また一人、『葉隠』の真髄に迫る人物像を戸田秋谷の中に見た。著者がここに秋谷という人物で具象化したという思いだ。その基底は同じとしても、『いのちなりけり』の主人公、雨宮蔵人とは違った形での真髄の体得者像である。
10年後に切腹する旨を沙汰され、凜として、泰然として、与えられた課題を日々成し遂げつつ、その日を従容として迎えられる人物が実在し得るのか・・・・凡人には及び難い生き様である。本書が設定した豊後の多分小藩・根藩という世界では、場所を得た人物としてリアルに描かれている。
切腹という終着点の作品でありながら読後感は爽やかである。その精神は復活するという余韻を感じさせ、ここに描き出された秋谷の生き様から凜とした思いが印象に残る作品になっている。
冒頭で簡潔に秋谷のプロフィールが述べられる。「額が広く眉尻があがって、鼻が高い。あごが張った立派な顔に、微笑んでいるのかどうかわからないほどの笑みを浮かべている。」(p9)、「若いころから文武に優れていたと言われ、眼心流剣術、制剛流柔術、以心流居合術を修行し、特に宝蔵院流十文字槍術は奥義に達したという。さらに和歌、漢籍の素養も深い」(p10)。そして、27歳で郡奉行に抜擢され5年間努めた時には、巡察中に草が繁茂した田を目にし、「従者とともに田に入って自ら草を抜」(p10)くという行動を取れる人。勘定方として務めていた時には、「悪しき風習に染まらず、なすべきことをいたしたいと存じます」(p132)と言い切る人物なのだ。一種のスーパー・サムライである。
こんな人物が、江戸表の中老格用人として務めていた時、「江戸屋敷でご側室と密通し、そのことに気づいた小姓を切り捨てた」罪に問われたのだ。御家の恥を出さぬために、極秘に処理され、もともとの所領だった向山村に幽閉の身となり、藩主から既に秋谷が着手していた「三浦家譜」の編纂を続けるようにと沙汰を受ける。「小姓を切ったのが八月八日だったゆえ、十年後の八月八日を切腹する日と期限を切って」の編纂作業に10年を費やすという生活が始まる。そして、秋谷の所領向山村はお咎めで取りあげとなり、家老中根兵右衞門の所領に帰す。
秋谷の家譜編纂作業に、家老の指示により、元祐筆役の壇野庄三郎が家譜清書の役目として配されることになる。この田宮流居合術に秀でる庄三郎は、些細なことから同輩かつ親友である水上信吾と城中で喧嘩騒ぎとなり、刀を抜いて水上の右足を斬るという不祥事を起こしたのだ。切腹となるべきところを、家譜清書役の沙汰を受ける。だがそれは、家老の意図から、秋谷の監視役となり、場合によっては秋谷及び家族一同を亡き者にせよという裏の使命が含まれた措置でもあった。
本書の多くのページは、秋谷が「三浦家譜」編纂を継続するプロセスに費やされ、それと併行するように、元秋谷の所領であった向山村の庄屋を含めた農民たちとの関わりが描かれていく。農民との関わりはその年の天候の影響を受け、生活に直結する年貢問題とその周辺事情である。村人は元郡奉行だった秋谷に変わらぬ信頼感を寄せている。ここに、農民と武士の関わりが描き出されていく。士農工商という江戸時代の社会制度の実態の一面を描出することが著者のサブテーマになっているのではないかと受け止めた。
本書では、二つの「推理」プロセスが相互に絡み合いながら展開していく。これがひとつの読みどころだろう。
一つは、庄三郎の目を通して、秋谷の不義密通という罪の真相を解き明かしていくというプロセスである。瓦岳南麓にある禅寺長久寺の慶仙和尚は、庄三郎の問いに対して、「秋谷殿はおのれのために、あのようなことをしたのではない、ということだ」(p50)と述べる。それは、何を意味しているのか。
もう一つは、秋谷と庄三郎が会話を重ねながら、家譜編纂のために、三浦家の歴史的変遷における不明瞭な事件・事実を分析、探究していくプロセスである。
家譜草稿の中に、幾つかの重大な事件が散見される。寛永8年(1631)の「家来騒動」、宝暦4年(1754)11月「五平太騒動の事」、天明元年(1781)辛丑十月「義民上訴之事」などだ。そして、「法性院様御由緒書」(先代藩主の正室、お美代の方様の由緒書)の謎が重ねられていく。
どちらかというと、淡々と謎解きが進められていくプロセスである。あたかも秋谷の心の姿を映すかのごとくに・・・・
また、別の視点もある。
それは、秋谷とその家族、監視役・家譜清書役としての庄三郎、根藩の家老を中心とした武士群ならびに向山村の村民たち-そのなかでも特に源吉-という一群の人々の心の有り様だ。これがもうひとつの読み応えといえる。不変の心情及び移ろいゆく心情。
切腹の日限まであと3年という段階から本書は始まる。家譜編纂作業に泰然として専念し、一方で向山村の村民の問題にも関心を示し、助言する秋谷の心の様相、その秋谷の姿に感化されていき、秋谷とその家族を守らねばという方向に意識転換していく庄三郎、家老を取りまく一群の武士達の「葉隠」精神とは逆の心の様、年貢に関わる村民の様々な思いなどである。秋谷の子息・郁太郎の友達である隣家の子・源吉の心映えに、逆に著者は「葉隠」の精神を投影している思いにすらなった。
庄三郎に心の変容を起こさせるのは、まずは秋谷の家譜編纂作業における、事実重視の姿勢だろう。家譜の中に、偽り、虚飾が紛れ込まぬよう、徹底して記録、証拠に基づく事実を考究し、その結果を客観的に書き残こそうとする態度。そこに一切の私信をはさまない姿勢である。
「御家の真を伝えてこそ、忠であるとそれがしは存じており申す。偽りで固めれば、家臣、領民の心が離れて御家はつぶれるでありましょう。嘘偽りのない家譜を書き残すことができれば、御家は必ず守られると存ずる」(p310)
ここに、秋谷の心が明瞭に表明されている。
一方において、仕上がった家譜を藩に提出した後、それが改竄されることへの危惧としての対応策も周到に実施する秋谷の対応も描かれる。
本書の基底には秋谷の「忍ぶ恋」がある。その上に、秋谷に絶対の信頼感を寄せる家族のそれぞれの思い、庄三郎の心境の変容、村民の秋谷に対する信頼感、心服感が重なり合って行く。その対極として、根藩の武士群の打算の心情、行動が絡まり合っていく。この心の様の諸相は、我々自身の生き様を考える材料になるように思う。
本書から、私の心に残る文を幾つか、取り出してみよう。
*順慶院様は名君であられた。それゆえわたしは懸命にお仕えした。疑いは、疑う心があって生じるものだ。弁明しても心を変えることはできぬ。心を変えることができるのは、心をもってだけだ。 p125-126
*それがしは<三浦家譜>を作り上げることだけがおのれの務めと思うてござる。 p208
*それになあ、おれは世の中には覚えていなくちゃなんねえことは、そんなに多くはねえような気がするんよ。
友達のことは覚えちょかんといけん。忘れんから、友達ちゃ。 p211
*ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ、と思うようになった。心の向かうところが、志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくはない。 p289
*それがしは先ほど、武士としてなんら恥じることなき行いをいたしたと倅を褒め申した。それに引き換え、武士が礫を避けることもできず、手傷を負わせた相手に謝れと言うなどそれこそ恥とするところと、それがしは心得ており申す。 p302
*未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう。(p319)
本書の展開の中で引用されている2つの章句も、心に残る。
一つは、白隠禅師の和讃の一部:
三昧無碍の空ひろく
四智円明の月さえん
他方は、千宗易が<利休>の居士号を帝から許された時、古渓和尚が贈った偈の一部:
心空及第して等閑に看れば、風露新たに香る隠逸の花
期限の8月8日、秋谷は長久寺にて、従容として切腹する。
庄三郎は、郁太郎に言う。
「郁太郎殿には、これからなさねばならぬことがある。私も助けるゆえ、ともに力を合わせてまいろう」
「なさねばならぬ」こととは? この小説を読み終えると根藩における様々な事象が幾重にも重なり、なさねばならぬ課題が広がっていく思いがした。
本書のタイトル「蜩の記」は、著者自身が秋谷に語らせている。
「夏がくるとこのあたりはよく蜩が鳴きます。とくに秋の気配が近づくと、夏が終わるのを哀しむかのような鳴き声に聞こえます。それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮らしの意味合いを籠めて名づけました」
巻末の一行は、この述懐に照応するかのようである。
ご一読ありがとうございます。
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本書に出てくる語句をネット検索し、入手できた情報を一覧にしてみた。
ヒグラシ :ウィキペディア
ひぐらしの合奏 :YouTube
ひぐらしの鳴く声 【高音質】 :YouTube
カワセミ :ウィキペディア
カワセミ の画像検索結果
カルサン袴 :「太物屋」勝部繼弘氏
裁着袴(たっつけばかま)← 袴 :「日本の着物」
以心流 :ウィキペディア
宝蔵院流槍術
宝蔵院流槍術 第二十世宗家 鍵田忠兵衛演武 :YouTube
諸藩武芸流派一覧 :「幕末英傑録」
田宮流 :ウィキペディア
田宮流居合術元和会 HP
田宮流居合術 日本古武道協会official site
田宮重正 :ウィキペディア
七島筵 → 青筵 :「大分歴史事典」 河野昭夫氏
寛政重修諸家譜 :ウィキペディア
寛永諸家系図伝 :ウィキペディア
清和源氏 :ウィキペディア
坐禅和讃 :ウィキペディア
座禅和讃3月26日
廻船問屋 ← 船問屋 :ウィキペディア
参考情報→ 廻船問屋龍田家 :「愛知県の博物館」shimizuke1955氏
牢問い → 拷問 :ウィキペディア
蒲庵古渓 :ウィキペディア
表千家不審菴:古渓和尚筆 利休居士号賀頌
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10年後に切腹する旨を沙汰され、凜として、泰然として、与えられた課題を日々成し遂げつつ、その日を従容として迎えられる人物が実在し得るのか・・・・凡人には及び難い生き様である。本書が設定した豊後の多分小藩・根藩という世界では、場所を得た人物としてリアルに描かれている。
切腹という終着点の作品でありながら読後感は爽やかである。その精神は復活するという余韻を感じさせ、ここに描き出された秋谷の生き様から凜とした思いが印象に残る作品になっている。
冒頭で簡潔に秋谷のプロフィールが述べられる。「額が広く眉尻があがって、鼻が高い。あごが張った立派な顔に、微笑んでいるのかどうかわからないほどの笑みを浮かべている。」(p9)、「若いころから文武に優れていたと言われ、眼心流剣術、制剛流柔術、以心流居合術を修行し、特に宝蔵院流十文字槍術は奥義に達したという。さらに和歌、漢籍の素養も深い」(p10)。そして、27歳で郡奉行に抜擢され5年間努めた時には、巡察中に草が繁茂した田を目にし、「従者とともに田に入って自ら草を抜」(p10)くという行動を取れる人。勘定方として務めていた時には、「悪しき風習に染まらず、なすべきことをいたしたいと存じます」(p132)と言い切る人物なのだ。一種のスーパー・サムライである。
こんな人物が、江戸表の中老格用人として務めていた時、「江戸屋敷でご側室と密通し、そのことに気づいた小姓を切り捨てた」罪に問われたのだ。御家の恥を出さぬために、極秘に処理され、もともとの所領だった向山村に幽閉の身となり、藩主から既に秋谷が着手していた「三浦家譜」の編纂を続けるようにと沙汰を受ける。「小姓を切ったのが八月八日だったゆえ、十年後の八月八日を切腹する日と期限を切って」の編纂作業に10年を費やすという生活が始まる。そして、秋谷の所領向山村はお咎めで取りあげとなり、家老中根兵右衞門の所領に帰す。
秋谷の家譜編纂作業に、家老の指示により、元祐筆役の壇野庄三郎が家譜清書の役目として配されることになる。この田宮流居合術に秀でる庄三郎は、些細なことから同輩かつ親友である水上信吾と城中で喧嘩騒ぎとなり、刀を抜いて水上の右足を斬るという不祥事を起こしたのだ。切腹となるべきところを、家譜清書役の沙汰を受ける。だがそれは、家老の意図から、秋谷の監視役となり、場合によっては秋谷及び家族一同を亡き者にせよという裏の使命が含まれた措置でもあった。
本書の多くのページは、秋谷が「三浦家譜」編纂を継続するプロセスに費やされ、それと併行するように、元秋谷の所領であった向山村の庄屋を含めた農民たちとの関わりが描かれていく。農民との関わりはその年の天候の影響を受け、生活に直結する年貢問題とその周辺事情である。村人は元郡奉行だった秋谷に変わらぬ信頼感を寄せている。ここに、農民と武士の関わりが描き出されていく。士農工商という江戸時代の社会制度の実態の一面を描出することが著者のサブテーマになっているのではないかと受け止めた。
本書では、二つの「推理」プロセスが相互に絡み合いながら展開していく。これがひとつの読みどころだろう。
一つは、庄三郎の目を通して、秋谷の不義密通という罪の真相を解き明かしていくというプロセスである。瓦岳南麓にある禅寺長久寺の慶仙和尚は、庄三郎の問いに対して、「秋谷殿はおのれのために、あのようなことをしたのではない、ということだ」(p50)と述べる。それは、何を意味しているのか。
もう一つは、秋谷と庄三郎が会話を重ねながら、家譜編纂のために、三浦家の歴史的変遷における不明瞭な事件・事実を分析、探究していくプロセスである。
家譜草稿の中に、幾つかの重大な事件が散見される。寛永8年(1631)の「家来騒動」、宝暦4年(1754)11月「五平太騒動の事」、天明元年(1781)辛丑十月「義民上訴之事」などだ。そして、「法性院様御由緒書」(先代藩主の正室、お美代の方様の由緒書)の謎が重ねられていく。
どちらかというと、淡々と謎解きが進められていくプロセスである。あたかも秋谷の心の姿を映すかのごとくに・・・・
また、別の視点もある。
それは、秋谷とその家族、監視役・家譜清書役としての庄三郎、根藩の家老を中心とした武士群ならびに向山村の村民たち-そのなかでも特に源吉-という一群の人々の心の有り様だ。これがもうひとつの読み応えといえる。不変の心情及び移ろいゆく心情。
切腹の日限まであと3年という段階から本書は始まる。家譜編纂作業に泰然として専念し、一方で向山村の村民の問題にも関心を示し、助言する秋谷の心の様相、その秋谷の姿に感化されていき、秋谷とその家族を守らねばという方向に意識転換していく庄三郎、家老を取りまく一群の武士達の「葉隠」精神とは逆の心の様、年貢に関わる村民の様々な思いなどである。秋谷の子息・郁太郎の友達である隣家の子・源吉の心映えに、逆に著者は「葉隠」の精神を投影している思いにすらなった。
庄三郎に心の変容を起こさせるのは、まずは秋谷の家譜編纂作業における、事実重視の姿勢だろう。家譜の中に、偽り、虚飾が紛れ込まぬよう、徹底して記録、証拠に基づく事実を考究し、その結果を客観的に書き残こそうとする態度。そこに一切の私信をはさまない姿勢である。
「御家の真を伝えてこそ、忠であるとそれがしは存じており申す。偽りで固めれば、家臣、領民の心が離れて御家はつぶれるでありましょう。嘘偽りのない家譜を書き残すことができれば、御家は必ず守られると存ずる」(p310)
ここに、秋谷の心が明瞭に表明されている。
一方において、仕上がった家譜を藩に提出した後、それが改竄されることへの危惧としての対応策も周到に実施する秋谷の対応も描かれる。
本書の基底には秋谷の「忍ぶ恋」がある。その上に、秋谷に絶対の信頼感を寄せる家族のそれぞれの思い、庄三郎の心境の変容、村民の秋谷に対する信頼感、心服感が重なり合って行く。その対極として、根藩の武士群の打算の心情、行動が絡まり合っていく。この心の様の諸相は、我々自身の生き様を考える材料になるように思う。
本書から、私の心に残る文を幾つか、取り出してみよう。
*順慶院様は名君であられた。それゆえわたしは懸命にお仕えした。疑いは、疑う心があって生じるものだ。弁明しても心を変えることはできぬ。心を変えることができるのは、心をもってだけだ。 p125-126
*それがしは<三浦家譜>を作り上げることだけがおのれの務めと思うてござる。 p208
*それになあ、おれは世の中には覚えていなくちゃなんねえことは、そんなに多くはねえような気がするんよ。
友達のことは覚えちょかんといけん。忘れんから、友達ちゃ。 p211
*ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ、と思うようになった。心の向かうところが、志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくはない。 p289
*それがしは先ほど、武士としてなんら恥じることなき行いをいたしたと倅を褒め申した。それに引き換え、武士が礫を避けることもできず、手傷を負わせた相手に謝れと言うなどそれこそ恥とするところと、それがしは心得ており申す。 p302
*未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう。(p319)
本書の展開の中で引用されている2つの章句も、心に残る。
一つは、白隠禅師の和讃の一部:
三昧無碍の空ひろく
四智円明の月さえん
他方は、千宗易が<利休>の居士号を帝から許された時、古渓和尚が贈った偈の一部:
心空及第して等閑に看れば、風露新たに香る隠逸の花
期限の8月8日、秋谷は長久寺にて、従容として切腹する。
庄三郎は、郁太郎に言う。
「郁太郎殿には、これからなさねばならぬことがある。私も助けるゆえ、ともに力を合わせてまいろう」
「なさねばならぬ」こととは? この小説を読み終えると根藩における様々な事象が幾重にも重なり、なさねばならぬ課題が広がっていく思いがした。
本書のタイトル「蜩の記」は、著者自身が秋谷に語らせている。
「夏がくるとこのあたりはよく蜩が鳴きます。とくに秋の気配が近づくと、夏が終わるのを哀しむかのような鳴き声に聞こえます。それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮らしの意味合いを籠めて名づけました」
巻末の一行は、この述懐に照応するかのようである。
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ヒグラシ :ウィキペディア
ひぐらしの合奏 :YouTube
ひぐらしの鳴く声 【高音質】 :YouTube
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カルサン袴 :「太物屋」勝部繼弘氏
裁着袴(たっつけばかま)← 袴 :「日本の着物」
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宝蔵院流槍術
宝蔵院流槍術 第二十世宗家 鍵田忠兵衛演武 :YouTube
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田宮流 :ウィキペディア
田宮流居合術元和会 HP
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七島筵 → 青筵 :「大分歴史事典」 河野昭夫氏
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座禅和讃3月26日
廻船問屋 ← 船問屋 :ウィキペディア
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表千家不審菴:古渓和尚筆 利休居士号賀頌
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