城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

12月の畑 20.12.10

2020-12-10 19:10:38 | 野菜作り
 来週あたり寒波が来るそうだが、今のところ暖かい日が続いている。天気が良く暖かいおかげで落ち葉採集も順調で終わりに近づいている。そして畑の仕事も片付けはあるものの、新しく植付けるとかまして種をまくようなものはない。雨があまりにも降らないので、11月に植付けたタマネギの苗のうち2割弱が枯れてしまっていた。幸い農協ショップでは苗を売っていたので、今日はその補植を行った。寝かせた状態で植付けた苗は今や直立してきているが、まだほとんど成長していない。補植にあわせて、雑草もとった。来月にはマルチをめくって、追肥をするという面倒くさい仕事がある。

 空いた穴に苗を補植

 ブロッコリーがあと少しで収穫の時期を迎える。さすがにこの時期になると青虫は見かけないが、実の中に入り込んでいるかもしれない。水責め、冷蔵庫に入れたくらいでは青虫は完全に退治できず、鍋で煮るとやっと青虫フリーとなる。無農薬だから仕方がない。


 11月29日にスナップエンドウの苗を植え付けし、それを不織布で覆った。2列に植えたが、いつもこの間隔が狭すぎて、収穫の時に難儀するので、今年はできるだけ間隔を開けた。

 来年3月末に手(柱)を立てる

 小さい方のハッサクの木。このほかに大きな木もあるが実は小さい方に比べると随分小さい。実が良い色になってきた。20日過ぎに収穫する予定。

 ハッサク 
 
 11月21日に収穫してきた黒豆。しばらく乾燥させ、鞘から取りだした。昔だったら鞘を棒でたたいて、実を取り出していたと聞く。

 豊作だった去年よりは少なめ

 夏にEさんから8粒いただき育てた春日豆。大部分は食べたが、一部来年用に種を残しておいた。これで60粒以上はあるので、半分はEさんの奥様に差し上げようと思っている。

 種が売っていないので自家採種した 経験したことがないので果たしてうまくいくかどうか
 (黒豆は毎回買っている)

 おまけ。トマトも一週間ほど前に引っこ抜いた。あまりに実がなっていたので、青いまま持ち帰り、縁側において太陽をあてている。夏だったら、少しおけばすぐに赤くなる(もちろん、青いままで収穫することはないが)。ミニトマトなら割と早く赤くなる。

 今年はいまだに畑でとれたトマトを食べている 
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70歳からの人生設計 20.12.8

2020-12-08 19:55:17 | 地域のこと他
 今日、父方、母方で存命する母方のおじさん(90歳)を久しぶりに訪ねた。おじさんは調子の良いときには子どもたちや親戚に電話をかけているそうだ。先週の火曜日このおじさんから電話があったこともあり、今日の訪問となった。おじさんの配偶者は最近特別養護老人ホームに入所し、おじさん自身も毎週デイサービスとショートステイを利用している。在宅の時のおじさんの世話は3人の子どもたちが代わる代わるしているようである。おじさんも昔の話は少しだけ出来るが、まとまった話はできない。訪ねた日は娘さんが世話をしていたので、話はもっぱらその娘さん(私の従兄弟)とすることになり、話の中心はやはり介護のこととなる。おじさんも私の母親も肉体的な介護の苦労はないが、やはり精神的なストレスは多いことは共通しているようだ。明日5日のショートステイを終えて、母親が帰ってくる。しばらくは、ストレス多き生活になることは確実である。

 先日、運転免許の更新に西濃免許証講習センターに出かけた。少し早く着いたので、入口に並んでいたら、係員が「若い人はすぐに入って」と一方で「高齢者(おじさんを含む人)は少し待って」と言われた。そこで見たのは少し足取りも不確かな我々より年配の人たち、認知症の検査を行うようで、こちらの呼び込みも始まっていた。この人たちを見てて少しショックを受けた。この年まで運転をしなければならないのかと少し情けなくなった。私も75歳を過ぎるとこの群れの中に入ることになるのだと思うと余計に気が滅入る。しかし、田舎では免許を返上すると行動の範囲は確実に狭まり、老化に拍車がかかるような気がする。私の身の回りには80歳になっても運転している人が大勢いる。

 別の日には親しい山の仲間でお酒を飲む会があった。そこで「スーパーじじい」と呼ばれて、奥美濃のヤブ山で知らないところはない私と同年のKさんがこう言っていた。今から山の道具を買うと「減価償却」出来ないと。私から言わせればこれだけの回数登っていれば、十分減価償却できると思ってしまう。というのは私の場合いまだに山の道具を買っている。例をあげると、2,3年前に冬靴、そしてワンタッチアイゼン、そしてスノーシューを買った。冬靴は奥美濃の冬山に登るのには十分な靴とアイゼンを既に持っていたが、やはり本格的な冬靴にあこがれていた。そこに、楽山荘で3割引の靴があり、実際に履いてみるとぴったりフィットした。そして、山とものEさんが欲しくなったスノーシュー、私もあまり使わないかもしれないがとも思いつつ、一緒にネットで購入した。購入してからが暖冬が続き、これらの道具の出番はますます減り、減価償却はとても出来ない状況にある。Kさんのようにぼろぼろぼろになるまではとても使えないのである。使わなくなったら若い人に譲ればいいとも考えている。

 冬靴

 スノーシュー まだ使ったのは5回程度

 そして、バラである。実はもう少し地植えできるスペースを前から確保したいと思っていた。もちろん鉢で育てることは可能であるが、最近鉢のバラを枯らしてばかりで少し鉢栽培に自信をなくしている。そして、鉢ではバラ栽培の醍醐味はあまり味わえないと思う。現在の庭は17年前家を建て替えた時に合わせて造ったのだが、少し傷んできた箇所があり、これを補修したいと思っていた。それにあわせて、新しく花壇を造りたいと考えた。この話に家内は反対した。いわく、これ以上バラを増やして、世話ができるのかというのだった。確かに、あと何年世話ができるかなんて誰にもわからない。まして「減価償却」などとても出来そうもない。これに対し私は最近口癖のように、何年かわからないから好きなことをやりたいと言い続けている。もちろん経済的に許す限りでとの前提であるのだが。結局、庭のことは私の同級生が造園業をやっているので、そこにお願いすることになった。ところが電話すると彼は11月末で引退して、後継者に事業承継するようである。先日、手土産を持って訪ねてくれた同級生、今は小学校時代の同級生と定期的に麻雀をするのが楽しみであると語っていたのが実に印象的であった。

 ここに花壇を造りたい

 少し大げさなタイトルを付けてしまったが、確かに私の年代で物を増やすことは後々面倒となる。断捨離、終活もそろそろ考えなければならない。本は、「チャリボン」(本を中古業者に売って、その代金を希望の団体に寄付する。といっても2,3千円単位の話であるが、本を有効活用できてなかなか良いしくみだと思う。しかし、ISBNが付いていない古い本は廃品回収の日に出さざるを得ないのは実に残念)を使って随分処分した。現在ほとんどの本は図書館から借りてくる。けれども、月に数冊はアマゾンでいまだ購入し続けている。少しづつ物欲は少なくなってきているが、やはり趣味となるとまだまだ物欲は強いのも事実である。

 
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複雑な世の中 20.12.6

2020-12-06 21:20:19 | 面白い本はないか
 アメリカ大統領選の結果は判明したものの、まだしばらくは混迷しそうだ。そして、韓国との関係も複雑にもつれ、とても簡単には解決しそうもない。国内問題でも、維新の会の掲げる大阪都構想も否決はされたものの、まだ続きがありそうである。少子化問題でも政府の掲げる出生率1.8など到達できそうにないばかりか、目標達成のための政策に少々手詰まり感があるように思える。要するに各課題について、それをもたらした様々な要因があり、少しの弥縫策では到底解決することができないということである。これをすればすぐに事態が解決するなんてことはポピュリストの発言や単なる無知の政治家や評論家の戯言しかならないことに我々庶民は注意しないといけない。この頃いろんな本を渉猟していて感じるのは、庶民が正しく物事を判断できるような参考書を見つけることがますます難しくなっているのではないか。頭も時間も限られている庶民であれば、正しい判断の基準となるような本と出会うことが本当に必要である。

 5日土曜日昼過ぎから貝月山に避難小屋から登った Eさんが作った山名板(標高が書いてある)

 アメリカの大統領選を見ていると国民の政治への参加という点においてトクビルが指摘しているような草の根の政治参加の根強さに驚く。しかし、一方で候補者によるネガティブキャンペーンに多大な影響を受けていることも事実である。果たしてこのような誹謗中傷が国民の利益になるとは思われない。ではいつからこうした傾向が激しくなったのだろうか。久保文明・金成隆一著「アメリカ大統領選」(岩波新書)のスティーブン・レビッキーハーバード大学教授とのロングインタビューに出てくる。1970年代アメリカの二大政党は文化的、人口統計学的にとても似通っていた。いずれも白人のキリスト教徒が大半を占めていた。しかし、その後の50年間に三つの根源的変化が起こった。①公民権運動により、南部の白人が民主党から共和党に大移動した一方で、新たに選挙権を得たアフリカ系アメリカ人の大半は民主党員となった。②ラテンアメリカからさらにはアジアから大量の移民が来て、移民とその子孫の大半は民主党員となった。③それまで両党に支持が半々に分かれていたエバンジェリカル(原理主義の)キリスト教徒が80年代のレーガン政権以来、圧倒的に共和党支持となった。こうした三つの変化の結果、両党の違いが大きくなった。民主党は都市で暮らす世俗的で教育を受けた白人、ラティーノやアジア系、アフリカ系というエスニックマイノリティ、性的少数者。共和党はほとんどがキリスト教徒で、白人キリスト教徒の支配的な社会的地位の失墜を煽った共和党指導者(選挙にどんな手段を使っても勝つという考えの)。アメリカの全般的な経済的地位の低下、さらにはデジタル経済化などによる中間階層の没落(低所得層と高額所得層への二極化)さらには移民政策による人口構成の変化(近い将来白人の人口が50%を割る)などがこれらの変化をもたらした。

 伊吹山 琵琶湖が光って見える

 次に韓国との関係。新聞の広告欄で容易に気づく嫌韓・嫌中の雑誌や本の氾濫、さらにはネットで繰り広げられるそうした言説。一体、このような中で様々な課題が解決できるであろうか。かつての近衛首相の「国民政府を相手とせず」声明と同じように韓国を無視しようという声が高まっている。特に強制徴用についての韓国最高裁の判決は日本ばかりでなく、韓国政府の立場を非常に難しくしている。日本は日韓基本条約で既に解決済みとの一点張りでその後の貿易の制限まで踏み込んだ。こうすれば韓国は考え直すだろうとの目算があったのであろうか。そうした中でも水面下での様々政府間交渉は行われているであろうと希望的観測をしているが、両国の国民感情というのが解決を余計に難しくしている。松竹伸幸著「日韓が和解する日」(かもがわ出版)は、韓国の求めているのは韓国併合の違法性=植民地支配の違法性を問題にしていることを強調している。欧米諸国も過去の植民地支配を違法とは認めていない状況の中で韓国が世界を動かし、日本国民ばかりでなく世界の国々にその違法性を訴えなければならないと言っている。文大統領はマンデラにならなければならないと。

 金糞岳

 最後に少子化対策。90年代のエンゼルプラン以来、様々な少子化対策を政府は行ってきた。初期はどちらかというと保育所の整備とか育児休業制度の整備に重点が置かれた。しかし、20年以上経過しても、少子化が改善する兆しはない。今言われているのは、男女ともの未婚化の増加である。ではなぜ未婚化が進んでいるのであろうか。まずは、低所得の若者が増え、将来に対する不安があるであろう。欧米(イタリア、スペインなどラテン系の国を除く)では高校を卒業すると自立を求められ、親の家を出る、そして、生活のリスクを低くするため、同棲する。政府でも家庭政策(住宅政策、育児支援等、様々な家庭の形があることを前提としている)が手厚くこうした若者を支援する。日本やラテン系の国では親の家に卒業後も住むことを選ぶのがリスクの低減となる。そして家庭政策は薄く、同棲カップルに対する支援も少ない。また、日本では結婚し、子どもを持つことが将来の親にとってかなりのリスクを持つ。まずは父親が協力しない子育て(父親は忙しすぎる)、教育費が高い(公共の教育支出が少ない)、さらに離婚しなければならなくなった時に陥る貧困(片親家庭の貧困率は非常に高い)がある。こうした様々な要因が未婚化につながってくる。この問題を解決することは相当に難しいと考えざるを得ない。山田昌弘著「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか」(光文社新書)が参考となる。

 国民の分断をもたらすような問題として、さらに移民、難民の問題がある。移民の問題は欧米において右派政党の興隆をもたらしたし、イギリスではEU離脱につながった。果たして、日本の分断は進むのであろうか。中間階層が今後没落し、一部のエリート層と底辺層の二極化が進むかもしれない。そして、その底辺層の支持を受けた新たな政党が生まれるかもしれない。
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40年ぶりに左門岳に登る 20.12.1

2020-12-01 17:11:31 | 山登り
 左門岳はおじさんにとって苦い思い出のある山である。その詳細は「青春プレイバック・番外編20.8.6」に書いた。当時始まっていた奥美濃水力発電所の工事だったが、当然のことながら随分前に完工(夜間海岸沿いの火力発電所の電力を使い下ダム湖から上ダム湖に揚水する。昼間はその逆に上から下に送り発電する。その電力を都市の企業や工場などに送る。高度成長時代の面影ともいうべき施設だと思うし、果たして使われているのだろうかとも思う。原発が稼働できない中でこのダムが使われているという記事をどっかで読んだことがあるが。上ダムはドウの天井に登った時見た。)している。この山は1981年11月に登っているので、今回はおよそ40年ぶりとなる。今日は男性5人、女性2人久しぶりに参加者の多い山行となった。

上ダム湖 川浦ダム まさに山の上にあるダム

 下ダム湖 上大須ダム 水がこの二つのダム湖を行ったり来たりしている

 下ダム湖の右岸(ここも通行止めの柵がしてあったが、自己責任ということで車を進めた。左岸も通行止め。)、随分石が落ちていたが、行き止まりまで進み駐車し、ここから歩き出した。

 駐車地・登山口 8:30 
林道をしばらく進むと荷揚げ用のモノレールの残骸が現れた。そしてすぐ先に私たちをつぶらな目?でじっと見つめる若いカモシカに遭遇した。今日の幸運を先取りするような出来事であった。

 カモシカは鹿のように人を見ても逃げない じっとこちらを見つめていることが多い

林道とは名ばかりであちこち陥没し、そのたびに赤布や青布に導かれて細い道を進む。何回か沢を右に左に渡る。やがて沢が二股になっており、ここは左の沢沿いに登っていく。

 沢の分岐 8:53

やがて朽ちたヘルメットが二つ、そのすぐ先が尾根への取付き点となっており、缶ビールが立てられた棒の先にあった。

 ヘルメットが二つ 9:31

 ここから尾根に取付く 9:37

 ここから山頂までは約400mの標高差。最初は崩れやすい石ころの道、すぐに枝や木の幹につかまりながらの急登の道が始まる。道は意外と明瞭であり、赤布、青布も付けてある。急登が終わるとなだらかな道となり、左の方に目をやると木々の間から冠雪した能郷白山が見えてくる。さらに登ると11月12日に登った山頂付近が少し雪をかぶった屏風山が見えてくる。左門岳(1223.5m)と屏風山(1354.1m)は130mの違い、さらに屏風山は県境にあり、雪が多いのかと解釈した。登るにつれ、背の高い笹藪となり、ブルーシートの先に三角点のある山頂に到着した。山頂からは木々や笹が邪魔して、クリアーな展望を望むことはできなかった。しかし、今回初めてこの山に登った同行の女性たちKさん、Mさんはまだ登頂の興奮冷めやらずといったところだった。

 左門岳山頂 三等三角点点名「左門岳」

 屏風山

 ドウの天井方面

 山頂付近は雪は溶けていたものの落ち葉はぐっしょり濡れているし、風もあって寒い。昼食場所を求めて、来た道を下り、日が当たり、風が当たらない所まで下った。昼食後、尾根道をスリップしないように下ったが、何度も尻をつきそうになる。しかし、意外に早く取付きに到着し、登山口の少し手前では再びカモシカに出会った。

コースタイム 登山口8:30→尾根取付き9:37→山頂10:40→直下で昼食11:05~11:35→登山口13:00

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