この作品のキーワードは「一身二生」だろう。対馬藩朝鮮方佐役(ちょうせんかたさやく)であり、寛永13年(1636)の朝鮮通信使迎聘にあたっては、「真文役」となった雨森芳洲が阿比留(あびる)利根に、兄の克人のことについて伝えようとしてふと口にし、それ以上告げることを思いとどまらざるを得なかった一言である。対馬藩士であった阿比留克人が、なぜ、朝鮮人・金次東(キムチャドン)として生きたか。その人生を軸にしながら、当時の政治経済や人の交流、江戸幕府と対馬藩の関係、今風にいえばインテリジェンス領域に関与していくことの問題、二重スパイの宿命などが織りなされていく。
この作品は、妹の阿比留利根が回想するという形で、プロローグ、間奏、エピローグに登場する。第一部は、対馬藩士・阿比留克人としての人生が「朝鮮通信使」との関わりの中で展開する。第二部は、「朝鮮通信使」の通訳として随行した克人が、朝鮮通信使一行の帰国旅程の途中、大坂に到ったときに、逐電せざるを得なくなる。そして15年後、朝鮮人・金次東として生きている最中に、再び対馬藩の命運を託されるという宿命となる。そして遙かなる韃靼(モンゴル)の地に、汗血馬と称された天馬を求めて出かけて行く。託された使命を無事完了するが、その後、阿比留克人に戻ることなく、金次東としての人生を生きて行く。
第一部は史実の行間に巧みにフィクションを織り交ぜた創作である。第二部はそこからさらに韃靼(モンゴル)へ天馬を求める探索の旅に出かけさせるという雄大なスケールのフィクションへと飛翔させていく。それが将軍吉宗による「日光社参」復活という史実にリンクさせる構想は意外な展開だが、自然な流れに思わせる巧みさに溢れている。
前半は時代背景の描写、朝鮮通信使の旅程の詳細な描写と比較的スローな時間やストーリー展開に若干辟易とされるかもしれない。後半はダイナミックな冒険譚風の描写が主となり、ストーリー展開にスピード感が加わる。読み応えのある作品だ。
第一部は、六代将軍家宣の侍講として仕えた新井白石が、29年ぶりに来日する「朝鮮通信使」に対する通信使聘礼における国書交換にあたり、難題を対馬藩に突きつけてくる。それは、朝鮮国王から川将軍への国書の称号を、それまでの「日本国大君(たいくん)」から「日本国王」に変更するよう申し入れよというもの。既に、朝鮮国王の国書を携行した正使が通信使一行とともに漢城(ソウル)を出発しているという知らせが倭館から対馬藩に届いている段階で発生した難題なのだ。もはや事前交渉段階ではない。一旦作成された国書を、強引に説得して書き換えてもらうという、通常なら考えられない事態に直面するのである。
この時、阿比留克人は対馬藩から派遣され、朝鮮の倭館に、朝鮮との外交交渉を担当する10人の「裁判(さいはん)」の最年少として勤めていた。外交交渉に携わりつつ、朝鮮や中国の情報収集活動をする役目である。そこには必然的に情報収集の見返りとしての何らかの情報提供も生じてくる。第一線にいる人間には、職務の性格上、二重スパイ化する要因の内在は回避が難しいことでもある。
倭館を訪れた雨森芳洲が、裁判の克人に「王号復号」問題という難題を相談するところから、具体的にストーリーが展開していく。倭館窯に専属として雇われていた朝鮮人陶工・李順之との邂逅から、克人は李順之の裏の任務を知る。そこから、暗行御史(あんこうぎょし:朝鮮国王の密偵)の利用する「銀の道」を使い、最短距離で既に漢城を出発している朝鮮通信使一行を捕まえるという思いつきが芽生える。正使に会い「国号復号」問題への対処を何とか願おうという策である。
阿比留克人の父は対馬藩の朝鮮方佐役であったが36歳の折り不意の病で亡くなり、その後を襲って雨森芳洲がその任についた。克人は芳洲の薫陶を受けて育つ。そして、朝鮮語・漢語を修得する。また、対馬の慶雲寺にいた旅の僧から手ほどきを受け、薩南示現流を激しい修練を経て会得していた。そんな克人がその役割を担うこととなる。
「銀の道」を馬上でひた走る克人が、滝の近くで水のにおいを吸い込もうと覆面をはずしたことがきっかけで、同じ道を利用していた監察御史・柳成一(ソンイル)に見とがめられて誰何される。その結果、対決する羽目になり、克人も肩に傷を負うことになる。柳成一との偶然の出会いが、結果的に克人の大きな運命を変えていく始まりとなる。克人にとっては、協力者・李順之の存在を知られてはならない絶対事項なのだから。
克人の活躍で、「王号復号」のための国書の差し替えは無事解決し、対馬経由で朝鮮通信使は江戸への旅を続ける。この折り、雨森芳洲は「真文役」、克人は外交交渉の通訳として随行する。真文役とは、「通信使の江戸往復の全行程に護行し、道中における公式文書(漢文)作成のいっさいに携わる」という役割である。
一方、この通信使一行の警備・護衛を担当する軍官の指揮系統の一元化で、その長に監察御史の柳成一が就くことになる。ここに、克人と成一の間で行路における陰での確執が始まって行く。
この第一部は、日本と朝鮮との外交問題、対馬藩を軸にした日朝交易問題、対馬藩による100年前の国書偽造事件の顛末、将軍家宣の侍講・新井白石の外交政策と人物像、朝鮮通信使の迎聘がどのようなものであったかという史実が克明に描かれて行く。
この側面、「朝鮮通信使とは何だったのか」というのを描き出すことが著者にとって、一つのテーマだったのだろうと思う。その史実の空隙に阿比留克人や柳成一などが登場し活躍する創作局面が実にリアルに織り込まれていくことになる。
読者にとって、本作品の第一部は、歴史における「朝鮮通信使」の存在と実態を学ぶ機会にもなっている。またそれは、雨森芳洲という近江国(滋賀県)湖北に生まれた偉人の一人を知る機会でもある。雨森芳洲という人物名はかなり以前から知ってはいたが、どんな役割を果たしてきた人物なのか、その詳細を知らなかった。この小説を通じて、雨森芳洲という歴史的偉人の一端に触れたことで、彼の思想と行動、その事績に関心が芽生えてきた。
「銀の道」で肩に傷を負った克人を助けるのはリョンハンという旅芸人である。彼女は揚州仮面劇団(ヤンジュタルチュム)の花形だった。リョンハンはテウンと綱渡りの演技を見せ場とする。そのリョハンが克人を追って、通信使一行に随行する芸能団の一員に加わり、ストーリーに花を添えるとともに、重要な役回りを果たすことになっていく。大坂で、遂に克人が柳成一と対決することになる折りにリョンハンが己の意思で関わって行くのだ。克人は逐電せざるを得ない羽目になる。それは「一身二生」の始まりだった。
第二部は、江戸幕府の政治状況の変転が、仮の姿・李次東として生き始めた克人にも影響を及ぼす。15年の歳月が経つ。李次東はマウルの住人となり家庭を築き、陶工として生活している。そこにかつて逐電することを勧め、その援助をした唐金屋が訪ねて来る。唐金屋は、対馬藩の窮状と己の状況を説明し、将軍吉宗がどうしても天馬・韃靼の馬を手に入れたいという望みを抱いていることを告げる。対馬藩は幕府に二十万両の借りがあり、老中・勘定方はその貸付金の返済を迫っているという。雨森芳洲と唐金屋は天馬の献上と拝借金の一部相殺ができないかと思案する。そして、李次東に天馬の入手を告げにきたのだ。虫の良い話だが、対馬を救えるのは克人以外に適任者がいないと。藩命と受けとめて実行してほしいという。
「しかし、私はもはや対馬藩士ではない。朝鮮人金次東として生きてゆくことを決めた人間です。それに、馬にも詳しくはない」と。馬のことに関して唐金屋は哥老会の協力が得られるという。
対馬への思いが、金次東として生きる克人を揺り動かしていく。そして、会稽(フェリヨン)を経て、長白山脈、さらに大興安嶺を越え数百里の彼方の大草原の秘密の牧場に育てられているという天馬の探索、入手の冒険に駆り立てられていく。
冬季の大草原へのはるかなる冒険探索の旅というダイナミックな展開はおもしろい。前半のストーリー展開のテンポと対比すると、後半のストーリー展開はスピードアップする。それは、唐金屋が李次東に話を持ち込んだ時点で、対馬藩の貸付金返済期限が迫っていること。馬の献上をそれまでにして、馬と返済金の一部相殺を交渉するには、馬を入手するのに正味4ヵ月の期間というタイムリミットが課せられているせいでもある。
第一部の朝鮮通信使一行の往復の旅程は1年有余に及ぶものだったから、ある意味当然の展開テンポの違いともいえるが・・・・。
読者としての読みやすさは、やはり第二部のストーリー展開の方がスリリングである。 また、ちょっと奇想天外な桃源郷の如き、天馬が飼育される秘密の牧場が出てくる。これも意外性が加わりそれほど違和感がなくすんなり、おもしろく感じ楽しめる設定だった。
しかし、第二部のストーリー展開にのめり込めるのは、第一部の顛末がベースとなっているからでもある。この中での人間関係が、第二部での天馬探索の冒険譚の大いなる伏線となっているのだ。その人間関係の濃密さは、本書を開いて味わっていただきたい。
また、阿比留家に伝わり、今は克人と利根しか解読できないという阿比留文字が、克人・利根間の通信手段として暗号代わりに使われるという道具が持ち込まれている。これが、利根を介して、克人と李順之との通信手段になっていく。この阿比留文字がこの作品では興味深い小道具としてストーリー展開で生きている。どこで活きているかも、この作品を読む上でのお楽しみに。
最後にもう一つ、第二部には徐青(ソチョン)という若い朝鮮人が登場してくる。徐青は人生の不思議な巡り合わせを象徴するかのような存在として描かれている。阿比留克人は金次東としての人生を生きるために、朝鮮のマウルに戻って行く。エピローグで克人の妹・利根は、事情を知らぬまま、徐青について次のように語る。
「この方は対馬に残り、のちに藩に召し抱えられ、名も柳川調行(しげゆき)と改め、椎名さまの配下となりました」と。これは、対馬藩にとっての一つの落ちとしての巡り合わせでもある。この点もこの小説での味わいを感じる局面である。
阿比留叙情詩を引用しておく。克人が妹・利根との競作で作詩したものとして、登場し、この作品の底流に流れている詩である。巻末に、著者は金鐘漢の『たらちねのうた』の中の詩を変奏したものと付記している。
閏(うるう)四月
しだれ柳は老いぼれて
井戸の底には くっきりと
碧空(あおぞら)のかけらが落ちて
いもうとよ
ことしも郭公(かっこう)が鳴いていますね
つつましいあなたは 答えないで
夕顔のようにほほえみながら
つるべにあふれる 碧空をくみあげる
径(みち)は麦畑の中を折れて
庭さきに杏の花も咲いている
あれはわれらの家
まどろみながら 牛が雲を反芻(はんすう)している
ほら 水甕(みずがめ)にも いもうとよ
碧空があふれている
ご一読ありがとうございます。
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本作品と直接間接に関連する事項を検索してみた。一覧にしておきたい。
対馬府中藩 :ウィキペディア
対馬の歴史 江戸時代 :「国境の島 対馬へ」(対馬観光物産協会)
対馬を支配した宗氏 歴史研究所日本史レポート :「歴史研究所」
対馬 対馬藩 歴史 :「江戸三百藩」
雨森芳洲 :ウィキペディア
東アジア交流ハウス雨森芳洲庵 :「長浜米原奧びわ湖」
雨森芳洲再考-近世日本の「自-他」認識の視点から- 論文:「KATSURAJIMA's Website」
仲尾宏さんが講演「雨森芳洲の多文化共生論」 :「朝鮮日報」
雨森芳洲の墓 :「ORC」
新井白石 :ウィキペディア
朝鮮後期知識人と新井白石像の形成 鄭英實氏 論文
新井白石 ・ 折りたく柴の記 :「松岡正剛の千夜千冊」
朝鮮通信使 :ウィキペディア
やさしい朝鮮通信使の話 :「八幡ガイド」
朝鮮通信使の真実 :「KOKIのざっぱ汁」
朝鮮通信使 文化史17 :「フィールド・ミュージアム京都」
草梁倭館時代 :「釜山でお昼を」
阿比留文字 :ウィキペディア
阿比留草文字 :ウィキペディア
大内神社 古代文字「阿比留文字」の考察 丸谷憲二氏
対馬国の防人と大族の阿比留姓 古沢襄 :「歴史・神話 杜父魚ブログ」
宗 氏 :「戦国大名探究」
阿比留氏 :ウィキペディア
清津市(チョンジンし) :ウィキペディア
会寧市(フェリョンし) :ウィキペディア
哥老会 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 :「コトバンク」
ガルダン・ハーン :ウィキペディア
金鐘漢の「たらちねの歌」 :「s3731127306の資料室」
以酊庵 :「ぶらり城下町・厳原歴史探訪(1)」
タタール :ウィキペディア
北元 :ウィキペディア
日光社参 :ウィキペディア
享保の日光社参における公儀御用の編成 阿部 昭氏 論文
八代将軍吉宗の日光社参 :「日下古文書研究会」
汗血馬 幻の名馬「血の汗を流す馬]-発見 :「アシア文化社」
汗血馬の赤い汗の正体 ・・・( ̄  ̄;) うーん :「化学屋の呟き」
日本在来馬と西洋馬 -獣医療の進展と日欧獣医学交流史- 小佐々学氏 論文
白登山の戦い :ウィキペディア
陶庵夢憶 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 :「コトバンク」
『陶庵夢憶』からほんの少しメモ :「古書 比良木屋」
フェルガーナ → フェルガナ :ウィキペディア
駐防八旗 世界大百科事典内の駐防八旗の言及 :「コトバンク」
八旗 :ウィキペディア
大陸駆ける冒険ロマン 辻原登に聞く『韃靼の馬』 :「朝日新聞 DIGITAL」
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この作品は、妹の阿比留利根が回想するという形で、プロローグ、間奏、エピローグに登場する。第一部は、対馬藩士・阿比留克人としての人生が「朝鮮通信使」との関わりの中で展開する。第二部は、「朝鮮通信使」の通訳として随行した克人が、朝鮮通信使一行の帰国旅程の途中、大坂に到ったときに、逐電せざるを得なくなる。そして15年後、朝鮮人・金次東として生きている最中に、再び対馬藩の命運を託されるという宿命となる。そして遙かなる韃靼(モンゴル)の地に、汗血馬と称された天馬を求めて出かけて行く。託された使命を無事完了するが、その後、阿比留克人に戻ることなく、金次東としての人生を生きて行く。
第一部は史実の行間に巧みにフィクションを織り交ぜた創作である。第二部はそこからさらに韃靼(モンゴル)へ天馬を求める探索の旅に出かけさせるという雄大なスケールのフィクションへと飛翔させていく。それが将軍吉宗による「日光社参」復活という史実にリンクさせる構想は意外な展開だが、自然な流れに思わせる巧みさに溢れている。
前半は時代背景の描写、朝鮮通信使の旅程の詳細な描写と比較的スローな時間やストーリー展開に若干辟易とされるかもしれない。後半はダイナミックな冒険譚風の描写が主となり、ストーリー展開にスピード感が加わる。読み応えのある作品だ。
第一部は、六代将軍家宣の侍講として仕えた新井白石が、29年ぶりに来日する「朝鮮通信使」に対する通信使聘礼における国書交換にあたり、難題を対馬藩に突きつけてくる。それは、朝鮮国王から川将軍への国書の称号を、それまでの「日本国大君(たいくん)」から「日本国王」に変更するよう申し入れよというもの。既に、朝鮮国王の国書を携行した正使が通信使一行とともに漢城(ソウル)を出発しているという知らせが倭館から対馬藩に届いている段階で発生した難題なのだ。もはや事前交渉段階ではない。一旦作成された国書を、強引に説得して書き換えてもらうという、通常なら考えられない事態に直面するのである。
この時、阿比留克人は対馬藩から派遣され、朝鮮の倭館に、朝鮮との外交交渉を担当する10人の「裁判(さいはん)」の最年少として勤めていた。外交交渉に携わりつつ、朝鮮や中国の情報収集活動をする役目である。そこには必然的に情報収集の見返りとしての何らかの情報提供も生じてくる。第一線にいる人間には、職務の性格上、二重スパイ化する要因の内在は回避が難しいことでもある。
倭館を訪れた雨森芳洲が、裁判の克人に「王号復号」問題という難題を相談するところから、具体的にストーリーが展開していく。倭館窯に専属として雇われていた朝鮮人陶工・李順之との邂逅から、克人は李順之の裏の任務を知る。そこから、暗行御史(あんこうぎょし:朝鮮国王の密偵)の利用する「銀の道」を使い、最短距離で既に漢城を出発している朝鮮通信使一行を捕まえるという思いつきが芽生える。正使に会い「国号復号」問題への対処を何とか願おうという策である。
阿比留克人の父は対馬藩の朝鮮方佐役であったが36歳の折り不意の病で亡くなり、その後を襲って雨森芳洲がその任についた。克人は芳洲の薫陶を受けて育つ。そして、朝鮮語・漢語を修得する。また、対馬の慶雲寺にいた旅の僧から手ほどきを受け、薩南示現流を激しい修練を経て会得していた。そんな克人がその役割を担うこととなる。
「銀の道」を馬上でひた走る克人が、滝の近くで水のにおいを吸い込もうと覆面をはずしたことがきっかけで、同じ道を利用していた監察御史・柳成一(ソンイル)に見とがめられて誰何される。その結果、対決する羽目になり、克人も肩に傷を負うことになる。柳成一との偶然の出会いが、結果的に克人の大きな運命を変えていく始まりとなる。克人にとっては、協力者・李順之の存在を知られてはならない絶対事項なのだから。
克人の活躍で、「王号復号」のための国書の差し替えは無事解決し、対馬経由で朝鮮通信使は江戸への旅を続ける。この折り、雨森芳洲は「真文役」、克人は外交交渉の通訳として随行する。真文役とは、「通信使の江戸往復の全行程に護行し、道中における公式文書(漢文)作成のいっさいに携わる」という役割である。
一方、この通信使一行の警備・護衛を担当する軍官の指揮系統の一元化で、その長に監察御史の柳成一が就くことになる。ここに、克人と成一の間で行路における陰での確執が始まって行く。
この第一部は、日本と朝鮮との外交問題、対馬藩を軸にした日朝交易問題、対馬藩による100年前の国書偽造事件の顛末、将軍家宣の侍講・新井白石の外交政策と人物像、朝鮮通信使の迎聘がどのようなものであったかという史実が克明に描かれて行く。
この側面、「朝鮮通信使とは何だったのか」というのを描き出すことが著者にとって、一つのテーマだったのだろうと思う。その史実の空隙に阿比留克人や柳成一などが登場し活躍する創作局面が実にリアルに織り込まれていくことになる。
読者にとって、本作品の第一部は、歴史における「朝鮮通信使」の存在と実態を学ぶ機会にもなっている。またそれは、雨森芳洲という近江国(滋賀県)湖北に生まれた偉人の一人を知る機会でもある。雨森芳洲という人物名はかなり以前から知ってはいたが、どんな役割を果たしてきた人物なのか、その詳細を知らなかった。この小説を通じて、雨森芳洲という歴史的偉人の一端に触れたことで、彼の思想と行動、その事績に関心が芽生えてきた。
「銀の道」で肩に傷を負った克人を助けるのはリョンハンという旅芸人である。彼女は揚州仮面劇団(ヤンジュタルチュム)の花形だった。リョンハンはテウンと綱渡りの演技を見せ場とする。そのリョハンが克人を追って、通信使一行に随行する芸能団の一員に加わり、ストーリーに花を添えるとともに、重要な役回りを果たすことになっていく。大坂で、遂に克人が柳成一と対決することになる折りにリョンハンが己の意思で関わって行くのだ。克人は逐電せざるを得ない羽目になる。それは「一身二生」の始まりだった。
第二部は、江戸幕府の政治状況の変転が、仮の姿・李次東として生き始めた克人にも影響を及ぼす。15年の歳月が経つ。李次東はマウルの住人となり家庭を築き、陶工として生活している。そこにかつて逐電することを勧め、その援助をした唐金屋が訪ねて来る。唐金屋は、対馬藩の窮状と己の状況を説明し、将軍吉宗がどうしても天馬・韃靼の馬を手に入れたいという望みを抱いていることを告げる。対馬藩は幕府に二十万両の借りがあり、老中・勘定方はその貸付金の返済を迫っているという。雨森芳洲と唐金屋は天馬の献上と拝借金の一部相殺ができないかと思案する。そして、李次東に天馬の入手を告げにきたのだ。虫の良い話だが、対馬を救えるのは克人以外に適任者がいないと。藩命と受けとめて実行してほしいという。
「しかし、私はもはや対馬藩士ではない。朝鮮人金次東として生きてゆくことを決めた人間です。それに、馬にも詳しくはない」と。馬のことに関して唐金屋は哥老会の協力が得られるという。
対馬への思いが、金次東として生きる克人を揺り動かしていく。そして、会稽(フェリヨン)を経て、長白山脈、さらに大興安嶺を越え数百里の彼方の大草原の秘密の牧場に育てられているという天馬の探索、入手の冒険に駆り立てられていく。
冬季の大草原へのはるかなる冒険探索の旅というダイナミックな展開はおもしろい。前半のストーリー展開のテンポと対比すると、後半のストーリー展開はスピードアップする。それは、唐金屋が李次東に話を持ち込んだ時点で、対馬藩の貸付金返済期限が迫っていること。馬の献上をそれまでにして、馬と返済金の一部相殺を交渉するには、馬を入手するのに正味4ヵ月の期間というタイムリミットが課せられているせいでもある。
第一部の朝鮮通信使一行の往復の旅程は1年有余に及ぶものだったから、ある意味当然の展開テンポの違いともいえるが・・・・。
読者としての読みやすさは、やはり第二部のストーリー展開の方がスリリングである。 また、ちょっと奇想天外な桃源郷の如き、天馬が飼育される秘密の牧場が出てくる。これも意外性が加わりそれほど違和感がなくすんなり、おもしろく感じ楽しめる設定だった。
しかし、第二部のストーリー展開にのめり込めるのは、第一部の顛末がベースとなっているからでもある。この中での人間関係が、第二部での天馬探索の冒険譚の大いなる伏線となっているのだ。その人間関係の濃密さは、本書を開いて味わっていただきたい。
また、阿比留家に伝わり、今は克人と利根しか解読できないという阿比留文字が、克人・利根間の通信手段として暗号代わりに使われるという道具が持ち込まれている。これが、利根を介して、克人と李順之との通信手段になっていく。この阿比留文字がこの作品では興味深い小道具としてストーリー展開で生きている。どこで活きているかも、この作品を読む上でのお楽しみに。
最後にもう一つ、第二部には徐青(ソチョン)という若い朝鮮人が登場してくる。徐青は人生の不思議な巡り合わせを象徴するかのような存在として描かれている。阿比留克人は金次東としての人生を生きるために、朝鮮のマウルに戻って行く。エピローグで克人の妹・利根は、事情を知らぬまま、徐青について次のように語る。
「この方は対馬に残り、のちに藩に召し抱えられ、名も柳川調行(しげゆき)と改め、椎名さまの配下となりました」と。これは、対馬藩にとっての一つの落ちとしての巡り合わせでもある。この点もこの小説での味わいを感じる局面である。
阿比留叙情詩を引用しておく。克人が妹・利根との競作で作詩したものとして、登場し、この作品の底流に流れている詩である。巻末に、著者は金鐘漢の『たらちねのうた』の中の詩を変奏したものと付記している。
閏(うるう)四月
しだれ柳は老いぼれて
井戸の底には くっきりと
碧空(あおぞら)のかけらが落ちて
いもうとよ
ことしも郭公(かっこう)が鳴いていますね
つつましいあなたは 答えないで
夕顔のようにほほえみながら
つるべにあふれる 碧空をくみあげる
径(みち)は麦畑の中を折れて
庭さきに杏の花も咲いている
あれはわれらの家
まどろみながら 牛が雲を反芻(はんすう)している
ほら 水甕(みずがめ)にも いもうとよ
碧空があふれている
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対馬府中藩 :ウィキペディア
対馬の歴史 江戸時代 :「国境の島 対馬へ」(対馬観光物産協会)
対馬を支配した宗氏 歴史研究所日本史レポート :「歴史研究所」
対馬 対馬藩 歴史 :「江戸三百藩」
雨森芳洲 :ウィキペディア
東アジア交流ハウス雨森芳洲庵 :「長浜米原奧びわ湖」
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新井白石 :ウィキペディア
朝鮮後期知識人と新井白石像の形成 鄭英實氏 論文
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朝鮮通信使 :ウィキペディア
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清津市(チョンジンし) :ウィキペディア
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ガルダン・ハーン :ウィキペディア
金鐘漢の「たらちねの歌」 :「s3731127306の資料室」
以酊庵 :「ぶらり城下町・厳原歴史探訪(1)」
タタール :ウィキペディア
北元 :ウィキペディア
日光社参 :ウィキペディア
享保の日光社参における公儀御用の編成 阿部 昭氏 論文
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陶庵夢憶 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 :「コトバンク」
『陶庵夢憶』からほんの少しメモ :「古書 比良木屋」
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駐防八旗 世界大百科事典内の駐防八旗の言及 :「コトバンク」
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大陸駆ける冒険ロマン 辻原登に聞く『韃靼の馬』 :「朝日新聞 DIGITAL」
著者に対するインタビュー記事
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