醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   26号   聖海

2014-12-10 10:56:34 | 随筆・小説
 
 NHKニュースは偏向している 

 数年前の九月二十二日(土)、朝食後テレビを付けると「ニュース深読み」
という番組をやっていた。途中から見ていると反原発デモのことになった。
司会をしている小野アナウンサーが「NHKや民放も反原発デモを報道しな
かったのはどうしてなんですか」とNHK解説委員に問うた。私は身を起こ
し、テレビの画面に集中した。「全く報道しなかったわけではないんです。
『クローズアップ現代』という番組では報道したんです。これだけ情報があ
ふれ、さまざまなできごとがある中で反原発デモを報道すべきかどうか判断
ができなかった」。このような発言をNHK解説委員はした。この解説委員
の発言を聞いて当たり前のことに気が付いた。ニュースとはNHKが報道す
べきだと考えた出来事がニュースとして報道されているということだ。
 東京大学名誉教授の醍醐さんはNHKの「ニュースウォッチ9」を見て、
「特定秘密保護法」賛成の意見を報道した時間、数十分に比べて反対の意見
は45秒しかなかったと言っていた。
 新宿駅近くで集団的自衛権反対を唱え、焼身自殺した人がいたが、ほとん
どの人がテレビや新聞では気づかなかった。日比谷公園でも安倍政権の政策
に反対して焼身自殺した人がいたが、人々の話題にのぼることはなかった。
これはマスコミの報道の仕方に問題があったからた。マスコミの報道によっ
てこのような出来事はなかったことになっている。
 世界や日本で起きている出来事の中でNHKが報道するに値すると判断し
たものだけがNHKのニュースになっている。私たちは日々何を報道すべき
かという判断をされたニュースを聞き、読み見ている。お金を払って誰かが
判断した情報を得ている。報道とは客観的なものだという先入観がなんとな
くあるが報道とは主観的なものなんだとあらためて実感したNHK解説委員
の発言だった。
 今からおよそ百六十年ほど前に「その社会の支配的な思想はその社会の支
配的な階級の思想である」と三十代のマルクスは書いている。日々私たちが
聞き、見、読んでいるものは現代日本社会の支配的な人々のものの見方であ
り、感じ方であり、考え方なのだ。
 日本は民主主義の国だ。こう新聞やテレビなどのマスコミの人々は言う。
だから民主主義国とは国民一般の人々の意見が反映された政治が行われてい
る国だと思ってしまう。しかし違う。国民の意思とは現代日本社会で支配的
な人々の意思のことなのだ。現代日本社会の「民主主義」とは現代日本社会
で支配的な人々の意志に基づいて行われている政治体制のことを意味してい
るのだ。
 二年前の八月二十二日、野田元首相は反原発デモの代表たちの要求書を直接
受け取った。この出来事を代表者の一人が「民主主義の再稼動」と言った。
この言葉を聞いたとき私は感極まってしまった。思わず涙が出てしまったの
だ。日本社会の一般国民の意志に基づいた政治をしろ、と要求している。こ
れが民主主義なのだ。小熊英二という歴史学者は日本歴史始まって以来の画
期的できごとだといった。それに対して橋下大阪市長は「社会にはルールが
あり、一国の首相と会わせてくれと言って会えるものではないと思う。とに
かくデモをやれば民主的なルールをすっ飛ばせるというのは違うと思うし、
直接会えば原発問題が解決するという話ではないと思う」と発言した。
 橋下には一般市民が首相に政治的要求することは民主的なルールをすっ飛
ばすことのようだ。アメリカが年次改革要望書を日本に突きつけてくること
は民主的ルールをすっ飛ばすことになるのかどうか、聞きたいものだ。日本
の経団連会長がTTP加入を政府に要求するのは民主的ルールをすっ飛ばす
ことなのか、どうか聞きたいものだ。橋下には多数の国民大衆が政府に要求
を突きつけることは民主的行為ではないようだ。

醸楽庵だより   25号   聖海

2014-12-09 11:14:27 | 随筆・小説

 酔いの楽しみを万葉集に読む

          句郎(くろう)君と華女(はなこ)さんのおしゃべり

句郎 万葉集に酔いの楽しみを詠った歌があるのを華女さん、知っている。
華女 万葉集にそんな歌があるの。全然知らなかったわ。誰が詠っているの。
句郎 万葉集の歌人というと、華女さんが知っている歌人は誰?。
華女 高校生のころ、習った人でいうと、貧窮問答歌の山上憶良とか、柿本
   人麻呂、額田王、大伴家持といったところかな。
句郎 「春の苑紅におう桃の花下照る道にいで立つ乙女」。誰の歌だったか、
   覚えている?。
華女 失礼ね。私は有名大学の日文科出身よ。もちろん、知っているわよ。
   大伴家持でしょ。
句郎 そう、その家持の父親が大伴旅人だ。この大伴旅人が大宰(だざいの)
   帥(そつ)だったときに詠んだ中に酒を讃(ほ)むる歌があるんだ。
華女 どんな歌なの。
句郎「驗(しるし)なき物を思(おも)はず一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべ
  くあるらし」という歌なんだ。
華女 「驗(しるし)なき物」ってどんなものなの。
句郎 成果のでないもの、考えても甲斐のないものというような意味のよう
   だけどね。
華女 それじゃ、思っていても仕方がないようなときには酒でも飲んで気を
   紛らした方がいいと、いうような歌なの。
句郎 おおよそ、そんな解釈でいいと思うけどね。
華女 男って、昔からだらしがなかったのね。苦しいときに男は享楽的にな
   るのね。
句郎 この歌を享楽的なものだと解釈するのは疑問だね。
華女 なぜ、この歌は酒でも飲んでどんちゃん騒ぎをして楽しめば憂さもは
   れるという歌じゃないの。
句郎 そうじゃないんだ。哀しみに耐えている歌なんだ。旅人は大宰府で妻
   を亡くしている。亡くなった妻をいつまで思っていても、亡くなった
   ものはしかたがない。更に大伴氏は宿祢(すくね)という姓(かばね)を
   持つ天孫降臨の氏にして大和朝廷の大貴族だったんだ。その氏族の長
   であった旅人にとって藤原氏の台頭によって大伴氏は衰退していって
   いる。この哀しみがあった。このようなことをいつまでも悔やんでい
   ても、どうなるものでもない。親しい仲間とお酒を楽しむ。酔いの楽
   しみに生きる力を育もうというような意味だと思うけれどもね。
華女 やっぱり、そうじゃない。哀しみを忘れるために酔っ払おうというん
   じゃないの。違うの。
句郎 うーん。難しいな。「哀しみを忘れるために酔っ払おう」というのじ
   ゃないと思うんだ。「一坏(ひとつき)の濁れる酒を」飲んでどんちゃ
   ん騒ぎをするのじゃなくて哀しみに耐えようという気持ちを表現して
   いるように考えているんだけどね。
華女 句郎君がそういう気持ちはわかるような気がするわ。そういって、句
   郎君もまたお酒を飲もうというのじゃないの。高尚そうな理由をくっ
   付けてみても、ようはお酒を飲みたいわけよね。それにつきると私は
   思うわ。
句郎 お酒を楽しまない人には酔いの楽しみがいかに大事なものかわからな
   いのかもしれない。
華女 何言っているの。
 

醸楽庵だより   24号   聖海

2014-12-08 10:23:39 | 随筆・小説
 
 蕉風は生きている

 上着きてゐても木の葉あふれだす  鴇田智哉

 日曜、朝のNHK俳句を楽しみにしている。先日、神野紗希氏が
ゲストとして出演し、鴇田智哉氏の句を紹介した。この句は現代の
気分が表現されているというような発言をした。鴇田氏の句が何を
表現しているのか、私には全然わからなかった。寒くなってきたか
ら上着をきてゐても「この葉あふれ出す」。何を言っているのか、
全然通じない。こんなのが現代の俳句なのか。こんな句が今の若者
の心に染みるとはなになんだ。
 調べてみたら、鴇田氏は45歳だ。若者とは言えないな。中年の親
爺がこんな人を煙に巻くような句を詠み、若い俳人と称する人々に
人気を得ているようだ。
 また、「上着きてゐても」と「い」の字を旧仮名「ゐ」を用いて
いる。現代仮名遣いの「い」ではなく、旧仮名の「ゐ」で表現しよ
うとしたことは何なのか。「ゐ」は「wi」だ。だから少し間ができ
る。「い」は「i」だ。間が抜けるのかな。「ゐ」の方が「い」より
ゆっくりした時間が流れるように感じる。何べんも声を出してこの
句を読んでいるうちにふっと気づいた。寒くなってきたなー。上着
を着ていーても木の葉が木から落ちてくるように私の心から言の葉
があふれてくる。そういえば、今の日本社会は経済成長が止まり、
給料が上がっていくことがない。正規職員への就職は難しい。豊か
さのようなものが感じられない。上着を着ていても、寒い、寒いと
木の葉があふれだすように不平、不満があふれだしてくる。
 バブル景気に酔った若者がジュリアナ東京で踊り狂った話を聞く
につけ、今の若者はなんと寂しく、寒いのか、こんな若者の気分を
表現したものが鴇田氏の句なのかもしれないと感じた。今の若者は
寒くなっていく時代を軽く軽く受け流している。鴇田氏の句のこの
軽さが今の若者の心に染みるのかもしれない。
 鴇田氏は上着を着て散歩でもしていた時の心象風景を詠んだもの
と私は理解した。
 日本人なら誰でも知っている芭蕉の句、「古池や蛙飛び込む水の
音」が表現しているものは「古池に蛙が飛び込み、水の音がした」
ということではなく、「蛙が飛び込み、水の音」を聞いた芭蕉が心
に「古池」のイメージが浮かんだという芭蕉の心象風景を詠んだも
のだと長谷川櫂が「古池に蛙は飛び込んだか」という本で主張して
いる。ここに蕉風がある。蕉風とは心象風景を詠むことのようだ。
鴇田氏の句の中には芭蕉が成し遂げたものが継承されているように
感じた。本人はそのようなことがわかって詠んでいるつもりはなく
とも我々は過去の人々の経験の上にしか作品を詠むことはできない。
 芭蕉は17世紀後半に生き、その時代を表現したように今の俳人も
また今の時代を表現している。蕉風は今も生きている。
 現代の俳句は現代という時代を表現する。


 


醸楽庵だより   23号   聖海  

2014-12-07 12:32:03 | 随筆・小説
 
  消費税増税に反対したい

「消費税とは弱者のわずかな富をまとめて強者に移転する税制である」。
 このように斎藤貴男は「消費税のカラクリ」という講談社現代新書の
中で主張している。この本を読み進み、このような言葉に出会うと納得
するのである。
 年金生活者の私にとって年金額すべてが生活費として消費する。それ
でも足りない。それが実態である。年金では預金などできない。収入で
ある年金の五%は消費税として徴収されてしまう。収入の多い人は収入
のすべてを使い切ることはないだろう。収入の二十%いや三十%ぐらい
預金するかもしれない。この預金には課税されないどころか雀の涙ほど
の利息がつく。収入の全額に課税される年金生活者のような人と収入の
何十%かに課税される収入の多い人がいる。これは不公平である。
 今まで消費税ほど公平な税制はないと思っていたのは間違いであった。
消費税は消費した人すべてに公平に課税される。だから公平だと新聞や
テレビで言われているからそうだなと思っていたのが間違いのもとであ
った。ここに落とし穴があったのだ。
 我々年金生活者の雀の涙ほどの預金は回りまわって投資されるようだ。
投資されることによって利子が付く。今では子供のお年玉にもならない
ような利子が付く。このように投資されるからこそわずかばかりの利子
が付く。それでもこのようなお金があってこそ経済は成長・発展してい
くのだという。投資するお金の原資は預金なのだから投資したお金に課
税するのはどうか。投資して得た富に課税するのは間違いだという結論
になるという。なるほどねー。このような主張をする財政学者がいる。
それらの人々は法人税は零にすべきだとも主張している。投資の結果得
た富に課税するのは間違いなのだから。なんと恐ろしい結論なのか。
 法人税減税と消費税の導入は一枚の紙の裏と表の関係にあったのだ。
だから財界は消費税導入を強く主張するわけだ。
 財政とは国民所得の再分配だと教わったがそれを壊す税制度が消費税
だったのだ。このことを構造改革という言葉で表現していたのだ。この
言葉で国民を騙したのだ。
 消費税を社会保障の財源にする。納得してしまいそうである。この言
葉にも今までの財政のあり方を大きく変える毒饅頭が仕込まれている。
社会保障とはそもそも収入の多い人からたくさん税金を徴収し、収入の
少ない人の生活を保障する。ここに社会保障の基本がある。これを公助
という。この基本を壊す税制が消費税なのだ。消費税はすべての人に平
等に課税されるので年金生活者のような収入の少ない人にも課税される。
だから自助もしくは共助ということになる。だから消費税を社会保障の
財源にするという言葉は社会保障を公助から自助もしくは共助にすると
いうことを意味しているのだ。
 さすが財務省はずる賢い。政治家は毒饅頭を国民に食べさせる役割を
担い、弁舌の爽やかさで国民を騙す。
「税と社会保障の一体改革」。上手いコピーだ。きっと大手宣伝会社の
コピーライターが作った宣伝文句なのかもしれない。
 「消費税増税は待ったなし」と言った野田民主党政権の「偉業」を安
倍政権は継承し、一年半消費税増税を伸ばしたことを宣伝して自民党は
年末に総選挙をする。300議席を確保し、消費税10%を実現する。
 われわれ年金生活者は泣きっ面に蜂だ。アベノミクスとやらでお金を
大量に発行し、お金の価値を目減りさせ、円安になった。輸入価格が高
くなり、日用品の価格が上がった。鮭の切り身が薄くなったと家内が言
う。一袋に入っているウインナソウセージーの本数が二・三本少なくな
った。日本酒の値段もじりじり上がっている。わずかな預金の価値が目
減りする。自民党安倍政権はこんなにも庶民の生活を苦しくしているに
もかかわらずに自民党に投票する人々が多い。不思議なことだ。
 株価が上がった。毎日のようにテレビで放送する。それで日本経済は
良くなっているから我々の生活も良くなると錯覚するせいかもしれない。
株価が上がっても庶民の生活がよくなることは絶対にないにもかかわら
ず庶民は人が良いから自民党が言う嘘を信じてしまうのかもしれない。

 










醸楽庵だより  22号   聖海   

2014-12-06 10:26:29 | 随筆・小説

 
 2008年 中谷 巌は「資本主義はなぜ自壊したのか・「日本」再生
への提言」を懺悔の書として公にした。
 日本を代表する近代経済学者である中谷巌氏は1990年代から2
000年代にかけて小泉構造改革路線に経済学的根拠を与えたブレイ
ンだった。その中谷氏が自分の唱えた経済政策は富める者が更に富む
経済だったのではないかと疑問を持ち始め、結果的に貧富の格差が拡
大し、社会に不安定さを増しただけではないかと反省した。その著書
が「資本主義はなぜ自壊したのか」という本である。この著書の副題
が「懺悔の書」である。  
 中谷氏は、貨幣を商品として扱ったことが間違いだった、と主張し
ている。経済学者である中谷氏がこのような発言をすることに私はビ
ックリした。貨幣は商品だと高校の「政治・経済」の教科書にも書い
てある。マネー資本主義。お金を資本主義経済の主要な取引商品にし
たことが間違いだったと私は理解した。
 更に人間の労働力を時間で売り買いする。労働力を商品として扱う
ことも間違いだと言っている。なぜなら時間というものは再生産でき
ないからだ。働く人にとって時間というものは一回かぎりのものであ
る。その時間というものを商品として売り買いできるものではないと
言っている。私もそのとおりだと思う。しかし現実には一時間、85
0円という価格で働いている学生は幾らでもいる。「労働力は商品で
はない」とILOは言っている。確かに年功序列賃金などというもの
は労働市場での自由な売買によって決まる労働力価格ではないように
思う。市場で労働力価格を決めた方が効率的・合理的なんだという主
張が新自由主義者の主張だった。これが間違いだったと言っている。
結果的に言えば年功序列賃金というものも合理的根拠をもつ賃金決定
システムであったと反省しているのかもしれない。同様に再生産でき
ない「土地」を商品として売り買いしたのは間違いだったと言ってい
る。確かにそうだ。土地は全人類共有の財産のように思う。空気や電
波が人類共有のものであるように土地もそのようなものであってほし
いものである。 
 現在の日本は貧困率が15%を超える国になっている。この貧困率
とはOECD加盟国の中ですべての人の年収を横に並べ、その真ん中
に位置する人より下にいる人がどのくらいいるかというのが貧困率と
いうものである。アメリカは貧困大国だと言われている。そのアメリ
カの貧困率が14%超だという。日本の貧困者の割合はアメリカを超
えてしまった。年収200萬円以下の人が1000万人もいるという
のだから日本は貧困大国になったということができる。昔は総中流と
いった。ほとんどの家にはクーラーがあり、自動車が持てるようにな
ったことを言っていたのかもしれない。それがここ20年間ぐらいの
間に貧しい人々がこのように増加してしまった。経済のグローバル化
は日本の働く人々の賃金を低くしてしまった。発展途上国の追い上げ
にあい、国際的な価格競争をする企業は人件費を抑制せざるを得なか
った。だから働く人々の賃金は安くなった。しかし一方には少数なが
ら巨万の富を得た者もいる。市場原理主義は豊かな者と貧しい者とを
生み出す経済システムだった。経済合理性、それは経済的効率性を追
求する。その結果は貧富の格差を拡大する。
 今から6年前にリーマンショック後に出された書の中で中谷氏が主張
していることが更に今、助長されている。消費税増税がまた貧富の格
差を拡大する。なぜなら、消費税は貧しいものから富を吸い上げ、富
める者に富を移転する税制なのだから。






醸楽庵だより   聖海   21号  

2014-12-05 10:26:37 | 随筆・小説
  
  ほろ酔いや上戸も下戸も年忘れ   詠み人知らず

 今年も一年がおわります。去年の忘年会が昨日のことのようです。
年齢とともに時間は加速度的に速くなっていくようです。
 年忘れの「年」という字には「実り」というような意味がありま
す。実りのあった人も、豊かな収穫を得ることができなかった人も
汚れた心を御神酒で清めてくれるよう神さまに感謝の祈り捧げまし
た。神さまに捧げた御神酒を下げ直会(なおらい)をしました。これ
が年忘れの会の始まりであったのではないかと愚考します。直会は、
だから無礼講です。実りのあった人も豊かな収穫を得ることのでき
なかった人も対等平等です。そうでなければ来年度、協力し合い助
け合うことが難しい。対等平等であるからこそ直会を楽しめる。無
礼講だからこそ楽しい。無礼講であるがゆえに忘年会は「ほろ酔い」
でなければならない。このことを英語では「マナー」と言います。
日本語では「まーなー」と言っているようです。
 私たちの年忘れの会もほろ酔いでいきたいと思います。
 ほろ酔いはお酒を百薬の長にするようです。癌を予防する効果があ
るといいます。Kさんは肺ガンを患って三年、現在は健康そのものだ
と言っています。一ヶ月に一度、医者のところに行くとすべての項目
がAだという。血圧がA、コレステロール値がA、癌はどこにもない。
血色もいい。医者がびっくりしているという。今は笑って言えるが、
癌だと宣告された時は辛かったようだ。特に医者から手術はできない
と言われた時は参ったという。末期癌だった。一・二・三・四と癌に
はあるそうですが、Kさんの場合は、三段階のB、末期癌に区分され
ていたという。抗ガン剤を打たれると免疫機能がなくなる。エイズと
同じ状況になる。風邪などひいたら大変なことになる話していた。ま
た、腕に打たれた抗ガン剤が血管から漏れてしまった。抗ガン剤が筋
肉を腐らせていくような強い痛みが走る。夜も寝られない。深夜、腕
を氷で冷やすと幾分痛みが和らぐ。腕を氷で冷やしていると看護婦さ
んが来てくれた。どうして言わないんですか。痛いでしよう。と親切
に言ってくれた。深夜看護婦さんは忙しいと思って、朝まで耐えよう
と腕を氷で冷やしていたんだと話すとこんな忍耐強い患者さんは初め
てだとその後とても親切にしてくれたという。 
 また、たまたま保険の代理店経営をしている友人が癌保険の書き換
えをしてくれていたお陰で治療費を心配する必要がなかった。友人た
ちが心配してくれて柏の癌センターまで車で送ってくれた。
 月に一度、柏の癌センターに検診に見える杉崎先生が見舞ってくれ
た。S先生から「日本酒と健康」というテーマで話を聞いた。その時、
発酵宿品が免疫機能を高めるという話を思い出し、癌センター退院後、
少量のお酒、赤ワイン、酒粕、ぬか漬け、納豆などの健康食品で今の
健康を支えることができた。
 ほろ酔いは百薬の長のようだ。ぬか漬けも自分でしている。酒粕も
味噌汁にいれたりして常食している。癌になったからこそ今の健康を
得ることができたし、人の優しさを知ったとKさんは言っている。

醸楽庵だより   20号   聖海

2014-12-04 11:55:19 | 随筆・小説
 
  冬の芽や耐えて大きく花の咲く  聖海
 
 日曜の朝、庭に出てハナミズの下から青空を見上げ
ると葉がすべて落ち、枯れ木になっています。樹形を
じっと見ていると枝の先端に丸い小さな蕾を見つけま
した。この小さな蕾は厳しい冬の寒さに耐え、春にな
ると花を咲かせてくれるるのだなとハナミズキの命の
息吹を感じました。
 友人のOさんは一人で地域の外国人をサポートする
ボランティアをしていると聞き、同行しました。Oさ
んが運転する小さな車は居酒屋やスナックが並ぶ四階
建てのビルの前に駐車しました。居酒屋にでも入って
いくのかなと思っているとビルの裏側に回り手すりの
付いた鉄の階段を上り始めました。最上階まで元気に
のぼっていきます。いくらか私の方が若いのに息が切
れそうなくらい急な階段です。最上階に着くとここに
段差があります。気をつけて下さいとアドバイスをい
ただきました。廊下に設置された洗濯機が夕暮れの中
で音をたてている。すると左側の一番奥の部屋のドア
が開きました。
 「遅くなってごめんね。今日は友人を連れてきまし
た。」と言うと玄関が台所になっているアパートの中
の一室にOさんは入っていきます。私も後についてい
ます。二畳ぐらいの台所兼入り口を抜けると三畳ぐら
いと感じられる畳の部屋にテレビとソファーが置いて
ある。そこにOさんと私、四十前後のフィリピン人女
性が座りました。小太りの女性には少し窮屈そうに見
える。
 Oさんは早速書類を取り出し、本人に確認をしなが
ら記入し始めました。これでは振り込めないと言われ
ましてね、とフィリピン人に説明しながら仕事をして
いきます。何の書類なのかなと思っていると「確定申
告は五年さかのぼってできるということなんですがね、
まぁーいろいろありまして二年間さかのぼって申告し
たところ、還付金をK税務署が振り込んでくれること
になりました。これが振込先を記入する署名なんです。
銀行名と銀行支店名の記入が間違っていたため振り込
めないという通知があったんです」と説明してくれま
した。K税務署行きという封筒に書類を入れ、のり付
けし、裏面に署名してあげていました。この仕事が終
わると女性はこの書類が読めないと一枚の紙を出しま
した。見ると身元保証書とありました。
 ミンダナオ島出身の女性の妹さんが姉さんを頼って
日本に来るというようなことらしい。その妹さんの身
元保証をお姉さんがする保証書だった。女性には英語
が通じるようだ。これはギャランティーだ、とOさん
が説明すると女性は納得した。これはイヤー、これは
マンス、これはデイ。ナショナリティー、アドレス、
ネーム、次々と説明しながら日本語を英語に変えて書
いていく。「法令を遵守します」というところでちょ
っと詰まってしまいました。私も何と言うのかなと思
っているとキープ・ザ・ロウとOさんは英語で書きま
した。さすがだ。ゴミ分別の方法も英語を日本語の下
に書いたところ、ゴミを分別するようになり、コンビ
ニにゴミを捨てなくなったという。Oさんは大きな花
を咲かし初めているようだ。

醸楽庵だより   19号   聖海

2014-12-03 12:45:01 | 随筆・小説

  まだ若かった頃、妻と二人日本橋三越本店にあったフランス料理店に
行ったことがある。店に入るのに物怖じしてしまうような薄暗く厳しいと
ころだった。勇気を奮い、客がぽつんぽつんといる店内に入り、黒服を着
たボーイに案内を受け席に着いた。
 吾々は本格的なフランス料理など食べたことが無かったので、メニュー
を見て一番安い定食を注文した。ワインももちろん一番安い赤を注文した。
それで終われば何のことはなかった。メニューを見ていた妻が突然黒いス
ーツを着ている女性が傍を通ったとき、単品でエスカルゴを注文した。妻
は胸を張り、堂々と注文した。いつも食べているような態度だった。注文
を受けた女性は「エスカルゴでございますね」と腰を屈め微笑んで確認し
た。見るからにウェイトレスより格上という雰囲気が漂う中年の女性のそ
の微笑にエスカルゴは初めてなんですねというようなものを私は感じた。
いくら妻が胸を張ってみても吾々の正体は見抜かれていたのだ。
 悲劇はエスカルゴが運ばれてきて起こった。一口エスカルゴを口に入れ
た妻は吐き出してしまった。こんなもの食べられないと小さな声で言った。
ニンニクの匂いが咽につかえ、むせると言い、エスカルゴの皿を私の方に
押してくる。
 ボーナスが出たころだった。大変な散財を妻はしてしまった。やむを得
ず私はエスカルゴを一人で二人前いただいた。赤ワインと一緒に食べると
実に美味しい。そんな私を見て妻はよくあんなものを美味しそうに食べら
れるわねと憎らしそうに言う。私はついニヤニヤしてしまった。
 やはり若かった頃だ。妻と二人、フカヒレを食べに気仙沼にいった。民
宿の親父が養殖雲丹を捕りに行くという。誘われたので船に乗せていただ
き、同宿のカップルと一緒に夏の夕暮れ湾の水面を走った。しばらく行く
と船を留め、海水から引き上げたばかりの海(ほ)鞘(や)を取り上げ、パン
パンに張った海(ほ)鞘(や)にナイフを差し込んだ。水が海(ほ)鞘(や)から
放物線を描いて海面に落ちた。親父は素早く海鞘をさばき、切り身にする
と海水で洗い、これがもっとも新鮮な海鞘(ほや)刺身だといって、食べ
させてくれた。海鞘(ほや)の切り身を口に入れた妻は突然親爺に背を向
け、手に海鞘を吐き出すと気づかれないよう海に捨てた。私も美味しいと
は思わなかったが海水の塩味と独特の味が強く印象に残った。
 海鞘を食べたのはその時が初めてだった。その後、何回か、海鞘を生で
食べる機会があった。思い出すと海の上、海水で洗って食べた海鞘が一番
美味しかったように思う。
 美味しいものとは、きっと食べ慣れたものなのだろう。いつだったか、
ホテルオークラで七百二十ミリリットル五万円で売られている日本酒を飲
み、普段飲み慣れた剣菱が美味しいと言った友人がいた。本当にそう思っ
たのだろう。
 美味しさとは、見た目とか、器とか、場所とか、仲間とかいうようなも
のの総合したものなのだろう。
 空腹は最高の調味料というフランスの諺がある。この言葉は真実だが、
職人の技が築いた文化財としての料理もまたあるに違いない。エスカルゴ
のような。

醸楽庵だより   18号   聖海   

2014-12-02 10:18:11 | 随筆・小説
  
 もの書きて扇引さく余波(なごり)哉   芭蕉  

 「おくのほそ道」(天龍寺・永平寺)「丸岡天竜寺の長老、古き因
(ちなみ)あれば尋ぬ。又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送
りて此処までしたひ来る。所々の風景過(すぐ)さず思ひつヾけて、
折節あはれなる作意など聞ゆ。今既(いますでに)別(わかれ)に望
みて」と書いて、「もの書きて扇引さく余波(なごり)哉」とある。
 金沢の俳諧師北枝が福井・丸岡の天龍寺まで私を慕ってついてきて
くれた。金沢から福井・天龍寺までの風景を見過ごすことなく心に刻
み、変わり行く風景にもののあわれを覚えた。そのたびごとに俳諧の
発句が湧きあがってきた。今、北枝さんと別れるにあたって名残惜し
い。その芭蕉の気持ちを表現したが句が「もの書きて扇引さく余波
(なごり)哉」である。
 この句は北枝との別れの挨拶句のようだ。この句を萩原恭男は「不
要の扇にものを書いて破り捨てようとするが、さすがに名残惜しくて
できかねることだ。あなたとの別れも同じことです」と鑑賞している。
この解釈はおかしい。芭蕉は「扇引さく余波(なごり)哉」と表現し
ている。どこにも「名残惜しくてできかねる」とは書いていない。素
直に読めば、いらなくなった扇にものを書いて引き裂くような名残が
あなたとの別れにはあります。これが素直な解釈ではないだろうか。
 問題はものを書いて扇引き裂く扇との別れの余波(なごり)とはど
のようなことをいうのかということだ。いらなくなった扇は旅の邪魔
になるから引き裂く。夏が去り、秋になると涼を求める扇は邪魔にな
る。扇を「引きさく」と書き、捨てるとは書いていない。
 この句の季語は「扇引きさく」で秋の句なのであろう。歳時記を繙
くと秋扇(しゅうせん)、秋の扇、扇置く、捨扇等の季語がある。時
に適せず役にたたなくなったものをたとえる。今では使われることが
まれになった扇が捨ておかれたままになっている。寵愛を失った女性
を古語では意味したようだ。その侘しいたたずまいがこの季語の本意
のようだ。
 「扇引きさく」という言葉には侘しいもの悲しさがある。使うこと
がまれなった扇、役にたたなくなった扇である。あんなに耐え難かっ
た夏に涼をもたらしてくれた扇を手放す一抹の寂しさがある。「もの
書きて」とは夏に涼をもたらしてくれた扇に感謝する言葉を書き添え
たのかもしれない。
 当時貴重品であった紙を無造作に捨てることはできなかった。扇は
壊し、紙として再利用した。暑い夏に涼をもたらしてくれた扇に別れ
難い余波(なごり)があった。このようにも解釈できるのではと思う。
 元禄時代、芭蕉のような人々にとって扇子はきっと貴重品であった
に違いない。その貴重な扇子を引裂くほどの哀しみが北枝との別れに
はあった。実際、扇子を引裂くことはしなかったのではないか。これ
は哀しみを表現する比喩なのだ。
 当時の別れは今生の別れなのだ。打ち解けた俳句の世界を共有した
北枝との別れはもう二度と生きて会うことはない別れなのだ。現代に
あっては死に別れに匹敵する別れなのだ。それほど芭蕉と北枝とは打
ち解けあったのだ。この芭蕉の哀しみに対して北枝は微笑んでこの霧
の中にお別れして元気よく出発していこう。このような挨拶を交わし
た。それがこの句なのだ。
 また次のような解釈もある。久富哲雄は「夏の間使いなれた扇も、
秋となって捨てる時節になったが、あなたともいよいよ別れる時が来
た。離別の形見に酬和の吟を扇に書き付けて二つに引き裂き、それぞ
れに分かち持って、名残りを惜しむことであるよ」。芭蕉と北枝とは
互いに詩文を書き合い、分かち持って別れを惜しんだと鑑賞している。
どのように鑑賞しようと鑑賞者の勝手だ。それでいいと思う。私も勝
手に鑑賞していいのだ。ただ久富のような解釈が生ずる理由について
述べてみたい。
 芭蕉俳句集を開くと「もの書きて扇子へぎ分(わけ)る別れ哉」と
(卯辰集)ある。扇子をへぎ分るとは二枚の紙がのり合せられて作ら
れているものを引きはがすことである。だから、それぞれの紙に別れ
の言葉を書き、交換し、分かち持って別れを惜しんだという解釈が出
てくる。久富は卯辰集ある句を聖海することなく、上記のような鑑賞
をしているから納得しがたいと感じられる方のでてきるのではないか
と老婆心ながら思う。
 発案は卯辰集にある「もの書きて扇子へぎ分(わけ)る別れ哉」の
ようだ。芭蕉はこの発案の句を改定し「おくのほそ道」ある句を決定
稿にした。
 




















醸楽庵だより  17号   聖海

2014-12-01 12:29:16 | 随筆・小説
 
 塚も動け我泣声は秋の風  芭蕉

 私の気持ちに応えて、塚よ応えてほしい。私があなたに
どんなに会いたかったか、その気持ちをわかってほしい。
あなたが亡くなったと聞いて秋風のごとく悲しみにくれて
います。
 このような芭蕉の気持ちを表現した句でしょうか。小杉
一笑という金沢では有名な俳人に会いたいと思って芭蕉は
やってきた。芭蕉はまだ一度も一笑にあったことはない。
それにもかかわらずにこのような句を詠んだ。なにか一笑
からの手紙に芭蕉の心に触れるものがあったのであろう。
江戸時代にあって手紙は今では考えられないほど人と人と
を結びつける力があった。噂に聞く一笑の俳諧の力に学び
たいという気持ちが芭蕉にあったのかもしれない。きっと
芭蕉は人間関係を大事にする人であったのであろう。俳諧
そのものが人と人との交わりを楽しむ遊びでもあった。そ
んな遊び事に芭蕉は命をかけた。
 芭蕉は「塚よ動け」とは詠まずに「塚も動け」と詠んだ。
まずここに芭蕉の芸があるように思う。「
と「」ではどのような違いあるのだろう。
細見綾子の句に「春の雪青菜をゆでてゐたる間も」
がある。
 この「」は「春の雪」も「ゆでてい
たる間も」という解釈でいいと思う。「春の雪も」の「
は省略されている。この「」を読者に喚
起させる言葉が「ゆでていたる間「」の
」である。「塚動け」
と詠んだのでは「我泣声」の「
を読者に喚起させることはできない。だから「塚動け」
でなければならない。
 「我泣声は 秋の風」の中七の言葉と下五の言葉の間に
小さな切れがある。このことに気づかせてくれるのも「塚動け」
の働きである。「我泣声は」の
は、という意味をも表現していること
に気付く。
 この句の解釈は塚も動いて私の言葉に答えて下さい。私が
泣く声も私の哀しい思いを乗せた秋風になってあなたに語り
かけています。どうか私に一笑さん、応えて下さい。こう解
釈することで追善句になる。静かに故人を思う気持ちが表現
されることになる。
 芭蕉学の泰斗、鴇原退蔵がこの句ははげしい悲しみの情を
のべたと解釈したのに対して上野洋三は違和感を覚えた。こ
の句は慟哭の句ではない。そもそも追善句とは静かに故人へ
の思いを表現するものである。
 芭蕉の他の追善句を上野洋三は読む。

 なき人の小袖もいまや土用干し


 数ならぬ身とな思ひそ玉祭

 人の数にも入らない身だと思うことはないよ。私が今、
こうしてあなたの御霊をこうして供養しているのだから。
芭蕉は自分の身の周りの世話をしてくれた寿貞が薨(みま
か)ったとき詠んだ追善句である。芭蕉が一人、仏前に祈
る姿が瞼に浮かぶ。

 埋(うづみ)火(び)もきゆやなみだの烹(にゆ)る音

 火鉢の埋火も消え、悲しみの涙もなくなり、会葬の人もい
なくなった。囲炉裏にかかっている鉄瓶の音だけが部屋にこ
だましている。
 会葬者のいなくなった棺の前で故人を思う気持ちが静かに
表現されている。これが追善句なのだ。
 整えられ、鎮静された感情を表現してこそ此岸から彼岸に
向けて故人が彼岸に渡っても幸せであってほしいという気持
ちが表現されるのだと上野洋三は主張する。慟哭では追善に
ならない。
 この句を激情、慟哭を表現したものとするのが大勢の中に
あってこのような解釈をしたのは勇気ある試みであると思う。
私もこの上野洋三の解釈に従ってこの芭蕉の句を理解したい。