2015年は琳派400年ということで、京都では各所で琳派関連の展覧会が催された。その中核は京都国立博物館での秋の特別展覧会「琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る」だったと思う。本書も奥書を見ると、2015年10月に出版されている。タイトルに惹かれて本書を手に取った。本書は光悦研究者の論文集である。本阿弥光悦とその周辺の関係者、並びに光悦の生きた時代との関係を、多角的な視点から論じている。
光悦、宗達から始まり、琳派と呼ばれる流れの作品群に関心を抱く一般美術愛好者に過ぎない門外漢なので、本書における専門的な論及については、背景知識の乏しさから理解の及ばないところがある。研究者には研究者としての読み方があり、反論の余地があるのかもしれない。
本書の各章は丁寧に論拠を提示して論理的に論述されている故に、その論点と主張点の香りを感じることは門外漢でもそれなりにできる。素人にとっても、本阿弥光悦がどういう人物だったのかという全体像を多面的に眺め、大凡のイメージを形成するのには有益である。己の関心に応じて光悦とその時代について理解を深める良きガイドとなった。
まずは、本書が光悦に対し、どのように切り込んでいるか、目次のご紹介からはじめたい。全体は4部構成となっている。
Ⅰ 序論 ここは編者・河野元昭(敬称略)が「光悦私論」を論じている。
Ⅱ 光悦とその時代 5人の研究者が光悦と周辺の人々、時代との関係を論じる。
光悦と日蓮宗 河内将芳
近世初頭の京都と光悦村 河内将芳
光悦と寛永の文化サロン 谷端昭夫
光悦と蒔絵師五十嵐家 内田篤呉
光悦と能 - 能役者との交流 天野文雄
光悦と朱屋田中勝介・宗因 岡 佳子
光悦と茶の湯 谷端昭夫
Ⅲ 光悦の芸術 光悦芸術の領域を分担し、4人の研究者が論じている。
美術愛好の視点からは、鑑賞のしかたを深める上でまず有益なガイドとなる。
書画の二重奏への道-光悦書・宗達画和歌巻の展開 玉蟲敏子
光悦の書 根本 知
光悦蒔絵 内田篤呉
光悦の陶芸 岡 佳子
Ⅳ 光悦その後 目利きの難しさがわかり、おもしろい。
フリーアと光悦 - 光悦茶碗の蒐集 ルイーズ・A・コート
そして、巻末には、本阿弥光悦書状一覧、本阿弥光悦略年表、本阿弥光悦系図、参考文献がまとめられている。研究者ではない私には、略年表と系図がまず役に立つ。
そこで、素人の読後印象を少し覚書を兼ねてまとめてみたい。これをきっかけに本書を手に取られるなら、お役に立つことになりうれしい限りである。
「光悦私論」は「桃山はバロックの時代だった。桃山芸術とはバロック芸術であった」という冒頭の一行で惹きつけられた。バロックという言葉が、スペイン語やポルトガル語でいびつな真珠を「バローコ」と呼ぶことに由来するということを初めて知った。バロックが芸術様式にとどまらず、人間におけるものの見方や考え方の発展原理だという立場を著者は援用している。そして、調和、安定、静謐という性格を持つ古典主義的な芸術に霊感を受けながら、光悦が個性的感覚的な芸術を生み出し、曲線、対照、韻律、動勢、装飾という特質を発揮する点を著者は指摘している。
「光悦私論」というタイトルの下で、その後、光悦上層町衆論、光悦村、俵屋宗達、光悦様、嵯峨本、金銀泥下絵和歌巻、光悦茶碗、光悦蒔絵、光悦の能、という小見出しの形で論述されている。つまり第Ⅰ部は本書の総論となっている。本書の全体像を知るガイドとしてわかりやすい。
第Ⅱ部は光悦が京における上層町衆の立場で生きた時代の背景と、光悦の人間関係を様々な切り口から知る機会となり、理解を深める役にたった。光悦が日蓮宗を深く信仰していたこと、及び光悦村の建設が芸術村の創造という裏に日蓮宗信仰の理想郷づくりという側面があったこともなるほどと思う。「光悦町古図写」は「琳派 京を彩る」展で見てはいたが、その折り記載文字の判読ができす、鷹峯の光悦村については概念的イメージの域を出なかった。「近世初頭の京都と光悦村」には「光悦町古図より作成した光悦町の概要」図が掲載されていて、その説明から芸術村内の住民達の具体的な機能と光悦との関わり合いがイメージできおもしろい。
光悦が活躍した時期が寛永文化の勃興期であり、後水尾天皇を中心とした文化サロンをはじめ、当時の文化人の様々なネットワークに光悦が深く関わっていたことが「光悦と寛永の文化サロン」の論文で具体的に納得できた。多面的な分野にわたる光悦の活躍はそういう人脈に繋がっていたことが基盤となり、光悦の作品はやはりそういう人々との関わりの中から生み出されたのだろう。光悦は天賦の芸術的才能を持つだけでなく、社交性を備えた人物だったにちがいない。そのネットワークを巧みに利用したともいえる。
私は辻邦生著『嵯峨野明月記』という作品を介して、嵯峨本のイメージを持っていた。それ以上はあまり考えていなかった。上記特別展覧会で「光悦謡本」の展示を見たとき、謡本の作成も関わっていたのかと思った次第。だが、「光悦と能」という論文を読み、光悦には能役者との深い交流があり、能自体にも造詣が深かったことが理解でき、なるほどなと納得できた。単に仕事として依頼を受けて謡本を手掛けたというレベルではないということへの理解が深まった。本書を読まなければ、謡本まで手掛けていたのか・・・くらいの鑑賞認識で止まっていたところである。
同様のことになるが、蒔絵や茶の湯の分野において光悦の背景を論じた上掲論文から光悦への理解が深まる。
もう一つ、本書からのおもしろい発見は京の町人・朱屋田中勝介という人物が、江戸幕府の命を受けて、ノヴァ・イスパニア(現メキシコ)に渡航していたという事実である。中国や東南アジアとの交易として実施された天龍寺船、角倉船、御朱印船のことは多少知っていたが、朱屋田中勝介という人物の存在は初めて知った。光悦と関わっていた人物というから、一層興味深い。
第Ⅲ部は光悦芸術の分野ごとで、その作品群そのものに関連した論文であり、作品鑑賞にはダイレクトに有益である。研究者の分析的視点が参考になり、作品鑑賞に広がりと奥行きを加えることができる。
宗達と光悦の協働作業による和歌巻の創造に対し、「書画のデュオ(二重奏)」と名づけて位置づけるという論述は、なるほどと思う。「書画の二重奏への道」を読み、門外漢の私には「葦手」「歌絵」と称される領域があるということを逆に学ぶ機会ともなった。 「光悦の書」では、光悦の字形が素眼法師流の後に繋がる流派の中に居ながら、光悦流と呼ばれるスタイルを生み出されてきた点が理解できる。「当時の型に嵌まった和様書道」から光悦が抜け出た背景がわかり興味深い。「放ち書き」と「肥痩の変化」というキーワードが鑑賞を深める参考になる。
「光悦蒔絵」の最後に、「『光悦蒔絵』という言葉は、光悦個人に帰納され易いが、むしろ光悦風意匠を持つ蒔絵の総称として『光悦蒔絵』と呼ぶのが適切と考えられる」と論じられている。蒔絵の作品から作者を同定する分析的な見方の論述プロセスが興味深い。意匠レベルと蒔絵の制作プロセスの関わり、専門の蒔絵師との関係などが複雑さを生み出すのだなと思う。光悦蒔絵として定説となっているのが13点だけということを、この論文で初めて知った。
特別展覧会では、光悦茶碗の形と色合いに魅了されて見入っていただけだった。「光悦の陶芸」を読み、本阿弥光悦が茶碗制作をいつから始めたのかということ自体が考察対象となている。『本阿弥行状記』を基本史料として再考察しながら、京都における軟質施釉陶器の生産の隆盛期及び樂家と交信された光悦書状の分析を通じ、作陶開始の起点を推論されている。聚楽焼の呼称が現れる慶長10年代の初め頃から、樂吉左衛門と光悦の制作上の関係が始まり、作陶の起点となったという分析である。光悦は手捏ねと篦削りによる成形手法を採用している。樂家と深く関わりながら、樂家流の作風とは一線を画した光悦の美意識による作陶がなされたというところがおもしろい。また、光悦が「陶器を作る事は余は惺々翁にまされり」とか「強て名を陶器にてあぐる心露といささかなし」と述べているというから、一層おもしろい。
第Ⅳ部は、アメリカの実業家チャールズ・ラング・フリーアの光悦茶碗の蒐集プロセスが語られている。第一印象は、茶碗の真贋判定の困難さという点である。多くの贋作をつかまされながら、試行錯誤で己の審美眼を磨き、本物を見分けるという能力を高めるしかないのだろう。そのことが詳細なレベルで感じ取れる論文である。この論文を読み、光悦作と陶磁器専門家の林屋晴三により認められているのは30点だけということも知った。それらにすら大半は「伝統的に」という留保を付けていると末尾の註は記す。古美術品の蒐集に伴う真贋判定の難しさである。この論文には、フリーアの蒐集に関わった古美術商として、画廊主高柳陶造、山中商会、松木文恭という人々が登場する。彼らは真贋問題という次元にはどういう関わり方の立場をとったのだろうか。真贋の責任には関わらないあくまで単なる仲介だけということなのか? 興味深いところだ。
美術鑑賞好きの素人には、この「フリーアと光悦」が一番気楽に読めて、ある意味でおもしろい論文だった。この論文の末尾に付された「フリーア美術館所蔵光悦関係陶磁器コレクション」のリストに記された、フリーアとモースのコレクション品のそれぞれへの所見を読み比べていくと、古美術品の真贋判定がいかに難しいかが実感できる。古美術品コレクションというのは、騙されることを織り込んだ上で己の審美眼を信じるという行為なのかもしれない。
琳派の創始者、光悦の全体像を深く知る導きとなる書である。光悦研究者にとっては、新たな学術的論争の起点になる書なのかもしれない。
美術愛好者、読者にとって関心のある分野を部分読みできる書でもある。
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本阿弥光悦関連でのネット検索結果、関心事項を一覧にまとめておきたい。
本阿弥光悦 :ウィキペディア
本阿弥光悦 :「コトバンク」
【 あの人の人生を知ろう~本阿弥 光悦 】 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
本阿弥光悦について :「琳派の世界」
本阿弥光悦覚え書き
鶴図下絵和歌巻(つるずしたえわかかん) :「京都国立博物館」
舟橋蒔絵硯箱 :「e國寶」
舟橋蒔絵硯箱〈本阿弥光悦作/〉 :「文化遺産オンライン」
舟橋蒔絵硯箱 :「岩崎研究室」
伊勢物語(嵯峨本) 国立公文書館所蔵資料特別展 将軍のアーカイヴズ
:「国立公文書館」
嵯峨本 徒然草 :「印刷博物館」
関西大学図書館電子展示室 伊勢物語
数寄者乃手鑑 本阿弥光悦 :「茶道表千家 幻の短期講習会-マボタン」
本阿弥光悦 :「樂焼」(樂美術館)
国宝・白楽茶碗 銘 不二山 本阿弥光悦作 :「サンリツ服部美術館」
集結、光悦ずくし。サンリツ服部&五島美術館 国宝白楽茶碗『不二山』を見たか!?
:「KazzK(+あい)」
楽焼黒茶碗(雨雲)〈光悦作/〉 :「文化遺産オンライン」
光悦黒楽茶碗 銘七里 :「五島美術館」
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光悦、宗達から始まり、琳派と呼ばれる流れの作品群に関心を抱く一般美術愛好者に過ぎない門外漢なので、本書における専門的な論及については、背景知識の乏しさから理解の及ばないところがある。研究者には研究者としての読み方があり、反論の余地があるのかもしれない。
本書の各章は丁寧に論拠を提示して論理的に論述されている故に、その論点と主張点の香りを感じることは門外漢でもそれなりにできる。素人にとっても、本阿弥光悦がどういう人物だったのかという全体像を多面的に眺め、大凡のイメージを形成するのには有益である。己の関心に応じて光悦とその時代について理解を深める良きガイドとなった。
まずは、本書が光悦に対し、どのように切り込んでいるか、目次のご紹介からはじめたい。全体は4部構成となっている。
Ⅰ 序論 ここは編者・河野元昭(敬称略)が「光悦私論」を論じている。
Ⅱ 光悦とその時代 5人の研究者が光悦と周辺の人々、時代との関係を論じる。
光悦と日蓮宗 河内将芳
近世初頭の京都と光悦村 河内将芳
光悦と寛永の文化サロン 谷端昭夫
光悦と蒔絵師五十嵐家 内田篤呉
光悦と能 - 能役者との交流 天野文雄
光悦と朱屋田中勝介・宗因 岡 佳子
光悦と茶の湯 谷端昭夫
Ⅲ 光悦の芸術 光悦芸術の領域を分担し、4人の研究者が論じている。
美術愛好の視点からは、鑑賞のしかたを深める上でまず有益なガイドとなる。
書画の二重奏への道-光悦書・宗達画和歌巻の展開 玉蟲敏子
光悦の書 根本 知
光悦蒔絵 内田篤呉
光悦の陶芸 岡 佳子
Ⅳ 光悦その後 目利きの難しさがわかり、おもしろい。
フリーアと光悦 - 光悦茶碗の蒐集 ルイーズ・A・コート
そして、巻末には、本阿弥光悦書状一覧、本阿弥光悦略年表、本阿弥光悦系図、参考文献がまとめられている。研究者ではない私には、略年表と系図がまず役に立つ。
そこで、素人の読後印象を少し覚書を兼ねてまとめてみたい。これをきっかけに本書を手に取られるなら、お役に立つことになりうれしい限りである。
「光悦私論」は「桃山はバロックの時代だった。桃山芸術とはバロック芸術であった」という冒頭の一行で惹きつけられた。バロックという言葉が、スペイン語やポルトガル語でいびつな真珠を「バローコ」と呼ぶことに由来するということを初めて知った。バロックが芸術様式にとどまらず、人間におけるものの見方や考え方の発展原理だという立場を著者は援用している。そして、調和、安定、静謐という性格を持つ古典主義的な芸術に霊感を受けながら、光悦が個性的感覚的な芸術を生み出し、曲線、対照、韻律、動勢、装飾という特質を発揮する点を著者は指摘している。
「光悦私論」というタイトルの下で、その後、光悦上層町衆論、光悦村、俵屋宗達、光悦様、嵯峨本、金銀泥下絵和歌巻、光悦茶碗、光悦蒔絵、光悦の能、という小見出しの形で論述されている。つまり第Ⅰ部は本書の総論となっている。本書の全体像を知るガイドとしてわかりやすい。
第Ⅱ部は光悦が京における上層町衆の立場で生きた時代の背景と、光悦の人間関係を様々な切り口から知る機会となり、理解を深める役にたった。光悦が日蓮宗を深く信仰していたこと、及び光悦村の建設が芸術村の創造という裏に日蓮宗信仰の理想郷づくりという側面があったこともなるほどと思う。「光悦町古図写」は「琳派 京を彩る」展で見てはいたが、その折り記載文字の判読ができす、鷹峯の光悦村については概念的イメージの域を出なかった。「近世初頭の京都と光悦村」には「光悦町古図より作成した光悦町の概要」図が掲載されていて、その説明から芸術村内の住民達の具体的な機能と光悦との関わり合いがイメージできおもしろい。
光悦が活躍した時期が寛永文化の勃興期であり、後水尾天皇を中心とした文化サロンをはじめ、当時の文化人の様々なネットワークに光悦が深く関わっていたことが「光悦と寛永の文化サロン」の論文で具体的に納得できた。多面的な分野にわたる光悦の活躍はそういう人脈に繋がっていたことが基盤となり、光悦の作品はやはりそういう人々との関わりの中から生み出されたのだろう。光悦は天賦の芸術的才能を持つだけでなく、社交性を備えた人物だったにちがいない。そのネットワークを巧みに利用したともいえる。
私は辻邦生著『嵯峨野明月記』という作品を介して、嵯峨本のイメージを持っていた。それ以上はあまり考えていなかった。上記特別展覧会で「光悦謡本」の展示を見たとき、謡本の作成も関わっていたのかと思った次第。だが、「光悦と能」という論文を読み、光悦には能役者との深い交流があり、能自体にも造詣が深かったことが理解でき、なるほどなと納得できた。単に仕事として依頼を受けて謡本を手掛けたというレベルではないということへの理解が深まった。本書を読まなければ、謡本まで手掛けていたのか・・・くらいの鑑賞認識で止まっていたところである。
同様のことになるが、蒔絵や茶の湯の分野において光悦の背景を論じた上掲論文から光悦への理解が深まる。
もう一つ、本書からのおもしろい発見は京の町人・朱屋田中勝介という人物が、江戸幕府の命を受けて、ノヴァ・イスパニア(現メキシコ)に渡航していたという事実である。中国や東南アジアとの交易として実施された天龍寺船、角倉船、御朱印船のことは多少知っていたが、朱屋田中勝介という人物の存在は初めて知った。光悦と関わっていた人物というから、一層興味深い。
第Ⅲ部は光悦芸術の分野ごとで、その作品群そのものに関連した論文であり、作品鑑賞にはダイレクトに有益である。研究者の分析的視点が参考になり、作品鑑賞に広がりと奥行きを加えることができる。
宗達と光悦の協働作業による和歌巻の創造に対し、「書画のデュオ(二重奏)」と名づけて位置づけるという論述は、なるほどと思う。「書画の二重奏への道」を読み、門外漢の私には「葦手」「歌絵」と称される領域があるということを逆に学ぶ機会ともなった。 「光悦の書」では、光悦の字形が素眼法師流の後に繋がる流派の中に居ながら、光悦流と呼ばれるスタイルを生み出されてきた点が理解できる。「当時の型に嵌まった和様書道」から光悦が抜け出た背景がわかり興味深い。「放ち書き」と「肥痩の変化」というキーワードが鑑賞を深める参考になる。
「光悦蒔絵」の最後に、「『光悦蒔絵』という言葉は、光悦個人に帰納され易いが、むしろ光悦風意匠を持つ蒔絵の総称として『光悦蒔絵』と呼ぶのが適切と考えられる」と論じられている。蒔絵の作品から作者を同定する分析的な見方の論述プロセスが興味深い。意匠レベルと蒔絵の制作プロセスの関わり、専門の蒔絵師との関係などが複雑さを生み出すのだなと思う。光悦蒔絵として定説となっているのが13点だけということを、この論文で初めて知った。
特別展覧会では、光悦茶碗の形と色合いに魅了されて見入っていただけだった。「光悦の陶芸」を読み、本阿弥光悦が茶碗制作をいつから始めたのかということ自体が考察対象となている。『本阿弥行状記』を基本史料として再考察しながら、京都における軟質施釉陶器の生産の隆盛期及び樂家と交信された光悦書状の分析を通じ、作陶開始の起点を推論されている。聚楽焼の呼称が現れる慶長10年代の初め頃から、樂吉左衛門と光悦の制作上の関係が始まり、作陶の起点となったという分析である。光悦は手捏ねと篦削りによる成形手法を採用している。樂家と深く関わりながら、樂家流の作風とは一線を画した光悦の美意識による作陶がなされたというところがおもしろい。また、光悦が「陶器を作る事は余は惺々翁にまされり」とか「強て名を陶器にてあぐる心露といささかなし」と述べているというから、一層おもしろい。
第Ⅳ部は、アメリカの実業家チャールズ・ラング・フリーアの光悦茶碗の蒐集プロセスが語られている。第一印象は、茶碗の真贋判定の困難さという点である。多くの贋作をつかまされながら、試行錯誤で己の審美眼を磨き、本物を見分けるという能力を高めるしかないのだろう。そのことが詳細なレベルで感じ取れる論文である。この論文を読み、光悦作と陶磁器専門家の林屋晴三により認められているのは30点だけということも知った。それらにすら大半は「伝統的に」という留保を付けていると末尾の註は記す。古美術品の蒐集に伴う真贋判定の難しさである。この論文には、フリーアの蒐集に関わった古美術商として、画廊主高柳陶造、山中商会、松木文恭という人々が登場する。彼らは真贋問題という次元にはどういう関わり方の立場をとったのだろうか。真贋の責任には関わらないあくまで単なる仲介だけということなのか? 興味深いところだ。
美術鑑賞好きの素人には、この「フリーアと光悦」が一番気楽に読めて、ある意味でおもしろい論文だった。この論文の末尾に付された「フリーア美術館所蔵光悦関係陶磁器コレクション」のリストに記された、フリーアとモースのコレクション品のそれぞれへの所見を読み比べていくと、古美術品の真贋判定がいかに難しいかが実感できる。古美術品コレクションというのは、騙されることを織り込んだ上で己の審美眼を信じるという行為なのかもしれない。
琳派の創始者、光悦の全体像を深く知る導きとなる書である。光悦研究者にとっては、新たな学術的論争の起点になる書なのかもしれない。
美術愛好者、読者にとって関心のある分野を部分読みできる書でもある。
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本阿弥光悦 :ウィキペディア
本阿弥光悦 :「コトバンク」
【 あの人の人生を知ろう~本阿弥 光悦 】 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
本阿弥光悦について :「琳派の世界」
本阿弥光悦覚え書き
鶴図下絵和歌巻(つるずしたえわかかん) :「京都国立博物館」
舟橋蒔絵硯箱 :「e國寶」
舟橋蒔絵硯箱〈本阿弥光悦作/〉 :「文化遺産オンライン」
舟橋蒔絵硯箱 :「岩崎研究室」
伊勢物語(嵯峨本) 国立公文書館所蔵資料特別展 将軍のアーカイヴズ
:「国立公文書館」
嵯峨本 徒然草 :「印刷博物館」
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数寄者乃手鑑 本阿弥光悦 :「茶道表千家 幻の短期講習会-マボタン」
本阿弥光悦 :「樂焼」(樂美術館)
国宝・白楽茶碗 銘 不二山 本阿弥光悦作 :「サンリツ服部美術館」
集結、光悦ずくし。サンリツ服部&五島美術館 国宝白楽茶碗『不二山』を見たか!?
:「KazzK(+あい)」
楽焼黒茶碗(雨雲)〈光悦作/〉 :「文化遺産オンライン」
光悦黒楽茶碗 銘七里 :「五島美術館」
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