醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  905号  白井一道

2018-11-09 11:20:24 | 随筆・小説


  あつみ山や吹浦かけて夕涼み  芭蕉  元禄二年


句郎 「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 上五の「あつみ山や」は字余りになっているわね。「あつみ山」は五音よね。なぜ芭蕉は敢て字余りにしたのかしらね。
句郎 ここに芭蕉の俳諧師としての力量が発揮されている。
華女 「あつみ山」でも「あつみ山や」でも、ここに切れがあるのよね。
句郎 そう、問題は切れにあると思う。句中の切れは俳句に何をもたらすのかな。例えば「閑(しずか)
さや岩にしみ入蝉の聲」の場合、切れ字「や」はどのような役割をしているのかな。
華女 「閑(しずか)さ」と「岩にしみ入蝉の聲」との間に半拍の間を設けるという役割をしているのが切れ字「や」の働きなんじゃないの。
句郎 そうそう、この間を設けることによって余韻のようなものが生れるのかな。最近、フジコヘミングのピアノを聞いた人の感想を読んだ。この感想の中で述べられていることは、音と音との間の間(ま)が素晴らしいとい
うようなことが書いていた。その微妙な間が音に深みを与えていると述べていた。同じ曲を何回聞いても毎回微妙に間が違う。何回聞いても飽きることがないとも書いていた。超絶技巧とは、どれだけ早く指先が動き回るということではなく、一音一音の輝きは間が生んでいるとね。俳句にあっても、間が読者の想像力を刺激する。俳句に深みをもたらすのではないかと思う。
華女 間(ま)ね。俳句は書かれた文字を読み、味わうものだからよね。読むとい う営みがもたらす感動が韻文というものなのよね。それは「切れ」という「間(ま)」がもたらすということなのね。
句郎 「あつみ山吹浦たけて夕涼み」としても「あつみ山」と「吹き浦かけて夕涼み」との間には切れがあるでしょ。
華女 そうよね。確かに「あつみ山」と「吹き浦かけて夕涼み」との間には半拍の間があるわね。それなのに芭蕉はなぜ「あつみ山や」と余計とも言えそうな「や」を付け加えたのかしらね。
句郎 「あつみ山」と「あつみ山や」とを口に出して読んでみるとどんな違いがあるかな。
華女 「あつみ山吹浦かけて」の場合は、すっきりつながって読めるわね。「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」の場合は、「あつみ山や」で少し渋滞するように感じるわ。
句郎 そうでしょ。「あつみ山」の場合の切れが半拍だったとしてら「あつみ山や」の場合の切れは一拍ぐらいの間がある感じがするでしょ。
華女 そうね。分かったわ。芭蕉は「あつみ山や」とすることによって間を深くしたのね。
句郎 そうなんじゃないのかなと私は考えている。
華女 間を深くすることによって芭蕉は何を表現したかったのかしら。
句郎 「あつみ山」から「吹浦」にかけての雄大な浜辺を表現するために「あつみ山や」と切れを深くしたのではないかと思う。
華女 確かに「あつみ山や」とした方が「あつみ山吹浦」より雄大な風景が瞼に浮かぶような気がするわ。
句郎 微妙な間を大きくすることができた。

醸楽庵だより  904号  白井一道

2018-11-08 11:07:12 | 随筆・小説


  語られぬ湯殿にぬらす袂かな  芭蕉  元禄二年

  
句郎 「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 この句の季語は何かしら。
句郎 季語らしい言葉がないよね。強いて言うなら「湯殿」しか、季語になりそうな言葉はない。現在出回っている歳時記を調べても季語「湯殿」は出ていない。当然だと思うよね。この「湯殿」は出羽三山の湯殿山を意味していると思うからね。地名としての山の名が季語になるとは誰も思わない。
華女 『おくのそ道』に芭蕉の「かたられぬ」の句と曽良の「湯殿山銭ふむ道の泪かな」が載せてあるわよね。この曽良の句にも季語らしい季語がないわよ。
句郎 そうそう、無季の句なのかなと思っちゃうよね。しかし季語はある。江戸時代には「湯殿詣」が夏の季語であった。江戸時代の記録には、陰暦六月の初めから二十日ばかりの間に詣でるというものと、陰暦の四月四日から八月八日までの間に詣でるという二通りがあったようだ。
華女 湯殿山参りが季語になるほど江戸時代には盛んだったということなのね。
句郎 芭蕉のこの句の季語は「湯殿」で季節は夏ということになる。
華女 曽良の句「湯殿山」も「湯殿山」が季語になっているのね。山の名が季語になるということがあるのね。
句郎 湯殿山を含めて羽黒三山は秘密の山だった。修験道の山だったからね。
華女 それが「語られぬ」ということなのね。
句郎 そう、『おくのほそ道』に「惣而(そうじて)此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず」と芭蕉は書いているから。
華女 「語られぬ湯殿にぬらす」とは何が濡れたのかしら。
句郎 一つは源定信の和歌「おとにだに袂をぬらす 時雨かな槇の板屋のよるの寐覺に」という金葉和歌集にある歌がある。泪で濡れた瞳を袂で拭いたと、いう言葉、「袂をぬらす」を継承していると同時にもう一つの意味を芭蕉は含ませているのではないかと思う。
華女 「湯殿にぬらす袂かな」とは、湯殿山から湧き出る温泉に袂を濡らしたのかなと思ったのよ。そうじゃないのね。秘境の山の秘密に触れた感動で泪が溢れ、袂で目を拭き、袂が濡れたということなのね。
句郎 湯殿山のご神体は古来よりマル秘とされ、見た者は「語る無かれ」 見てない者は「聞く無かれ」の禁忌(タブー)の戒律が厳守されてきていたから、その秘密を見た感動じゃないのかな。
華女 湯殿山のご神体とは、何なのかしら。
句郎 人の肌色をした岩の割れ目から温泉が噴き出している岩全体が湯殿山のご神体なんだ。その岩が女性の下半身に似ているところから、人々は湯殿山を恋の山というようになった。更に湯殿山は羽黒山、月山の奥の院になっている。
華女 もう一つの意味とは、命の誕生ということね。命誕生の秘密に触れたということね。
句郎 人類の繁栄を願った女体信仰が世界中にある。その一つが湯殿山信仰だったということなのかな。生命誕生の秘密は秘密だから語られてきた。

醸楽庵だより  903号  白井一道

2018-11-06 11:06:59 | 随筆・小説


  雲の峰幾つ崩れて月の山 芭蕉  元禄二年


句郎 「雲の峰幾つ崩れて月の山」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 この句の季語は何なのかしら。「月」でいいのかしらね。
句郎 「山の月」だったら季語は「月」ということになるのかもしれない。この句は「月の山」になっている。「月の山」とは、出羽三山(でわさんざん)の一つ、月山のことを言っている。
華女 出羽三山とは、山形県村山地方・庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山のことを言うのよね。
句郎 そう、日本古来の山岳信仰をもとに仏教が融合した神仏習合の権現信仰が修験道のようだ。その本場が出羽三山なのかな。
華女 出羽三山はパワースポットなのよね。だから今でも若い女性に人気のある山みたいよ。
句郎 江戸時代にあっては「西の伊勢参り、東の奥参り」といわれていたようだ。その「東の奥参り」とは、出羽三山だったようだ。一生に一度は参りたいと言われていた。
華女 江戸時代の庶民にとって神社や寺参りは数少
ない娯楽だったんでしょう。信仰は同時に遊びでもあったんだと思うわ。
句郎 芭蕉の陸奥の旅『おくのほそ道』は当時にあっては冒険の旅であった。また別の見方をすれば信仰に基づいた遍路の旅、巡礼であった。
華女 芭蕉は出羽三山への宗教登山をしたのね。修験道の山岳信仰というと熊野三山とも言わているわよ。
句郎 熊野にもまた日本全国にある熊野神社の総本社である熊野本宮大社がある。今も修験道が行われている。
華女 芭蕉が月山に宗教登山したときのことを詠んだ句が「雲の峰幾つ崩れて月の山」ということなのね。
句郎 そのようだ。この句は俳諧の発句ではないようだ。自立した俳句だと言えるように思う。
華女 深山幽谷の神仏の世界に入ったという感慨を詠んでいるということね。
句郎 「雲の峰」とは、入道雲のことを言うようだから、いくつもの入道雲、雲の峰が崩れていくのを越え権現様のいる世界に入った。そこは月の山だった。
華女 雲の上の神仏のまします世界を詠んだということなのね。
句郎 「雲の峰」という季語には光の輝きがあるでしょ。その光の輝きに昔の人々は神の世界を感じたと同時にそこは死の世界でもあった。森敦は小説『月山』の中で「長らく庄内平野を転々としてきた「私」にとって、この山はまず死者の行くあの世の山として捉えられる。
  月山が、古来、死者の行くあの世の山とされていたのも、死こそはわたしたちにとってまさにあるべき唯一のものでありながら、そのいかなるものかを覗わせようと  せず、ひとたび覗えば語ることを許さぬ、死のたくらみめいたものを感じさせるためかもしれません。」とね。
 「雲の峰」の彼方は神の世界であると同時に死の世界でもあった。
華女 この「雲の峰」の句は芭蕉の宗教登山をした経験が生んだ句なのね。
句郎 芭蕉にとっては、初めての月山登山、神秘体験に基づく句だったということなのかな。

醸楽庵だより  902号  白井一道

2018-11-06 11:06:59 | 随筆・小説


  五月雨をあつめて早し最上川  芭蕉  元禄二年


句郎 「五月雨をあつめて早し最上川」、『おくのほそ道』に載せてある有名な句を鑑賞したい。
華女 高校の古典の教科書に載せてある句よね。何を教わったのか、すべて忘れてしまったけれどもこの句は記憶に残っているわ。
句郎 この句は元禄二年五月二九日(七月十五日)、山形、大石田の高野平右衛門(俳号一栄)亭で巻かれた歌仙の発句「五月雨を集めて涼し最上川」を推敲し『おくのほそ道』に載せた句のようだ。
華女 この句は、主人の一
 栄への挨拶句ね。「今日はお招きいただきありがとうございます。五月雨を流す最上川からの風が涼しゅうございますね」と、芭蕉は一栄に挨拶をしたわけね。
句郎 俳句は挨拶だと山本健吉が述べている。ほんとにそうだと思うね。
華女 俳句は挨拶よ。だから日本人の挨拶は、天気のことなのよ。私、初任の頃ね。事務室にいたのよ。そのときお客さんが入ってきて「お暑うございます」と言ったのよ。事務長も「ほんとに暑いですね。どうぞ、こちら
に」とソファーを勧めたのよ。あぁー、これが大人の挨拶というものなんだと思ったわ。
句郎 挨拶は国によって違うようだから、日本の挨拶は天候から入るから。日本の挨拶文化が俳句を生んだということが言えるようにも思うな。
華女 日本の挨拶文化と俳句とは関係があるのかもしれないわね。
句郎 挨拶というわけじゃないけれども子規の句にあるんだ。「毎年よ、彼岸の入りの寒いのは」。「母の詩、自ら 句となりて」という前書きがある。 亡きお母さんの生前の口癖がそのままこんな句になった。「お母さん、お彼岸だというのに寒いなあ」と言うと「毎年よ、彼岸の入りの寒いのは」と子規の母は答えられたという。
華女 挨拶にもなるような言葉よね。「彼岸の入りが寒いのは毎年ね」と挨拶できるようにも思うわね。
句郎 挨拶文句は俳句になるということかな。
華女 口頭の挨拶文句を書いたとき俳句になったのかもしれないわ。
句郎 俳諧の発句「五月雨を集めて涼し最上川」を『おくのほそ道』に載せるとき、芭蕉は推敲し「五月雨をあつめて早し最上川」と修正したことによって俳諧の発句は俳句になった。
華女 俳諧の発句は『おくのほそ道』という紀行文の載せるという営みの中でそれまでなかった新しい文学、俳句が誕生したということなのね。
句郎 それまでのアンソロジーとしての俳諧集ではなく、『おくのほそ道』のような紀行文というか、俳文を芭蕉が書くことによってそれまでの俳諧というものから俳句という新しい文学を創造してしまったということなのかもしれないな。
華女 芭蕉は意識的に新しい文学を創造したいと思ってしたことではなく、ただ書きたいから書いていたら偶然、新しい文学俳句が生れてしまったということなのね。
句郎 そうだと思う。俳文を書くという営みが俳句を生んだ。「五月雨を集めて涼し最上川」は俳諧の発句だが、「五月雨をあつめて早し最上川」は、この一句だけで自立した一つの世界を表現している。

醸楽庵だより  901号  白井一道

2018-11-05 07:57:35 | 随筆・小説


 閑(しづか)さや岩にしみ入蝉の聲  芭蕉  元禄二年

 

句郎 「閑(しづか)さや岩にしみ入蝉の聲」、『おくのほそ道』に載せてある有名な句を鑑賞したい。
華女 中学生なら誰でも知っている句だと言えそうな句よね。
句郎 曽良の『俳諧書留』には「立石寺」と前詞を置き「山寺や石(いわ)にしみつく蝉の聲」とある。
華女 上五が「山寺や」じゃ、素人の句の域を出ないわね。
句郎 この句の他にも伝わっている句形がある。「さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ」、淋しさの岩にしみ込せみの聲」がある。
華女 芭蕉は推敲する人だったのね。
句郎 推敲の結果、「「閑(しづか)さや」の句は文学になった。
華女 蝉の大きな鳴き声を山寺の林間に聞きながら芭蕉の心の底に静かさが染み渡っていっているのよね。
句郎 蝉の鳴き声を詠んで静かさを表現した名句中の名句の一つなんだろうな。
華女 神々しい荘厳な静かさよね。仏様がおられる静かさよ。そのような心の世界が表現されているように思うわ。
句郎 「閑さ」とは芭蕉の心の世界だ。心の世界を表現した「閑さ」と「岩にしみ入蝉の聲」との取り合わせの句になっている。
華女 座禅をくんだ時に広がってくるような静かさをこの句を読むと感じるわ。
句郎 蝉の声はしているのに静かだということだよね。これは矛盾している。にもかかわらず蝉の鳴き声と静かさとは一体のものとして感じられる。
華女 般若心経の世界のよね。
句郎 そう、そう、絶対矛盾の自己同一のようなものなのかな。般若心経の「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。」を表現しているとも言えるように思うな。
華女 「閑さや」とは、「空」ということね。「蝉の聲」とは「色」ということね。
句郎 そう、蝉の声は聞こえているのだから「色」゛だよね。「閑さ」とは、目に見えるものじゃないから「空」かな。
華女 蝉の聲は岩に染み入ってしまって無くなってしまっているということなのよね。
句郎 蝉の鳴き声が岩にしみ入るはずがないから岩とは、芭蕉の心の中の岩に蝉の聲は染み入って静かになったということかな。
華女 「色即是空。空即是色」とは、そのようなことなのね。
句郎 芭蕉は禅の師匠仏頂和尚に『おくのほそ道』の旅の途中、那須黒羽の雲厳寺を訪ね、佛頂の修業跡で「啄木鳥も庵は破らず夏木立」と詠んでいるくらいだからね。芭蕉には禅の素養が備わっていたのじゃないのかな。
華女 「閑さや」の句は禅の世界を表現した句だといえるということなのかしらね。
句郎 そんな気がしてきたな。禅の世界のリアリティーのようなものが「閑さや」の句にはあるように考えているんだ。
華女 芭蕉には禅の教養があったからこのような句が詠めたということなのかしらね。
句郎 そうなのかもしれない。「閑さや」の句には禅宗の教養の影響があるのではないかと私は考えている。
華女 そのような教養が俳諧を文学にしたのかもね。

醸楽庵だより  号外3号  白井一道

2018-11-03 11:02:01 | 随筆・小説


 徴用工判決について  宮武嶺氏のブログを転載させていただきました。


 朝鮮半島が大日本帝国の植民地にされ、日本統治下にあった戦時中、日本本土の工場に強制徴用された韓国人の元徴用工4人が、新日鉄住金を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、韓国大法院(日本で言う最高裁)は、個人の請求権を認めた控訴審判決を支持し、同社の上告を退けました。
 これにより、同社に1人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定したのですが、この判決に対して、日本では官民挙げて猛攻撃しています。
 いわく
「日韓請求権協定で、強制徴用の問題も含めて最終解決しているのだから、この判決は不当な蒸し返しである」
 確かに、1965年に日韓国交正常化に伴い締結された日韓請求協定では、日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルを供与することで、
「両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決されたと確認する」(2条)
とされています。
 しかし、ここで最終解決されたという「請求権」の具体的な対象は明記されていませんし、本件のように被害者個人が日本企業に請求する
「個人請求権」
という言葉は言葉さえ出てきていませんから、この中に含まれていないことは明らかです。
 日韓請求権協定は国と国同士の一種の条約ですから、国とは別人格の個人の権利を勝手に放棄したりすることはできません。条文にも「両国間の」とあるように、これは国同士がお互いに賠償請求しないことを決めた協定であることは実は明白です。
 そして、このことを日本の外務省も日本の国会で何度も説明してきました。
 たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会では、当時の柳井俊二・外務省条約局長がこの日韓請求権協定について、「両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した」の意味を、以下のように答弁しています。
「その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。
 したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます」

 同じく、柳井氏は別の時にこう詳しく説明しています。
「しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます」
「この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます」(1992年2月26日衆院外務委員会)
 柳井氏は非常に有名な外務官僚で、後に外務省の事務方トップの事務次官、外交官としてトップの駐米大使も務めたエリート中のエリートですが、その人が条約関係をつかさどる条約局のトップであるときに、日韓請求権協定について
「この条約は個人の請求権を直接消滅させたものではない」
と明言しているのです。
 また、
「韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない」
とも断言しているのですから、ましてや、強制徴用で働かせた直接の加害者である日本企業に請求を提起することは、日韓請求権協定から全く問題はないことは明らかなのです。
 これでは、日本の政府も企業もマスコミもネット右翼も、日韓請求権協定で個人の賠償請求権まで解決済みだなんて、口が裂けても恥ずかしくて言えないと思いませんか?


醸楽庵だより  900号  白井一道

2018-11-03 10:40:55 | 随筆・小説


  まゆはきを俤にして紅の花  芭蕉  元禄二年


句郎 「まゆはきを俤にして紅の花」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 この句、世俗を逃れ風雅に生きる俳人の句じゃないわね。
句郎 俳諧師とは、世俗に生きる遊び人だったのかもしれないよ。
華女 芭蕉とは、そんな人だったのかしら。
句郎 元禄時代、「まゆはき」などという化粧道具を使う女性は色町、遊郭に生きる女性たちだったんじゃないのかな。
華女 芭蕉も遊郭で遊んだ経験のある人だったのか
しらね。
句郎 遊郭での遊びは勿論、宿場町の飯盛り女や女郎と遊んだ経験は豊富にあったと思う。だからこそ「まゆはきを俤にして」などという言葉が出てきたのではないかと思うよ。
華女 紅は高級品だったのよね。花魁と言われるような高級娼婦でなきゃ、頬紅や口紅など塗れなかったのじゃないのかしら。
句郎 紅一匁は金一匁に相当したようだからね。芭蕉はこの句を尾花沢で詠んでいる。尾花沢は紅花の産地だった。芭蕉がお世話になった鈴木清風は
紅花商人として富を蓄えた人だった。現代にあっても最上紅花は高級品として珍重されているらしいよ。
華女 お化粧した女と遊んだことを思い出してこの句を詠んだのかしらね。
句郎 きっとそうだと思う。芭蕉は清貧に生きた俳諧師ではなかった。世俗の垢にまみれた世界に生きた俳諧師だった。もともと俳諧師とは、世俗の塵にまみれて生きる今でいうなら芸能人の一人だったと考えている。
華女 芭蕉は芸能人。そうなのね。分かるような気がするわ。西鶴は芸能人よね。俳諧師、大衆小説家、それが西鶴よね。芭蕉も基本的には西鶴と同じような人だったのよね。
句郎 尾花沢は紅花の産地だ。紅花を見て芭蕉はお化粧する花魁を想像したんだと思うな。
華女 芭蕉も花魁と一夜を過ごしたことがあったのね。
句郎 花魁のことを傾城とも言われていたから、とても高値の花だった。芭蕉は花魁を揚げるほどのお金を持ったことはなかったろうから、花魁を遠くから見た経験はあったかもしれないな。
華女 芭蕉庵から吉原は近いわよね。芭蕉も吉原へは通ったことがあったのかしらね。
句郎 まゆはきというお化粧道具を知っているということは、お化粧する女性を間近に見た経験があったということだと思うな。男は化粧する女を見てはいけないという男文化があるようだからね。その男文化を犯してお化粧する女を見た経験があるということは、馴染んだ女がいたのかもしれないな。
華女 伊賀上野から出てきて上水道工事の請負をしていたというじゃない。芭蕉は商売人としても成功しているのよね。遊んだのはその頃のことなんじゃないのかしら。
句郎 そうなのかもしれない。吉原で若かった頃、初めて遊んだことを思い出して詠んだ句が「まゆはきを俤にして紅の花」だったのかもしれないな。尾花沢の紅花畑に咲く紅花を見て想像力が刺激されたのかもしれないな。
華女 眉についた白粉を払い落とす道具がまゆはきよね。

醸楽庵だより  号外2号  白井一道

2018-11-02 11:30:35 | 随筆・小説


【社説】辺野古工事再開 民意無視してなぜ急ぐ   中国新聞社  2018/11/02 09:01


 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設を巡り、政府はきのう、沖縄県が承認を撤回していた名護市辺野古沿岸部の埋め立て工事を再開した。石井啓一国土交通相が、工事主体である沖縄防衛局の申し立てに基づいて、県による承認撤回処分の効力停止を決めたためである。
 しかし政府機関である防衛局の訴えに対し、国交相がお墨付きを与えるとはいかがなものか。「出来レース」と批判されても仕方あるまい。
 何より沖縄県知事選で改めて示された民意を踏みにじっての強行である。辺野古移設に反対する玉城デニー氏の圧勝を受け、安倍晋三首相は「選挙結果を真摯(しんし)に受け止める」と明言していたではないか。
 先月、玉城氏と会談した折にも、安倍首相は「県民の気持ちに寄り添いながら、基地負担軽減に向け一つ一つ着実に結果を出す」と語ったばかりだ。
 なのになぜ、県と十分協議をしないまま、辺野古の埋め立て工事を問答無用で急ぐのか。
 沖縄防衛局の申し立ては、行政不服審査法に基づく。同法は行政から不当な処分を受けた国民個人の「権利利益の救済を図ること」を目的としている。
 しかし沖縄防衛局を個人とみなすことにまず無理があろう。2人の副知事が相次いで「国の暴挙だ」「理不尽だ」と訴えたのもうなずける。
 政府は年内にも、沿岸部への土砂投入まで進めたい考えのようだ。土砂が投入されれば、もはや原状回復は困難となる。既成事実をつくろうと急いでいるに違いない。
 県は対抗策として、近く総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を求め、認められなければ高裁への提訴を検討する方針という。政府が対話を拒否して強引に工事を進めれば、県とのより激しい対立を招くのは目に見えている。
 いま政府がすべきは、「辺野古が唯一の解決策」と新基地建設をごり押しすることではない。知事選で「ノー」を突き付けた沖縄の民意を盾に、米政府と再交渉することだ。日本の捜査権や裁判権を制約する不平等な日米地位協定の抜本的見直しにも着手すべきではないか。
 そもそも政府は2019年2月までの普天間の運用停止に向け、「最大限努力する」と約束したはずだ。運用停止が見通せない中で、辺野古の埋め立てを強行するのはおかしい。
 沖縄県では、埋め立ての是非を問う県民投票条例が成立し、来春までに実施される見通しだ。きのう国会で、投票結果を尊重するか尋ねられた安倍首相は「地方自治体の独自の条例に関わる事柄について政府として見解を述べることは差し控えたい」と逃げた。県民投票の結果には法的拘束力はない。それを見越して、軽んじているのかもしれない。
 安倍首相は先日の国会での所信表明演説を忘れたのだろうか。日本で初めて本格的な政党内閣を築いた原敬の言葉を引用し、「常に民意の存するところを考察すべし」と述べていた。
 一方の玉城氏は工事再開を受け、記者団に対し「引き続き対話によって解決策を導く民主主義の姿勢を粘り強く求めたい」と訴えた。政府は今こそ、強硬姿勢を改め、沖縄の民意にしっかりと向き合うべきだ。

醸楽庵だより  899号  白井一道

2018-11-02 11:08:26 | 随筆・小説


  這出よかひやが下のひきの聲  芭蕉  元禄二年


句郎 「這出よかひやが下のひきの聲」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 この句を読んだ時、どうしたわけか分からないけれど、中村草田男の句「蟾蜍(ひきがえる)長子家去る由もなし」を思いだしたのよ。
句郎 「蟾蜍」を詠んでいるところが俳諧だと思ったからなのかな。
華女 あまり見たくない生き物よね。そのような生き物を詠む。ここに社会の底辺に生きる人間の優しさのようなものを感じるのよね。
句郎 この句について蓑笠庵梨一の『おくのほそ道』注釈書『奥細道菅菰抄』によると万葉集の歌を継承していると注釈している。
華女 万葉の時代に蟾蜍を詠んだ歌があるの?
句郎 「鹿火屋(かいや)が下の」という言葉を芭蕉は継承しているということのようだ。
華女 どんな歌なのかしら。
句郎 『奥細道菅菰抄』に紹介されている万葉歌は「あさがすみかひやが下になく蛙(かわず)忍びつつありとつげんとも哉」だ。この歌をネットで検
 索しても出てこない。探し当てた歌は「朝霞(あさがすみ)鹿火屋(かいや)が下の鳴くかはづ偲ひつつありと告げむ子もがも」(巻16/3818)。もう一つの歌が「朝霞鹿火屋(かいや)が下に鳴くかはづ声だに聞かば我れ恋ひめやも」だった。「鹿火屋(かいや)が下に鳴くかはづ」という言葉が歌詞に当時なっていたということなのかな。「朝霞」は「鹿火屋」の枕言葉だった。
華女 芭蕉は万葉集の言葉に俳諧の言葉を発見したということなのかしらね。
句郎 芭蕉は「鹿火屋(かいや)」を蚕を飼う「飼屋(かいや)」に、「かはづ」を「蟇(ひき)」にして詠んだ。
華女 万葉集にある「鹿火屋(かいや)」とは、何なの。
句郎 「鹿火屋(かひや)」とは田畑を鹿や猪などから守るために火をたく番小屋。また一説に、蚊やり火をたく小屋ともいわれているようだ。
華女 芭蕉は万葉の歌を換骨奪胎して新しい俳諧の句を詠んだということね。
句郎 そうだよね。万葉の歌は恋の歌のようだから。「朝霞(あさがすみ)鹿火屋(かいや)が下の鳴くかはづ偲ひつつありと告げむ子もがも」の歌意は、鹿火屋の陰で鳴く蛙の声のように (あなたを)ずっとお慕い続けておりますのよと言ってくれる娘がいたらいいのになぁ」というような意味らしい。またもう一つの歌が詠っていることは、鹿火屋の下で鳴くかはづの声を聞くとあなたへの思いがつのりますと、言うようなことだからな。
華女 恋を詠った歌から江戸庶民の人情を詠った句に芭蕉はしたのね。
句郎 そう。「かはづ」は蛙でも、芭蕉は蟇蛙に呼び掛けている。飼屋の下から這い出てきてくれよと、ね。蟇蛙(ひきがえる)の鳴き声に芭蕉は心を動かされている。
華女 芭蕉は心優しい人だったのね。蟇蛙はガマガエルよね。私は見たいとは思わないわ。体中が疣(いぼ)でおおわれているじゃない。気持ち悪い生き物よね。
句郎 そう。でもどっしりした存在感がある。だから草田男は詠んだ。「蟾蜍長子家去る由もなし」と

醸楽庵だより  号外1号  白井一道  

2018-11-01 13:04:19 | 随筆・小説


  沖縄、辺野古新基地沿岸埋め立ての承認撤回を石井啓一国交大臣は執行停止を決定   

 2018年10月30日、石井啓一国交相(公明党)が沖縄県による辺野古新基地沿岸埋め立ての承認撤回について、執行停止を決定した。2018年8月30日に沖縄県が行った埋立て承認取り消しに対し、防衛省沖縄防衛局長は国交相に、行政不服審査請求と同時に執行停止の申立てを行った。

 これに対し、沖縄県が国交相に執行停止申立てに対する意見書を提出したのが、10月25日。それからわずか5日後の執行停止決定である。
 安倍政権は法治主義を捻じ曲げ、違法な行為をしている。
 行政法学会の声明を紹介したい。

         行政法研究者有志声明

 周知のように、翁長雄志沖縄県知事は去る10月13日に、仲井眞弘多前知事が行った辺野古沿岸部への米軍新基地建設のための公有水面埋立承認を取り消した。これに対し、沖縄防衛局は、10月14日に、一般私人と同様の立場において行政不服審査法に基づき国土交通大臣に対し審査請求をするとともに、執行停止措置の申立てをした。この申立てについて、国土交通大臣が近日中に埋立承認取消処分の執行停止を命じることが確実視されている。
 しかし、この審査請求は、沖縄防衛局が基地の建設という目的のために申請した埋立承認を取り消したことについて行われたものである。行政処分につき固有の資格において相手方となった場合には、行政主体・行政機関が当該行政処分の審査請求をすることを現行の行政不服審査法は予定しておらず(参照、行審1条1項)、かつ、来年に施行される新法は当該処分を明示的に適用除外としている(新行審7条2項)。したがって、この審査請求は不適法であり、執行停止の申立てもまた不適法なものである。
 また、沖縄防衛局は、すでに説明したように「一般私人と同様の立場」で審査請求人・執行停止申立人になり、他方では、国土交通大臣が審査庁として執行停止も行おうとしている。これは、一方で国の行政機関である沖縄防衛局が「私人」になりすまし、他方で同じく国の行政機関である国土交通大臣が、この「私人」としての沖縄防衛局の審査請求を受け、恣意的に執行停止・裁決を行おうというものである。
 このような政府がとっている手法は、国民の権利救済制度である行政不服審査制度を濫用するものであって、じつに不公正であり、法治国家に悖るものといわざるを得ない。
法治国家の理念を実現するために日々教育・研究に従事している私たち行政法研究者にとって、このような事態は極めて憂慮の念に堪えないものである。国土交通大臣においては、今回の沖縄防衛局による執行停止の申立てをただちに却下するとともに、審査請求も却下することを求める。
呼びかけ人(50音順)
 岡田正則(早稲田大学教授) 紙野健二(名古屋大学教授)
 木佐茂男(九州大学教授) 白藤博行(専修大学教授)
 本多滝夫(龍谷大学教授)  山下竜一(北海道大学教授)
 亘理格(中央大学教授)