学生時代に親友二人が、互いに将来の夢を語り合った。鷹西仁(じん)は作家、代議士の息子である大江波流(はる)は政治家である。ストーリーは、大学生活も残り、わずかとなった1989年2月に、大江が運転するオープンカーで、鷹西との二人が湘南をドライブするシーンから始まる。大江は大蔵省入省、学生時代から小説を書きまくってきた鷹西は、社会勉強と文章の練習を意図して新聞記者にというそれぞれの道を歩み出す。互いの道を突きすすむことで、日本を正しい方向に引っ張っていこうという志を抱いて・・・・。時代が昭和から平成に転換する時期に、二人は社会人としてスタートする。
そして、2011年という現代にストーリーは一旦シフトし、そこから再び1994年に遡る形で鷹西仁と大江波流のそれぞれの人生経路のストーリーが重ねられていく。その中に、ITが社会に浸透していく経緯がリアルに描き込まれていく。そして、二軸のストーリーが再び2011年で交わり、東北の大震災勃発直後の時点で終わる。
2011年、大学時代の仲間が集まる同窓会の席で、鷹西は新聞記者を辞めて作家業に専心することを告げる。そして、既に時効になった殺人事件の取材から始めるつもりであることを語る。鷹西が伊東通信局の記者として、東京への異動転勤の直前に扱っていた事件である。1994年に伊豆で、堀口という引退した政治家が殺された事件なのだ。その事件発生後、取材活動の途中で、後任者に引き継ぎ、東京に異動となったのだ。
2011年、一方の大江は政友党で藤崎総理を支える立場になっていた。10年前は「藤崎チルドレン」と呼ばれていたのだが、今や「大江チルドレン」と呼ばれる連中から、党内のお荷物になっている高倉代議士に退場をせまるよう抗議を受ける存在になっていた。
つまり、2011年時点で、鷹西は作家としての足固めができ独立の目処が立ち、大江は政友党の主要政治家になっていた。
そして、ストーリーは、大江が一旦大蔵省に入省したあとどういう経緯を経て政治家への道を築き上げて行くかが、一つのストーリー軸として展開していく。そこにIT業界での成功が絡んでいく。政治家になる経緯として、1994年に堀口という元政治家を殺すという事件を引き起こしていくのである。
大江のストーリー・サイドでは、日本の政治家の日常的な選挙区地盤の関係や駆け引き、政治家活動の背景という側面が、かなりリアルに描き出されていて興味深い。また、大江の先見性として、IT業界、インターネットの創生期の様子が描き込まれていくのも、同時代状況がよく伝わってきて、興味深く読める。一方、政治家を目指す大江がやや確信犯的に堀口を殺害するという経緯は一瞬、このあとどういう展開になるのかと、唖然とさせる。大江はその殺人行為を政治家になり目的を達成する手段として合理化し位置づけていく。その偶発的で独善的なな行為をからめて、金と政治という側面を描く。著者はまた政治の世界での時代の変化観を書き込んでいく。
殺人という手段を利用し政治家を目指す大江の内心が描き出されてくことになる。殺人行為と大義が両立するのか? それが課題の一つかもしれない。
時代を遡れば、大義のために数多く殺した人が英雄となったことを歴史が示す側面もあるが・・・・。
一方、鷹西の方は、東京に異動する直前、この堀口の殺人事件に取材する立場でどのように関わったかの展開からストーリーがスタートする。鷹西は、東京本社社会部の遊軍記者として、1996年の阪神・淡路大震災の現地取材を経験して行く。また、伊豆の殺人事件の関わりで、当時静岡県警で捜査に携わり、その事件を最後に定年退職した元刑事との繋がりが継続されていく。そして、1999年に鷹西は新人賞を受賞する。作家として世間に認知されたのだ。
阪神・淡路大震災の折の鷹西の取材体験が、このストーリーの最終段階における鷹西の決断の伏線になるのかもしれない。
堀口が殺された事件から遠のいていた鷹西が、退職後に伊豆に移住した元刑事逢沢から託された当時の捜査資料を基に、事件の真相を究明し始める。その結果、政治家の大物となっている大江を疑う形に展開する。
鷹西がどういう決断をするか。それがこの小説の落としどころとなっている。
この小説のタイトル「解」は、相反する行為を重層化させた象徴語と言える。
一つは、「解明」の解である。元政治家堀口が、誰に殺されたのか。鷹西が己の経験と元刑事逢沢から得た捜査資料情報を総合して、殺人事件のミステリーを解くという意味合いがある。
大江の政治家としての行動を描く形で、戦後日本の政党運営の状況が解体変遷期にある実態を解き明かしているように受け止める。そういう意味合いでの「解」が重ねられているように思う。
そして、鷹西のとった行動により、鷹西と大江の絆が瓦解するという意味が加わる。さらには、鷹西自身の「人の命は国より重い」という信念・気持ちが割れる、「解ける」という「解」が重なって行く。
この小説、「第1章 2011 Part1」のp25にこんな会話が記されている。
「もう時効になった殺人事件なんだけど・・・堀口っていう、引退した政治家が殺された事件なんだ」
「そんな事件、あったけ」
つまり、時効が成立した殺人事件という位置づけでストーリーの構想がされているように私は受け止めた。
フィクションではなく現実の世界では、2010年4月27日に「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」が施行されたことにより、殺人罪について公訴時効が廃止された。つまり、殺人罪についての時効は無くなった。ただし、改正法は、「犯罪が改正法の施行前に犯されたものであっても,その施行の際公訴時効が完成していないのであれば,改正後の公訴時効に関する規定が適用されます。」という制約条件が付いている。(参照1)
この小説自体は、奥書をみると、「小説すばる」の2011年4月号から2012年3月号に発表され、2012年8月に単行本となった。文庫本化されたのは2015年8月である。
フィクションとしては「時効が成立した殺人事件」とされているようなので、法律的に考えると、一世代古い時代設定で緻密に構想された「長編社会派ミステリー」ということになる。構想の背景に、殺人罪に対する時効の規定により法律的には無罪放免になっているいう設定があると解釈できる。
すると、私の法律知識の欠如のせいかもしれないが、釈然としない疑問が浮かぶ。一世代前において、殺人事件で時効が成立するための期間は何年だったのか?
この小説で堀口が殺害されたのは、ストーリー上1994年と設定されている。
上記会話は2011年時点という設定である。つまり、単純に考えると、事件から16年が経ち、2011年は17年目ということになる。
上記の参照資料を読むと、改正法以前の規定は、公訴時効の期間は「人を死亡させた罪」のうち、次の法定刑の区分により規定されている。
1)「法定刑の上限が死刑である犯罪(例:殺人罪) :25年
2)「法定刑の上限が無期の懲役・禁錮である犯罪(例:強姦致死罪) :15年
3)「法定刑の上限が20年の懲役・禁錮である犯罪(例:傷害致死罪):10年
4)「法定刑の上限が懲役・禁錮で,上の2・3以外の犯罪(例:自動車運転過失致死罪)
:5年又は3年
このストーリーの設定で、元政治家の堀口が殺された手口は、2)あるいは3)の区分と解釈されうるのだろうか? それなら時効が成立していると言える。しかし、1)の区分とするなら、改正前においても、時効はまだ成立していないことになる。ならば改正法にシフトする。
この小説の設定状況は、法律的にはどのように解釈されるのだろう?
ストーリーをお読みいただき、お考えいただきたい。
1の区分ということになるなら、このエンディングのもって行き方は奇妙になる。「社会派ミステリー」と呼ぶこと自体が「解」けてしまう恐れがあるように感じる。
ご一読ありがとうございます。
参照1 公訴時効の改正について :「法務省だより あかれんが」
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補遺
関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
殺人罪(日本) :ウィキペディア
殺人罪とは :「刑事事件弁護士ナビ」
公訴時効 :ウィキペディア
殺人などの時効廃止が27日成立、即日施行 2010/4/27付 :「日本経済新聞」
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その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『複合捜査』 集英社文庫
『検証捜査』 集英社文庫
『七つの証言 刑事・鳴沢了外伝』 中公文庫
『久遠 刑事・鳴沢了』 上・下 中公文庫
『疑装 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『被匿 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『血烙 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『讐雨 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『帰郷 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』 中公文庫
そして、2011年という現代にストーリーは一旦シフトし、そこから再び1994年に遡る形で鷹西仁と大江波流のそれぞれの人生経路のストーリーが重ねられていく。その中に、ITが社会に浸透していく経緯がリアルに描き込まれていく。そして、二軸のストーリーが再び2011年で交わり、東北の大震災勃発直後の時点で終わる。
2011年、大学時代の仲間が集まる同窓会の席で、鷹西は新聞記者を辞めて作家業に専心することを告げる。そして、既に時効になった殺人事件の取材から始めるつもりであることを語る。鷹西が伊東通信局の記者として、東京への異動転勤の直前に扱っていた事件である。1994年に伊豆で、堀口という引退した政治家が殺された事件なのだ。その事件発生後、取材活動の途中で、後任者に引き継ぎ、東京に異動となったのだ。
2011年、一方の大江は政友党で藤崎総理を支える立場になっていた。10年前は「藤崎チルドレン」と呼ばれていたのだが、今や「大江チルドレン」と呼ばれる連中から、党内のお荷物になっている高倉代議士に退場をせまるよう抗議を受ける存在になっていた。
つまり、2011年時点で、鷹西は作家としての足固めができ独立の目処が立ち、大江は政友党の主要政治家になっていた。
そして、ストーリーは、大江が一旦大蔵省に入省したあとどういう経緯を経て政治家への道を築き上げて行くかが、一つのストーリー軸として展開していく。そこにIT業界での成功が絡んでいく。政治家になる経緯として、1994年に堀口という元政治家を殺すという事件を引き起こしていくのである。
大江のストーリー・サイドでは、日本の政治家の日常的な選挙区地盤の関係や駆け引き、政治家活動の背景という側面が、かなりリアルに描き出されていて興味深い。また、大江の先見性として、IT業界、インターネットの創生期の様子が描き込まれていくのも、同時代状況がよく伝わってきて、興味深く読める。一方、政治家を目指す大江がやや確信犯的に堀口を殺害するという経緯は一瞬、このあとどういう展開になるのかと、唖然とさせる。大江はその殺人行為を政治家になり目的を達成する手段として合理化し位置づけていく。その偶発的で独善的なな行為をからめて、金と政治という側面を描く。著者はまた政治の世界での時代の変化観を書き込んでいく。
殺人という手段を利用し政治家を目指す大江の内心が描き出されてくことになる。殺人行為と大義が両立するのか? それが課題の一つかもしれない。
時代を遡れば、大義のために数多く殺した人が英雄となったことを歴史が示す側面もあるが・・・・。
一方、鷹西の方は、東京に異動する直前、この堀口の殺人事件に取材する立場でどのように関わったかの展開からストーリーがスタートする。鷹西は、東京本社社会部の遊軍記者として、1996年の阪神・淡路大震災の現地取材を経験して行く。また、伊豆の殺人事件の関わりで、当時静岡県警で捜査に携わり、その事件を最後に定年退職した元刑事との繋がりが継続されていく。そして、1999年に鷹西は新人賞を受賞する。作家として世間に認知されたのだ。
阪神・淡路大震災の折の鷹西の取材体験が、このストーリーの最終段階における鷹西の決断の伏線になるのかもしれない。
堀口が殺された事件から遠のいていた鷹西が、退職後に伊豆に移住した元刑事逢沢から託された当時の捜査資料を基に、事件の真相を究明し始める。その結果、政治家の大物となっている大江を疑う形に展開する。
鷹西がどういう決断をするか。それがこの小説の落としどころとなっている。
この小説のタイトル「解」は、相反する行為を重層化させた象徴語と言える。
一つは、「解明」の解である。元政治家堀口が、誰に殺されたのか。鷹西が己の経験と元刑事逢沢から得た捜査資料情報を総合して、殺人事件のミステリーを解くという意味合いがある。
大江の政治家としての行動を描く形で、戦後日本の政党運営の状況が解体変遷期にある実態を解き明かしているように受け止める。そういう意味合いでの「解」が重ねられているように思う。
そして、鷹西のとった行動により、鷹西と大江の絆が瓦解するという意味が加わる。さらには、鷹西自身の「人の命は国より重い」という信念・気持ちが割れる、「解ける」という「解」が重なって行く。
この小説、「第1章 2011 Part1」のp25にこんな会話が記されている。
「もう時効になった殺人事件なんだけど・・・堀口っていう、引退した政治家が殺された事件なんだ」
「そんな事件、あったけ」
つまり、時効が成立した殺人事件という位置づけでストーリーの構想がされているように私は受け止めた。
フィクションではなく現実の世界では、2010年4月27日に「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」が施行されたことにより、殺人罪について公訴時効が廃止された。つまり、殺人罪についての時効は無くなった。ただし、改正法は、「犯罪が改正法の施行前に犯されたものであっても,その施行の際公訴時効が完成していないのであれば,改正後の公訴時効に関する規定が適用されます。」という制約条件が付いている。(参照1)
この小説自体は、奥書をみると、「小説すばる」の2011年4月号から2012年3月号に発表され、2012年8月に単行本となった。文庫本化されたのは2015年8月である。
フィクションとしては「時効が成立した殺人事件」とされているようなので、法律的に考えると、一世代古い時代設定で緻密に構想された「長編社会派ミステリー」ということになる。構想の背景に、殺人罪に対する時効の規定により法律的には無罪放免になっているいう設定があると解釈できる。
すると、私の法律知識の欠如のせいかもしれないが、釈然としない疑問が浮かぶ。一世代前において、殺人事件で時効が成立するための期間は何年だったのか?
この小説で堀口が殺害されたのは、ストーリー上1994年と設定されている。
上記会話は2011年時点という設定である。つまり、単純に考えると、事件から16年が経ち、2011年は17年目ということになる。
上記の参照資料を読むと、改正法以前の規定は、公訴時効の期間は「人を死亡させた罪」のうち、次の法定刑の区分により規定されている。
1)「法定刑の上限が死刑である犯罪(例:殺人罪) :25年
2)「法定刑の上限が無期の懲役・禁錮である犯罪(例:強姦致死罪) :15年
3)「法定刑の上限が20年の懲役・禁錮である犯罪(例:傷害致死罪):10年
4)「法定刑の上限が懲役・禁錮で,上の2・3以外の犯罪(例:自動車運転過失致死罪)
:5年又は3年
このストーリーの設定で、元政治家の堀口が殺された手口は、2)あるいは3)の区分と解釈されうるのだろうか? それなら時効が成立していると言える。しかし、1)の区分とするなら、改正前においても、時効はまだ成立していないことになる。ならば改正法にシフトする。
この小説の設定状況は、法律的にはどのように解釈されるのだろう?
ストーリーをお読みいただき、お考えいただきたい。
1の区分ということになるなら、このエンディングのもって行き方は奇妙になる。「社会派ミステリー」と呼ぶこと自体が「解」けてしまう恐れがあるように感じる。
ご一読ありがとうございます。
参照1 公訴時効の改正について :「法務省だより あかれんが」
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補遺
関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
殺人罪(日本) :ウィキペディア
殺人罪とは :「刑事事件弁護士ナビ」
公訴時効 :ウィキペディア
殺人などの時効廃止が27日成立、即日施行 2010/4/27付 :「日本経済新聞」
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その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『複合捜査』 集英社文庫
『検証捜査』 集英社文庫
『七つの証言 刑事・鳴沢了外伝』 中公文庫
『久遠 刑事・鳴沢了』 上・下 中公文庫
『疑装 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『被匿 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『血烙 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『讐雨 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『帰郷 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』 中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』 中公文庫