今野敏の小説を読み継いできた記憶では、警察小説で公安ものの作品はほとんどない。刑事ものに公安部が絡んでくるのはいくつか読んだが。この小説は公安警察がロシアからやってくる暗殺者と対峙するというストーリーである。
主な登場人物は以下のとおり。
ヴィクトル・タケオビッチ・オキタ
元KGBの特殊部隊の一員。その頃の隊長がアレキサンドル・オギエンコ。ヴィクトルはKGBが解体されたあと、失職し傭兵となってボスニア・ヘルツェゴビナで本物の戦いを経験した。その後、戦の場を離れ、モスクワ郊外のドミトロフスカヤに住み、建設現場の力仕事をしている。生きるための金の工面をしなければならないが借りられるあてはないというどん底生活のただ中に居る。
ヴィクトルは父が北海道の漁師で、母がロシア人だった。陸軍時代にKGBにスカウトされ、モスクワ大学で日本語の専門教育を受けた。ソ連崩壊前は、在日ソ連大使館に赴任し、日本で暮らしスパイ活動をしていたことがある。風貌は父親譲りで日本人と偽っても怪しまれることはない。スパイ活動時代に、右翼団体の思想的バックボーンとなっている大日本報声社の大木三郎に接近し、面識を得ている。
そのヴィクトルの前にオギエンコが現れ、日本に行きヤクザを一人暗殺して欲しいと依頼する。前金2万ドル。暗殺成功の暁には、報酬2万ドル。必要経費は別に支払うという。オギエンコは何かを持ち去られたようである。ヤクザを暗殺するのは、オギエンコの面子の問題なのだという。
そのオギエンコは、ヴィクトルに告げる。戦争を体験した兵士のその後の人生は2つに別れる。精神的なトラウマが残るか、病みつきになるかだと。ヴィクトルは病みつきの部類なのだと。建設現場の力仕事は、生きるべき世界と別のところで生きているだけだと。オギエンコは、この依頼を断れば、己のリスクマネジメント上、ヴィクトルが殺し屋に追われる羽目になると断言する。実に一方的な、特殊部隊時代の部下に対する押しつけである。
結果的に、今現在金の必要なヴィクトルはこの暗殺を引き受ける。
まあ、だからこそ、このストーリーが始まる訳なのだが。
倉島達夫警部補
警視庁公安部外事第一課所属。情報収集という名目で人と会い、その話の内容を書類にする。日々書類仕事である。33歳。ノンキャリアの中では出世頭と言われる警視庁の公安部に所属しながら、仕事が面白くなくウンザリした不満な状態に居る。倉島は外事一課に来て2年目。その前は上野署の警備課に所属していた。
倉島は、上田係長とともに、滝課長に呼び出される。
滝課長は、2人に指示する。暗殺計画の情報を入手したが、どの程度の政治的な意味があるかは不明。暗殺の標的も不明、だがどうやら指定団体の代表らしい。その暗殺者はロシアからやってくるという話だと。それは「ある筋からの情報だ」とのみ言う。最小限の入手情報資料を2人に手渡す。暗殺者の名前と元KGB特殊部隊所属だったことなど。
そして、あまり表沙汰にしたくない事案だとして、倉島一人で対処せよと指示する。滝課長はそれが公安警察だと断言する。上田係長は倉島一人では対処不能。チームを組むべきと提言する。だが、滝課長は上田係長に言う。「君が手助けするんだ。公安の命は情報だ。情報さえあれば、何とかなる。君が情報をかき集めて分析し、倉島君をバックアップすればいい」と。体よく2人にこの事案を押しつける。
上田係長は「えらいものを押しつけられたな・・・」という認識。つまり、与えられた資料だけでは動きようがないという判断。一方、倉島は「しかし、やってくるのはたった一人でしょう」という気楽さ。上田係長は倉島に、当分本庁に来なくてもよい、ヴィクトル・オキタの過去の記録を洗うことから始めよという。この認識ギャップが実におもしろい。倉島は、不満を抱きつつ記録の調査から始めるが、己の認識を徐々に改めて行かなければ事案に対処できないことを自覚していく。
上田係長
こけた頬やいかにも神経質そうな眉間の皺、倉島から見れば胃潰瘍に違いないと思うような顔色をしている。公安部の仕事を熟知しているノンキャリアのベテラン。倉島を手助けし、バックアップするための情報収集に徹していく。課長の指示に対し、元KGBの特殊部隊にいて、日本国内でスパイ活動をしていたプロが暗殺者なら、一人や二人でできる仕事では無いと判断している。だが、課長の指示には逆らわない。「上からやれと言われたからには、やるしかない」と。
この事案が進展していくに連れ、上田係長は独自の判断を発揮し始める。外事一課の仕事そのものに徹するという立場からの行動を開始することになる。このあたりが、面白いところである。それには、それなりの判断と理由が生じて来るのだが。
津久茂行雄
有限会社津久茂興業の社長。かつては江田本組の代貸。今は組長である。建前は時勢に合わせ会社運営の形にしているが独立したヤクザ。事務所は巨大な国際新赤坂ビル東館の裏手にある赤坂のマンションの一室にある。
会社を取り仕切っているのは経済ヤクザの部下達。一方で、武闘派の部下がいる。
津久茂はヤクザとしてはやり手の一人だが、会社の金と自分の金の区別のつけられない人物。
夜になると、六本木にあるロシアンクラブ「ビリョースカ」に入り浸っている。そして閉店後に、ホステスを連れ出してホテルにしけ込む日々を過ごす。お目当ては、エレーナ 津久茂興業はいろいろな商売に手を出しているが、水商売には利益採算性から手を出さない方針だった。
兵藤猛
武闘派ヤクザ。元はプロ野球での外野手でそこそこのスラッガーだった。喧嘩で相手に怪我を負わせ、球団を解雇された。行くあてのないところを津久茂に拾われた恩義を感じている。形は津久茂興業の営業部長だが、実質は津久茂組長の用心棒のような存在となっている。喧嘩なれして腕には自信を持っている。ヴィクトルが津久茂に接近するには障害となる男である。ヴィクトルにとっては、津久茂の傍を離れないこの兵藤をどう排除するかが課題となる。
アレキサンドル・オギエンコ
元KGBの特殊部隊の隊長。階級は大佐だった。ヴィクトルの元上司。KGB解体後、派閥争いで敗れ解雇される。ヴィクトルの前に現れたときは、ロシア・マフィアと成っていた。ヴィクトルに依頼したヤクザの暗殺は、取引上のトラブルだという。裏切りを許さない、日露の同じ稼業の連中への見せしめだという。オギエンコがヴィクトルに依頼した暗殺には、別の目的が秘められていた。そこがこのストーリー展開をおもしろくするところである。
滝課長
警視庁公安部外事一課の課長。切れ者の上司。ソ連崩壊前の冷戦時代からずっと公安の業務に従事してきた人物。KGBのプロがどんなものか熟知しているはずの滝が倉島と上田の二人に限定してこの事案の阻止を命じたのだ。なぜなのか? それはヴィクトルの行動の中から徐々に浮かび上がっていく。ヴィクトル追跡を通じて、倉島と上田係長はその真の意図を理解し始める。
エレーナ
ビリョースカでホステスとして働いている。ロシアから日本に来たばかりの18歳の女性。津久茂が今入れあげているホステスである。兵藤の目からみると・・・・驚くほどの美貌、完璧にデザインされた人形のようであり、黒い髪にダークブラウンの眼。目が大きく潤んだように輝いている。鼻がつんと尖っているが、頬はふっくら、ロシア人特有の白く滑らかな肌。幾分か東洋的な感じ、モンゴロイドに近い顔立ち・・・・・に見える。
そして、このエレーナが鍵となっていく。意外な展開が始まる要因になる。
大木三郎
大日本報声社の代表者。六本木通りに面した渋谷二丁目にあるマンションの一室を拠点としている。右翼団体でマイクロバスの街宣車1台という小規模団体。だが大木は大木天声というペンネームで右翼団体の思想的バックボーンとなっている人物。非凡な文才があり、情報通である。日本の民族主義的政治団体や暴力団に豊かな人脈を築き、情報網としている。裏情報に長けている。居合い抜きの高段者であり、手許に白木鞘の日本刀を置いている。
かつて、山田勝と名乗ったヴィクトルとの交流がある。ヴィクトルに一度助けられたが、騙されたという経験を持つのだ。ヴィクトルの正体を既に知っている。それを承知で、ヴィクトルは日本に潜入後、大木に会いに行く。ヴィクトルと大木との間の、このストーリー展開の中での微妙な関係が面白い。大木は要所要所に登場するだけなのだが。重要なインパクトを及ぼす要因となる。
さてこれらの登場人物がどう関わっていくのかがこの作品の面白さである。
興味深い点を3つ挙げておこう。
1.冷戦時代に日本でスパイ活動に従事していた経験のあるヴィクトルが、久方ぶりに潜入した日本で、ヤクザの暗殺を実行するために、どのような準備をして、どのように行動するか。暗殺者の視点からの行動プロセスの興味深さである。
日本への入国方法、入国後の情報収集方法、所在地を捕まれないようにする方法、己の存在を消す方法・・・・などなど。そして、どんなやり方で暗殺を実行に及ぶのか。
単に金の為だけと割り切らず、暗殺を依頼された理由に執着し続けるという点が興味深い。それがまた、このストーリーの梃子になっている。
2.倉島という公安部2年目で多少能天気な不満分子が、上田係長のいう「えらいものを押しつけられた」という認識の意味するところを、実体験していく中で自己認識していくプロセスのおもしろさである。そこには上田係長の目を通した公安部の存在・あり方も語られる。倉島が公安部不満分子から公安部の人間に変身していくプロセスでもある。
公安部の情報収集のやり方、刑事警察との違いなどもわかって興味深い。
滝課長は、倉島に言う。「そろそろ公安らしい仕事をしてもいい頃だ。しっかりやってくれ」と。それは、滝課長に明確な結果としてフィードバックされる。まさに公安の仕事として。
3.この作品のストーリー構成のおもしろさ。暗殺者の行動プロセスと公安部の行動プロセスを対比的に描きながらその対峙を交錯させていくという暗殺行為の実行・阻止プロセスが描かれる。その中で、なぜヤクザ一人の暗殺がそれほど重要なのかという謎解きプロセスが底流に並行していく。そして、その謎が明らかになると、その暗殺計画は意外な様相を帯びたものだったことが解り始める。ヴィクトルと倉島がそれぞれの立場でどう対応していくのか。
暗殺者追跡劇と謎解きによるどんでん返しの劇的展開という入れ子構造の構成が読みどころである。
2001年11月に単行本が出版された。13年前の作品だが、古さを感じさせない。一気読みできる作品に仕上がっている。
末尾はこうである。タイのプーケット島でのシーン:
「エレーナが笑いを取り戻した。
それだけでもいい。ヴィクトルはそう思い、再び、沈みゆく夕日に眼を向けた。」
なぜ、そんなエンディングになるのか? お楽しみあれ。
ご一読ありがとうございます。
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本書関連の語句をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
警視庁の組織図・体制 :「警視庁」
警視庁公安部 :ウィキペディア
公安警察とは :「元敏腕刑事 小川泰平が語る刑事と公安」
第2回「公安警察と刑事警察」、第3回「刑事から見た公安警察」というページあり。
暴力団 :ウィキペディア
元・組員に聞いた!「こいつヤクザだな」って男の特徴9つ【1/3】 :「Menjoy!」
ソ連国家保安委員会(KGB) :ウィキペディア
KGB From Wikipedia, the free encyclopedia
シグザウエル P220 :「MEDIAGUN DATABESE」
S&W M36 :ウィキペディア
ワイヤーソー 切断動画 切断テスト :Youtube
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) :ウィキペディア
アフガニスタン紛争(1989年-2001年) :ウィキペディア
アフガニスタン紛争 (2001年-) :ウィキペディア
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 :ウィキペディア
プーケット :「タイ国政府観光庁」
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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新3版
主な登場人物は以下のとおり。
ヴィクトル・タケオビッチ・オキタ
元KGBの特殊部隊の一員。その頃の隊長がアレキサンドル・オギエンコ。ヴィクトルはKGBが解体されたあと、失職し傭兵となってボスニア・ヘルツェゴビナで本物の戦いを経験した。その後、戦の場を離れ、モスクワ郊外のドミトロフスカヤに住み、建設現場の力仕事をしている。生きるための金の工面をしなければならないが借りられるあてはないというどん底生活のただ中に居る。
ヴィクトルは父が北海道の漁師で、母がロシア人だった。陸軍時代にKGBにスカウトされ、モスクワ大学で日本語の専門教育を受けた。ソ連崩壊前は、在日ソ連大使館に赴任し、日本で暮らしスパイ活動をしていたことがある。風貌は父親譲りで日本人と偽っても怪しまれることはない。スパイ活動時代に、右翼団体の思想的バックボーンとなっている大日本報声社の大木三郎に接近し、面識を得ている。
そのヴィクトルの前にオギエンコが現れ、日本に行きヤクザを一人暗殺して欲しいと依頼する。前金2万ドル。暗殺成功の暁には、報酬2万ドル。必要経費は別に支払うという。オギエンコは何かを持ち去られたようである。ヤクザを暗殺するのは、オギエンコの面子の問題なのだという。
そのオギエンコは、ヴィクトルに告げる。戦争を体験した兵士のその後の人生は2つに別れる。精神的なトラウマが残るか、病みつきになるかだと。ヴィクトルは病みつきの部類なのだと。建設現場の力仕事は、生きるべき世界と別のところで生きているだけだと。オギエンコは、この依頼を断れば、己のリスクマネジメント上、ヴィクトルが殺し屋に追われる羽目になると断言する。実に一方的な、特殊部隊時代の部下に対する押しつけである。
結果的に、今現在金の必要なヴィクトルはこの暗殺を引き受ける。
まあ、だからこそ、このストーリーが始まる訳なのだが。
倉島達夫警部補
警視庁公安部外事第一課所属。情報収集という名目で人と会い、その話の内容を書類にする。日々書類仕事である。33歳。ノンキャリアの中では出世頭と言われる警視庁の公安部に所属しながら、仕事が面白くなくウンザリした不満な状態に居る。倉島は外事一課に来て2年目。その前は上野署の警備課に所属していた。
倉島は、上田係長とともに、滝課長に呼び出される。
滝課長は、2人に指示する。暗殺計画の情報を入手したが、どの程度の政治的な意味があるかは不明。暗殺の標的も不明、だがどうやら指定団体の代表らしい。その暗殺者はロシアからやってくるという話だと。それは「ある筋からの情報だ」とのみ言う。最小限の入手情報資料を2人に手渡す。暗殺者の名前と元KGB特殊部隊所属だったことなど。
そして、あまり表沙汰にしたくない事案だとして、倉島一人で対処せよと指示する。滝課長はそれが公安警察だと断言する。上田係長は倉島一人では対処不能。チームを組むべきと提言する。だが、滝課長は上田係長に言う。「君が手助けするんだ。公安の命は情報だ。情報さえあれば、何とかなる。君が情報をかき集めて分析し、倉島君をバックアップすればいい」と。体よく2人にこの事案を押しつける。
上田係長は「えらいものを押しつけられたな・・・」という認識。つまり、与えられた資料だけでは動きようがないという判断。一方、倉島は「しかし、やってくるのはたった一人でしょう」という気楽さ。上田係長は倉島に、当分本庁に来なくてもよい、ヴィクトル・オキタの過去の記録を洗うことから始めよという。この認識ギャップが実におもしろい。倉島は、不満を抱きつつ記録の調査から始めるが、己の認識を徐々に改めて行かなければ事案に対処できないことを自覚していく。
上田係長
こけた頬やいかにも神経質そうな眉間の皺、倉島から見れば胃潰瘍に違いないと思うような顔色をしている。公安部の仕事を熟知しているノンキャリアのベテラン。倉島を手助けし、バックアップするための情報収集に徹していく。課長の指示に対し、元KGBの特殊部隊にいて、日本国内でスパイ活動をしていたプロが暗殺者なら、一人や二人でできる仕事では無いと判断している。だが、課長の指示には逆らわない。「上からやれと言われたからには、やるしかない」と。
この事案が進展していくに連れ、上田係長は独自の判断を発揮し始める。外事一課の仕事そのものに徹するという立場からの行動を開始することになる。このあたりが、面白いところである。それには、それなりの判断と理由が生じて来るのだが。
津久茂行雄
有限会社津久茂興業の社長。かつては江田本組の代貸。今は組長である。建前は時勢に合わせ会社運営の形にしているが独立したヤクザ。事務所は巨大な国際新赤坂ビル東館の裏手にある赤坂のマンションの一室にある。
会社を取り仕切っているのは経済ヤクザの部下達。一方で、武闘派の部下がいる。
津久茂はヤクザとしてはやり手の一人だが、会社の金と自分の金の区別のつけられない人物。
夜になると、六本木にあるロシアンクラブ「ビリョースカ」に入り浸っている。そして閉店後に、ホステスを連れ出してホテルにしけ込む日々を過ごす。お目当ては、エレーナ 津久茂興業はいろいろな商売に手を出しているが、水商売には利益採算性から手を出さない方針だった。
兵藤猛
武闘派ヤクザ。元はプロ野球での外野手でそこそこのスラッガーだった。喧嘩で相手に怪我を負わせ、球団を解雇された。行くあてのないところを津久茂に拾われた恩義を感じている。形は津久茂興業の営業部長だが、実質は津久茂組長の用心棒のような存在となっている。喧嘩なれして腕には自信を持っている。ヴィクトルが津久茂に接近するには障害となる男である。ヴィクトルにとっては、津久茂の傍を離れないこの兵藤をどう排除するかが課題となる。
アレキサンドル・オギエンコ
元KGBの特殊部隊の隊長。階級は大佐だった。ヴィクトルの元上司。KGB解体後、派閥争いで敗れ解雇される。ヴィクトルの前に現れたときは、ロシア・マフィアと成っていた。ヴィクトルに依頼したヤクザの暗殺は、取引上のトラブルだという。裏切りを許さない、日露の同じ稼業の連中への見せしめだという。オギエンコがヴィクトルに依頼した暗殺には、別の目的が秘められていた。そこがこのストーリー展開をおもしろくするところである。
滝課長
警視庁公安部外事一課の課長。切れ者の上司。ソ連崩壊前の冷戦時代からずっと公安の業務に従事してきた人物。KGBのプロがどんなものか熟知しているはずの滝が倉島と上田の二人に限定してこの事案の阻止を命じたのだ。なぜなのか? それはヴィクトルの行動の中から徐々に浮かび上がっていく。ヴィクトル追跡を通じて、倉島と上田係長はその真の意図を理解し始める。
エレーナ
ビリョースカでホステスとして働いている。ロシアから日本に来たばかりの18歳の女性。津久茂が今入れあげているホステスである。兵藤の目からみると・・・・驚くほどの美貌、完璧にデザインされた人形のようであり、黒い髪にダークブラウンの眼。目が大きく潤んだように輝いている。鼻がつんと尖っているが、頬はふっくら、ロシア人特有の白く滑らかな肌。幾分か東洋的な感じ、モンゴロイドに近い顔立ち・・・・・に見える。
そして、このエレーナが鍵となっていく。意外な展開が始まる要因になる。
大木三郎
大日本報声社の代表者。六本木通りに面した渋谷二丁目にあるマンションの一室を拠点としている。右翼団体でマイクロバスの街宣車1台という小規模団体。だが大木は大木天声というペンネームで右翼団体の思想的バックボーンとなっている人物。非凡な文才があり、情報通である。日本の民族主義的政治団体や暴力団に豊かな人脈を築き、情報網としている。裏情報に長けている。居合い抜きの高段者であり、手許に白木鞘の日本刀を置いている。
かつて、山田勝と名乗ったヴィクトルとの交流がある。ヴィクトルに一度助けられたが、騙されたという経験を持つのだ。ヴィクトルの正体を既に知っている。それを承知で、ヴィクトルは日本に潜入後、大木に会いに行く。ヴィクトルと大木との間の、このストーリー展開の中での微妙な関係が面白い。大木は要所要所に登場するだけなのだが。重要なインパクトを及ぼす要因となる。
さてこれらの登場人物がどう関わっていくのかがこの作品の面白さである。
興味深い点を3つ挙げておこう。
1.冷戦時代に日本でスパイ活動に従事していた経験のあるヴィクトルが、久方ぶりに潜入した日本で、ヤクザの暗殺を実行するために、どのような準備をして、どのように行動するか。暗殺者の視点からの行動プロセスの興味深さである。
日本への入国方法、入国後の情報収集方法、所在地を捕まれないようにする方法、己の存在を消す方法・・・・などなど。そして、どんなやり方で暗殺を実行に及ぶのか。
単に金の為だけと割り切らず、暗殺を依頼された理由に執着し続けるという点が興味深い。それがまた、このストーリーの梃子になっている。
2.倉島という公安部2年目で多少能天気な不満分子が、上田係長のいう「えらいものを押しつけられた」という認識の意味するところを、実体験していく中で自己認識していくプロセスのおもしろさである。そこには上田係長の目を通した公安部の存在・あり方も語られる。倉島が公安部不満分子から公安部の人間に変身していくプロセスでもある。
公安部の情報収集のやり方、刑事警察との違いなどもわかって興味深い。
滝課長は、倉島に言う。「そろそろ公安らしい仕事をしてもいい頃だ。しっかりやってくれ」と。それは、滝課長に明確な結果としてフィードバックされる。まさに公安の仕事として。
3.この作品のストーリー構成のおもしろさ。暗殺者の行動プロセスと公安部の行動プロセスを対比的に描きながらその対峙を交錯させていくという暗殺行為の実行・阻止プロセスが描かれる。その中で、なぜヤクザ一人の暗殺がそれほど重要なのかという謎解きプロセスが底流に並行していく。そして、その謎が明らかになると、その暗殺計画は意外な様相を帯びたものだったことが解り始める。ヴィクトルと倉島がそれぞれの立場でどう対応していくのか。
暗殺者追跡劇と謎解きによるどんでん返しの劇的展開という入れ子構造の構成が読みどころである。
2001年11月に単行本が出版された。13年前の作品だが、古さを感じさせない。一気読みできる作品に仕上がっている。
末尾はこうである。タイのプーケット島でのシーン:
「エレーナが笑いを取り戻した。
それだけでもいい。ヴィクトルはそう思い、再び、沈みゆく夕日に眼を向けた。」
なぜ、そんなエンディングになるのか? お楽しみあれ。
ご一読ありがとうございます。
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本書関連の語句をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
警視庁の組織図・体制 :「警視庁」
警視庁公安部 :ウィキペディア
公安警察とは :「元敏腕刑事 小川泰平が語る刑事と公安」
第2回「公安警察と刑事警察」、第3回「刑事から見た公安警察」というページあり。
暴力団 :ウィキペディア
元・組員に聞いた!「こいつヤクザだな」って男の特徴9つ【1/3】 :「Menjoy!」
ソ連国家保安委員会(KGB) :ウィキペディア
KGB From Wikipedia, the free encyclopedia
シグザウエル P220 :「MEDIAGUN DATABESE」
S&W M36 :ウィキペディア
ワイヤーソー 切断動画 切断テスト :Youtube
アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) :ウィキペディア
アフガニスタン紛争(1989年-2001年) :ウィキペディア
アフガニスタン紛争 (2001年-) :ウィキペディア
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 :ウィキペディア
プーケット :「タイ国政府観光庁」
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新3版