本書は源氏と平家に関わる6人の女性の生き方や思いをテーマにした短編集である。『びいどろの火』を初めて読んだ波紋から、この作品を手に取った。
ここには次の6篇が載っている。作品名と主人公をまず上げておこう。
常緑樹 常葉 :亡き夫が源義朝。今若、乙若、牛若の母
啼く声に 千鳥 :鬼界島ではミチと呼ばれていた海女
平家蟹異聞 松虫・鈴虫:女院に仕えていた姉妹
二人静 静 :源義経の妻
冥きより 相模 :熊谷次直実の妻
後れ子 建礼門院徳子
この6篇の内の「平家蟹異聞」によって、2007年に著者が第87回オール讀物新人賞を受賞したということを、ウィキペディアを検索して知った。
本書所収の各短編作品に描かれた女性は源平時代に生きている。身分や立場が異なる女たちの生きた環境の違いとそこでの営みがやわらかな眼差しで描かれていると感じる。各作品をご紹介し、印象を付記したい。
<常緑樹>
源義朝が落命した後、常葉は三人の子供と共に平家に囚われる。子供達の命は助けられるが別々の寺に入れられる。子を奪われた囚われの常葉は写経を日課として、ひたすら出家を願いながら生きるが、何時しか清盛の手がつき、子を宿す。ひっそりと女子を産んだ後、大蔵卿藤原長成が常葉を妻に迎えたいとの意向だと清盛から伝えられる。義朝の子、清盛の子を生した身で、清盛から下げ渡される婚儀話を受けなければならぬ境遇となる。
常葉の三度目の夫となる人について、常葉の忠実な侍女・小奈見は、局たちの噂話として耳にする。「その大蔵卿とは、あのきのながなりさまか」「さようじゃ。まああのようなお方でなければ、いくら容貌良きとて、常葉のような女子を妻にとは申されぬであろう」。
公家に嫁いだ常葉は、理由を付けて夫長成とは打ち解けず日を過ごすが、長成は己のペースとやり方で常葉の許に顔を見せては、その人となりを少しずつ常葉に伝えていく。植物に関心が深く、どこに行っても木ばかり飽きずに眺めている「きのながなり」と綽名がつけられている人。自ら「阿呆のように気長の長成」と言ってのける。話を聞くうちに、政には自らの意見を有する人だということも分かってくる。
そして、ある小事件がきっかけで二人は打ち解けていく。そして常葉がやっと、安住の地を見出していく。
身を転変とした女が、落ち着く先を見出す過程が日常性の関わり合いの姿を通して、温かい眼差しで描かれている。ほっとする気にさせる小品である。
<啼く声に>
これは千鳥と呼ばれた女の哀しい旅路の物語。ある意味、西の果ての鬼界島で自在に生きていた女が、京の都に伴われて出かけて行き、慣れることのできない異文化体験を経てやはり島に戻ろうと決心する経緯の物語といえる。
鬼界島の海女ミチは、三人の配流れ人が住み着いて三月ほど経った時期に、婆の指示を聞かずに、配流れ人に近づき、怪我をしている一人を助ける。そして、その三人と親しく行き来するようになる。
三人とは、鹿ヶ谷での謀議が不首尾となり流罪となった俊寛、康頼、成経である。何かとこの三人の世話をし、支援をするミチだが、名前を明かさないので千鳥と呼ばれることになる。そして、彼らが島の暮らしに慣れた頃、成経が千鳥を此の地での妻とすることになる。千鳥にとっては、三人から頼られる形での新しい生活が始まる。そこには彼女の生きがいも芽生える。
そして、ある日、御赦免が康頼と成経にもたらされる。千鳥は成経に従って都に上る。成経は恩人でもある千鳥をそれなりに遇しようとするが、全くの異文化である貴族の生活に投げ込まれた千鳥の苦労が始まる。そして、千鳥が帰洛後、出家となった康頼からの依頼で、俊寛の娘に会わざるを得なくなる。そして、千鳥は決意する。
成経のそばに居たいと望みを抱いた女が、その望みを捨て新たな選択をするプロセスが哀れでもあり、またやはりそれがいい・・・という思いをも抱かせる。
だが、船の姿が沖に消えた後、どうなるのか。その先を紡いでいくのは読者に委ねて、話は終わる。
<平家蟹異聞>
本作品の見出しの下に引用されているのは、岡本綺堂作「平家蟹」の脚本の台詞である。明治44年9月に執筆。翌45年4月、浪花座で初演された作品だ。この脚本では、官女・玉虫とその妹・玉琴という登場人物となっている。筆者はこの作品を背景にして、独自の構想で異聞という形の小説仕立てで作品化したといえる。ある種の本歌取りの類か。
叔母の縁で女院に仕えることになった姉妹が、女院の前で箏を弾じた際に松虫・鈴虫という名前を賜る。屋島の戦の折に、平家は船べりに扇の的を設え、敵に挑むという挙に出る。松虫はその的の挿し手に任ぜられる。源氏方の那須与一宗高がその扇の要を見事に射抜く。これが因となり、平家方の敗色が濃くなる中で、人々に疎まれて平家方を去るように女院の母、二位殿から伝えられる仕儀となる。そして、その姉妹は二位殿始め平家の御魂が沈む浦に近い地に隠れ住む。隠れ住むようになった浜には、間もなく異様な忌み嫌われる蟹が数多く姿を現すようになる。それは誰いうともなく「平家蟹」と呼ばれるようになる。
隠れ住む二人に浦の遊女を統べる長から人が遣わされる。数日中に、当地を訪れる公吏一行を迎える席に姉妹で侍して欲しいという求めであった。生きていくためには、その求めに応じざるをえない二人。
長に伴われて出た座には、東国下野のから来たという主客がいた。松虫と鈴虫は、その名を伏せて、松風・村雨と名乗る。その主客は与一と与五郎だった。二人の運命は重大な転機に戸惑うことになる。そして、姉妹の生き様が別れていくことになる。哀しき別れ。与一と与五郎の登場及び平家蟹の関わり方の違いとその結末はまさに岡本綺堂の「平家蟹」とはあきらかに異聞となる。
哀調の余韻ただよう作品である。
<二人静>
序が「・・・ぎょう・・・・せんぎょう・・・・せんぎょう・・・・」の二行で始まり、結も「・・・ぎょう・・・・せんぎょう・・・・せんぎょう・・・・」の二行で終わる。
ある寺の門前で気を失い助けられた旅の白拍子。お坊が旅の話を所望したのに対して、己のことを語り始める。鎌倉を発ち、故郷の和泉に参る途次、今日の伏見の近辺まで来たときの話。お寺では寒施行の時季だった。せんぎょうというのは施行のことだろうか。本文中に説明はないが・・・・。
白拍子は静。静の独白体で、京・鎌倉往復での経緯が語られていく。
一 京を発ち、鎌倉へ。鎌倉でのお館の御前での詮議
二 再度の詰問と、御台のお召しによる鶴岡の御社での奉納の舞
三 舞に対する御館のご不快と御台が示すご関心。そして御台との対面・語らい
四 寒施行のお情けに対する身の上話
五 男子を死産した静。それに対するお館と御台の対処の違い
結 鎌倉を去って故郷に向かう途次の語り
この短編集の中では、ちょっと毛色の変わった作品でおもしろい。
破れ鼓、寒施行、故郷和泉の信太、タイトルの二人静・・・これらがキーワードか。
<冥きより>
勇猛を謳われた坂東武者、熊谷次直実は、平家追討、一ノ谷の合戦にて我が息子小次郎と同年配の平敦盛の首を取る。己のこの行為が、他人は手柄と見なすが、直実の心中では慚愧の因になっていく。悪夢に魘される夫の姿をみつめ続ける妻の相模。
この作品は、相模の目を通して直実の姿を語り、直実に対する相模の思いを語っていくというもの。直実に対する妻の視点からの苦悩の語りという点が一層哀しい。
直実の悪夢の源への思い、建春門院に仕えていた時の直実との出会い、武蔵国での生活、女子衆への手ほどきと息子小次郎の嫁選び、苦しい胸中の思いを話してくれない夫への口惜しさと哀しさ・・・・など。相模の一生が語られる。
女子衆に和歌を教えるために相模が選んだ雑の歌、堤中納言藤原兼輔の歌
人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道に惑ひぬるかな
子ゆえの闇がこの作品の根底にある。そして、作品名の源になる「冥きより冥き道にぞ入りぬべき」という章句がキーフレーズになる。
「子を悼む心は冥きか。人を恨む心は冥きか。避け難かりき己の罪を悔いるも冥きか」と著者は相模の哀しき思いを重ねていく。「それでも、人はこの世を生きねばならぬ」(p214)と。
病の果てに死に臨む相模の思いは・・・・「遙かに照らせ 山の端の月」だった。
相模の目と心を通して描かれた熊谷次直実の姿と思い、その直実に乗り越え、触れることを拒む壁と闇を感じ、思い惑う相模自身の心。「冥きおもい」が幾重にも重ねられていく作品である。「死に顔に菩薩を見た」という末尾文中の言葉に救われる思いがした。
<後れ子>
壇ノ浦の海に入水して、死ぬことを遮られ生き残った建礼門院。播磨国明石浦での虜の暮らし、京・東山の麓、吉田の僧坊での暮らし、そして山里の大原の住まいへとその身が移ろっていく。
本作品は、建礼門院に仕える小侍従からみた建礼門院の姿と、建礼門院その人の回想や思いが織り成されていく。
「私は、何故、今、生きているのでありましょう」
「では、生き残りし我は何者か」
この建礼門院の自問に対して、自答の思考プロセス、そのための回想が綴られていく。そして、手づから手向けの野の花を摘む行為を通して、生き方が定まっていく。
「亡き人々を、思い出すために、私は後れたのであろう。思い出す人がいなければ、亡き人々は皆、救われぬもの」
父・平清盛が後れ子とよく語りかけたその意味が、これからの生き方に重ねられていく。 年老いた尼が、花籠を携えて、簡素に設えられた庵に戻る場面で結びとなる。ほっとする・・・・この場面がいい。
本作品には、経文が要所要所に部分引用されている。その典拠は記されていない。巻末の参考文献リストにも載っていない。経典に少し関心を抱いているので調べてみた。宗派によって、同じこの引用経文を唱えるとしても、その経文のまとまりに対する名づけ方が異なるかもしれない。あくまで私の調べたソースでの覚書である。本作品中の引用経文記載ページとその冒頭、調べた結果での名づけ方をまとめてみる。
P140 光明?照 十方世界 ・・・ 摂益文 [A] 行にんべんに扁
P140 南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏 ・・・ 三尊礼 [A]
P245 請仏随縁還本国 普散香華心送仏 ・・・ 安樂行道轉經願生淨土法事讃 [B]
P252 願似此功徳 平等施一切 ・・・ 総回向偈 [A]
P259 願我身浄如香炉 願我心如智慧火 ・・・ 香偈 [A]
P266 仏告 阿難及韋提希此想成已 ・・・・ 佛説觀無量壽佛經 [B]
この引用経文の典拠調べについては、次のソースを参照した。
[A] 『お経 浄土宗』 藤井正雄 講談社
[B] 大正新脩大蔵経テキストデータベース
これは少しマニアックな脇道になるが、ご参考までに。
「平家蟹異聞」において、著者は「那須与一宗高」と記した。ネット検索で知った岡本綺堂「平家蟹」は「那須与市宗隆」と記している。典拠の違いがあるようだが、実在の人物として、当時はどう表記していたのだろうか。興味深い。
ご一読ありがとうございます。
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本書に出てくる語句の背景を知るためにネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。
一条大蔵譚 :「歌舞伎見物のお供」
『鬼一法眼三略巻』 :「人形浄瑠璃 文楽」
常盤御前 :ウィキペディア
一条長成 :ウィキペディア
半蔀 :「茶室を学ぶ」
俊寛 :ウィキペディア
鹿ケ谷の陰謀 :ウィキペディア
俊寛ってどんなドラマ?1 :「歌舞伎」
俊寛 芥川龍之介 :「青空文庫」
ヘイケガニ :ウィキペディア
Huxley, Julian (1952). “Evolution's Copycats”. Life (June 30): 67-76.
平家蟹(へいけがに)と小平家(こべけ):下関市のHP
下関市のHPには、「源平の部屋」というサイトもある。こういうのは良いですねえ。
平家蟹 岡本綺堂 :「青空文庫」
末尾の少し手前(7行目)に、「平家蟹異聞」見出し下の引用文が出てくる。
那須与一 :ウィキペディア
二位殿 → 二位尼 → 平時子 :ウィキペディア
建春門院 → 平滋子 :ウィキペディア
建礼門院 → 平徳子 :ウィキペディア
建礼門院徳子 :「紙風船」
義経千本桜 :「文化デジタルライブラリー」
二人静(能)
二人静 (ふたりしずか) :「季節の花300」
静御前 :ウィキペディア
長唄「賤の苧環」
長唄 賤の苧環編 藤間信子 :「古典舞踊の会」
放生と寒施行 ~動物愛護の民俗~ :「祀龜洞雑録 」 亀
熊谷陣屋 :「歌舞伎のお供」
一谷嫩軍記 :ウィキペディア
熊谷直実 :ウィキペディア
平敦盛 :ウィキペディア
ニラ :ウィキペディア
建礼門院陵 :「邪馬台国大研究」
後白河院 ← 後白河天皇 :ウィキペディア
花山院家 :ウィキペディア
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今までに一冊読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。
『びいどろの火』
ここには次の6篇が載っている。作品名と主人公をまず上げておこう。
常緑樹 常葉 :亡き夫が源義朝。今若、乙若、牛若の母
啼く声に 千鳥 :鬼界島ではミチと呼ばれていた海女
平家蟹異聞 松虫・鈴虫:女院に仕えていた姉妹
二人静 静 :源義経の妻
冥きより 相模 :熊谷次直実の妻
後れ子 建礼門院徳子
この6篇の内の「平家蟹異聞」によって、2007年に著者が第87回オール讀物新人賞を受賞したということを、ウィキペディアを検索して知った。
本書所収の各短編作品に描かれた女性は源平時代に生きている。身分や立場が異なる女たちの生きた環境の違いとそこでの営みがやわらかな眼差しで描かれていると感じる。各作品をご紹介し、印象を付記したい。
<常緑樹>
源義朝が落命した後、常葉は三人の子供と共に平家に囚われる。子供達の命は助けられるが別々の寺に入れられる。子を奪われた囚われの常葉は写経を日課として、ひたすら出家を願いながら生きるが、何時しか清盛の手がつき、子を宿す。ひっそりと女子を産んだ後、大蔵卿藤原長成が常葉を妻に迎えたいとの意向だと清盛から伝えられる。義朝の子、清盛の子を生した身で、清盛から下げ渡される婚儀話を受けなければならぬ境遇となる。
常葉の三度目の夫となる人について、常葉の忠実な侍女・小奈見は、局たちの噂話として耳にする。「その大蔵卿とは、あのきのながなりさまか」「さようじゃ。まああのようなお方でなければ、いくら容貌良きとて、常葉のような女子を妻にとは申されぬであろう」。
公家に嫁いだ常葉は、理由を付けて夫長成とは打ち解けず日を過ごすが、長成は己のペースとやり方で常葉の許に顔を見せては、その人となりを少しずつ常葉に伝えていく。植物に関心が深く、どこに行っても木ばかり飽きずに眺めている「きのながなり」と綽名がつけられている人。自ら「阿呆のように気長の長成」と言ってのける。話を聞くうちに、政には自らの意見を有する人だということも分かってくる。
そして、ある小事件がきっかけで二人は打ち解けていく。そして常葉がやっと、安住の地を見出していく。
身を転変とした女が、落ち着く先を見出す過程が日常性の関わり合いの姿を通して、温かい眼差しで描かれている。ほっとする気にさせる小品である。
<啼く声に>
これは千鳥と呼ばれた女の哀しい旅路の物語。ある意味、西の果ての鬼界島で自在に生きていた女が、京の都に伴われて出かけて行き、慣れることのできない異文化体験を経てやはり島に戻ろうと決心する経緯の物語といえる。
鬼界島の海女ミチは、三人の配流れ人が住み着いて三月ほど経った時期に、婆の指示を聞かずに、配流れ人に近づき、怪我をしている一人を助ける。そして、その三人と親しく行き来するようになる。
三人とは、鹿ヶ谷での謀議が不首尾となり流罪となった俊寛、康頼、成経である。何かとこの三人の世話をし、支援をするミチだが、名前を明かさないので千鳥と呼ばれることになる。そして、彼らが島の暮らしに慣れた頃、成経が千鳥を此の地での妻とすることになる。千鳥にとっては、三人から頼られる形での新しい生活が始まる。そこには彼女の生きがいも芽生える。
そして、ある日、御赦免が康頼と成経にもたらされる。千鳥は成経に従って都に上る。成経は恩人でもある千鳥をそれなりに遇しようとするが、全くの異文化である貴族の生活に投げ込まれた千鳥の苦労が始まる。そして、千鳥が帰洛後、出家となった康頼からの依頼で、俊寛の娘に会わざるを得なくなる。そして、千鳥は決意する。
成経のそばに居たいと望みを抱いた女が、その望みを捨て新たな選択をするプロセスが哀れでもあり、またやはりそれがいい・・・という思いをも抱かせる。
だが、船の姿が沖に消えた後、どうなるのか。その先を紡いでいくのは読者に委ねて、話は終わる。
<平家蟹異聞>
本作品の見出しの下に引用されているのは、岡本綺堂作「平家蟹」の脚本の台詞である。明治44年9月に執筆。翌45年4月、浪花座で初演された作品だ。この脚本では、官女・玉虫とその妹・玉琴という登場人物となっている。筆者はこの作品を背景にして、独自の構想で異聞という形の小説仕立てで作品化したといえる。ある種の本歌取りの類か。
叔母の縁で女院に仕えることになった姉妹が、女院の前で箏を弾じた際に松虫・鈴虫という名前を賜る。屋島の戦の折に、平家は船べりに扇の的を設え、敵に挑むという挙に出る。松虫はその的の挿し手に任ぜられる。源氏方の那須与一宗高がその扇の要を見事に射抜く。これが因となり、平家方の敗色が濃くなる中で、人々に疎まれて平家方を去るように女院の母、二位殿から伝えられる仕儀となる。そして、その姉妹は二位殿始め平家の御魂が沈む浦に近い地に隠れ住む。隠れ住むようになった浜には、間もなく異様な忌み嫌われる蟹が数多く姿を現すようになる。それは誰いうともなく「平家蟹」と呼ばれるようになる。
隠れ住む二人に浦の遊女を統べる長から人が遣わされる。数日中に、当地を訪れる公吏一行を迎える席に姉妹で侍して欲しいという求めであった。生きていくためには、その求めに応じざるをえない二人。
長に伴われて出た座には、東国下野のから来たという主客がいた。松虫と鈴虫は、その名を伏せて、松風・村雨と名乗る。その主客は与一と与五郎だった。二人の運命は重大な転機に戸惑うことになる。そして、姉妹の生き様が別れていくことになる。哀しき別れ。与一と与五郎の登場及び平家蟹の関わり方の違いとその結末はまさに岡本綺堂の「平家蟹」とはあきらかに異聞となる。
哀調の余韻ただよう作品である。
<二人静>
序が「・・・ぎょう・・・・せんぎょう・・・・せんぎょう・・・・」の二行で始まり、結も「・・・ぎょう・・・・せんぎょう・・・・せんぎょう・・・・」の二行で終わる。
ある寺の門前で気を失い助けられた旅の白拍子。お坊が旅の話を所望したのに対して、己のことを語り始める。鎌倉を発ち、故郷の和泉に参る途次、今日の伏見の近辺まで来たときの話。お寺では寒施行の時季だった。せんぎょうというのは施行のことだろうか。本文中に説明はないが・・・・。
白拍子は静。静の独白体で、京・鎌倉往復での経緯が語られていく。
一 京を発ち、鎌倉へ。鎌倉でのお館の御前での詮議
二 再度の詰問と、御台のお召しによる鶴岡の御社での奉納の舞
三 舞に対する御館のご不快と御台が示すご関心。そして御台との対面・語らい
四 寒施行のお情けに対する身の上話
五 男子を死産した静。それに対するお館と御台の対処の違い
結 鎌倉を去って故郷に向かう途次の語り
この短編集の中では、ちょっと毛色の変わった作品でおもしろい。
破れ鼓、寒施行、故郷和泉の信太、タイトルの二人静・・・これらがキーワードか。
<冥きより>
勇猛を謳われた坂東武者、熊谷次直実は、平家追討、一ノ谷の合戦にて我が息子小次郎と同年配の平敦盛の首を取る。己のこの行為が、他人は手柄と見なすが、直実の心中では慚愧の因になっていく。悪夢に魘される夫の姿をみつめ続ける妻の相模。
この作品は、相模の目を通して直実の姿を語り、直実に対する相模の思いを語っていくというもの。直実に対する妻の視点からの苦悩の語りという点が一層哀しい。
直実の悪夢の源への思い、建春門院に仕えていた時の直実との出会い、武蔵国での生活、女子衆への手ほどきと息子小次郎の嫁選び、苦しい胸中の思いを話してくれない夫への口惜しさと哀しさ・・・・など。相模の一生が語られる。
女子衆に和歌を教えるために相模が選んだ雑の歌、堤中納言藤原兼輔の歌
人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道に惑ひぬるかな
子ゆえの闇がこの作品の根底にある。そして、作品名の源になる「冥きより冥き道にぞ入りぬべき」という章句がキーフレーズになる。
「子を悼む心は冥きか。人を恨む心は冥きか。避け難かりき己の罪を悔いるも冥きか」と著者は相模の哀しき思いを重ねていく。「それでも、人はこの世を生きねばならぬ」(p214)と。
病の果てに死に臨む相模の思いは・・・・「遙かに照らせ 山の端の月」だった。
相模の目と心を通して描かれた熊谷次直実の姿と思い、その直実に乗り越え、触れることを拒む壁と闇を感じ、思い惑う相模自身の心。「冥きおもい」が幾重にも重ねられていく作品である。「死に顔に菩薩を見た」という末尾文中の言葉に救われる思いがした。
<後れ子>
壇ノ浦の海に入水して、死ぬことを遮られ生き残った建礼門院。播磨国明石浦での虜の暮らし、京・東山の麓、吉田の僧坊での暮らし、そして山里の大原の住まいへとその身が移ろっていく。
本作品は、建礼門院に仕える小侍従からみた建礼門院の姿と、建礼門院その人の回想や思いが織り成されていく。
「私は、何故、今、生きているのでありましょう」
「では、生き残りし我は何者か」
この建礼門院の自問に対して、自答の思考プロセス、そのための回想が綴られていく。そして、手づから手向けの野の花を摘む行為を通して、生き方が定まっていく。
「亡き人々を、思い出すために、私は後れたのであろう。思い出す人がいなければ、亡き人々は皆、救われぬもの」
父・平清盛が後れ子とよく語りかけたその意味が、これからの生き方に重ねられていく。 年老いた尼が、花籠を携えて、簡素に設えられた庵に戻る場面で結びとなる。ほっとする・・・・この場面がいい。
本作品には、経文が要所要所に部分引用されている。その典拠は記されていない。巻末の参考文献リストにも載っていない。経典に少し関心を抱いているので調べてみた。宗派によって、同じこの引用経文を唱えるとしても、その経文のまとまりに対する名づけ方が異なるかもしれない。あくまで私の調べたソースでの覚書である。本作品中の引用経文記載ページとその冒頭、調べた結果での名づけ方をまとめてみる。
P140 光明?照 十方世界 ・・・ 摂益文 [A] 行にんべんに扁
P140 南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏 ・・・ 三尊礼 [A]
P245 請仏随縁還本国 普散香華心送仏 ・・・ 安樂行道轉經願生淨土法事讃 [B]
P252 願似此功徳 平等施一切 ・・・ 総回向偈 [A]
P259 願我身浄如香炉 願我心如智慧火 ・・・ 香偈 [A]
P266 仏告 阿難及韋提希此想成已 ・・・・ 佛説觀無量壽佛經 [B]
この引用経文の典拠調べについては、次のソースを参照した。
[A] 『お経 浄土宗』 藤井正雄 講談社
[B] 大正新脩大蔵経テキストデータベース
これは少しマニアックな脇道になるが、ご参考までに。
「平家蟹異聞」において、著者は「那須与一宗高」と記した。ネット検索で知った岡本綺堂「平家蟹」は「那須与市宗隆」と記している。典拠の違いがあるようだが、実在の人物として、当時はどう表記していたのだろうか。興味深い。
ご一読ありがとうございます。
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本書に出てくる語句の背景を知るためにネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。
一条大蔵譚 :「歌舞伎見物のお供」
『鬼一法眼三略巻』 :「人形浄瑠璃 文楽」
常盤御前 :ウィキペディア
一条長成 :ウィキペディア
半蔀 :「茶室を学ぶ」
俊寛 :ウィキペディア
鹿ケ谷の陰謀 :ウィキペディア
俊寛ってどんなドラマ?1 :「歌舞伎」
俊寛 芥川龍之介 :「青空文庫」
ヘイケガニ :ウィキペディア
Huxley, Julian (1952). “Evolution's Copycats”. Life (June 30): 67-76.
平家蟹(へいけがに)と小平家(こべけ):下関市のHP
下関市のHPには、「源平の部屋」というサイトもある。こういうのは良いですねえ。
平家蟹 岡本綺堂 :「青空文庫」
末尾の少し手前(7行目)に、「平家蟹異聞」見出し下の引用文が出てくる。
那須与一 :ウィキペディア
二位殿 → 二位尼 → 平時子 :ウィキペディア
建春門院 → 平滋子 :ウィキペディア
建礼門院 → 平徳子 :ウィキペディア
建礼門院徳子 :「紙風船」
義経千本桜 :「文化デジタルライブラリー」
二人静(能)
二人静 (ふたりしずか) :「季節の花300」
静御前 :ウィキペディア
長唄「賤の苧環」
長唄 賤の苧環編 藤間信子 :「古典舞踊の会」
放生と寒施行 ~動物愛護の民俗~ :「祀龜洞雑録 」 亀
熊谷陣屋 :「歌舞伎のお供」
一谷嫩軍記 :ウィキペディア
熊谷直実 :ウィキペディア
平敦盛 :ウィキペディア
ニラ :ウィキペディア
建礼門院陵 :「邪馬台国大研究」
後白河院 ← 後白河天皇 :ウィキペディア
花山院家 :ウィキペディア
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今までに一冊読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。
『びいどろの火』