遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『大江戸火龍改』 夢枕 獏  講談社

2021-01-16 22:53:14 | レビュー
 「火盗改」とも呼ばれる「火附盗賊改」という役職は知っていたが、「火龍改」という名称は見聞したことがない。本書のタイトルを見て、まずこの名称が目にとまった。そして表紙のイラスト。イラストが目を引きつける。暗黒を背景に、相貌は青年、髪は白く、頭の後ろで無造作に赤い紐で縛り、その長い髪を風に靡かせている。紫の縁取りのある道服の様なものを着流し、右手には赤い杖を軽く握る。杖頭には赤龍が巻き付いている。腰にたぶん短刀を帯び、背に絃楽器を担っている。この楽器、本文を読むと、二胡という名称が出てくる。小刀も二胡もおなじ赤色。前面に奇妙な動物の体躯の一部が描かれている。これも赤い。たぶん手に取りたくなるカバー絵である。

 冒頭に「火龍改(かりゅうあらため)の語(こと)」という見開き2ページの小文がある。ここに、著者は「火龍改」は通称で、正式には「化物龍類改(けぶつりゅうるいあらため」」というと記す。その上で、「江戸幕府が定めた組織や役職にはこの名がない」「このことは『徳川実紀』にも記されていない」と説明する。つまり、江戸時代を舞台に、著者が創作した役職であり、創作した正式名称を自ら解説する形で、この小説が、いわば空想怪奇小説の類いであると位置づけているものと受けとめた。著者による晴明シリーズは未読だが、まあそちらに近いジャンルにあると思われる。楽しみながら気楽に読める奇想天外含みのエンターテインメント・ストーリーである。

 短編3、中編1の4つの連作集になっていて、末尾に「あとがき」と題し、直近の著者の心境を語る一文が載っている。皮肉を込めた社会批評絡も少し含めた語り口がおもしろい。著者の心境から憶測すると、これからますますおもしろい作品が上梓されそうである。
 それでは簡単に収録作品の読後印象等をご紹介してみたい。

<遊斎の語(こと)>
 表紙カバーに描かれたのが、このストーリーの主人公・遊斎(ゆうさい)である。
 この短編、まずは遊斎のプロフィールを語る。せいぜい30代後半、大江戸の人形町の鯰(なまず)長屋に住む。狭い部屋には、所狭しと様々な奇怪なものが転がっている。遊斎は近くの子供たちには慕われている。
 長吉・松吉・次郎助が遊んでいて、長吉・次郎助が相撲を取っているときに、長吉持参の焼いた唐芋を松吉が喰ったのだろうという嫌疑がかけられる。この短編は、遊斎がその嫌疑を解いてやるというエピソードである。なんと真犯人は「土鯉(どごい)」だと遊斎が子供達に示してやる。このプロセスがおもしろい。さらに、大工・治平が身体がむずがゆくて弱りはて、遊斎に助けてくれという。遊斎はその正体を呑蟲(どんちゅう)だと見極め対処してやるという話がつづく。こちらもその診断分析と対処プロセスがおもしろい。怪奇な物を登場させ、遊斎を読者に印象づける。

<手鬼眼童(しゅきがんわらわ)>
 日本橋で呉服を商う古い大店・岡田屋の主人、五十代半ばの幸兵衛が鯰長屋の遊斎を訪ねくる。怪(あやかし)を鎮めてほしいと心配事の相談に来たのである。岡田屋に奉公に来て、今年10歳になる千代松に物の怪が憑くことから話が始まる。岡田屋幸兵衛の話を聞き、遊斎は岡田屋の奥座敷に出向き、怪奇現象の謎解きをする。そこには幸兵衛の妻・峰と番頭の伊之助が関係していた。遊斎は「手鬼眼」は灸のつぼの名前だという。千代松には生き霊が取り憑いていたのだ。
 遊斎は幸兵衛に『千金翼方』という書の記述を引用して説明をする。調べてみると、この書は実在するようだ。

<首無し幽霊>
 この短編では、連作中の主な登場人物に与力の間宮林太郎が加わる。彼は火附盗賊改の領域を扱う。怪奇現象が事件に絡むと遊斎を引き出すという関係にある。ここでは遊斎の住まいに顔を出した程度だが。
 長門屋六右衛門が遊斎の注文品である特別誂えの懐中振出し竿を鯰長屋に届けに来る。二人の間で釣り竿談義が始まる。釣りに絡む蘊蓄が語られるのが興味深い。ここでも実在する釣り関連古書2冊が登場する。話材として古書の著者解明が行われている。釣り好きファンには興味が深まるところかもしれない。
 このストーリーの本筋は、実はこの古書の上梓に絡んでいくというもの。『漁人道知邊(ぎょじんみちしるべ)』の著者玄嶺の実名が六右衛門により明かされて、その人物の悩み事を遊斎が解決する。吉良上野介義央が関係してくるという意外な展開に進むところがおもしろい。
 釣りを趣味とする著者はこの短編を楽しみながら書いたのではないかと思う。
 この短編を読み、未読の『大江戸釣客伝』を読んでみたくなった。小説のジャンルはたぶん全く違うだろうけれど、釣り談義がどのように展開しているのだろうか・・・・と。

<桜怪談>
 ページ全体を使うイラスト挿画が6ページあるので、実質178ページの中編と言えるだろう。このタイトルで示される通り、怪談話が展開していく。
 桜が満開の品川の御殿山で、大店「ありた屋」の一行が桜見を兼ね、桜の古木の下で茶会をしている。そこで怪奇現象が起こる。ありた屋の内儀・お妙が突然、桜の花の中に引き揚げられ何物かに噛み殺され、花の中で喰べられてしまう。毛氈の上に首だけが落ちてくるという事件である。

 この御殿山には、江戸で人気の飴売りの土平が来ていた。土平がこの連作の主な登場人物の一人に加わる。土平は遊斎にとっては巷の情報収集係の役割を果たす立場になる。彼は傀儡師。操り人形を駆使して情報収集をする能力を持つ飴売りである。
 土平が動き回って情報を収集し、遊斎がそれら情報を土台に情報を整理分析し、推論し仮説を立てる。求めに応じて現場に赴き、さらに情報を収集した上で、己の仮説の検証をして、怪奇事象の解明・解決をしていくというストーリー展開になる。
 与力間宮林太郎に加えて、浪人で剣に熟達した如月右近が遊斎に助力を頼まれて加わることになる。そのため、如月という人物を浮彫にする場面も織り込まれていく。この挿話部分自体もいわば短いサイドストーリーとして読者を楽しませる。

 この中編のストーリー展開プロセスに古典の知識情報が様々に織り込まれてきて想像世界の奥行を広げて行くところが興味深い。古典関連としては、次のものが遊斎の知識背景として語られていく。能の『蝉丸』-逆髪が出てくる能-、市川團十郎の演じる『雷不動北山桜』の”毛抜”、ヨハネス・ヨンストン著『鳥獸虫魚図譜』-龍の項ー、などである。一方、怪奇事象に著者は「犬神法」という呪法を織り込んでいく。
 もう一つ、主人公の遊斎が蘭学者で博学の平賀源内と懇意な間柄にあるという設定となっている。途中からスポット的に登場する平賀源内がこのストーリーの中でどのような役回りとなるのかという関心を読者に与える。
 ありた屋内部の複雑な人間関係を題材に仕立て上げられた怪奇小説である。
 
 副産物としては、所々に奇っ怪な動物がイラスト図で挿入されていておもしろい。

 奥書を読むと、3つの短編は『小説現代』に断続的に発表され、中編は「WEB小説現代」に連載されたもの(2018年4月号~10月号)。2020年7月に単行本として出版された。

 この火龍改のシリーズがこれから続くことを期待したい。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
重刻孫真人千金翼方 30巻序目 :「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
何羨録(かせんろく)  :「釣り文化資料館蔵出しブログ」
『日本釣漁技術史小考』解題 / 山口和雄 :「渋沢敬三アーカイブ」
釣魚秘伝集 大橋青湖 編 :「国立国会図書館サーチ」
ヨハネス・ヨンストン  :ウィキペディア
ヨハン・ヨンストン 「鳥獣虫魚図譜」  :「アリア」
経絡図とツボ  :「翁鍼灸院」
平賀源内  :ウィキペディア
平賀源内の世界 :「平賀源内記念館」
演目事典 蟬丸 :「the 能.com」
蟬丸 :「能絵をみる」
毛抜 :「歌舞伎演目案内」
大阪松竹座『雷神不動北山櫻』市川海老蔵 :「歌舞伎美人」
犬神  :ウィキペディア

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