遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『小説・北方領土交渉 元外務省主任分析官・佐田勇の告白』 佐藤優 徳間書店

2015-07-30 09:30:23 | レビュー
 本書が出版されたのは2014年1月。奥書を見ると、当初、『読楽』(徳間書店)という雑誌の、2013念6月号~2013年12月号に『外務省DT物語』として連載されたものに加筆修正したという。小説の末章「最終話 小説・北方領土交渉」に、小説本文の会話の一部として、DTは、作家中村うさぎさんに教えて貰った「童貞 DOUTEI」の略語だている。そして、その理由に「このタイトルならば久山本人にメッセージがきちんと伝わる。また事実関係が既に知られていれば、ロシアの秘密警察も久山を揺さぶることが出来ない。それと同時に、北方領土交渉の経緯と現状について、多くの人に知ってもらえる内容にしたい」と。この引用文もこの小説本文中の会話である。
 つまり、たとえ「小説」という形であっても、そこに書かれたことが、小説として公知にならなければ、インテリジェンスの世界では、実際に小説に書かれた内容あるいは近似の秘事実が揺さぶり材料に利用しかねないということだろう。逆に言えば、この小説に書かれた、外務省関係者の行為には、小説というフィクションの形で200%にデフォルメされていようとも、知る人にはわかる近似事実が陰に潜んでいるとも受け取れる。その点がまず、興味深いところである。

 外務省の高級官僚が必ずしも国家のためにという崇高な理念で外交行為に邁進しているのでなく、かなり私利私欲を軸にして、立ち回っている連中がいるということだ。この「小説・北方領土交渉」は、「北方領土交渉の経緯と現状」について、教科書的に記録に残る事実・資料の時系列的解説ではなく、北方領土交渉の経緯事実の核になる事項をきっちりと押さえながら、その時系列の経緯プロセスの中に関わった大臣、政党とともに、北方領土交渉の直接の窓口になった外務省の当該交渉関係者の人間模様を織りなしている。その私利私欲の側面を交渉プロセスの交渉背景に描き込んで行く。そこには、人間的だが愚劣な動きも多々書き込まれているという次第。そこにはやはり、個人並びに組織の「利権」が影を投げかけているといえる。
 北方領土交渉は、その時点時点で交渉結果の条約、宣言、声明などの史的記録資料が残り、誰がその交渉当事者・関係者であったかという資料情報もそれなりに跡づけ出来る。そのため、克明にリサーチしていけば、ほぼこの小説でデフォルメされた登場人物名は、実際の交渉当事者・関係者として特定していけるとも言える。そこに描かれたことは、著者の想像領域が加わり、行為描写にフィクションが加えられているのだが。しかし、モデルとなる人物が特定できるゆえに、根も葉もない誇張を小説に登場させる人物像として書いている訳でもないだろう・・・・・。そこがおもしろいところである。
 「北方領土交渉」というのは、硬いテーマであり、ある意味でなかなか一般の関心が向きにくく、長期間に渡る交渉経緯や内容は知りづらいものだ。その「北方領土交渉の経緯と現状」が大凡、史的経緯として把握でき、その核となる問題点を理解できるということでは、この作品は成功していると思う。私にとっても、ちょっと遠かった北方領土交渉という問題に関心を深める契機となった。

 北方領土問題に限らず、他の外交局面についてもそうであろうが、外務省並びに外交官僚、および大臣その他関係者の大半は、国家に対しての崇高な理念、国家の公僕として働いている訳ではない。大半の人々は己に関わる「利権」、名誉欲・出世欲・金銭欲を含めた「私利私欲」で外交交渉に関わっている・・・・。そんな局面が丸見えになって、おもしろい。たとえば、こんな一節を記している。「外務省には、『サンカク官僚』と呼ばれる特異な能力を持っている人がいる。『義理を欠き』『人情を欠く』というような外務官僚は、ごく普通にいる。『サンカク官僚』の場合は、これに加えて平気で『恥をかく』ことができる」(p22)と。
 この小説が、今後の北方領土交渉問題に対する関係者へ、どれだけ行動の抑止力になるか、興味深い。著者自身、小説の会話体の中で、「そのうち北方領土交渉を扱った暴露小説を書いて、外務省に牽制球を投げておこうと思っています」(p31)と書き込んでいる。

 「元外務省主任分析官・佐田勇」が著者・佐藤優自身をモデルにしていることは間違いがない。それでは、著者自身がこの小説で「佐田勇」をどう描いているか、描写箇所を抽出してみよう。それが、フィクションとして、モデルとなる人物を小説の登場人物に装飾している一つの目安になるだろう。どこまでフィクション化を加えているか・・・・。
 ・佐田は、新聞記者や政治家には、『外務省の昔の同僚や友人との関係は完全に切った』と言っていますが、額面通りに受け取るのは危険です。私が親しくするロビイストで、佐田と定期的に接触している者がいるのですが、そこから入ってくる情報によると、佐田は現在も外務省内に情報源を持っています。そして、不倫や不正経理などスキャンダル系の情報を、裏で週刊誌やスポーツ新聞の記者に流しています。  p23
 ・現在は、職業作家になった佐田だが、元は外務官僚だった。都築峰男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所の独房に512日間も勾留された。通常、官僚は特捜に締め上げられると、供述調書の「自動販売機」になっってしまい、自白するのだが、佐田の場合は、否認を貫き通し、最高裁まで争った。裁判は7年続いた。結局、2009年6月30日、佐田に懲役2年6月、執行猶予4年の有罪が確定した。外務省は、佐田を懲戒免職にせず、「禁錮刑以上の刑が確定したので、国家公務員の身分を失った」という形で自然失職にした。  p29
 ・たぶん、『アサヒ芸能』(徳間書店)に連載している『ニッポン有事!』のことと思います。外務官僚の不倫、レイプ、性犯罪、不正蓄財などについても、『アサヒ芸能』ならば、何の縛りもなく自由に書けるので、最大限に活用しています。 p31
 ・もともとは、外務省のロシアスクールに属するインテリジェンス専門家だった。p50
 ・東京地検に逮捕されていから佐田は一度も外国に出ていない。そうなると不思議なもので、外国人の方が佐田に会うために東京にやってくる。ロシアの大富豪で、自家用機で佐田を訪ねてくる人もいる。 p53
 ・佐田さん、情報は人につきます。外務省から離れたといっても、重要な情報は属人的に佐田さんのところに入ってきます。・・・・情報は別の人から、別の方法で入手します。むしろ私たちが得た情報を佐田さんに評価してもらいたいのです。 p54
 ・中田は「世の中には、家族と使用人と敵しかいない」と公言していた。・・・・当時、外務省の主任分析官として都築や西郷に機微に触れるクレムリンの情報を報告していた佐田も中田の敵ボックスに入れられてしまった。 p70-71
 ・当時、外務省国際情報局に勤務していた佐田は、ロシア、中東、北朝鮮など都築が関心を持つ外交問題で何か動きがあると、その都度、都築に報告していた。  p101
 ・佐田は、当初、京浜東北線与野駅西口から徒歩3分のところにある母親のもとに身を寄せていた。年明けに佐田の婚約者が外務省を辞めた。佐田は西国分寺に引っ越し、婚約者と暮らすようになった。2005年3月に佐田は『日本国家の罠-外務省の妖怪と呼ばれて』を上梓した。  p106
 ・2009年春に佐田は、新宿の曙橋に近い狭小住宅に引っ越した。商業地区なので、建ぺい率が80%、容積率が400%もある。この地区では火災防止の観点から木造建築が認められていない。猫の額のような土地の上に立った4階建てのRC(鉄筋コンクリート)製中古住宅だ。佐田は猫5匹を飼っている。いずれも元捨て猫か野良猫、あるは地域猫だ。・・・5匹の猫と暮らすためにはどうしても戸建てが必要だった。 p110
 ・自宅は4階建てで、佐田の書斎は3階にある。・・・・佐田は、自宅から歩いて1分のところにあるマンションの1室を借りて仕事場にしている。壁面すべてが本棚で、・・・・文を綴るときには、自宅ではなく、この仕事場を使うことにしている。  p111
 ・佐田が初めて都築と会ったのは1991年のことだった。  p187
 ・アレクサンドロフがこの晩、佐田に説明した共同論文は、7月18日にロシアの高級紙『独立新聞』に発表された。 p114
 ・佐田勇は、箱根仙石原に仕事場を持っている。築50年のリゾートマンションだが建て付けはしっかりしている。佐田が尊敬する評論家の武山謙一の仕事場がこのマンションにある。   p231
 ・佐田は、部屋を全面改装し、移動式書架をつけ、1万5000冊の収納スペースを作った。・・・その後、さらに隣とその隣の部屋を入手し、本格的な仕事場に改装した。書籍を全部で4万冊収納できるスペースができ、また、2家族が宿泊できる設備を整えた。 p236

 ちょっと長くなったが、著者がモデルである佐田のプロフィールとして、どのようにフィクションに書き込んでいるか。一つのメルクマールになるだろう。
 この佐田が、この小説の中で、北方領土問題について、どのような分析をして、その考えを述べているかは、この作品をご一読いただくとよい。
この小説で、興味深いのは、ストーリー展開の中で、佐田勇が求めに応じて作成したという形で書き込まれている「紙」とか「分析メモ」という簡略なレポートである。この部分を読むだけでも、北方領土問題の交渉プロセスの後付けを考える参考になり、興味深い。この小説では、次の見出しのレポートが挿入されている。現実の北方領土問題交渉の歴史の時系列を当てはめると、括弧内に記した時点の史実に照応するものだと判断する。あくまで参考に、調べてみた結果を併記した。

*「森田義雄総理とウラジミロフ露大統領の会談」
   (平成26年2月22日 森元総理大臣とプーチン・ロシア大統領との会談)
*「日露首脳会談に対する評価」2013年4月30日矢部首相がモスクワ宗パット津と同時に佐田が作成し、関係者に送ったレポート
   (平成26年4月29日 安倍総理大臣・プーチン大統領 日露首脳会談)
*「ブシュコフ露官房長官の就任」(2013.5.22 セルゲイ・プリホチコの就任)
*「7月18日付『独立新聞』に掲載された北方領土交渉に関する西郷、アレクサンドロフ共同論文」(2013.7.18付 東郷和彦/アレクサンドル・パノフ共同論文「日露平和条約問題の解決に向けて」)

 最後に、この単行本が出版されたのは、2014年1月である。この1月時点では、本書「まえがき」に、「現実の北方領土交渉において、日本外務省で鍵を握るのは、
 杉山晋輔外務審議官(政務担当)/上月豊久欧州局長/宇山秀樹欧州局ロシア課長 
の3人だ。・・・・」と記されている。(この人々がモデルと想定できそうな登場人物が当然ながら登場する。)
 ところが、現在(2015年7月)時点で、外務省の開示情報をネット検索してみると、早くも、外務省の北方問題交渉のプレイヤーは人事異動により変化している。
 つまり、杉山晋輔外務審議官(政務)/林肇欧州局長/徳田修一欧州局ロシア課長
という新体制となっている。上月豊久氏は、外務大臣官房長に昇進している。宇山秀樹氏はこの開示リストには載っていない。2015年6月1日時点で、英国公使で転出したようだ。 北方領土問題交渉を実質的に推進する外務省がどうなっていくのか。状況は変化していく。ウォッチングする必要がありそうだ。


 ご一読ありがとうございます。

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本書並びに北方領土問題に関連する情報、有益なソースをネット検索してみた。
一覧にしておきたい。

日ソ共同宣言後の日露関係  :「北方領土問題対策協会」
    それ以降のトピックス
北方領土問題の概要  :「外務省」

日ソ共同宣言  :ウィキペディア
日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言  資料   1956年
東京宣言 1993年10月13日
橋本首相 新三原則発表  1997年7月24日 (経済同友会会員懇談会演説)
  「信頼」「相互利益」「長期的な視点」  
クラスヤルスク合意  1997年11月2日
川奈会談(1998年4月19日)とイルクーツク会談
モスクワ宣言 小淵首相・エリツィン大統領  1998年11月13日
平和条約問題に関する共同声明 森首相・プーチン大統領 2000年9月5日
イルクーツク声明  2001年3月25日
  イルクーツク日露首脳会談(概要)

日露行動計画(骨子)  2003年1月10日
  共同声明  小泉首相・プーチン大統領

川口外務大臣寄稿論文    2002年11月
「訪露前夜に思うこと~日露関係を新たなレベルに」  :「外務省」

東郷・パノフ共同論文-北方領土問題の解決への展望(11日の日記) (1)
   2013.8.11   :「My Web Site」
  アレクサンドル・パノフ  :ウィキペディア
「国後・択捉は経済特区に」 日ロ外交官OBが棚上げ案  :「日本の夜明け」
   東郷和彦・元外務省欧州局長
   アレクサンドル・パノフ元駐日大使

ロシアのプーチン大統領、プリホチコ氏を副首相に任命  :「livedoor NEWS」
ドーミトリ・メドベージェフ内閣  :ウィキペディア
セルゲイ・プチホチコ  :ウィキペディア

事務次官等の一覧  :ウィキペディア
幹部名簿 平成27年7月15日 :「外務省」
平成二十四年十一月二日提出  質問第二一号  :「参議院」
外務省欧州局ロシア課長による贈与等報告等に関する質問主意書 提出者:浅野貴博氏

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佐藤優直伝 インテリジェンスの教室 有料メルマガ
佐藤優の地球を斬る  :「SankeiBiz」
  核恫喝外交、北方領土交渉にも影響 (1/4ページ)
佐藤優の記事一覧 [佐藤優の眼光紙背]  :「BLOGOS」
  ロックアーン日露首脳会談と北方領土交渉の展望  2013.6.24
佐藤優さんとホル、チビ、シマ  :「中日新聞 Opi-rina」
PLAYBOY INTERVIEW 佐藤優(1) :「日暮れて途通し」
PLAYBOY INTERVIEW 佐藤優(2) :「日暮れて途通し」
特定秘密保護法案 徹底批判(佐藤優×福島みずほ)その1 :「BLOGOS」

佐藤優研究所  非公式ファンサイト

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ブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『私の「情報分析術」超入門 仕事に効く世界の捉え方』  徳間書店
『読書の技法』 東洋経済新報社
『新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇』  中央公論新社
『新・帝国主義の時代 左巻 情勢分析編』  中央公論新社