インドで釈迦(ゴータマ・シッダルタ)が説いた教えが仏教として西域を経て中国に伝わり、経典が漢訳された。その漢訳経典が日本に将来されて仏教が興隆してきた。漢訳経典を手段として、その教えが解釈され、漢訳語彙で説明される。そのことが、ブツダの教えの意味を硬く、難しいものと捉えがちにする原因にもなっている気がする。
本書の第1章の最初に「ブツダの教えでは、真の愛には4つの要素があります」と述べ、その4つがサンスクリット語では「マイトリー(慈)」(愛にあふれた優しさ)、「カルナー(悲)」(思いやり)、「ムディター(喜)」(喜び)、「ウペクシャー(捨)」(無執着、平静さ、自由)と説明する。第1章の見出しは「愛の4つの側面-四無量心」で、「四無量心」は漢訳経典の語彙である。例えば、手許の『新・佛教辞典 増補』(中村元監修・誠信書房)を見れば、「四無量心」は、「慈無量心、悲無量心、喜無量心、捨無量心」という用語で、それぞれの意味をわかりやすく簡潔に説明されている。国語辞典を引いても同様で、「○無量心」という記述が基本語となる。述べていることは、同じなのだが、漢訳の基本語ではどうしても難しそうな感じが伴ってしまいがちだ。本書の説明はまず読みやすくてわかりやすいと言える。
翻訳書には副題がついている。「人間関係がうまくいく<気づき>の実践法」である。本書の原題は、「True Love A Practice for Awakening the Heart」であり、原題には、「瞑想」という難しそうな言葉すら出ていない。翻訳のタイトル、サブタイトルは、本書の内容から意訳されたものと言える。
本書の訳し方の巧みさも大きな要因と思うのだが、読み手に語りかけるスタイルでの読みやすさが大きな要因になっていると思う。著者との対話の感覚が生まれ、ス~ッとコトバが心に入ってくる感じがする。
「愛するとは、何よりも『存在すること』、ブツダはそう教えています」(p25)と語りかけ、「存在すること」が実は瞑想の真髄なのだと言う。「瞑想とは、あなたが真に『今ここ』に存在できるようにしてくれるもの」(p26)であり、「愛する人にあげられる最も尊い贈りものは、あなたが真に『今ここ』に存在していることです」(p27)という。
「今ここ」に真に存在できるためには、シンプルなエクササイズを実行すること。それが「気づきの呼吸(マインドフルな呼吸)」という瞑想法なのだと説く。
「気づきの呼吸」とは、
「息を吸いながら - 息を吸っていることに気づく」
「息を吐きながら - 息を吐いていることに気づく」
そう心の中で唱え、しっかりと今ここに存在している、心と体がひとつになっていることを感じとることが、「本当に存在する」ということ、つまり「心身一如(しんじんいちにょ)の状態にいることなのだと説く。
著者は、この「気づきの呼吸」をブッダが「アーナーパーナサティ・スッタ」(安般守意経・安那般那念経)という瞑想に欠かせないテキストとして説いたと言う。
著者の述べていることは、実に平易に理解できる。「気づきの呼吸」により、集中した状態で、自分の心身が完全に結びつきひとつになった状態で口にする言葉が、マントラ(真言)なのだとする。日本人にとっては、その心と体が完全に一つの状態で「わたしは本当に、あなあたのためにここにいます」と語る言葉がマントラなのだという。その上で「だから、何でも言ってね」「いつでもわたしがついているよ」と言葉を添えればいいのだと。
「心と体をひとつに合わせて伝えてください。それができれば、はっきりと状況が変化することがわかります」(p32)という。
本書は、「気づきの呼吸」をベースにして、その応用を展開していく。つまり、すべてが「気づきの呼吸」の実践の中から生まれていくとする。やさしい説明であるが、それを実行するのは本書の読者次第なのだ。やさしく、わかりやすく、水辺まで導いてくれる書である。水を口にするのは、私自身であり、あなた自身なのである。
「1 愛の4つの側面ー四無量心」と「2 愛とは『存在すること』」とについて説明した後、以下の章立てで、ブツダの「愛」の瞑想の実践を展開する。
そこで語られている印象深い箇所と要点のいくつかを併せてご紹介しておきたい。その意味するところを詳しく理解し感じるために本書を手に取り、開いてみてほしい。
「3 相手の存在を認める」
著者は相手に伝える2つのマントラを読者に贈る。
*あなたの存在に気づいているよ、あなたがいてくれて幸せだよ。
*あなたがいてくれて、わたしはとても幸せです。
ブツダは「過去はもはや存在しない。未来はまだ来ていない。いのちに触れられるのは唯一、今この瞬間だけだ」と説いたと語り、著者は語る。「瞑想とは心と体を今この瞬間に戻し、いのちとの待ち合わせをのがさないようにするものです」(p40)と。それは「気づきの呼吸」から始まり、マントラを伝えることなのだと。
「4 苦しんでいる人と共に在る」
著者はこのマントラを唱えようと言う。
*苦しんでいるのですね。だから、わたしはあなたのために、ここにいます。
そして、その効果を語る。
「5 プライドを克服する」
4つめのマントラ:「私は苦しんでいます。助けてください」
著者の生まれた国、ベトナムに伝わる話を例に引いて「誤った認知に支配されてしまう」姿を語る。「日々の生活の中で誤った認知に支配されないように、気をつけてください」(p57)と語りかける。
「6 深く聴く」
著者は瞑想はどこででもできると、本書を通じて説く。気づきの呼吸、歩く瞑想、坐る瞑想とやり方はいろいろあるのだと。そして、相手とともに座り、深く聴くことが瞑想そのものなのだと、ここで説明している。著者の暮らすプライム・ヴィレッジでも、深く聴くことが重要な実践になっていると言う。
「7 愛をもって話すことを学ぶ」
「わたしたちは人が読みたくなるような愛ある文章を書き、聞きたくなるような愛ある言葉を話さなくてはなりません」と説く。それをすることが瞑想の実践そのものだと言う。そして、一つの実践事例を挙げている。
「瞑想とは、自分の苦しみや喜びの本質を深く見る実践です」(p70)と述べ、その果実が何かを語っている。
「8 内なる平和を取り戻す」
「わたしたちの生活のすべては、瞑想になり得ます」と断言し、その実践法を語る。
漢訳経典「般若心経」の解説書を読み、最初に知ることは「五蘊」という語彙とその意味である。著者はこのことを、私たち一人ひとりを「5つの川が流れる広大な領土を収める王」にたとえて語っている。訳出では、漢訳での語彙も並記されている。原文自体が漢訳に相当すサンスクリット語の語彙を並記しているのかもしれない。
「美しい癒やしのエネルギーとともに存在することこそ、わたしたちが日々実践したいことです。そして、わたしたちにはそうできるのです」(p77)と語る。瞑想を実践しなさいという勧めである。
「9 気づきのエネルギー」
ブツダの瞑想は、「非二元性」の原理に基づくものであると説明する。漢訳経典では「不二」という言葉で語られるものと同じである。そして「気づきのエネルギー」を招き入れることを語る。「気づきの呼吸を実践する目的は、この気づきのエネルギーを生み出し、生かしつづけることです」(p82)と。
「10 心の痛みを世話する」
母と赤ちゃんの泣き声の関係をたとえに出して、著者は語りかける。そして、「気づきの呼吸」を実行することにより、気づきのエネルギーを招き入れ、心の中でこう言うようにと語る。
「息を吸いながら-怒っている自分に気づく」
「息を吐きながら-怒りに微笑む」
怒りの本質を深く見ることを説く。年をとること、死の恐れについての実践もやり方は同様だと言う。意識を抑圧するのではなくて、意識の中がちゃんと循環することの大切さを語る。その実行のベースが、「気づきの呼吸」であり、気づきのエネルギーをつちかうことが必要なのだと。
そして、「サンガの存在は、気づきのエネルギーをつちかう取り組みをやさしくしてくれます」(p97)と語る。プライム・ヴィレッジは、サンガの一つという位置づけになるようだ。
「11 非二元性の原理」
「苦しみを無視も抑圧もせず、心の扉を開けていれば、『心の形成物』(思い)は顕在意識と阿頼耶識の間を往き来できます」(p100)という。阿頼耶識という漢訳語は唯識で使われている語彙である。著者は文脈を読むと、心の深層部分という意味合いで語っていると受け止めた。心の深層に苦しみの種が元々住まいしているのだとする。
ブツダの瞑想が「非二元性」にもとづいて深く見つめる行いなのだと説く。
「花は生ゴミになる過程にありますが、同時に生ゴミは花になる過程にあります。これが仏教でいう『非二元性』の原理です」(p103)と。苦しみから学ぶ方法を知り、使いなさいと語りかけるのである。それが「愛」の瞑想なのだと。
「12 和解」
「此があれば彼があり、此がなければ彼がない」とブツダは教えた。著者ティク・ナット・ハンは、その教えを「片方だけが存在するということはないのです」と解釈し、自分の苦しみや痛みについて、「あるべきは、世話をし、変容させようとする努力だけです」と説く。心だけでなく、体との関係も同じなのだと。そして、「体」に気づく実践法を教えてくれている。それは、著者が語った3つめのマントラを状況に合わせて展開する実践法である。
「ブツダがそう行動しなさいと望むから実践するのではありません。わたしたち自身が深く見る実践をしているから、そうするのです。
戒の実践は、苦しみから守ってくれるものと見ているのです。戒は、わたしたちの自由を保証するものです。」(p114)
凡人が「戒」という言葉で連想する「不自由」とは真逆のことをブツダの教えと説明する。「戒=自由の保証」という図式である。「和解」の章を開いてみてほしい。
「13 生まれ変わる」
著者は「カミユは、自分の死体を持ち運びながら歩いている人たちがまわりにあふれていると書きました」(p126)という。この一文を私は初めて目にした。
この一文を引用し、著者は「マインドフルネスは、身も心も『今ここ』に戻すことから成り立つ実践」(p126)なので、「気づきの呼吸」という瞑想を「実践するたびに生に戻ってくるのです」(p126)と説く。生まれ変わるということは「今日この瞬間に生きる実践そのもの」(p127)だと著者は語っていると受け止めた。
「わたしたちがいのちに触れられるのは、今という瞬間だけなのです。これはキリスト教にも仏教にも共通する考えです」と断言している。そして、語る。「歩く瞑想は、一歩ごとにわたしたちを今に連れ戻してくれます。」「いのちはあなたの歩む一歩一歩の中にあるのであって、遠い未来にあるのではありません」(p128)と。
「14 電話の瞑想」
著者は、プライム・ヴィレッジで「電話が鳴る」という事象への対応について、そこにも瞑想の実践があるのだと説明する。電話の呼び出し音は「気づきの鐘(マインドフルネス・ベル)」だと言い、「電話の瞑想」をどうするか、具体的に実践方法として語っていく。ここにも「気づきの呼吸」の発展形がある。
「息を吸いながら - 自分を静める」
「息を吐きながら - 微笑む」
「聴こえる、聴こえる。この素晴らしい響きが、今この瞬間にわたしをつれもどしてくれる」
電話をかける準備の実践法と「抱擁の瞑想」にも触れている。
結論として著者は「日々の喧騒のさなかにあっても、ブツダの瞑想はまったく問題なく実践できるものです」と言う。
「15 『気づき』の実践のすすめ」
著者は、気づきをもって生きるように実践することの重要性を繰り返し語る。「落ち着いていればこそ、初めて深く見ることが可能になります」(p141)と。
「16 観念から自由になる」
わたしたちの中にはあらゆる大きな恐れがある。わたしたちが恐れのない状態(無畏)に触れられ、大いなるやすらぎに触れられることが「ニルヴァーナ(涅槃)」に触れることなのだと著者は語る。そして、「究極の次元」には言葉や概念は通用しないと説く。
「自らの内にある、あるがままのリアリティ(実相)に触れること」(p150)、それが気づきの実践を続けていくことなのだと言う。
実践を続けていくために、「ひとりではなく、サンガとともに実践することをおすすめします。サンガとは一書に道を歩むよき友の集り、コミュニティです」(p152)と語ることで、本書を締めくくっている。
本書のいくつかの章の末尾には、その章のエッセンスが毛筆書きの英文として和訳付きで載せてある。その章ではこのワンセンテンスをどのように日々『「愛」の瞑想』の実践とともに行えばよいかがわかりやすく語られていると言える。括弧の中は本書の章番号を示した。その番号は、上記の番号と見出しに対応する。
I am here for you わたしはあなたのために、ここにいます (2)
I know you are there and I am very happy
あなたがいてくれて、わたしはとても幸せです (3)
Listen with compassion 思いやりをもって聴く (6)
Peace in oneself. Peace in the world 内なる平和 世界の平和 (8)
Mindfulness is a source of happiness
マインドフルネスは、幸せのみなもとです (9)
No mud no lotus 美しい蓮の花は泥土から咲く (11)
Peace begins with your lovely smile
平和は、あなたの素敵な微笑みから生まれる (14)
ティク・ナット・ハンは、生きるという存在の根源部分について、ブツダが語ったことを、私たちにわかりやすく語りかけてくれている。そのまとめの一冊が本書だ。実質137ページという薄い本だが、その語る中身は濃厚で凝縮されている。
著者のティク・ナット・ハンのプロフィールが本書の最初に見開きページに記されている。その冒頭の2行を引用し、ご紹介する。
「ティク・ナット・ハンはベトナム出身の禅僧にして詩人、学者であり、ベトナム戦争を終結させるうえで大きな役割を果たした平和活動家でもあります。」
和平を主張しつづけたために、ベトナム政府から帰国を拒否され、亡命を余儀なくされている禅僧である。フランスのプラム・ヴィレッジを拠点にして活動されている。
「ティク・ナット・ハンは、一人ひとりの内なる平和と地球の平和がつながっていることを教えてくれる」 ダライ・ラマ14世
「彼ほどノーベル平和賞にふさわしい人を、私はほかにしらない」
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
自分自身の覚書を兼ねて、まとめてみました。
ご一読ありがとうございます。
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補遺
関連事項をいくつか調べてみた。一覧にしておきたい。
プラム・ヴィレッジ Plum Village 公式サイト
Plum Village From Wikipedia, the free encyclopedia
ティク・ナット・ハン :ウィキペディア
英語版 From Wikipedia, the free encyclopedia
ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え ホームページ
各地のサンガ
Wind of Smile ~微笑みの風~ ホームページ
東京サンガ☆すもも村 ホームページ
バンブーサンガ ホームページ
ティクナット・ハン師の般若心経 :「密教初級編」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
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その点、ご寛恕ください。)
本書の第1章の最初に「ブツダの教えでは、真の愛には4つの要素があります」と述べ、その4つがサンスクリット語では「マイトリー(慈)」(愛にあふれた優しさ)、「カルナー(悲)」(思いやり)、「ムディター(喜)」(喜び)、「ウペクシャー(捨)」(無執着、平静さ、自由)と説明する。第1章の見出しは「愛の4つの側面-四無量心」で、「四無量心」は漢訳経典の語彙である。例えば、手許の『新・佛教辞典 増補』(中村元監修・誠信書房)を見れば、「四無量心」は、「慈無量心、悲無量心、喜無量心、捨無量心」という用語で、それぞれの意味をわかりやすく簡潔に説明されている。国語辞典を引いても同様で、「○無量心」という記述が基本語となる。述べていることは、同じなのだが、漢訳の基本語ではどうしても難しそうな感じが伴ってしまいがちだ。本書の説明はまず読みやすくてわかりやすいと言える。
翻訳書には副題がついている。「人間関係がうまくいく<気づき>の実践法」である。本書の原題は、「True Love A Practice for Awakening the Heart」であり、原題には、「瞑想」という難しそうな言葉すら出ていない。翻訳のタイトル、サブタイトルは、本書の内容から意訳されたものと言える。
本書の訳し方の巧みさも大きな要因と思うのだが、読み手に語りかけるスタイルでの読みやすさが大きな要因になっていると思う。著者との対話の感覚が生まれ、ス~ッとコトバが心に入ってくる感じがする。
「愛するとは、何よりも『存在すること』、ブツダはそう教えています」(p25)と語りかけ、「存在すること」が実は瞑想の真髄なのだと言う。「瞑想とは、あなたが真に『今ここ』に存在できるようにしてくれるもの」(p26)であり、「愛する人にあげられる最も尊い贈りものは、あなたが真に『今ここ』に存在していることです」(p27)という。
「今ここ」に真に存在できるためには、シンプルなエクササイズを実行すること。それが「気づきの呼吸(マインドフルな呼吸)」という瞑想法なのだと説く。
「気づきの呼吸」とは、
「息を吸いながら - 息を吸っていることに気づく」
「息を吐きながら - 息を吐いていることに気づく」
そう心の中で唱え、しっかりと今ここに存在している、心と体がひとつになっていることを感じとることが、「本当に存在する」ということ、つまり「心身一如(しんじんいちにょ)の状態にいることなのだと説く。
著者は、この「気づきの呼吸」をブッダが「アーナーパーナサティ・スッタ」(安般守意経・安那般那念経)という瞑想に欠かせないテキストとして説いたと言う。
著者の述べていることは、実に平易に理解できる。「気づきの呼吸」により、集中した状態で、自分の心身が完全に結びつきひとつになった状態で口にする言葉が、マントラ(真言)なのだとする。日本人にとっては、その心と体が完全に一つの状態で「わたしは本当に、あなあたのためにここにいます」と語る言葉がマントラなのだという。その上で「だから、何でも言ってね」「いつでもわたしがついているよ」と言葉を添えればいいのだと。
「心と体をひとつに合わせて伝えてください。それができれば、はっきりと状況が変化することがわかります」(p32)という。
本書は、「気づきの呼吸」をベースにして、その応用を展開していく。つまり、すべてが「気づきの呼吸」の実践の中から生まれていくとする。やさしい説明であるが、それを実行するのは本書の読者次第なのだ。やさしく、わかりやすく、水辺まで導いてくれる書である。水を口にするのは、私自身であり、あなた自身なのである。
「1 愛の4つの側面ー四無量心」と「2 愛とは『存在すること』」とについて説明した後、以下の章立てで、ブツダの「愛」の瞑想の実践を展開する。
そこで語られている印象深い箇所と要点のいくつかを併せてご紹介しておきたい。その意味するところを詳しく理解し感じるために本書を手に取り、開いてみてほしい。
「3 相手の存在を認める」
著者は相手に伝える2つのマントラを読者に贈る。
*あなたの存在に気づいているよ、あなたがいてくれて幸せだよ。
*あなたがいてくれて、わたしはとても幸せです。
ブツダは「過去はもはや存在しない。未来はまだ来ていない。いのちに触れられるのは唯一、今この瞬間だけだ」と説いたと語り、著者は語る。「瞑想とは心と体を今この瞬間に戻し、いのちとの待ち合わせをのがさないようにするものです」(p40)と。それは「気づきの呼吸」から始まり、マントラを伝えることなのだと。
「4 苦しんでいる人と共に在る」
著者はこのマントラを唱えようと言う。
*苦しんでいるのですね。だから、わたしはあなたのために、ここにいます。
そして、その効果を語る。
「5 プライドを克服する」
4つめのマントラ:「私は苦しんでいます。助けてください」
著者の生まれた国、ベトナムに伝わる話を例に引いて「誤った認知に支配されてしまう」姿を語る。「日々の生活の中で誤った認知に支配されないように、気をつけてください」(p57)と語りかける。
「6 深く聴く」
著者は瞑想はどこででもできると、本書を通じて説く。気づきの呼吸、歩く瞑想、坐る瞑想とやり方はいろいろあるのだと。そして、相手とともに座り、深く聴くことが瞑想そのものなのだと、ここで説明している。著者の暮らすプライム・ヴィレッジでも、深く聴くことが重要な実践になっていると言う。
「7 愛をもって話すことを学ぶ」
「わたしたちは人が読みたくなるような愛ある文章を書き、聞きたくなるような愛ある言葉を話さなくてはなりません」と説く。それをすることが瞑想の実践そのものだと言う。そして、一つの実践事例を挙げている。
「瞑想とは、自分の苦しみや喜びの本質を深く見る実践です」(p70)と述べ、その果実が何かを語っている。
「8 内なる平和を取り戻す」
「わたしたちの生活のすべては、瞑想になり得ます」と断言し、その実践法を語る。
漢訳経典「般若心経」の解説書を読み、最初に知ることは「五蘊」という語彙とその意味である。著者はこのことを、私たち一人ひとりを「5つの川が流れる広大な領土を収める王」にたとえて語っている。訳出では、漢訳での語彙も並記されている。原文自体が漢訳に相当すサンスクリット語の語彙を並記しているのかもしれない。
「美しい癒やしのエネルギーとともに存在することこそ、わたしたちが日々実践したいことです。そして、わたしたちにはそうできるのです」(p77)と語る。瞑想を実践しなさいという勧めである。
「9 気づきのエネルギー」
ブツダの瞑想は、「非二元性」の原理に基づくものであると説明する。漢訳経典では「不二」という言葉で語られるものと同じである。そして「気づきのエネルギー」を招き入れることを語る。「気づきの呼吸を実践する目的は、この気づきのエネルギーを生み出し、生かしつづけることです」(p82)と。
「10 心の痛みを世話する」
母と赤ちゃんの泣き声の関係をたとえに出して、著者は語りかける。そして、「気づきの呼吸」を実行することにより、気づきのエネルギーを招き入れ、心の中でこう言うようにと語る。
「息を吸いながら-怒っている自分に気づく」
「息を吐きながら-怒りに微笑む」
怒りの本質を深く見ることを説く。年をとること、死の恐れについての実践もやり方は同様だと言う。意識を抑圧するのではなくて、意識の中がちゃんと循環することの大切さを語る。その実行のベースが、「気づきの呼吸」であり、気づきのエネルギーをつちかうことが必要なのだと。
そして、「サンガの存在は、気づきのエネルギーをつちかう取り組みをやさしくしてくれます」(p97)と語る。プライム・ヴィレッジは、サンガの一つという位置づけになるようだ。
「11 非二元性の原理」
「苦しみを無視も抑圧もせず、心の扉を開けていれば、『心の形成物』(思い)は顕在意識と阿頼耶識の間を往き来できます」(p100)という。阿頼耶識という漢訳語は唯識で使われている語彙である。著者は文脈を読むと、心の深層部分という意味合いで語っていると受け止めた。心の深層に苦しみの種が元々住まいしているのだとする。
ブツダの瞑想が「非二元性」にもとづいて深く見つめる行いなのだと説く。
「花は生ゴミになる過程にありますが、同時に生ゴミは花になる過程にあります。これが仏教でいう『非二元性』の原理です」(p103)と。苦しみから学ぶ方法を知り、使いなさいと語りかけるのである。それが「愛」の瞑想なのだと。
「12 和解」
「此があれば彼があり、此がなければ彼がない」とブツダは教えた。著者ティク・ナット・ハンは、その教えを「片方だけが存在するということはないのです」と解釈し、自分の苦しみや痛みについて、「あるべきは、世話をし、変容させようとする努力だけです」と説く。心だけでなく、体との関係も同じなのだと。そして、「体」に気づく実践法を教えてくれている。それは、著者が語った3つめのマントラを状況に合わせて展開する実践法である。
「ブツダがそう行動しなさいと望むから実践するのではありません。わたしたち自身が深く見る実践をしているから、そうするのです。
戒の実践は、苦しみから守ってくれるものと見ているのです。戒は、わたしたちの自由を保証するものです。」(p114)
凡人が「戒」という言葉で連想する「不自由」とは真逆のことをブツダの教えと説明する。「戒=自由の保証」という図式である。「和解」の章を開いてみてほしい。
「13 生まれ変わる」
著者は「カミユは、自分の死体を持ち運びながら歩いている人たちがまわりにあふれていると書きました」(p126)という。この一文を私は初めて目にした。
この一文を引用し、著者は「マインドフルネスは、身も心も『今ここ』に戻すことから成り立つ実践」(p126)なので、「気づきの呼吸」という瞑想を「実践するたびに生に戻ってくるのです」(p126)と説く。生まれ変わるということは「今日この瞬間に生きる実践そのもの」(p127)だと著者は語っていると受け止めた。
「わたしたちがいのちに触れられるのは、今という瞬間だけなのです。これはキリスト教にも仏教にも共通する考えです」と断言している。そして、語る。「歩く瞑想は、一歩ごとにわたしたちを今に連れ戻してくれます。」「いのちはあなたの歩む一歩一歩の中にあるのであって、遠い未来にあるのではありません」(p128)と。
「14 電話の瞑想」
著者は、プライム・ヴィレッジで「電話が鳴る」という事象への対応について、そこにも瞑想の実践があるのだと説明する。電話の呼び出し音は「気づきの鐘(マインドフルネス・ベル)」だと言い、「電話の瞑想」をどうするか、具体的に実践方法として語っていく。ここにも「気づきの呼吸」の発展形がある。
「息を吸いながら - 自分を静める」
「息を吐きながら - 微笑む」
「聴こえる、聴こえる。この素晴らしい響きが、今この瞬間にわたしをつれもどしてくれる」
電話をかける準備の実践法と「抱擁の瞑想」にも触れている。
結論として著者は「日々の喧騒のさなかにあっても、ブツダの瞑想はまったく問題なく実践できるものです」と言う。
「15 『気づき』の実践のすすめ」
著者は、気づきをもって生きるように実践することの重要性を繰り返し語る。「落ち着いていればこそ、初めて深く見ることが可能になります」(p141)と。
「16 観念から自由になる」
わたしたちの中にはあらゆる大きな恐れがある。わたしたちが恐れのない状態(無畏)に触れられ、大いなるやすらぎに触れられることが「ニルヴァーナ(涅槃)」に触れることなのだと著者は語る。そして、「究極の次元」には言葉や概念は通用しないと説く。
「自らの内にある、あるがままのリアリティ(実相)に触れること」(p150)、それが気づきの実践を続けていくことなのだと言う。
実践を続けていくために、「ひとりではなく、サンガとともに実践することをおすすめします。サンガとは一書に道を歩むよき友の集り、コミュニティです」(p152)と語ることで、本書を締めくくっている。
本書のいくつかの章の末尾には、その章のエッセンスが毛筆書きの英文として和訳付きで載せてある。その章ではこのワンセンテンスをどのように日々『「愛」の瞑想』の実践とともに行えばよいかがわかりやすく語られていると言える。括弧の中は本書の章番号を示した。その番号は、上記の番号と見出しに対応する。
I am here for you わたしはあなたのために、ここにいます (2)
I know you are there and I am very happy
あなたがいてくれて、わたしはとても幸せです (3)
Listen with compassion 思いやりをもって聴く (6)
Peace in oneself. Peace in the world 内なる平和 世界の平和 (8)
Mindfulness is a source of happiness
マインドフルネスは、幸せのみなもとです (9)
No mud no lotus 美しい蓮の花は泥土から咲く (11)
Peace begins with your lovely smile
平和は、あなたの素敵な微笑みから生まれる (14)
ティク・ナット・ハンは、生きるという存在の根源部分について、ブツダが語ったことを、私たちにわかりやすく語りかけてくれている。そのまとめの一冊が本書だ。実質137ページという薄い本だが、その語る中身は濃厚で凝縮されている。
著者のティク・ナット・ハンのプロフィールが本書の最初に見開きページに記されている。その冒頭の2行を引用し、ご紹介する。
「ティク・ナット・ハンはベトナム出身の禅僧にして詩人、学者であり、ベトナム戦争を終結させるうえで大きな役割を果たした平和活動家でもあります。」
和平を主張しつづけたために、ベトナム政府から帰国を拒否され、亡命を余儀なくされている禅僧である。フランスのプラム・ヴィレッジを拠点にして活動されている。
「ティク・ナット・ハンは、一人ひとりの内なる平和と地球の平和がつながっていることを教えてくれる」 ダライ・ラマ14世
「彼ほどノーベル平和賞にふさわしい人を、私はほかにしらない」
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
自分自身の覚書を兼ねて、まとめてみました。
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補遺
関連事項をいくつか調べてみた。一覧にしておきたい。
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