関西で生まれ育った私には、学生時代まで関東平野という言葉から平坦な土地に形成された江戸の町が東京になったというイメージを単純に抱いていた。社会人になり東京に出張する機会が増えたときに、初めて東京は坂の多い土地なのだということを実体験して知った。そのとき、たとえばお茶の水駅の傍の川が谷底のような低いところを流れているということも知った。それでも、時折のビジネスで出向いた場所は限定されているので、東京の地形について、それ以上に考えなかった。その後、池波正太郎の小説を読んでいて、結構川や川舟の利用の話がでてきていても場面として捉えているだけだった。
タイトル「水の都市」という言葉にえっ!と思い、関心を抱き本書を読んでみた。関西人の私には目から鱗という類いの本だった。本書に出てくる「江戸城を中心とし、放射状に江戸の町を捉える。それが当時の感覚なのである」(p132)ということは、あるとき歴史小説の中での具体的な説明で知っていたのだが、「東京がかつてヴェネツィアとも似た『水の都市』であったことは、今では多くの人々の認識するところとなった」(p4)という説明とは無縁だった。それは私にとり本書でまさに認識を新たにさせられたことだ。
本書はタイトルが端的に示す通り、「水の都市」という視点にたって、江戸がどのように自然発生的な段階から、地形と河川を基盤に人工の水路を開削して、都市計画としての拡大が構想されていったのかを知ることになった。本書は、江戸の発展プロセスを押さえたうえで、明治維新以降の東京の発展と変貌を対比的に論じている。主として江戸幕府が自然河川と人工河川・水路の開削工事を如何に緻密に結合させて、巨大都市空間を形成していったかを現地調査と資料文献を踏まえて論じている。そして明治以降の経済発展の中での都市の変貌を跡づけている。「水の都市」が江戸から東京への転換のなかでどう変化したか。また、いま改めて「水の都市」という視点での見直しがどのように行われようとしているかを論じている。こういう視点での本を読むのは初めてでもあり、おもしろかった。
水の都市・江戸についての説明は、江戸を舞台にした時代小説、歴史ものを今後読むうえでも、背景のイメージ形成の奥行きを広げてくれるように思う。手許に、『嘉永・慶応 新・江戸切絵図』(人文社)という江戸時代の地域部分地図(古地図)の本を持っているが、今までは町名所在地や建物・地名中心にしか見ていなかった。これが河川・水路という視点から空間のつながりを眺められるというおもしろさが加わった。
著者は鍬形斎の「江戸一目図屏風」(1809年)に始まり、幕末・明治にかけて江戸東京の鳥瞰図が繰り返し描かれてきたという。その実例図も本書に掲載されている。墨田区押上にできた東京スカイツリーの地上450メートルの展望台からの眺めが、まさに同じ視点なのだと論じている。ということは、「水の町」の東京を実体験として鳥瞰図風に眺望できるだけでなく、江戸時代の最終段階における江戸の姿と東京の現在の姿を対比し、あるいは重ね合わせてみることができるということだ。勿論、そのためには、予備知識がなにがしか必要であり、それにより歴史的時間軸での奥行きと広がりを持って一層、そこからの眺めを理解し堪能することで思いが深まり、観照できることになるのではないか。本書はその案内書になると思う。いつか、東京スカイツリーからその眺めを観照してみたいと思っている。
さて、本書の構成をご紹介しておこう。
序 章 「水の都市」東京の読み方、歩き方 陣内秀信
第1章 都心部
江戸城と内濠・外濠/隅田川/日本橋川/神田川 コラム(3つ)
第2章 江東・墨田
北十間川/小名木川/横十間川/旧中川/仙台堀川/大横川
第3章 港南臨海部
東京湾/佃/品川/羽田 コラム(1つ)
第4章 郊外・田園
玉川上水/目黒川/善福寺川/野川/多摩川/府中/日野 コラム(4つ)
あとがき 陣内秀信
こういう構成であり、自然河川、人工河川・水路を主軸に東京の各地域を眺めていくという方法論をとる。第1章から第4章は陣内研究室の研究者諸氏による分担執筆である。
本書を読み、江戸幕府、江戸時代という視点から興味を引かれた箇所を抽出してご紹介しよう。鍵括弧は本文引用であり、それ以外は理解した内容の要約である。
*日本橋川が「へ」の字に曲がる流路変更がなされたことには、川家康の巧妙な仕掛けがある。それは、水上の路、日本橋川が富士山と江戸城天守閣をアイスポットにするためだった。 p84-85
*「川家康の命を受けて大久保忠行が建設した神田上水は、江戸幕府が初めて公共に給水することを目的とした水道と言われている。」(p112)
*隅田川と荒川に挟まれた江東地域、牛島や亀戸より南東地域は、江戸時代の都市建設で海面の埋め立てで誕生し、この地域の水資源はすべてゼロから人の手で生み出されたものだという(p122-123)。 → 人工河川だということを初めて知った。
*江東地域の小名木川は、川家康が水のインフラ整備、明確な空間軸として意図したものという。慶長年間(1596-1615)、行徳から安全に江戸市内へ塩を運ぶ目的で開削されたそうだ。この小名木川が都市造りの空間軸となっていく。(p128-129)
小名木川 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%90%8D%E6%9C%A8%E5%B7%9D
そして、横十間川が近世より江東を都市と郊外(農村)を分ける「境界」になっていたという。それが現在の本所・深川、城東という文化圏に分けられる側面につながるという。おもしろいものだ。(p132)
*「佃の歴史は、1644年(正保元)年、鉄砲洲東の干潟を埋め立て、造成してできた島に、川家康が大阪から漁師を呼び寄せ、住まわせたことにはじまる。江戸にありながら、江戸ではない世界が島に移植されたのである。」(p158)
明治以降の東京の発展という点で、これまた特に印象深いこと、おもしろいと思ったのは次の諸点だ。拙文をお読みいただいている方はこのことをご存知だっただろうか?
*「都心を走る首都高速道路の9割が江戸時代の掘割を利用して整備された。」 p100
*「北十間川」の項では、こんな駅名変遷の経緯が詳細に書かれていておもしろい。往時の駅名で利用していた人には思い出があるのではなかろうか。
吾妻橋(1902年)→(一時廃止)→浅草(1910年)→業平橋(1931年。現浅草駅開業により)→とうきょうスカイツリー p126-127
*1872年(明治5)の新橋-横浜間の鉄道開通にあたり、軌道は海岸線を埋め立てて敷設された。 p152
本書では「水の都市」の江戸と東京の対比分析、詳述だけでなく、その歴史的変遷と比較研究から、独自の提言も行われている。言及されているいくつかをご紹介する。詳細は本書をお読みいただきたい。
第1章「都心部」においては、大手町の再開発への提言が行われている。
「陸からの発想だけで、眺めて憩う場に終始してはならない。『水の都』東京の再興を本当に望むなら、船を走らせ、水からの発想で描かなければ意味がないからだ。」(p102)
「江戸時代にあった水路網から引き込まれた入堀は現在一つもない。水からの発想で、陸側に魅力的な入堀をどれだけつくれるか、水辺再生への今後の大きな課題になるだろう」(p102)
第3章「港南臨海部-東京湾」において、水辺を日常の生活に取り戻すという水辺の復権が5段階で進展してきたという分析は、時代の変遷が見えて興味深い。5段階での説明を要約してみよう。詳しくは写真入りでの本文をお読みいただきたい。
第1段階 自然の回復
川の水質の浄化、そして産業構造の変化に伴う埋め立て地に自然が回復することで、ウォーターフロントの水辺への関心の高まり
第2段階 都心部への人口呼び戻し
工場や都市基盤施設の移転による跡地への大団地建設。リバーシティ21へ続く動き。
第3段階 1980年代以降のロフトブームに始まる新旧の要素の出会い
「既存の古い都市施設を活かしながら、新しい空気を吹き込み、水辺の都市空間を甦らせている。」
第4段階 1980年代半ばから、地価の格差と国際化、情報化の波
ウォーターフロントにインテリジェント・ビル、インテリジェント・シティ建設の構想が出てくる。都心の地価高騰と地価の安いウォーターフロント。
第5段階 バブル崩壊後の都心回帰
地価の下落もあり、都心回帰の動きが大手ディベロッパーによる大規模集合住宅群の建設に向かう。また、地域主体の「運河ルネサンス」の試みも始まる。
序章は本書の総論であり、本書の骨子が簡潔に論じられている。ここだけでも一読の価値があると思う。著者自身がこの序章の末尾に「本書のねらいと構成」という見出しでその意図を記されている。これは全体構成を俯瞰するのに便利である。著者は、序章の末尾を「この本が、読者の皆様にとって、知的に東京を読み、同時に実際に身体で東京を感じながら歩くための良き導き手になれば幸いである。」という一文で結んでいる。
関西に住む私には、本書を手にしながら東京を手軽に歩き回れないのが残念である。
ご一読ありがとうございます。
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本書を読みつつ、ネット検索した項目を一覧にしておきたい。
東都名所永代橋全図 [3] :「国立国会図書館デジタル化資料」
江戸名所一覧双六 歌川広重 :「江戸東京博物館」
絵本隅田川両岸一覧 :「無為庵之書窓」
本書に引用されている「両国橋河岸の賑わい、首尾の松、橋場の田家」が全部掲載さrています。
東都名所両国繁栄河開之図 歌川国 「東都名所」:「文化デジタルライブラリー」
よし原日本堤 歌川広重 名所江戸百景 :「浮世絵のアダチ版画」
江戸っ子に人気だった大山詣 資料館ノート第83号 江東区深川江戸資料館
このpdf資料に『当世座持話』所載として「両国の垢離取り」図が掲載されています。
東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図 :「江戸東京博物館」
隅田川川岸マップ :「隅田川風物図巻」
武州豊嶋郡江戸庄図 :「国立国会図書館デジタル化資料」
江戸名所図会 :「国立国会図書館デジタル化資料」
所載の絵からいくつかを抽出すると、日本橋(38/70,39/70)、駿河町(41/70)、
御茶の水(56/70)などが・・・絵図がかなり掲載されいている。
四日市 「江戸名所図会」(江戸橋):「江戸東京400年のルーツを歩く」
江戸橋三菱の荷蔵 「古今東京名所」:「古典籍データベース」(早稲田大学図書館)
関口芭蕉庵とその界隈 :「小さな旅のアルバム」
佃島帰帆 歌川豊広 江戸時代 :「東京国立博物館」
佃島帰帆 歌川広重 「江戸十二景」より :「国立国会図書館デジタル化資料」
【港区】お台場に浮かぶ幕末の戦争遺跡「品川台場」 (3):「東京DEEP案内」
日本橋、駿河町 浮世絵の一覧ページ
よく集めていただいた!という労作です。
「江戸東京400年のルーツを歩く~日本橋編~」編集製作:巻渕彰氏
小名木川クローバー橋 :「江東区」
小名木川クローバー橋からの東・西・南・北の眺め
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タイトル「水の都市」という言葉にえっ!と思い、関心を抱き本書を読んでみた。関西人の私には目から鱗という類いの本だった。本書に出てくる「江戸城を中心とし、放射状に江戸の町を捉える。それが当時の感覚なのである」(p132)ということは、あるとき歴史小説の中での具体的な説明で知っていたのだが、「東京がかつてヴェネツィアとも似た『水の都市』であったことは、今では多くの人々の認識するところとなった」(p4)という説明とは無縁だった。それは私にとり本書でまさに認識を新たにさせられたことだ。
本書はタイトルが端的に示す通り、「水の都市」という視点にたって、江戸がどのように自然発生的な段階から、地形と河川を基盤に人工の水路を開削して、都市計画としての拡大が構想されていったのかを知ることになった。本書は、江戸の発展プロセスを押さえたうえで、明治維新以降の東京の発展と変貌を対比的に論じている。主として江戸幕府が自然河川と人工河川・水路の開削工事を如何に緻密に結合させて、巨大都市空間を形成していったかを現地調査と資料文献を踏まえて論じている。そして明治以降の経済発展の中での都市の変貌を跡づけている。「水の都市」が江戸から東京への転換のなかでどう変化したか。また、いま改めて「水の都市」という視点での見直しがどのように行われようとしているかを論じている。こういう視点での本を読むのは初めてでもあり、おもしろかった。
水の都市・江戸についての説明は、江戸を舞台にした時代小説、歴史ものを今後読むうえでも、背景のイメージ形成の奥行きを広げてくれるように思う。手許に、『嘉永・慶応 新・江戸切絵図』(人文社)という江戸時代の地域部分地図(古地図)の本を持っているが、今までは町名所在地や建物・地名中心にしか見ていなかった。これが河川・水路という視点から空間のつながりを眺められるというおもしろさが加わった。
著者は鍬形斎の「江戸一目図屏風」(1809年)に始まり、幕末・明治にかけて江戸東京の鳥瞰図が繰り返し描かれてきたという。その実例図も本書に掲載されている。墨田区押上にできた東京スカイツリーの地上450メートルの展望台からの眺めが、まさに同じ視点なのだと論じている。ということは、「水の町」の東京を実体験として鳥瞰図風に眺望できるだけでなく、江戸時代の最終段階における江戸の姿と東京の現在の姿を対比し、あるいは重ね合わせてみることができるということだ。勿論、そのためには、予備知識がなにがしか必要であり、それにより歴史的時間軸での奥行きと広がりを持って一層、そこからの眺めを理解し堪能することで思いが深まり、観照できることになるのではないか。本書はその案内書になると思う。いつか、東京スカイツリーからその眺めを観照してみたいと思っている。
さて、本書の構成をご紹介しておこう。
序 章 「水の都市」東京の読み方、歩き方 陣内秀信
第1章 都心部
江戸城と内濠・外濠/隅田川/日本橋川/神田川 コラム(3つ)
第2章 江東・墨田
北十間川/小名木川/横十間川/旧中川/仙台堀川/大横川
第3章 港南臨海部
東京湾/佃/品川/羽田 コラム(1つ)
第4章 郊外・田園
玉川上水/目黒川/善福寺川/野川/多摩川/府中/日野 コラム(4つ)
あとがき 陣内秀信
こういう構成であり、自然河川、人工河川・水路を主軸に東京の各地域を眺めていくという方法論をとる。第1章から第4章は陣内研究室の研究者諸氏による分担執筆である。
本書を読み、江戸幕府、江戸時代という視点から興味を引かれた箇所を抽出してご紹介しよう。鍵括弧は本文引用であり、それ以外は理解した内容の要約である。
*日本橋川が「へ」の字に曲がる流路変更がなされたことには、川家康の巧妙な仕掛けがある。それは、水上の路、日本橋川が富士山と江戸城天守閣をアイスポットにするためだった。 p84-85
*「川家康の命を受けて大久保忠行が建設した神田上水は、江戸幕府が初めて公共に給水することを目的とした水道と言われている。」(p112)
*隅田川と荒川に挟まれた江東地域、牛島や亀戸より南東地域は、江戸時代の都市建設で海面の埋め立てで誕生し、この地域の水資源はすべてゼロから人の手で生み出されたものだという(p122-123)。 → 人工河川だということを初めて知った。
*江東地域の小名木川は、川家康が水のインフラ整備、明確な空間軸として意図したものという。慶長年間(1596-1615)、行徳から安全に江戸市内へ塩を運ぶ目的で開削されたそうだ。この小名木川が都市造りの空間軸となっていく。(p128-129)
小名木川 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%90%8D%E6%9C%A8%E5%B7%9D
そして、横十間川が近世より江東を都市と郊外(農村)を分ける「境界」になっていたという。それが現在の本所・深川、城東という文化圏に分けられる側面につながるという。おもしろいものだ。(p132)
*「佃の歴史は、1644年(正保元)年、鉄砲洲東の干潟を埋め立て、造成してできた島に、川家康が大阪から漁師を呼び寄せ、住まわせたことにはじまる。江戸にありながら、江戸ではない世界が島に移植されたのである。」(p158)
明治以降の東京の発展という点で、これまた特に印象深いこと、おもしろいと思ったのは次の諸点だ。拙文をお読みいただいている方はこのことをご存知だっただろうか?
*「都心を走る首都高速道路の9割が江戸時代の掘割を利用して整備された。」 p100
*「北十間川」の項では、こんな駅名変遷の経緯が詳細に書かれていておもしろい。往時の駅名で利用していた人には思い出があるのではなかろうか。
吾妻橋(1902年)→(一時廃止)→浅草(1910年)→業平橋(1931年。現浅草駅開業により)→とうきょうスカイツリー p126-127
*1872年(明治5)の新橋-横浜間の鉄道開通にあたり、軌道は海岸線を埋め立てて敷設された。 p152
本書では「水の都市」の江戸と東京の対比分析、詳述だけでなく、その歴史的変遷と比較研究から、独自の提言も行われている。言及されているいくつかをご紹介する。詳細は本書をお読みいただきたい。
第1章「都心部」においては、大手町の再開発への提言が行われている。
「陸からの発想だけで、眺めて憩う場に終始してはならない。『水の都』東京の再興を本当に望むなら、船を走らせ、水からの発想で描かなければ意味がないからだ。」(p102)
「江戸時代にあった水路網から引き込まれた入堀は現在一つもない。水からの発想で、陸側に魅力的な入堀をどれだけつくれるか、水辺再生への今後の大きな課題になるだろう」(p102)
第3章「港南臨海部-東京湾」において、水辺を日常の生活に取り戻すという水辺の復権が5段階で進展してきたという分析は、時代の変遷が見えて興味深い。5段階での説明を要約してみよう。詳しくは写真入りでの本文をお読みいただきたい。
第1段階 自然の回復
川の水質の浄化、そして産業構造の変化に伴う埋め立て地に自然が回復することで、ウォーターフロントの水辺への関心の高まり
第2段階 都心部への人口呼び戻し
工場や都市基盤施設の移転による跡地への大団地建設。リバーシティ21へ続く動き。
第3段階 1980年代以降のロフトブームに始まる新旧の要素の出会い
「既存の古い都市施設を活かしながら、新しい空気を吹き込み、水辺の都市空間を甦らせている。」
第4段階 1980年代半ばから、地価の格差と国際化、情報化の波
ウォーターフロントにインテリジェント・ビル、インテリジェント・シティ建設の構想が出てくる。都心の地価高騰と地価の安いウォーターフロント。
第5段階 バブル崩壊後の都心回帰
地価の下落もあり、都心回帰の動きが大手ディベロッパーによる大規模集合住宅群の建設に向かう。また、地域主体の「運河ルネサンス」の試みも始まる。
序章は本書の総論であり、本書の骨子が簡潔に論じられている。ここだけでも一読の価値があると思う。著者自身がこの序章の末尾に「本書のねらいと構成」という見出しでその意図を記されている。これは全体構成を俯瞰するのに便利である。著者は、序章の末尾を「この本が、読者の皆様にとって、知的に東京を読み、同時に実際に身体で東京を感じながら歩くための良き導き手になれば幸いである。」という一文で結んでいる。
関西に住む私には、本書を手にしながら東京を手軽に歩き回れないのが残念である。
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東都名所永代橋全図 [3] :「国立国会図書館デジタル化資料」
江戸名所一覧双六 歌川広重 :「江戸東京博物館」
絵本隅田川両岸一覧 :「無為庵之書窓」
本書に引用されている「両国橋河岸の賑わい、首尾の松、橋場の田家」が全部掲載さrています。
東都名所両国繁栄河開之図 歌川国 「東都名所」:「文化デジタルライブラリー」
よし原日本堤 歌川広重 名所江戸百景 :「浮世絵のアダチ版画」
江戸っ子に人気だった大山詣 資料館ノート第83号 江東区深川江戸資料館
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東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図 :「江戸東京博物館」
隅田川川岸マップ :「隅田川風物図巻」
武州豊嶋郡江戸庄図 :「国立国会図書館デジタル化資料」
江戸名所図会 :「国立国会図書館デジタル化資料」
所載の絵からいくつかを抽出すると、日本橋(38/70,39/70)、駿河町(41/70)、
御茶の水(56/70)などが・・・絵図がかなり掲載されいている。
四日市 「江戸名所図会」(江戸橋):「江戸東京400年のルーツを歩く」
江戸橋三菱の荷蔵 「古今東京名所」:「古典籍データベース」(早稲田大学図書館)
関口芭蕉庵とその界隈 :「小さな旅のアルバム」
佃島帰帆 歌川豊広 江戸時代 :「東京国立博物館」
佃島帰帆 歌川広重 「江戸十二景」より :「国立国会図書館デジタル化資料」
【港区】お台場に浮かぶ幕末の戦争遺跡「品川台場」 (3):「東京DEEP案内」
日本橋、駿河町 浮世絵の一覧ページ
よく集めていただいた!という労作です。
「江戸東京400年のルーツを歩く~日本橋編~」編集製作:巻渕彰氏
小名木川クローバー橋 :「江東区」
小名木川クローバー橋からの東・西・南・北の眺め
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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