NHKニュースは偏向している
数年前の九月二十二日(土)、朝食後テレビを付けると「ニュース深読み」
という番組をやっていた。途中から見ていると反原発デモのことになった。
司会をしている小野アナウンサーが「NHKや民放も反原発デモを報道しな
かったのはどうしてなんですか」とNHK解説委員に問うた。私は身を起こ
し、テレビの画面に集中した。「全く報道しなかったわけではないんです。
『クローズアップ現代』という番組では報道したんです。これだけ情報があ
ふれ、さまざまなできごとがある中で反原発デモを報道すべきかどうか判断
ができなかった」。このような発言をNHK解説委員はした。この解説委員
の発言を聞いて当たり前のことに気が付いた。ニュースとはNHKが報道す
べきだと考えた出来事がニュースとして報道されているということだ。
東京大学名誉教授の醍醐さんはNHKの「ニュースウォッチ9」を見て、
「特定秘密保護法」賛成の意見を報道した時間、数十分に比べて反対の意見
は45秒しかなかったと言っていた。
新宿駅近くで集団的自衛権反対を唱え、焼身自殺した人がいたが、ほとん
どの人がテレビや新聞では気づかなかった。日比谷公園でも安倍政権の政策
に反対して焼身自殺した人がいたが、人々の話題にのぼることはなかった。
これはマスコミの報道の仕方に問題があったからた。マスコミの報道によっ
てこのような出来事はなかったことになっている。
世界や日本で起きている出来事の中でNHKが報道するに値すると判断し
たものだけがNHKのニュースになっている。私たちは日々何を報道すべき
かという判断をされたニュースを聞き、読み見ている。お金を払って誰かが
判断した情報を得ている。報道とは客観的なものだという先入観がなんとな
くあるが報道とは主観的なものなんだとあらためて実感したNHK解説委員
の発言だった。
今からおよそ百六十年ほど前に「その社会の支配的な思想はその社会の支
配的な階級の思想である」と三十代のマルクスは書いている。日々私たちが
聞き、見、読んでいるものは現代日本社会の支配的な人々のものの見方であ
り、感じ方であり、考え方なのだ。
日本は民主主義の国だ。こう新聞やテレビなどのマスコミの人々は言う。
だから民主主義国とは国民一般の人々の意見が反映された政治が行われてい
る国だと思ってしまう。しかし違う。国民の意思とは現代日本社会で支配的
な人々の意思のことなのだ。現代日本社会の「民主主義」とは現代日本社会
で支配的な人々の意志に基づいて行われている政治体制のことを意味してい
るのだ。
二年前の八月二十二日、野田元首相は反原発デモの代表たちの要求書を直接
受け取った。この出来事を代表者の一人が「民主主義の再稼動」と言った。
この言葉を聞いたとき私は感極まってしまった。思わず涙が出てしまったの
だ。日本社会の一般国民の意志に基づいた政治をしろ、と要求している。こ
れが民主主義なのだ。小熊英二という歴史学者は日本歴史始まって以来の画
期的できごとだといった。それに対して橋下大阪市長は「社会にはルールが
あり、一国の首相と会わせてくれと言って会えるものではないと思う。とに
かくデモをやれば民主的なルールをすっ飛ばせるというのは違うと思うし、
直接会えば原発問題が解決するという話ではないと思う」と発言した。
橋下には一般市民が首相に政治的要求することは民主的なルールをすっ飛
ばすことのようだ。アメリカが年次改革要望書を日本に突きつけてくること
は民主的ルールをすっ飛ばすことになるのかどうか、聞きたいものだ。日本
の経団連会長がTTP加入を政府に要求するのは民主的ルールをすっ飛ばす
ことなのか、どうか聞きたいものだ。橋下には多数の国民大衆が政府に要求
を突きつけることは民主的行為ではないようだ。