宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

「日本の民主的革命=変革は選挙で示された国民多数の意思と合意によりに平和的に前進する」 (1)

2020年02月16日 | 野党連合政権への展望

 「しんぶん赤旗」14日付の志位委員長の会見(13日」)記事を読み、安倍首相の「追い込まれた姿」が強く印象付けられました。

 志位氏の会見は、13日の衆院本会議で日本維新の会の議員が「日本共産党が破壊活動防止法の調査対象となっている理由の説明を」「共産党を含む野党連合政権が樹立されれば、かつての民主党政権よりもひどい悪夢が再来する」などと質問したことに対し、安倍晋三首相が「日本共産党は昭和26年から28年ごろにかけて団体の活動として暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」「現在においてもいわゆる敵の出方論にたった暴力革命の方針に変更はないものと認識しており、破壊活動防止法に基ずく調査の対象になっている」などと答弁したことに対する、「断固とした抗議」の内容です。

 この種の反共攻撃は、歴史上何度も繰り返されてきましたが、志位氏が強調したように、「時の首相の口から『共産党は暴力革命の党』という発言がされたのは前例がない異常なことであり、きわめて重大です」

 私が、この記事を読み思い出したことは、1976年の衆議院本会議場での春日一幸民社党委員長の反共攻撃でした。偶然、テレビ中継で私も視聴したもので記憶に残っています。このことに関して、不破さんの「日本共産党史を語る(下)」から、紹介したいと思います。

「支配勢力は、共産党封じ込めの目的をやりとげるために、さらに手のこんだ悪質な攻撃を用意していました。それが、76年1月、国会の檀上からの共産党攻撃でした。それは、戦前の治安維持法による弾圧体制のもとで起こった事件を利用して、共産党の最高責任者である宮本委員長を『殺人者』と非難し、これを、共産党が『暴力と独裁の党』であることの最大の裏づけにしようという攻撃です」{「同書」181頁)

「事件の内容は、すでに第1講の戦前の党史(上巻71~72頁)で話ましたが、この反共攻撃の首謀者たちは、もっともらしい法的体裁をととのえるために、鬼頭という判事補を宮本さんが送られた刑務所のある網走にまで送り、外に出してはならない関係文書を持ち出すことまでやりました」(同上)

「そして、この問題での日本共産党攻撃の先頭に立つ役目を買ってでたのは、自民党ではなく、野党である民社党の委員長春日一幸氏でした。その野党の委員長が、治安維持法下の弾圧警察の告発をそのまま蒸し返して、テレビで全国中継されている国会の檀上から、日本共産党の責任者に『殺人』の避難を浴びせ、戦時下の有罪判決はいまなを有効だと叫んだのです」(同上)

「この問題は、戦後すでに法的な決着がついていましたが、共産党攻撃のためには、そんなことは頭から無視しての無法な攻撃でした。 しかし、どんな無法な非難中傷であっても、国会という公式の政治的舞台での攻撃でしたから、マスコミも大々的に取り上げました」(同書182頁)

「この年だけでなく、それ以降、ことあるごとに、日本共産党に攻撃を集中した異常なキャンペーンを展開することが、マスメディアの世界では、当たり前のことになってゆきました」(同書182頁)

 しかし、歴史は前進、発展しているのではないでしょうか。