醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 108号  聖海

2015-03-03 11:01:34 | 随筆・小説

 軽いネ、軽い句だ

  しほらしき名や小松吹萩すゝき  芭蕉「おくのほそ道・小松」

句郎 芭蕉が石川県小松で詠んだ句。上五の「しほらしき」の「ほ」は「を」、「しをらしき」が正しい歴史的仮名遣いなのかな。
華女 岩波文庫の『芭蕉俳句集』には「しほらしき」の「ほ」を「を」とルビが振ってあるわよ。
句郎 岩波古語辞典を開くと「しほらし」と載っている。「シホ」は愛嬌と説明している。
華女 高校生が使っている『ベネッセ 全訳古語時短』には「しをらしき」が載っているわよ。芭蕉の句「しをらしき名や小松吹萩すすき」が用例として紹介されているわ。
句郎 「しほらし」が定家仮名遣いなのか、それとも「しほらし」で単語になっているのか。わからないね。大野晋は「しほらし」で単語になっていると主張しているのかな。
華女 「しをらし」が正しい歴史的仮名遣いだと高校の古典の授業では教えているのかもしれないわね。
句郎 高校の期末試験などでこの句が出題され、歴史的仮名遣いの間違っている箇所を指摘し、正しく訂正せよと、出題されたら困るね。
華女 試験とはそういうものなんじゃないの。真実か、どうかと、いうことではなく、授業でどのように教えたかを問うわけだから、学問上の真理というものとは関係ないのよ。
句郎 うーん。そうか。
華女 この句は「しほらしき名や」で切れている。中七の句中で切れている句ね。
句郎 中村草田男の句に「万緑の中や / 吾子の歯生え初むる」が現代俳句にあるね。
華女 すぐには思い出さないけれどもその他にもあるんでしようね。
句郎 「しほらしき名の小松吹萩すゝき」という一物仕立ての句だね。
華女 そうね。「や」を「の」に変えると普通の平叙文になるわね。
句郎 「や」という言葉は普通の平叙文を韻文にする凄い言葉だね。
華女 ホントにそうね。
句郎 芭蕉は「小松」という地名に可愛いらしさを感じて詠んだ句なのだろうね。それだけのような句だと思う。
華女 「萩」も「ススキ」も季語だけれども、ここでは萩とススキが一体化して「萩すゝき」が季語になっているのかしらね。
句郎 そうなんだろうね。こういう句を読むと季重なりなんていうことに気を使う必要がないね。思ったように俳句は詠んでいいように思うね。
華女 上手な人はそれていいのかもしれないけれども初心者はダメなんじゃないかしらね。
句郎 「名人に定跡なし」という言葉が将棋の世界にあるけれども、やはり初心者には定跡が必要ということかな。
華女 そうなんでしようね。
句郎 萩やススキがそよ風になびく可愛いらしさが小松という地名にはあるなぁーと。
華女 それだけの句よ。
句郎 軽いね。この軽さがいいと芭蕉は思うようになったのかもしれないなぁー。
華女 「軽み」ということ。
句郎 うん。「軽み」を芭蕉が唱えるようになったのは、「おくのほそ道」の旅を終えてからのようだよ。
華女 そうなんだ。
句郎 芭蕉が唱える「軽み」の精神が「しほらしき名の小松吹萩すゝき」、この句に息づいているように感じるなぁー。

醸楽庵だより 107号  聖海

2015-03-02 11:04:19 | 随筆・小説

 
  つれないネ、西日さん。 赤々と日は難面(つれなく)秋の風  芭蕉(おくのほそ道・金沢)

句郎 「赤々と日は難面(つれなく)も秋の風」。この句の前書きに「途中唫(ぎん)」とある。唫は吟でいいと思う。難しい字を書いているね。間違ったのかな。
華女 漢和辞典を調べてみたら「唫」という字はあったわ。
句郎 でも「途中唫(ぎん)」という熟語はどうなの。
華女 漢和辞典にはそのような熟語は無かったわ。「途中吟」でいいんじゃないかなと思うわ。
句郎 「途中吟」とあるからどこからどこへ行く途中で詠んだのか、いろいろ議論があったみたいだ。
華女 どこからどこへの途中で詠んだのかしら。
句郎 途中吟という点では「那古の浦」から「金沢」への途中なのか、それとも「金沢」から「小松」への途中かということだと思う。途中吟でなく、「金沢」で詠んだという主張もあるようだ。
華女 「金沢」で詠んだという主張は金沢に至る途中で句が出来て、金沢で書きとめたということかしら。
句郎 そうじゃなく、金沢の「立意庵」で秋の納涼俳諧を捲いた。その発句が「赤々と日は難面(つれなく)秋の風」であったという主張のようだ。
華女 曾良の「俳諧書留」に記録されているの。
句郎 この「赤々と日は難面(つれなく)秋の風」と言う句は曾良の「俳諧書留」に記載されていない。
華女 どうしてこの句が金沢の「立意庵」で秋の納涼俳諧を捲いた際の発句だということが分かるの。
句郎 文化年間というから芭蕉が亡くなっておよそ百年後、豊島由誓が筆記した『俳諧秋扇録』にこの句が載っているからのようだ。
華女 句郎君、詳しいわね。
句郎 そんなことないよ。図書館で借りてきた金森敦子著の『「曾良旅日記」を読む』の中に書いてあるんだ。
華女 街道をテクテク歩いている時に感じたことを詠んだ句のように思うわ。
句郎 そうだよね。「赤々と日は難面(つれなく)も」というのは西日に照り付けられて歩いている時に芭蕉が感じたことじゃないかと思うよね。
華女 そうね。晩夏の夕日、赤い夕陽でなく、煌々と照る夕日よね。照り輝く西日よ。
句郎 暑いあつい夕陽の中を歩いていると突然一筋の風に涼しさを感じる。この涼風に秋を感じるという句だと思う。
華女 古今集にあったわね。
句郎 藤原敏行の「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という歌の事かな。
華女 そうよ。この歌よ。芭蕉はこの歌が頭にあったのかしら。
句郎 そうなんじゃないかな。今の暦で立秋の頃はとても暑いからね。
華女 表現されていることは同じね。
句郎 表現されていることは同じあっても、俳句と和歌の違いがあるように思う。
華女 どんな違いがあるの。
句郎 「赤々と日は難面(つれなく)も」と芭蕉は表現している。この言葉の特に中七の「難面(つれなく)も」という言葉に俳句の味わいある。人情がないなぁーと、いう気持ちが表現されている。ここに俳句があるように思うんだけれどね。
華女 泣き言をいう自分を笑っているということね。
句郎 そうだよ。愚痴っているんだ。愚痴を言う自分を笑う。これが俳句というものなんじゃないかと思う。
華女 私もそう思うわ。和歌と俳句は違うわね。
 

醸楽庵だより 106号 聖海

2015-03-01 12:12:26 | 随筆・小説

   山の神さんは嫉妬深い

 居酒屋「此処」の暖簾を分けて入るとニコニコ顔のゲンちゃんがいた。

哲 ゲンちゃん、しばらくだね。一年ぶりくらいになるかな。
源 よせやい。おととい此処で飲んだばかりじゃないか。
哲 そうだったかな。本当にしばらく逢っていないような感じがしたもんだからさ。
源 テッちゃん、アルツの心配はないの。アルツにかかると昔の事の記憶はあるけど、直近のことの記憶はないというから心配だな。若年性痴呆症が流行っているというから一度見てもらってはどうなの。
哲 ゲンちゃん、止めてくれよ。勘弁してちょうだい。ゲンちゃんがこの間、話していた小説、何と言ったっけ。
源 「邂逅の森」かい。
哲 そうそう、「邂逅の森」読み始めたら止まらなくなっちゃってね。とうとう最後まで読んじゃったよ。
源 さすが、テッちゃんだね。なかなか面白かったろう。
哲 面白かったよ。「夜這い」の所なんか、面白かったな。
源 今でも、同じような話があるように感じるだろう。若い男が憧れる女には案外、男がいなかったりする。まあー、たまにだろうけれどね。
哲 うーん。それも男たちが物怖じして敬遠してしまうくらいな、いい女の場合だよね。思いきって、ダメ元で「夜這い」をかけたら受け入れてくれたという話だよね。
源 男は度胸だよ。見る前に飛ぶ勇気だよ。
哲 たまに、成功することもあるということかな。
源 俺はマタギの話に興味を持ったんだ。雪山に越冬するマタギに男を感じたのさ。
哲 山の神さんは醜女(しこめ)で嫉妬深い。我が家の山の神も醜女(しこめ)で嫉妬深い。嫉み始めたら手におえない。
源 そうだよ。だから俺なんか、清く貧しく生きているもんね。女房以外の女を知らない男なんて俺ぐらいなもんじゃないの。
哲 ゲンちゃん、そこまで言う。
源 ウソじゃないよ。
哲 昔、吉原に行った話はどうなの。マタギは山の神様の怒りをかわないよう、冬山の熊撃ちに初めて加わる者は一月も前から女を絶ち、禁欲する。きっと、これはマタギの慣わしだったんだろうね。
源 そうだよ。熊撃ちの雪山に初めて入る若者は下半身を露出し、一物を勃起させ祈る。女の山の神さんへの供物なんだろうな。参加するものは厳粛にその行事を執り行う。
哲 山の女の神さんもやはり若い男が好きに違いないと思っているところが面白いね。
源 そう信じて疑わず、ひたすら猟が安全にできますよう、祈る。ここに男がいる。そんな感じがするんだ。
哲 つい最近までこのような神話的な世界があったことに驚いたね。
源 家を建てる前に行う地鎮祭のように儀式というものは大事なことだと思うね。
哲 そうかもしれないね。小熊を抱えた熊は決して撃たない。自然の摂理には逆らわない。掟や仕来りを破ることは決してしない。
源 そうだよ。昔から伝えられている仕来りや掟は大事なことなんだよ。
哲 山の恵は神様から頂いたものだと言う思いが掟や仕来りを守らせていたんだろうね。
源 山に暮らす者は山を大事にする。当たり前のことなんだろうな。
哲 海に暮らす者は海を大事にする。荒れる海を恐れ、恵みを与えてくれる海に感謝する。これが当たり前の人々の在り方なんだろうね。
源 沖縄に生きる漁師たちがサンゴの海を破壊するなと米軍基地建設反対を唱えるのは尤もなことだと思うね。