遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』 池澤夏樹  小学館

2012-10-29 10:15:26 | レビュー
 最近関心を抱き始めた著者であることと、書名に惹かれて本書を読んだ。
 根底には聖書についての関心がある。欧米の歴史や芸術、ものの見方は聖書を抜きに理解できない部分が多い。信仰者でないので、聖書も表層的な部分読みに終始してきた。そんな門外漢が読んだ感想、印象だが、記録を兼ねてまとめておきたい。

 著者は「まえがき」の冒頭に、「信仰は魂に属するが、宗教は知識である」と記す。そして、文末に、「キリスト教の前にはユダヤ教がある。・・・ユダヤ人のいない西洋史はあり得ない。・・・・すべての源泉は聖書だ。旧約と新約。古い約束と新し約束。神と人の間の契約。こういうことについて一定の知識を得てはじめて、世界の正しき姿が見えるだろう。」と述べる。著者の知的関心をベースにして、ヘブライ語研究、古代イスラエル宗教思想史の研究にたずさわった碩学・秋吉輝雄の門を敲いた結果が本書である。池澤の疑問・質問に、秋吉が答える対話形式の本だ。話言葉であり、読みやすい。
 著者は若い時から宗教に関心を持ち、キリスト教の方に誘われる要素があったが、知識の範囲、知的・哲学的関心の範囲に留まると明記する。その著者の立ち位置からの疑問、質問が次々に発せられる。それに対し、秋吉氏がわかりやすく、簡潔に、ストレートに自らの考えを話す。まず、著者の聖書の読み込みが半端じゃないと感じる。それを受けての回答であるので、簡潔な説明はかなり深い、また巨視的な一方で根源的な部分にも及ぶ。本書の読後感を一言で述べると、常套句だが「目から鱗が落ちる」である。エッ!と思うことも数々あった。そんなことすら知識レベルで知らずに、聖書を部分読みしていたのか・・・・という思いが強い。宗教知識に対し知的好奇心を喚起される本である。
 
 本書は、三部構成になっている。そして、8つのコラム記事が載っている。
 第一部 聖書とは何か?
 第二部 ユダヤ人とは何者か?
 第三部 聖書と現代社会

 私にとって目から鱗の箇所が数多い、第1部から少し拾い出して、ご紹介しよう。その記述に至る二人の対話の思考プロセスを追うことが、本書を読む醍醐味だろう。
「*印」は引用文とそのページ、矢印以降には関連箇所の要約付記あるいは私の印象を記しておきたい。

*聖書は、いまからおよそ2500年前、古代のイスラエル諸部族の間で語りつがれてきた物語やリストを広く集めて編集し、一巻のスクロールに書き写したものを出発点としています。 p20
 →いわゆるモーセ五書:創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記
  ヘブライ語で書かれていて「ミクラー」(原義:朗読されるもの)とも呼ばれる。
  記録する文字はカルデア文字を使用(=当時の中近東の国際文字)
  当時のヘブライ文字には母音を表す文字がない。記録は正しい発音を口伝で伝える。つまり音読、朗誦が義務づけられる。この箇所を読みちょっとびっくりした。

*聖書はさまざまな記事(資料)を寄せ集めて構成されていますから、羅列的な部分や、ストーリーを中断する挿入が多々あります。・・・・個々の記事は独立したものとして拾い読みされるものではなく、物語の大きな文脈に照らして理解されなければならない。また、その集大成がなされたからこそ、古代イスラエルの部族宗教であることを脱し、聖書(律法)の宗教、ユダヤ教への道を拓いたのではないかと思うのです。 p23

*ヘブライ語では動詞の形そのものは変化しない。それが過去の話なのか現在の話なのかは、状況語で判断するしかないのです。動詞の形を見ても過去と未来は区別できない。ヘブライ語には過去形というものがない。  p24
 →ヘレニズム世界の共通語・ギリシャ語に翻訳されることで、ギリシャ語文法に時制があるために、時間軸が導入された。つまり、過去・現在・未来という形で未来志向になった。ヘブライ語はすべて直接話法なので、直線的な未来志向にはならない。天地創造も過去のことではなく、いまだ終わっていない。→これは聖書理解の変容に繋がるのでは? 仏教がシルクロードを経てくる過程で変容してきたように・・・。
 →ヘブライ語の聖書に見るユダヤ人は、歴史を並列的あるいは横軸としてとらえているようである。「すべての時代」が同居している感覚。

*旧約聖書あるいは新約聖書という呼称はキリスト教会の用語であることに注意する必要がある。旧約聖書はユダヤ教によって伝えられた書に基づく書ではあるけれども、旧約聖書=ユダヤ教の聖書ではない。   p26
 →「律法」、「預言書」、「諸書」の三部作が、アレキサンドリアで70人の翻訳者が同時にギリシャ語に訳した。セプトゥアギンタ(70人訳聖書)の段階で、39巻に分割されて構成・配列された。「旧約聖書」はギリシャ語版を踏襲している。
 セプトゥアギンタの名の由来は旧約聖書偽典の一書「アリステアスの手紙」による。
 →ユダヤ教では、神の言葉はやはりヘブライ語でなければだめだという主旨から、紀元90~100年頃、地中海に近いヤムニアでユダヤ教の最高法院の会議を開催し、現在のヘブライ語聖書におさめられた24巻を正典と決める。
 選定基準は①ヘブライ語で書かれていること。②文書の作成年代がギリシャ語時代(前4世紀末)に移る前までのもの。③著者がはっきりしているもの。ただし伝承でもよい。
 こういう基準においても、あの「雅歌」が正典の一部になったのだ!
 著者は「古典文学全集のなかに民謡的な恋愛詩が含まれるのは当然ですよ」と言う。
 →397年にキリスト教会では、カルタゴ教会会議を開催し、現在の新約27書が新約として、アポクリファ(外典)を含む旧約46書と合わせて、聖書として正典化した。
 →今まで、旧約聖書がユダヤ教の聖書と思い込んでいた間違いに気づかされた。

*原罪というのは、キリスト教の用語で、ユダヤ教では原罪とはいわないと思います。強いて言えば、生きるべく造られていたにもかかわらず、死を宿命づけられてしまった、ということですね。これがぼくの原罪の理解なのです。知恵を得て、死を宿命づけられ、エデンを追われた人間。エデンならぬ現世では死ぬ者として生きねばならない。この宿命が原罪だと思います。  p51

*アダムとイヴがエデンの園を追われる話ですが、ギリシャ語訳には「かくも美しき(エデンの園)」(「創世記」3章23節)という一語があります。しかし、ヘブライ語の原典にはこの言葉はない。・・・・しかし、ギリシャ語に倣った伝統的な神学では「美しきエデン」、すなわち楽園という印象がすでに定着し、くつがえしがたい趨勢になってしまっている。 p56
 →やはりキリスト教でも解釈に変容が起こっているのだ。仏教の伝播と同様に・・・
  池澤「それはやはりギリシャ流の楽園の思考が混じり込んでいるということですか。」秋吉「そうだと思います。プラトンのイデアの世界ですね。」 p56

*キリスト教は、「新約聖書」を本来つながらないはずのユダヤ教の聖書につなげて編んだわけです。それが可能だったのは、70人訳ギリシャ語の過去から未来へとつなぐ書物の配列・配置換えがあったからで、そのギリシャ語訳聖書を背景として、イエスの物語も作られている。  p57
 →新約聖書の配列も、過去・現在・未来の3つに区分された時間軸で配列されている。
   過去;教会の起源を語る書  4福音書と使徒言行録
   現在;現実の諸問題を扱う書 ○○の信徒への手紙、△△への手紙、◎◎の手紙
   未来;未来を描く黙示録   ヨハネの黙示録
  池澤「新約の言葉にはそれに対応する部分が旧約の方に見つけてある」p57

*今日多くのキリスト教会では聖餐式にワインを使いますが、最後の晩餐で杯に入っていたものは、アルコール抜きのぶどう液のはずです。  p58
 →なぜ? 本書で理由を確かめてください。なるほど・・・と感じますよ。

*ユダヤ人であれば、14という数は特別な意味を持った数字であることがわかります。この14という数は、ダビデ(DWD)という名、その構成文字を数値に換算した値です。p66
 →新約「マタイの福音書」1章17節に出てくる「14代」の14という数字の解釈
  
第2部、第3部からは、特に印象深い対話部分からの学び、印象をいくつか簡略にまとめておこう。括弧内の数字は部を示す。

・サルトルとエマニュエル・レヴィナスのユダヤ人についての定義をもとに論じられているが、ユダヤ人に間違ったイメージを抱いているということを痛感した。(2)
・「イエスはユダヤ人の救済だけを考えていた」という秋吉氏の解釈は興味深い。(2)
・ユダヤ教は求心的な方向で選民意識が維持され、キリスト教は伝道という遠心的な方向に進展したので、世界宗教になった。またユダヤ教との乖離が加速したということに、なるほど・・・・  (2)
・14代、12使徒、12部族、魚153匹などの数字に、意味が隠されている、ある解釈ができることは驚き。(2)
・言葉の意味を深めることができた。たとえば、ヘブル・イスラエル・ユダヤ・シオンのもつ意味の識別、バビロン捕囚、ディアスポラなど。 (2)
・「安息日」の解釈がおもしろい。また、ユダヤ人が聖書の文言を守るために、現実生活での矛盾を解決するために、如何に知恵を絞り、聖書解釈しているかということ。(例えば、仏教で僧侶達が酒を般若湯と称した類)いずこの宗教にも、解釈での抜け道ができている。 (3)
・ユダヤ人が豚肉を食べてはいけない戒律があるというのを初めて知った。イスラムの人には禁忌だということはしていたが・・・ (3)
・「イザヤ書」のインマヌエル預言の「おとめ」(若い女という意味)が、ギリシャ語で「パルテノス」と訳されたことにより「処女」となった。そして「処女が身ごもる」と変容したという。翻訳するということは難しい。この訳語で、マリアの処女懐胎につながっていく結果になったとか。 (3)
・聖書解釈とその理解から、自然観・宇宙観、科学の役割、利子をとることの是非、臓器移植問題、死の意味、永遠のいのちと来るべきいのち、などが論じられていて、興味が深まる。 (3)
・「ユダの福音書」の発見。これがどう解釈されていくのだろうか・・・・ (3)

 三部全体から気づかされたこと、印象深いことを拾い出すときりがない。全部を引用するわけにはいかないので・・・・。この雑文から知的関心を抱かれたら、本書を手に取ってみてほしい。著者流に言えば、現代世界をより深く知るためにも。

ご一読ありがとうございます。

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 ネット検索すると、聖書へのアクセスもかなりできる。以下、過去の検索で知ったことも含めて、いくつかリスト化した。

The Hebrew Bible in English
The Hebrew Bible
The Complete Jewish Bible :Chabad.ORG

The Holy Bible  King James Version :「Bartleby.com]

口語旧約聖書  日本聖書協会、1954年  :WIKISOURCE
口語新約聖書  日本聖書協会、1955年  :WIKISOURCE    
Catolic Online

Bible Old Testament
Old Testament Gateway Home Page
The New Testament Gateway Dr. Mark Goodacre

聖書を読んでみよう 初心者のためのやさしい聖書の話  坂井信生氏
旧約聖書メッセージ
聖書の学び 新約聖書シリーズ
聖書の学び ロゴス・クリスチャン・フェローシップ内でのメッセージ

イスラエル旅行記 :「ロゴス・ミニストリー」

聖書翻訳の歴史  :「財団法人 日本聖書協会」

聖書      :ウィキペディア
ヘブライ語聖書 :ウィキペディア
ヘブライ語 :ウィキペディア
アラム語 :ウィキペディア

ディアスポラ :ウィキペディア
バビロン捕囚 :ウィキペディア
イスラエルの失われた10支族 :ウィキペディア
使徒 :ウィキペディア
七十門徒 :ウィキペディア


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今までに読後印象を掲載した著者の本は次のとおりです。

『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館

『すばらしい新世界』 池澤夏樹

『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 池澤夏樹 写真・鷲尾和彦 中央公論新社