京都の寺社仏閣等の史蹟を探訪することが趣味の一つである。京都は都として長い歴史が積層されているが、近い所では江戸時代の幕末動乱期に関わる史蹟が数多い。
探訪を続けていて関心を抱いた一つの視点が新選組と勤王派の両極に関わる寺社仏閣等である。特に新選組の視点からみれば、新選組発祥地跡(壬生屯所:八木邸・前川邸)、壬生寺、西本願寺太鼓櫓、不動堂明王院、島原の輪違屋、高台寺党屯所の月真院、本光寺門前(伊東甲子太郎外数名殉難之跡)、光縁寺(新選組墓所)などがあり、一方新選組がその対象とした勤王の志士たちに絡んでは古高俊太郎邸址、新選組池田屋騒動之址、寺田屋、酢屋(坂本龍馬寓居跡)などがある。他にも藩邸跡碑が各所にある。京都霊山護国神社境内には、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓が並んでいる。さらに蛤御門、伏見奉行跡、鳥羽伏見戦跡などの戦跡も。探訪の記憶から思いつくだけでもこれ位は出てくる。
本書はたまたま目にとまった。上記の関心からまずは通読してみた。1997年3月に発行された古い本である。しかし、新選組とそれにからむ勤王の志士の一部について、彼等が実際に足跡を残した場所-現存する建物と跡地-及び彼等が葬られている寺社や墓石・墓碑などが克明に写真に記録され収録されている。
新選組の発祥からその滅びまでの経緯に関する写真とともに簡略な説明が添えられている。新選組の活動の軌跡が大凡理解できるようにもなっている。巻末には詳細な「新選組年表」が付いている。
著者並びに協力者が発見し判明している新選組の隊士であり個人単位での墓石・墓碑・位牌なども記録写真として掲載されている。それ故、南は九州から北は北海道まで全国に著者の足跡は及んでいる。
新選組発祥の母胎となったのは、腹中に別の意図を蔵していた清河八郎とその他の主導者が提唱し浪士組の上洛を企画し参集した場所、小石川の伝通院である。文久三年二月。近藤を筆頭とする、土方、沖田ら天然理心流の一党はまずこの浪士隊に加わり、京都に旅だったのだから。伝通院の写真だけでなく、早川文太郎が文久3年3月に書き記した「尽忠報国勇士姓名録」は、後に新選組に結集した人々の姓名部分は原文書の写真を挿みながら全姓名が出身地とともに6ページにわたり掲載されている。
近藤勇の真影写真は当然のことながら、彼の妻ツネの写真や実家のあった当時の牛込御門近辺の地図も載っている。例えば土方歳三の生家の写真も。新選組をキーワードにかなり幅広く探索され、記録写真が掲載されている。
著者は「あとがき」に以下の一文を記す。
「『新選組再堀記』以来二十五年、彼ら新選組の足跡を追った記録写真は、三万枚を超える。その一枚一枚は、新選組の真実を追究するための事実の証と確信する」と。(p248) つまり、本書はそれら記録写真から抽出された写真で構成されている。
新選組についてのアウトラインを写真を媒介として全体像として把握し、イメージを培うには便利な一書と言える。
新選組を題材とした小説や評伝を読む上でも、本書の出版年次の古さとは関係なしに、イメージを広げる上で大いに役立つ写真集だと思う。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する事項・史跡からハイライト的な場所を幾つか検索してみた。ほんの一部だが、関心を広げる契機としてご紹介を兼ね一覧にしておきたい。
文京小石川 傳通院 ホームページ
八木家 ホームページ
壬生寺 ホームページ
お西さん(西本願寺) ホームページ
京都 酢屋 ホームページ
京都霊山護國神社 ホームページ
京都御苑 ホームページ
「京都島原」現役のお茶屋”輪違屋”の特別公開と幕末志士の面影 :「SMILE LOG」
特別史跡 五稜郭跡 :「Good Day 北海道」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
探訪を続けていて関心を抱いた一つの視点が新選組と勤王派の両極に関わる寺社仏閣等である。特に新選組の視点からみれば、新選組発祥地跡(壬生屯所:八木邸・前川邸)、壬生寺、西本願寺太鼓櫓、不動堂明王院、島原の輪違屋、高台寺党屯所の月真院、本光寺門前(伊東甲子太郎外数名殉難之跡)、光縁寺(新選組墓所)などがあり、一方新選組がその対象とした勤王の志士たちに絡んでは古高俊太郎邸址、新選組池田屋騒動之址、寺田屋、酢屋(坂本龍馬寓居跡)などがある。他にも藩邸跡碑が各所にある。京都霊山護国神社境内には、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓が並んでいる。さらに蛤御門、伏見奉行跡、鳥羽伏見戦跡などの戦跡も。探訪の記憶から思いつくだけでもこれ位は出てくる。
本書はたまたま目にとまった。上記の関心からまずは通読してみた。1997年3月に発行された古い本である。しかし、新選組とそれにからむ勤王の志士の一部について、彼等が実際に足跡を残した場所-現存する建物と跡地-及び彼等が葬られている寺社や墓石・墓碑などが克明に写真に記録され収録されている。
新選組の発祥からその滅びまでの経緯に関する写真とともに簡略な説明が添えられている。新選組の活動の軌跡が大凡理解できるようにもなっている。巻末には詳細な「新選組年表」が付いている。
著者並びに協力者が発見し判明している新選組の隊士であり個人単位での墓石・墓碑・位牌なども記録写真として掲載されている。それ故、南は九州から北は北海道まで全国に著者の足跡は及んでいる。
新選組発祥の母胎となったのは、腹中に別の意図を蔵していた清河八郎とその他の主導者が提唱し浪士組の上洛を企画し参集した場所、小石川の伝通院である。文久三年二月。近藤を筆頭とする、土方、沖田ら天然理心流の一党はまずこの浪士隊に加わり、京都に旅だったのだから。伝通院の写真だけでなく、早川文太郎が文久3年3月に書き記した「尽忠報国勇士姓名録」は、後に新選組に結集した人々の姓名部分は原文書の写真を挿みながら全姓名が出身地とともに6ページにわたり掲載されている。
近藤勇の真影写真は当然のことながら、彼の妻ツネの写真や実家のあった当時の牛込御門近辺の地図も載っている。例えば土方歳三の生家の写真も。新選組をキーワードにかなり幅広く探索され、記録写真が掲載されている。
著者は「あとがき」に以下の一文を記す。
「『新選組再堀記』以来二十五年、彼ら新選組の足跡を追った記録写真は、三万枚を超える。その一枚一枚は、新選組の真実を追究するための事実の証と確信する」と。(p248) つまり、本書はそれら記録写真から抽出された写真で構成されている。
新選組についてのアウトラインを写真を媒介として全体像として把握し、イメージを培うには便利な一書と言える。
新選組を題材とした小説や評伝を読む上でも、本書の出版年次の古さとは関係なしに、イメージを広げる上で大いに役立つ写真集だと思う。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する事項・史跡からハイライト的な場所を幾つか検索してみた。ほんの一部だが、関心を広げる契機としてご紹介を兼ね一覧にしておきたい。
文京小石川 傳通院 ホームページ
八木家 ホームページ
壬生寺 ホームページ
お西さん(西本願寺) ホームページ
京都 酢屋 ホームページ
京都霊山護國神社 ホームページ
京都御苑 ホームページ
「京都島原」現役のお茶屋”輪違屋”の特別公開と幕末志士の面影 :「SMILE LOG」
特別史跡 五稜郭跡 :「Good Day 北海道」
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