩道を通り、妙法岳、華厳寺まで歩く計画、都合がつけば参加しようと思っている。
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昔学校の先生は偉かった 20.3.12

2020-03-12 19:43:43 | 面白い本はないか
 我が家は小学校に隣接しているので、夜遅くまで学校の教室の明かりが付いているのを見るし、運動会シーズンでは長い時間実に賑やかになる。教員が随分忙しくなっているらしいことがわかる(それでも子どもに向き合う時間は減り、事務作業に忙しいとの声は聞く)(教員の場合、残業しても特別手当という定額の額以外の額を受け取ることはない。ある意味「ブラック職場」と言えないこともない。また、中学校では部活というそもそも勤務とならない仕事もある。)一方の運動会については、私は何故ここまで本番に備えて練習を繰り返すのかが理解出来ない。確かに、規律のある運動会にするため練習を繰り返すのだろう。何故ここまでして子ども達を枠の中に入れようとするのか。少々乱れている方が良いとも思うが。保育園での話だが、入園前あるいは直後の子どもは、与えられた自分の席に一時も座ってなどいない。それが、次第に落ち着いてきて、先生の指示にも従うようになる。私の例を出すと、一年生の頃席にじっと座っていることができなくて、よく脱走をしていたようである。それでも学年が進むと落ち着いてきて、振るわなかった成績も人並み以上となってきた。こうした学校のあり方になじむことができない子どもは学校嫌いとなる。

 学校あるいは教育を取り巻く環境はめまぐるしく変わっている。ゆとり教育からの揺り戻し、学力テストの悉皆化、小学校での英語、そして道徳の教科化、教育委員会の力を弱めて首長の権限を強化したことなど。そして、親の先生に対する態度も大きく変わってた。私の親は高等小学校卒、先生は大学又は短大卒(師範学校というのもあった)だったから、親は先生に最大限の敬意を払っていた。できの悪い息子のために盆暮れの贈り物をしていた。しかし、今やかなりの親が先生と同等かあるいはそれ以上の学歴を持つ。おまけに、資本主義の中で教育を商品、サービスと同じものと考えてしまう。教育の難しさは、短期的には本当の評価ができないところにある。もちろん、塾のように短期に成績の向上を目指すところもあるが(アメリカのチャータースクールは、テストにより学校の評価をする。まるで塾同士で競争している状態。)

 少し前書きが長くなってしまった。今日紹介するのは鈴木大裕著「崩壊するアメリカの公教育ー日本への警告」。私たちが描くアメリカの教育は、生徒の個性に合わせてそれを伸ばし、暗記中心ではなく考えさせる教育といったイメージ。ところが、貧しい地区を中心に新自由主義の嵐が吹き荒れ、頻繁なテストの結果により、低学力の学校は廃校となり、かわりに公設民営のチャータースクールに再編される。この過程で教員はより低賃金化されるか、無資格の教員の導入がなされる。結果、民間の教育産業だけが懐を肥やしている。普通に考えれば、低学力の地区はその学校の先生に問題があるというよりもむしろまわりの環境特に家庭に問題があるということになる。大阪の学校が低学力だということでその学校の責任を問うということをいった馬鹿殿がいた。しかし、大阪の低学力はこの地区に生活保護の家庭が多いという事実と密接に結びつく。

 アメリカという国はレーガン以来新自由主義を信奉する国になった(その周回遅れを日本がついていく)。首長権限を強化し、教育委員会の形骸化を図った。その上で市場型の学校選択制を導入した(これは日本でも起こっている)。ジョージ・ブッシュ大統領の時に「落ちこぼれ防止法」が成立し、学力基準に到達しない学校への制裁を義務づけた。その結果、裕福な住民が住むところの学校と貧しい住民が住むところの学校との間に絶望的な格差ができた。これは医療格差と同様でアメリカの中に最先端と低開発国のような状況が同居することとなった。

 現政権はこうしたアメリカの弊害を知っているはずなのに、新自由主義に基づく改革をしようとしている。日本は先進国としては公教育に費やす予算が最低となっている。こんな状態で奮闘している先生達にもっと敬意を払うべきだと思うのだが。最後に著者が書いていることをそのまま引用する。「日本がどれだけ小さいか、そしてその文化がどれだけ豊かで特異なものなのかは、世界に出た者でしかわからないのではないだろうか。(中略)私のアメリカ生活は今年で15年になる。その間、他国へ赴き、文化も言葉も異なる様々な人々とふれあったが、そんな中で私が発見したのは、もしかしたら、「日本」だったのかもしれない。私は強く願っている。日本には経済競争のためのグローバルスタンダードに合わせるのではなく、それに対抗しうる新しい「成功」や「幸せの形を打ち出すことによって、グローバル・スタンダードに疑問を投げかける存在であって欲しい。」

 自民党は一応「保守」政党であるのだから、なんでも改革、改革といっていること自体奇妙奇天烈な珍事なはずだ。改革により大企業ばかりが恩恵を受け、その過程で一般庶民が置き去りにされる。いいかげんに我々も「改革」念仏教から目を覚まさないといけない。




 
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岩岳の急登に喘ぐ 20.3.9

2020-03-09 19:32:16 | 山登り
 2月27日のミノマタから山に行っていない。このままでは「ある程度の山に登れなくなってしまう」という恐れ?もあり、既に計画のあったE氏、ダブルO氏の山行きに急遽参加することになった。なにせ私を除く3人はスーパー60代で3月2日のイソクラの登頂も日帰りの短い時間で成し遂げたメンバーである。このメンバーと登る鈍足のおじさんには結構なプレシャーがかかる。しかし、今日の目的地は岩岳(999m)と聞いているので、2年前の4月に3人で登ったこともあるし、短い時間なので鈍足も我慢していただけると考えた。

 快晴の中、岩岳のふもと旧根尾村の板屋から橋を渡り、右に一軒家を見るとすぐに行き止まり、その手前に一台が停めれるスペースがあるので、ここに駐車(まさかこの駐車にクレームが来るとはこの時は誰も考えなかった。)。

 登山口 Uターン出来る箇所の手前の少し道幅が広がっている路側に車を停める

出発するとすぐに水の取り入れ(管理されている)があり、そこから少し巻き気味に登っていくと標識がある。ここからは植林の中の尾根上の登りとなる。

 ここから尾根上の登り

登り切ると少しなだらかとなるが、登りの後半戦は急登の連続となり汗も噴き出る。幸い地元の山岳会によるロープが要所要所に張られている。中には虎ロープがあるが、これは手袋をしているとつかんでも滑ってしまう。欲を言えば、もう少し太いロープにしていただきたい(過剰な要求だとは思うが)。体は重く、ますます鈍足となる。途中、能郷白山と金草、冠から東の山々が見えてくる。昨日の雨はこれらの山では雪だったのか、きれいな白色に輝く峰峰に感動した。

 能郷白山

 金草から東の山々

登り始めから約2時間待望の山頂に到着した。

岩岳山頂を示す標識は風雪で傷まないようにビニールで包まれていた。東を見ると真っ白な山脈が広がっていた。最初白山と誤認したが、右隣に大きな山塊があることから、鎗穂高の山々であることが判明した。10時過ぎ、少し早めの昼食を取った。

 鎗穂高

 乗鞍

 下山後、駐車した車に「ここに停めないで」という張り紙が張られていた。2年前、ここに停めてクレームはなかった。そこで手前の家を訪ねることにした。そのクレームの主は農作業中だった。彼曰く、橋を渡ってすぐにポールがあったでしょう。そこからは車は入ってはいけないということだった。しかし、簡易水道の水源らしき箇所(もちろんその一軒家の所有かもしれないが)もあるし、今は廃田となっているが水田もあるので、やはりこの道は市道と考えるのが順当。ただし、彼の立場になって考えると、この行き止まりの道に過去に何台も停められたことがあるのかもしれない。そうすると農作業の邪魔になったのかもしれない。

 このパンフレットに岩岳が出てくる そこには駐車は橋を渡った左側の林道の路側にと記載されていた
 このパンフは織部の里においてある

 ダブルOさんには岩岳のあとついでに水鳥から乗越峠にあがり、魚金山を往復する計画があった。最近登ったばかりのEさんと私は所要時間4時間ということもあり、その計画には消極的。乗越峠は橫蔵からは入ることができるが、峠近くは石が道路上に散乱しているらしい。峠から水鳥にはすでに長く通り抜けできていない。林道の入口に行くと、やはり通行止めということであった。この事実におじさんはほっと胸をなで下ろしたのであった。帰りは谷汲温泉、昼からの贅沢の極みだと思うが、意外や意外結構入浴客はいる。昨日のブログの「居場所」で考えると、このあたりの高齢者は朝喫茶店でモーニング、その後温泉という優雅な居場所があるのかもしれないと考えた。

コースタイム 登山口8.06→山頂10.12~10.50→12.00


 この地形図は地理院のHPから書いているが、最近少し内容が変わり、少し戸惑っている
 慣れれば問題はないと思うが
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貴方の居場所はどこ?

2020-03-08 19:24:28 | 面白い本はないか
 コロナウィルスにより、14日に予定していた中学校の廃品回収(「ふれあいリサイクル」)は1.5km離れた中学校に持っていかなければならないことになった。これでは誰も協力できないだろう(そもそもこのリサイクルは最近民間による廃品回収ボックスができたたために、リサイクルの量が減り収益が減ったことから、回数を増やしたものである。同じように小学校も困っている。)。そして翌日の美化デーも延期となった。我が地区ではこの日、水路の掃除をするのだが、かつて農業者が行っていた箇所も農業をやる人もいなくなって(かわりに農協が請け負ってやっている)生活排水を出しているとかで、一般住民が引き受けることになった。短時間であるが年寄りばかりには結構きつい仕事である。ほかにも22日に予定されていた老人クラブの総会も中止となった。

 参加しなければならなかった行事が減ることは少し嬉しいが、相変わらず引き継ぎのための書類を作る作業が続いている。歴代の区長さんが作った書類を現時点の情報に置き換えるのだが、大部分エクセルで作られているため、慣れないおじさんには手間が人一倍かかるのである。こうした書類を作っている中であらためて高齢者が増えている現実を目の当たりにする。元年度80歳を迎えた方が8人、さらに施設に入所する方、一人暮らしの方も着実に増えてきている。団塊世代の私があと10年すると80歳、この時地域の姿はどうなっているか考えるだけでも恐ろしい。昨日と今日、広井良典著「持続可能な医療」を読んだ。10年後の地域の姿が恐ろしいように日本の姿も恐ろしいと思う。やはりこの国は多くの面で失政を重ねて来たように思う。医療だけではなく福祉、街づくり、財政あらゆる面において持続可能ではない。過去の数々の失敗にもかかわらず相変わらず成長政策を続け、この社会の守るべき分野も怖そうとしている。

 先の本に紹介されていた「居場所」についての調査結果が面白い。この調査は、首都圏に住む60歳~74歳の男女に、「あなたは自宅以外で定期的に行く場所がありますか」という質問をした。その結果は男女とも一位は図書館、そのあと女性は「スポーツクラブ」「親戚の家」「友人の家」と続くが、男性の場合は「見つからない/特にない」そして三位が「公園」。なんとも悲しい答えではないか。おじさんだったらどう答えただろうか。なんせ首都圏であるから近くに城台山や畑はありそうにない。こうなるとやはり図書館ということになりそうだ。著者も言っているが、ここには「病院の待合室」も入るのではないか。そして、喫茶店である。開店を待って多くの高齢者が来店する。目的はモーニングサービスにより軽く朝食を食べ、さらにお友達と毎日変わらない話題?(失礼)で盛り上がるのである。

 別に喫茶店が悪いということでない。しかし、おじさんは若い人も含めて住民が立ち寄ることのできる場所を作ることに失敗してきたと思う。ヨーロッパでは人口が少ない町でも必ずコミュニティの中心というのがあり、さらにそこは車が入れなくなっているので、人が集まってくる。日本ではこれがない。町の郊外にショッピングセンターがあるが、車に乗れない高齢者は行くことができない。経済、効率優先で街づくりしてきたつけが私たちに大きくのしかかる。日本で孤立を感じる人の割合は他国と比べて著しく高い。著者は①政府の借金が莫大となっていることと、②人と人の間の「社会的孤立」の高さは、家族あるいは身内を超えた支え合い(ないし連帯)への無関心からきているとしている。

 幸いおじさんは田舎に暮らし、豊かな自然に囲まれ、自分の趣味をやりながら、また地域活動にもさほど熱心ではないが参加している。しかし、今後のことを考えると不安な気持ちになることは否定できないのである。
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