遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『曙光を旅する』  葉室 麟  朝日新聞出版

2020-02-13 11:14:22 | レビュー
 本書は、「旅に出ようと思った。遠隔地ではない。今まで生きてきた時間の中で通り過ぎてきた場所への旅だ。」という書き出しの文章から始まる葉室麟流の歴史紀行文を中軸としている。出版は2018年11月。著者葉室麟は2017年12月に逝去。奥書によれば、歴史紀行文は朝日新聞(西部本社版)に2015年4月11日~2018年3月10日という期間で連載されたものである。

 中軸という言い方にとどめたのは、本書の構成が持つ特徴による。
 「第Ⅰ部 西国を歩く」と「第Ⅱ部 先人を訪ねて」が連載された紀行文に相当する部分だろう。第Ⅱ部には連載記事とは独立した形で同紙に掲載された「土筆摘む背中 追いかけて」と「対談 小説世界 九州の地から」が併載されている。その後に「第Ⅲ部 苦難の先に」と「第Ⅳ部 曙光を探して」が続いている。四部構成である。
 2016年4月14日夜、熊本県益城町で震度7の地震が起き、その後一連の地震が続き、九州に大きな被害を及ぼした。第Ⅲ部には、地震後に著者が作家石牟礼道子さん(89)と思想史家渡辺京二さん(85)をお見舞いするために訪れた時のことを語った随筆である「熊本の友へ」、「希望の芽吹きを信じて」が収録されている。さらに熊本藩出身で明治憲法の起草者となった井上毅(こわし)について考えるために熊本を訪れた時の随筆「先人が問う『国のかたち』」と、2017年7月の九州北部豪雨で被害が最も大きかった福岡県朝倉市にある秋月を訪れた時の随筆「苦難を乗り越え静謐祈る」が収録されている。この第Ⅲ部には連載の一部が含まれるのかもしれない。
 第Ⅳ部は、著者に対するインタビュー記事と「葉室メモ」が収録されている。前者のインタビューは「このインタビューは2017年の春先、葉室さんの司馬遼太郎賞受賞と小説単行本50冊突破、そして『曙光を旅する』連載開始から2年の節目に合わせたものだった」という。「葉室メモ」とは、新聞連載を準備中だった時点で、著者が紀行文を連載するという企画に対して、自分自身の考えと候補地をメモにまとめて、担当記者に送った内容だという。普通なら表に出ない内輪の記録になる部分が敢えて収録されているところに、本書の特徴がある。そこには、著者葉室麟に対する追悼的な意味合いも込められているように受けとめた。葉室麟が歴史小説を書く際の立ち位置・視座を著者自らの言葉や語りで読者に伝えるメッセージとしての開示である。その内容は、もし著者が健在で今も第一線で作品を発表している状況ならば、この歴史紀行には掲載されずに、別の形でまとめられていたような気がする。
 そして、本書にはもう一つ別次元からのメセージが併載されている。それは、当初の連載が背景にあってのことであるが、著者と関わりの深かった人々が語る葉室麟への追悼文が寄稿されていることである。
   「時勢に流されず」       高嶺朝一氏
   「蜩と沈黙の壺」        上野 朱氏
   「近代の闇 先に見たものは」  川原一之氏
   「『垂直方向』へ赴くこだわり」 東山彰良氏
   「憲法への深い見識に驚き」   南野 森氏
これらは各筆者が葉室麟と対話して抱かれた葉室麟像であり、また鎮魂のメッセージでもあると思う。読者にとっては葉室麟像を豊かにする糧になる。

 さて、新聞連載となった中軸部分に話を戻す。
 著者は、冒頭の「旅のはじめに」の一文中に、若き頃、司馬遼太郎さんの歴史紀行『街道をゆく』のファンだったと記し、「かねがね地方をめぐって歴史に触れてみたいと思っていた」という。その思いが叶ったのがこの旅だったのだろう。この文の続きは、著者葉室麟の小説世界を理解する上で、また本書の歴史紀行文を味わう上で、重要な記述だと思う。「それも勝者ではなく敗者、あるいは脇役や端役の視線で歴史を見たい。歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや路地を歩きたかった」(p10)と己の視点を明確に提示している。さらに、「私は詩人ではないが、近頃の世の中の流れを見ていると頭上に黒雲がかかる思いがするし、今にも降りそうな雨の匂いもかいでいる。」という現代に対する警戒感を表明し、「我々は、どのような時代に生きているのか、何を喜び、何を悲しんでいるのか」を告げる詩人が求められている時代だと言う。ここに著者の立ち位置と時代への感性が表明されている。
 文の末尾に、「時代の始まりは、曙光によって告げられる。これからの旅で過去であり、未来でもある風景を見たいと思っている」と記す。

 この歴史紀行は、各地の歴史や史跡を一般的に語る類いのものではない。著者の視点から是非遺構その他の対象物を眺めそこで考えて見たい現地(場所)や、現地を訪れそこで足跡を辿ってみたい人物など、かなりクリアに的が絞られている。そこには、著者が今までに作品として手がけてきた人物も居れば、著者が特に関心を抱く人物も居る。後者は著者が今後の作品として構想する人々や場所ではなかったかと思わせる。また、著者に影響を与えた人々の住む地を訪れた時の現地紀行文は、葉室麟の自己形成と思索の背景を知る上で有益である。
 紀行文に出てくる主たる場所(遺構・史跡など)と人物をキーワードとして、列挙しご紹介しておこう。勿論、場所の背景には人が、人の背景には場所がある。これらのキーワードからどこの地を訪れて書かれた紀行文かがわかるだろうか。本書を開けて行き先を確認し、紀行文を味わっていただきたい。
 場所:大学敷地内に復元された元寇防塁、名護屋城跡、大浦天主堂、三重津海軍所跡
    長崎原爆資料館、下関市立歴史博物館、高江と辺野古
 人物:大友宗麟、広瀬淡窓、西郷隆盛、坂本龍馬、木戸孝允、宮崎滔天、金子堅太郎
    小村寿太郎、島村速雄、火野葦平、島尾敏雄、上野英信
 対話:古川薫、大城立裕、上野朱、松下竜一、石牟礼道子、渡辺京二、川原一之
 
 「『司馬さんの先』私たちの役目」というインタビューが収録されていると上記した。この中には、葉室麟の小説世界への理解を深めるために有益なポイントが語られているので取り上げておきたい。
 著者は、「『人生は挫折したところから始まる』が、私の小説のテーマだ」(p206)と述べている。 また、次のように言う。「歴史小説は、自分に似た人を歴史の中に探して書きます。性格や置かれた状況など、『かっこ良くて似ている』というわけではなくて、逆に『弱っちい』みたいなところで通じることもあります。自分とつながる人から見る方が、歴史がよく見える気がします。」(p207)と。
 また、「対談 小説世界 九州の地から」にも著者の視点が語られている。一部重複するが取り上げておきたい。「僕は歴史を地方の視点、敗者の視点から捉えたいと考えているんです。歴史は勝者の視点でつくられるのが常。でも、敗者であっても真っ当に生きた人たちがいて、敗者には敗者の意味がある」(p169-170)と。
 そして、著者は執筆活動を通じて、「日本の近代化とは何だったか」という問いに突き当たるという。そこに歴史小説作家としての問題意識があったようだ。また、「来年(付記:2018)は明治維新から150年。『日本の近代化とは何だったのか』と総括する時期に来ている。」(p205)とも記している。もし、葉室麟が健在だったなら、この『曙光を旅する』で著者が紀行文に記した人々を介して描き出される歴史小説を次々と発表し続けているのではないかと思う。葉室麟の小説世界に触れてきた一読者として実に痛恨である。

 最後に、印象深い文をいくつかご紹介して終わりたい。
*心を澄ませて歴史の真実と向かい合わねばならない。現代の「海を渡る」とは、逃げずに話し合いを深めていくことだ。そのための勇気をわれわれは持っているだろうか。p30
*大切な人のために泣くことができ、響き合い、共感する心こそが対立を乗り越える。p41
*西郷は、元に屈服することを拒んだ文天祥のように、偏狭な西欧化に抗して西南戦争で城山の露と消えたのだと、私は思う。p46
*「葦」は吹く風に打ち伏し、逆境のなかで屈伏したかのように見える。しかし、風が去れば、頭をもたげ、再びもとの姿に戻って微風に揺れるのだ。p94
*広島を訪れた最初のアメリカ大統領の言葉が詩的なのは、ある意味、残酷なことだ。
 われわれは、原爆が落とされたあの日から、この国の美しさを見失ってしまったのではないかと思うからだ。しかし、本当に原爆において美しさを失ったのは、被爆国ではなく、投下した国のほうであるに違いない。p102
*ところで幕末、長州を覆った狂熱的な海防意識のルーツは、藩主の毛利氏に先立つ中国の守護大名の大内氏にあるのではないかと、かねてから私は考えている。p116
*現在の沖縄の苦しみは、戦後すぐの日本の苦しみだった。だが、戦後の経緯の中で本土は苦しみを忘れた。だから沖縄をわかろうとはしない。沖縄がわかれば苦しみが戻ってくるからだ。p122-123
*直木賞に選んでいただいた『蜩の記』は「土筆(つくし)の物語」でもある、と言ったら変に聞こえるだろうか。・・・・・庄三郎は、なぜだかわからないがそうしたいのだ、と答える。・・・・しかし、いまになってみればわかる。わたしがそうしたかったのだ。上野さんの背を追って生きたかった。だから「土筆の物語」を書いたのだと思う。p140-141
*現代社会に電力は欠かせないが、一方で暗闇の中にもひとの幸せはある。
 東日本大震災により福島原発の大事故が引き起こされたいま、「暗闇の思想」は古びることなく、新たな輝きを持つ。p148
*自分が感じていないことは書けませんから。小説とは、うそをつけないものかもしれません。p172
*自分が生育してきたなかで、大事だな、信じられるなと感じたものがあれば、それがよりどころとなる。・・・・・・その感性から逃げないことが何より大切だと思います。p173
*普段は見えない人のつながりが災害によって浮かび上がる。人は、やはり一人では生きていないのだ。p186-187

 本書は、葉室麟の歴史小説を読み込んで行くために、著者の考え・視点などを知る上で不可欠な一書といえる。上掲5篇の寄稿文及び佐々木亮氏の「『あとがき』にかえて 時代詠う旅 思い引き継ぐ」は、作家葉室麟を知る上で興味深い手がかりを与えてくれている。

 ご一読ありがとうございます。

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