「あとがき」には、昭和57年12月の日付が記されている。末尾に「ありていにいえば、般若心経ほど、今日の出家僧のこっけいさに気づかせる経はない気がしたからである。」という一文がある。この後に末文「国師よ、禅師よ、ふたたびこんなことをいう私を地下から笑われるか。」と続く。単行本の刊行後、1991年11月に文庫化された。文庫本の表紙がこちら。
文庫を購入していることを失念していたのだろう。
この新装版も購入してしまった。こちらは2007年8月に刊行された。つまり、2冊を長らく書架に眠らせていたとも言える。
今、両者を対比してみると、本文以外で多少の違いがある。
最初に「般若心経」全文が掲載されている。文庫本には、「薬師寺『百万経写本』の手本に使われた『般若心経』」と付記されている。新装版には、「株式会社千眞工藝(不許複製)と付記されている。もう一点、文庫本には、絵入「一休骸骨」より引用された骸骨図のほかは、相国寺や瑞春院の門、酬恩庵、盤珪と一休の像などの写真が挿入されている。新装版には、写真掲載は一切無く、あべゆきえさんの挿絵が適所に掲載されている。
さて、冒頭に引用した国師は正眼国師(盤珪禅師)、禅師は一休禅師をさしている。著者は本書で「般若心経」(以下、心経と略す)を著者流に読解していくにあたり、この二大禅師の心経解説書を導きにしている。正眼国師の『心経抄』と一休禅師の『摩訶般若波羅蜜多心経解』である。
この二大禅師は、「あとがき」によれば、共通点がある。ともに臨済宗の高僧だが異端の僧とみなされ、正統派のなかには組み込まれていない。国師の説法は盤珪流と称される独自なものだったという。一休禅師もまた、正統派の公案禅をけなし、巷を彷徨し道歌や平仮名法語で無常を在俗の信者に説かれたという。直接の引用はないが、著者は盤珪・一休両禅師に良寛を風変わりな僧として加えている。著者は「三人とも寺院というものにかくべつの思いをもっておられ、一休さまと良寛さまにいたっては、真の出家は寺を出るものだとおっしゃている。」(p278)と記す。
著者は正眼国師と一休禅師の心経解釈を導きとしつつ心経を読解していく。心経そのものの文意の説明、つまり仏陀の視点からの説明は『心経抄』と『摩訶般若波羅蜜多心経解』から引用し紹介する。経文の一節一節は、正眼国師と一休禅師の解釈を使い、著者の人生経験を心経の読解に結びつける。その対比を通して著者の心境をぶつけていくことになる。著者は心経と己の関わり、その受け止め方を語るというアプローチで心経の読解を進める。
本書は漢訳された心経の経文を仏陀の視点で字句解釈し、その経文の内容・思想を解き明かしていくという解説書ではない。先人の解説を引きながら悟り澄ました立場で心経を縷々解説していく本とは一線を画している。
己の人生経路を書き綴りながら、心経を読み説く。まず心経との出会いから始まる。著者は10歳の頃に臨済宗本山相国寺塔頭瑞春院に弟子入りし、松庵師に得度式をあげてもらったという。そして、口伝えにより、平仮名で耳から聞き覚えたのが心経との出会いだった。心経をリズムで覚えるというのが初体験だという。その後、大徳寺横にあった般若林(のちの紫野中学)に通い「仏典」の授業の時に「摩訶般若波羅蜜多心経」が漢字で記された経であることを知り新鮮に感じたそうだ。
「経の本体が、意味深く、私にとりついてくる景色はどこにもない」「こっちの生きていく暦のふしぶしで、入り込んできては去り、去ってはまた入り込んできた」(p44)のが心経だという。「はなはだ偏見的で私流の般若心経とのかかわり」(p46)が本書で綴られていくことになる。
著者は「17歳で寺から逃げ出して還俗し」(p274)、その後遍歴を経て、家庭を築き、作家となった。出生から72歳までの人生経路の節々を著者は赤裸々に語りつつ、心経を読解していく。水上勉その人の実存的視点から己の実感と心経の説く意義とを対比して、いわば一凡人の立場から、凡人のいつわらざる心境を吐露し、心経を読解している。
仏陀の視点からの心経解説書は過去幾冊か読んで来ている。未読で書架に眠っている本が幾冊かある。
本書は、心経解説書として、私には新鮮であった。抹香くさく悟りの立場で説明する解説ではなく、著者の「私流」の語りには俗人・凡人の思い悩む実感が籠められている。心経の導き書を読み、なるほどとわかるところと、そうではないところを著者は峻別していく。心経を否定する立場ではない。そう説かれてもそんな悟りなどには至れない自分がいることを率直に語る。読みつつその心の葛藤に共感する私がいる。
こんな文が第11章に記されている。
「悩みの多いこの世に、悩みのタネをまいて生きている私は、その種子の芽だちによって、それぞれの業の花をひらかせて、くらしたい。妻子とともに、のたうちまわって生きるしかないではないか。どこに安心立命などあるものか。そんなものがあったら、見せてくれ。私の目の前はいま、闇のくろぐろとした、ひとすじの光りもない漆黒があるばかりである。仏も見えない。法の声もきこえてこない。救いのないくらやみだ。私は、そのくらやみに、心身を染めて、のたうちまわって、こときれる日まで苦しみ生きるしかない。」(p271)
「困った人間だから、いま、『心経』が、ありがたく毛穴に入ってきて、心身を洗うような気もするのである。」(p271)
本書は、水上勉という作家の人生に触れる機会となる書でもある。
また、著者は心経の読解を進める中で、今までの日本の仏教界に潜んでいる問題事象についても批判的視点で触れている。それが何かは本書を開いてその指摘の適否をお考えいただくとよいと思う。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して検索した事項を一覧にしておいたい。
御経入門 般若心経 :「禅~凜と生きる~」
般若心経 :ウィキペディア
盤珪永琢 :ウィキペディア
盤珪永琢 :「コトバンク」
一休宗純 :ウィキペディア
一休宗純 :「コトバンク」
良寛 :ウィキペディア
良寛 :「コトバンク」
一休骸骨 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
相国寺 ホームページ
龍寶山大徳寺 :「臨済ネット」
酬恩庵一休寺 ホームページ
般若心経 (cho ver.)(2020 mix.) × 一休寺・京都 / 薬師寺寛邦 キッサコ - Japanese Zen Music
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ
【般若心経】Heart Sutra (サンスクリット/Sanskrit) ヴェーダの音階で聞くチャンティング
水上勉 :ウィキペディア
浄運寺 -長野③ :「酒中日記」
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この新装版も購入してしまった。こちらは2007年8月に刊行された。つまり、2冊を長らく書架に眠らせていたとも言える。
今、両者を対比してみると、本文以外で多少の違いがある。
最初に「般若心経」全文が掲載されている。文庫本には、「薬師寺『百万経写本』の手本に使われた『般若心経』」と付記されている。新装版には、「株式会社千眞工藝(不許複製)と付記されている。もう一点、文庫本には、絵入「一休骸骨」より引用された骸骨図のほかは、相国寺や瑞春院の門、酬恩庵、盤珪と一休の像などの写真が挿入されている。新装版には、写真掲載は一切無く、あべゆきえさんの挿絵が適所に掲載されている。
さて、冒頭に引用した国師は正眼国師(盤珪禅師)、禅師は一休禅師をさしている。著者は本書で「般若心経」(以下、心経と略す)を著者流に読解していくにあたり、この二大禅師の心経解説書を導きにしている。正眼国師の『心経抄』と一休禅師の『摩訶般若波羅蜜多心経解』である。
この二大禅師は、「あとがき」によれば、共通点がある。ともに臨済宗の高僧だが異端の僧とみなされ、正統派のなかには組み込まれていない。国師の説法は盤珪流と称される独自なものだったという。一休禅師もまた、正統派の公案禅をけなし、巷を彷徨し道歌や平仮名法語で無常を在俗の信者に説かれたという。直接の引用はないが、著者は盤珪・一休両禅師に良寛を風変わりな僧として加えている。著者は「三人とも寺院というものにかくべつの思いをもっておられ、一休さまと良寛さまにいたっては、真の出家は寺を出るものだとおっしゃている。」(p278)と記す。
著者は正眼国師と一休禅師の心経解釈を導きとしつつ心経を読解していく。心経そのものの文意の説明、つまり仏陀の視点からの説明は『心経抄』と『摩訶般若波羅蜜多心経解』から引用し紹介する。経文の一節一節は、正眼国師と一休禅師の解釈を使い、著者の人生経験を心経の読解に結びつける。その対比を通して著者の心境をぶつけていくことになる。著者は心経と己の関わり、その受け止め方を語るというアプローチで心経の読解を進める。
本書は漢訳された心経の経文を仏陀の視点で字句解釈し、その経文の内容・思想を解き明かしていくという解説書ではない。先人の解説を引きながら悟り澄ました立場で心経を縷々解説していく本とは一線を画している。
己の人生経路を書き綴りながら、心経を読み説く。まず心経との出会いから始まる。著者は10歳の頃に臨済宗本山相国寺塔頭瑞春院に弟子入りし、松庵師に得度式をあげてもらったという。そして、口伝えにより、平仮名で耳から聞き覚えたのが心経との出会いだった。心経をリズムで覚えるというのが初体験だという。その後、大徳寺横にあった般若林(のちの紫野中学)に通い「仏典」の授業の時に「摩訶般若波羅蜜多心経」が漢字で記された経であることを知り新鮮に感じたそうだ。
「経の本体が、意味深く、私にとりついてくる景色はどこにもない」「こっちの生きていく暦のふしぶしで、入り込んできては去り、去ってはまた入り込んできた」(p44)のが心経だという。「はなはだ偏見的で私流の般若心経とのかかわり」(p46)が本書で綴られていくことになる。
著者は「17歳で寺から逃げ出して還俗し」(p274)、その後遍歴を経て、家庭を築き、作家となった。出生から72歳までの人生経路の節々を著者は赤裸々に語りつつ、心経を読解していく。水上勉その人の実存的視点から己の実感と心経の説く意義とを対比して、いわば一凡人の立場から、凡人のいつわらざる心境を吐露し、心経を読解している。
仏陀の視点からの心経解説書は過去幾冊か読んで来ている。未読で書架に眠っている本が幾冊かある。
本書は、心経解説書として、私には新鮮であった。抹香くさく悟りの立場で説明する解説ではなく、著者の「私流」の語りには俗人・凡人の思い悩む実感が籠められている。心経の導き書を読み、なるほどとわかるところと、そうではないところを著者は峻別していく。心経を否定する立場ではない。そう説かれてもそんな悟りなどには至れない自分がいることを率直に語る。読みつつその心の葛藤に共感する私がいる。
こんな文が第11章に記されている。
「悩みの多いこの世に、悩みのタネをまいて生きている私は、その種子の芽だちによって、それぞれの業の花をひらかせて、くらしたい。妻子とともに、のたうちまわって生きるしかないではないか。どこに安心立命などあるものか。そんなものがあったら、見せてくれ。私の目の前はいま、闇のくろぐろとした、ひとすじの光りもない漆黒があるばかりである。仏も見えない。法の声もきこえてこない。救いのないくらやみだ。私は、そのくらやみに、心身を染めて、のたうちまわって、こときれる日まで苦しみ生きるしかない。」(p271)
「困った人間だから、いま、『心経』が、ありがたく毛穴に入ってきて、心身を洗うような気もするのである。」(p271)
本書は、水上勉という作家の人生に触れる機会となる書でもある。
また、著者は心経の読解を進める中で、今までの日本の仏教界に潜んでいる問題事象についても批判的視点で触れている。それが何かは本書を開いてその指摘の適否をお考えいただくとよいと思う。
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般若心経 :ウィキペディア
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