著者の警察小説作品に警視庁捜査一課シリーズといえるものがある。一つは強行班七係の通称小林班でデカ長を務める大河内(おおこうち)茂雄とそのメンバーが捜査活動をする作品群。その中の一冊『無縁旅人』は読んでいる。一方、中本班のデカ長・庄野樹(たつき)とそのメンバーが捜査活動する作品である。
本作品は結果的にその小林班と中本班の刑事達が大河内・庄野というデカ長を中心に合同で捜査活動を推し進めて行くというストーリー展開になる。つまり、普段なら事件捜査の解決実績で結果的に互いに競い合う感じになる刑事達が、互いに競争心を抱きながらもひとつの事件解明に協力していくことになる。タイトルは、様々な刑事たちの互いの関わりによる集団捜査活動の進展を描くところから名づけられたようだ。
事件の発端は、湾岸道路と京浜運河とを結ぶ中間地点で、全裸の女の死体が発見され、通報されたことにある。被害者は「一糸まとわぬ姿で、歩道と周囲の土地をへだてるガードレールに寄りかかり、虚ろな両眼を車道の方向へと向けていた」という姿態で路上に放置されていたのだ。大河内が現場に到着した時には、明るい真夏の日差しに照らされている異様な情景だった。全裸死体は、あたかも見せびらかし、死後も辱めて見せしめにするかのようなあられもないポーズを取っていたのである。絞殺死体だった。
さらに、その全裸死体の映像が朝の六時過ぎに既にアップされ、さまざまにツイートされ憶測が飛び交っていた。コメントやリツイートが既に1万件を突破し、ニュースでセンセーショナルに取り上げられ、騒然となる状況だった。
ニュースに取り上げられたことから、歯科医院を開業する本間和明が警察に通報する。被害者は本間がつきあっている女性「坂上実咲(さかがみみさき)」かもしれないと。この通報のウラをとることから、本間が結婚するつもりでいた女性である坂上実咲が被害者だったと容易に確定し、被害者の住所も判明する。
本間の話では、坂上実咲は才色兼備の理想の女性であり、主に財務関係の相談に乗る経営コンサルタントをしていたという。そして、兄弟姉妹もなく、天涯孤独の身の上だったという。だが大河内等の捜査が進むと、坂上実咲は本間がイメージする天涯孤独の完璧な女性像とは全く異なる意外な事実・側面が次々に明らかになっていくのだった。
このストーリーは、坂上実咲がどんな生き様をしてきた女だったのかを暴いていくという筋立てになっている。それは事件の構造が複雑に交錯していたことを明らかにしていくプロセスでもある。
目黒区東山1丁目の蛇崩(じゃくずれ)へと続く道に立つマンションを本間に教えられた大河内らは、その住まいの捜査に出向く。坂上はマンションの817号室を自宅兼事務所にしていたという。家政婦の平沼に部屋を案内されたのだが、事務所として使われる部屋に生活臭はなく、住宅展示場のモデルルームに近い感じ。キッチンはいつも使いっぱなしでちらかった状態。家政婦は主にキッチンの後片付けと寝室のベッドメイキングが主で、シーツをよく洗っていたという。寝室はホテルの一室を感じさせる雰囲気なのだ。だが、一方で、大小各種のぬいぐるみや人形でびっしりと埋め尽くされた部屋があり、その部屋は自分で掃除をするといって、家政婦に立ち入らせなかったという。どこかアンバランス感に満ちる被害者の自宅。
家政婦は「感情の起伏の激しい」雇い主だったと証言する。平沼は、坂上が電話口で「キョウちゃん」と呼んでいるのを耳にしたこと、老舗の有名なカメラメーカーである三河パーパスの島袋陽平社長が、9ヵ月か10ヵ月前に、ものすごい大声で喚いている声を、買い物から戻って来た折に、耳にしたという事実を刑事たちに告げる。さらに平沼は、事務用の部屋の机に載っていたパソコンがなくなっていると証言した。また、一昨日に平沼がベッドメーキングした状態のままのベッドだったともいう。
大森警察署に捜査本部が設けられる。初期捜査の段階で、被害者には母親がいたことが分かってくる。そして坂上の携帯電話の通話履歴から、元刑事の沢崎昌午(しょうご)がたった一度だが、二分程度の通話をしていたことも判明する。沢崎は庄野がデカ長を務める中本班に属していたのだ。小林係長は中本班の中本係長を煙たい存在と思っていて、坂崎の通話のことについて、デカ長の庄野に大河内から話をしておくように指示するのだった。この指示から、大河内と庄野が深く関わりを持つようになっていく。
沢崎が2年前に警察を辞めるきっかけになったのは、三津屋丈夫という日本人のプライベートバンカーが殺害された事件があり、中西渉という雑貨輸入商がホシとしてあぶり出されたのだ。その事件の捜査中に銃撃戦がおこり、中西の共犯者だった男と沢崎の相棒だった若い刑事が命を落とし、沢崎も重傷を負ったのだ。そのことから、沢崎は警察を辞めた。殺害犯人は逮捕されたが、この事件の全容は解明できずに終わっていたのだ。
大河内と沢崎は、二人で沢崎の自宅を訪れ、通話のウラをとることとなる。沢崎は現在の介護の仕事先の一つとして、偶然にも坂上実咲の母親の介護に関係していたのだ。
沢崎は、坂上実咲の殺害された事件の捜査が進む過程で、中野の早稲田通りに架かる歩道橋の階段を転がり落ちて死亡する。突然に豪雨となった時間帯で、黒い傘をさした人物に背後から押されて沢崎は転落死したのだった。突然の豪雨を窓から見ていた複数の目撃者がいた。黒い傘が障害となって、人物を割りだす手がかりは全くない。
この沢崎の転落死は偶然なのか、坂上実咲の死と何らかのつながりがあるのか・・・・。
この小説の興味深いのは、捜査が進むに従って、事件の様相が変転していくところにある。猟奇的な姿態を晒させて殺害後に放置するという犯人の怨恨・怒りとその動機が何なのか。被害者には、本間和明にイリュージョンを抱かせた女性像とは似ても似つかぬ過去があった。その過去が、かつて沢崎や庄野が徹底的に捜査解明しようとしていた事件とも接点を持たせ始める。しかし、そこには坂上実咲という女の二重三重の行動が因縁の連鎖を生み出すことになる根本原因が潜んでいたのである。
さまざまに伏線が張られている中で、事件の謎解きが進展していく。一筋縄ではいかないところに読者を引き込んでいくというストーリー構成である。
一方で、この警察小説は、事件解明プロセスにおける刑事の人間関係、管轄の警察署刑事と本庁刑事の関係、捜査1課の組織における人間模様を克明に描き込んでいく。小林班、中本班の班内における刑事の人間関係、小林係長の人間像や小林係長と中本係長の競いを前提とした関係、デカ長である大河内と庄野の互いを認め合う人間関係、警察を退職した沢崎と元上司の庄野との心情関係、元警察官の退職後と警察組織との対社会関係、沢崎の体験と類似の体験を共有する大河内の沢崎観と共感・・・・。事件捜査の解明プロセスは、刑事群像の一喜一憂、信条や心情を描くことでもある。
この作品は2つの班が合同捜査をするという広がりの中で、警察組織の様相・人間模様をサブテーマにしているようにも思う。
事件の網の目に捕らえられた関係者が、それぞれの思い・思惑の次元で行動する。その結果が、坂上実咲殺害事件の中で、ノイズを引き起こしながら大なり小なり、その因縁のしがらみの中で繋がり事件の裾野を織りあげていく。大河内が軸となりながら、庄野と阿吽の呼吸をうみだして、事件の謎解きに突き進んでいく。
事件は解決するが、大河内と庄野の胸中には「やるせないな」という思いが残る。そんなエンディングを迎える小説である。
なぜ、「やるせない」というのか。そこを味読していただきたい作品である。刑事がストレートに活躍するストーリーだけで終わらないところがよい。人間のリアル感が漂っている。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『心に雹の降りしきる』 双葉社
『無縁旅人』 文藝春秋
本作品は結果的にその小林班と中本班の刑事達が大河内・庄野というデカ長を中心に合同で捜査活動を推し進めて行くというストーリー展開になる。つまり、普段なら事件捜査の解決実績で結果的に互いに競い合う感じになる刑事達が、互いに競争心を抱きながらもひとつの事件解明に協力していくことになる。タイトルは、様々な刑事たちの互いの関わりによる集団捜査活動の進展を描くところから名づけられたようだ。
事件の発端は、湾岸道路と京浜運河とを結ぶ中間地点で、全裸の女の死体が発見され、通報されたことにある。被害者は「一糸まとわぬ姿で、歩道と周囲の土地をへだてるガードレールに寄りかかり、虚ろな両眼を車道の方向へと向けていた」という姿態で路上に放置されていたのだ。大河内が現場に到着した時には、明るい真夏の日差しに照らされている異様な情景だった。全裸死体は、あたかも見せびらかし、死後も辱めて見せしめにするかのようなあられもないポーズを取っていたのである。絞殺死体だった。
さらに、その全裸死体の映像が朝の六時過ぎに既にアップされ、さまざまにツイートされ憶測が飛び交っていた。コメントやリツイートが既に1万件を突破し、ニュースでセンセーショナルに取り上げられ、騒然となる状況だった。
ニュースに取り上げられたことから、歯科医院を開業する本間和明が警察に通報する。被害者は本間がつきあっている女性「坂上実咲(さかがみみさき)」かもしれないと。この通報のウラをとることから、本間が結婚するつもりでいた女性である坂上実咲が被害者だったと容易に確定し、被害者の住所も判明する。
本間の話では、坂上実咲は才色兼備の理想の女性であり、主に財務関係の相談に乗る経営コンサルタントをしていたという。そして、兄弟姉妹もなく、天涯孤独の身の上だったという。だが大河内等の捜査が進むと、坂上実咲は本間がイメージする天涯孤独の完璧な女性像とは全く異なる意外な事実・側面が次々に明らかになっていくのだった。
このストーリーは、坂上実咲がどんな生き様をしてきた女だったのかを暴いていくという筋立てになっている。それは事件の構造が複雑に交錯していたことを明らかにしていくプロセスでもある。
目黒区東山1丁目の蛇崩(じゃくずれ)へと続く道に立つマンションを本間に教えられた大河内らは、その住まいの捜査に出向く。坂上はマンションの817号室を自宅兼事務所にしていたという。家政婦の平沼に部屋を案内されたのだが、事務所として使われる部屋に生活臭はなく、住宅展示場のモデルルームに近い感じ。キッチンはいつも使いっぱなしでちらかった状態。家政婦は主にキッチンの後片付けと寝室のベッドメイキングが主で、シーツをよく洗っていたという。寝室はホテルの一室を感じさせる雰囲気なのだ。だが、一方で、大小各種のぬいぐるみや人形でびっしりと埋め尽くされた部屋があり、その部屋は自分で掃除をするといって、家政婦に立ち入らせなかったという。どこかアンバランス感に満ちる被害者の自宅。
家政婦は「感情の起伏の激しい」雇い主だったと証言する。平沼は、坂上が電話口で「キョウちゃん」と呼んでいるのを耳にしたこと、老舗の有名なカメラメーカーである三河パーパスの島袋陽平社長が、9ヵ月か10ヵ月前に、ものすごい大声で喚いている声を、買い物から戻って来た折に、耳にしたという事実を刑事たちに告げる。さらに平沼は、事務用の部屋の机に載っていたパソコンがなくなっていると証言した。また、一昨日に平沼がベッドメーキングした状態のままのベッドだったともいう。
大森警察署に捜査本部が設けられる。初期捜査の段階で、被害者には母親がいたことが分かってくる。そして坂上の携帯電話の通話履歴から、元刑事の沢崎昌午(しょうご)がたった一度だが、二分程度の通話をしていたことも判明する。沢崎は庄野がデカ長を務める中本班に属していたのだ。小林係長は中本班の中本係長を煙たい存在と思っていて、坂崎の通話のことについて、デカ長の庄野に大河内から話をしておくように指示するのだった。この指示から、大河内と庄野が深く関わりを持つようになっていく。
沢崎が2年前に警察を辞めるきっかけになったのは、三津屋丈夫という日本人のプライベートバンカーが殺害された事件があり、中西渉という雑貨輸入商がホシとしてあぶり出されたのだ。その事件の捜査中に銃撃戦がおこり、中西の共犯者だった男と沢崎の相棒だった若い刑事が命を落とし、沢崎も重傷を負ったのだ。そのことから、沢崎は警察を辞めた。殺害犯人は逮捕されたが、この事件の全容は解明できずに終わっていたのだ。
大河内と沢崎は、二人で沢崎の自宅を訪れ、通話のウラをとることとなる。沢崎は現在の介護の仕事先の一つとして、偶然にも坂上実咲の母親の介護に関係していたのだ。
沢崎は、坂上実咲の殺害された事件の捜査が進む過程で、中野の早稲田通りに架かる歩道橋の階段を転がり落ちて死亡する。突然に豪雨となった時間帯で、黒い傘をさした人物に背後から押されて沢崎は転落死したのだった。突然の豪雨を窓から見ていた複数の目撃者がいた。黒い傘が障害となって、人物を割りだす手がかりは全くない。
この沢崎の転落死は偶然なのか、坂上実咲の死と何らかのつながりがあるのか・・・・。
この小説の興味深いのは、捜査が進むに従って、事件の様相が変転していくところにある。猟奇的な姿態を晒させて殺害後に放置するという犯人の怨恨・怒りとその動機が何なのか。被害者には、本間和明にイリュージョンを抱かせた女性像とは似ても似つかぬ過去があった。その過去が、かつて沢崎や庄野が徹底的に捜査解明しようとしていた事件とも接点を持たせ始める。しかし、そこには坂上実咲という女の二重三重の行動が因縁の連鎖を生み出すことになる根本原因が潜んでいたのである。
さまざまに伏線が張られている中で、事件の謎解きが進展していく。一筋縄ではいかないところに読者を引き込んでいくというストーリー構成である。
一方で、この警察小説は、事件解明プロセスにおける刑事の人間関係、管轄の警察署刑事と本庁刑事の関係、捜査1課の組織における人間模様を克明に描き込んでいく。小林班、中本班の班内における刑事の人間関係、小林係長の人間像や小林係長と中本係長の競いを前提とした関係、デカ長である大河内と庄野の互いを認め合う人間関係、警察を退職した沢崎と元上司の庄野との心情関係、元警察官の退職後と警察組織との対社会関係、沢崎の体験と類似の体験を共有する大河内の沢崎観と共感・・・・。事件捜査の解明プロセスは、刑事群像の一喜一憂、信条や心情を描くことでもある。
この作品は2つの班が合同捜査をするという広がりの中で、警察組織の様相・人間模様をサブテーマにしているようにも思う。
事件の網の目に捕らえられた関係者が、それぞれの思い・思惑の次元で行動する。その結果が、坂上実咲殺害事件の中で、ノイズを引き起こしながら大なり小なり、その因縁のしがらみの中で繋がり事件の裾野を織りあげていく。大河内が軸となりながら、庄野と阿吽の呼吸をうみだして、事件の謎解きに突き進んでいく。
事件は解決するが、大河内と庄野の胸中には「やるせないな」という思いが残る。そんなエンディングを迎える小説である。
なぜ、「やるせない」というのか。そこを味読していただきたい作品である。刑事がストレートに活躍するストーリーだけで終わらないところがよい。人間のリアル感が漂っている。
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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『心に雹の降りしきる』 双葉社
『無縁旅人』 文藝春秋