越境捜査シリーズ第5弾。2015年4月に刊行され、2018年11月に文庫化された。
まず、文庫本に付されたオビのキャッチフレーズをご紹介しておこう。
「鷺沼&宮野の刑事コンビが仕掛けた罠と殺人犯の裏工作----。」
「警察と犯人、騙されたのはどっちだ!?」
これは第1刷文庫のオビ。今は異なっているかもしれない。未確認。
第1章の冒頭は、鷺沼が相方の井上巡査部長とマンションの一室で腐敗した死体を覗き込む場面から始まる。死体は木崎乙彦。横浜市港北区大倉山にある高級賃貸マンション。木崎の自宅である。木崎乙彦は、3年前に新宿駅の山手線ホームで起きた傷害致死事件の容疑者だった。しかし、犯人に結びつく手がかりがなく、捜査本部は店仕舞いし、事件は鷺沼が属する特命捜査対策室二係に移管され継続扱いになっていた。
2週間前、横浜市港北区で車両同士の接触事故が発生。事故の犯人の顔が木崎に似ていたことで、神奈川県警から通報が入った。鷺沼と井上は木崎乙彦の自宅周辺で聞き込み捜査を行った。住人から異臭の苦情を聞き、死体の発見に至る。死体の喉元に黒ずんだ内出血の痕と周囲に引っ掻いたような細かい傷がいくつもあった。
身辺情報の捜査から、木崎乙彦は一部上場の大手金属加工機メーカー、キザキテック社長木崎忠彦の長男という事実がわかった。祖父の木崎輝正が創業者にして現会長。創業家を中心とする同族色の強い会社である。財力にものを言わせた隠蔽工作の惧れもあり、捜査を慎重に進めていた矢先だった。
木崎が3年前の事件の犯人と確定できない段階で、被疑者の木崎乙彦が殺人の被害者という疑いが浮上することになった。それも神奈川県警の縄張りである。
木崎が犯人ならば被疑者死亡で送検落着。一方、もし犯人でなければ、捜査の行き詰まりとなり、真犯人を取り逃すことになりかねない。鷺沼らは、まずい状況に直面する。
このストーリー、ここからスタートすることになる。
被疑者が死んだ。何も聞き出せない。何を手がかりにして事件を捜査しようとするのだろうか。読者としては戸惑いとともに関心が蠢く出だしである。
早速、この事件を知った宮野が鷺沼に電話連絡をしてくる。宮野は神奈川県警瀬谷警察署刑事課所属だが、不良刑事の烙印を押された鼻つまみ者。その宮野は言う。キザキテックの社長の自宅が瀬谷区にあると。
新宿駅での事件直後、木崎乙彦は留学という目的で渡米してしまい、2ヵ月前に帰国したところだった。乙彦は忠彦の長男として後継者に擬されていたので、乙彦の渡米は木崎一族が手配した隠蔽工作の可能性もあった。
鷺沼はこのスタートから宮野、福富と再びイレギュラーで密かなタスクフォースを結成するはめになる。今回興味深いのは、井上が交際を始めている彩香がタスクフォースの一員に加わってくることだ。彼女は通常の勤務後や非番の日に協力すると言う。そして、柔道に秀でる彩香がその知識・人脈を役立てるという局面を見せることに・・・・・。一方、彩香が宮野の天敵として描写されるところは、このストーリーの中で一種息抜き的な場面になっていておもしろい。
木崎乙彦が被害者となった殺人事件は神奈川県警の管轄であり、鷺沼たちは関与できない。一方、鷺沼にとり、周辺捜査として木崎一族のような有力者を捜査対象とするときは、決定的な事実を掴むまでは秘匿捜査が鉄則となる。
捜査を進めると、会長の木崎輝正はキザキテックのグループ内で独裁ぶりを発揮している人物。恐怖政治の体質が社内に見えない亀裂を生じさせているという見方もあることがわかる。キザキテックは万事に機密主義が徹底する会社だった。
木崎輝正は小規模事業者相手の貸金業を出発点としていた。だが、時代の先を読み、NC(数値制御)工作機のメーカーに貸し込み、その会社を吸収合併する。そしてビジネスの軸足を貸金業からNC工作機メーカーの経営に移して、世界シェアトップの会社に成長さたのだ。勿論、裏では様々な軋轢を経ている。神奈川県内にキザキテックが工場を作るという話も進行しているという微妙な状況も絡んでいた。一方、御曹司である木崎乙彦に関わる事件はキザキテックという会社に影響を及ぼしかねない要因だった。木崎輝正が乙彦に関連して何等かの隠蔽工作に関わっている可能性は高いと鷺沼らは確信する。
また、乙彦が高校生の頃に家庭教師との間で流血騒ぎを起こしていたということやその周辺情報も明らかになってくる。徐々に木崎一族に関わる情報とキザキテックの情報が累積されていく。
一方で、宮野は県警の動きがおかしいと感じ始める。
被疑者・木崎乙彦が既に存在しないこの傷害致死事件に対して、その捜査のために鷺沼は「動機は不純でも結果が正しければそれでいい」(p134)と割り切ったとき、ある作戦を思い浮かべた。
「我々はイレギュラーな別働隊で、庁内でその存在を知っているのは係長だけです。木崎はこれから鉄壁の防御をしてくるでしょう。懐に入り込むために悪徳捜査チームを偽装するんです。おとり捜査としては使えませんが、内情は探れます。」(p137)
三好係長に了解を取り、鷺沼の作戦が始動する。勿論、偽装の最適の役者は、宮野と福富となる。彼等はキザキテック・グループの幹部をターゲットにして偽装工作を開始する。
読者にとっては、この偽装作戦がどのように展開していくのか、それは成功するのか、興味津々となる展開に入る。犯罪すれすれの際どい捜査活動が読ませどころとなる。また、キザキテックの内情を知る上で、柔道という特技を持つ彩香が彼女の人脈を辿って重要な情報を入手することになる。
宮野と福富を中心にした偽装捜査と鷺沼・井上の捜査は、徐々にキザキテックという会社の違法行為を暴いていくことに進展する。また一枚岩ではないキザキテックの内情が明らかになるとともに、鷺沼たちに有利になる側面も見えて来る。木崎乙彦の傷害致死事件容疑や、乙彦自身が殺害された事件と切り離して考えることができない闇がそこに潜んでいた。傷害致死事件についての意外な事実も解明される。何がどこからどのようにリンクしていくかわからないおもしろさが巧妙に組み込まれている。
このストーリーの進展で読者を驚かせるのは、さらに別の「偽装」が仕掛けられていたという展開である。木崎一族側にも偽装があった! その意外な展開をお楽しみいただくとよい。それが、冒頭にご紹介したオビのキャッチフレーズにつながる。
タイトルの「偽装」はダブルミーニングである。
一点だけ触れておこう。この鷺沼たちの捜査活動は日本国内だけでは決着がつかない状況に進展する。日本国内での偽装捜査とパラレルに舞台がシンガポール、香港に広がっていく。香港に向かったのは、鷺沼、井上、そして有給休暇を取得して加わる彩香の3人。勿論、鷺沼たちには香港での捜査権はない。鷺沼たちがどのように行動するかもお楽しみに。
事件解決後、この密かなタスクフォースの全員が鷺沼の自宅に集まり、宮野の手料理で晩餐会をする場面でストーリーが終わる。このエンディングが爽やかでよい。
ご一読ありがとうございます。
この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
=== 笹本稜平 作品 読後印象記一覧 === Ver. 1 2022.1.22 時点 20册
まず、文庫本に付されたオビのキャッチフレーズをご紹介しておこう。
「鷺沼&宮野の刑事コンビが仕掛けた罠と殺人犯の裏工作----。」
「警察と犯人、騙されたのはどっちだ!?」
これは第1刷文庫のオビ。今は異なっているかもしれない。未確認。
第1章の冒頭は、鷺沼が相方の井上巡査部長とマンションの一室で腐敗した死体を覗き込む場面から始まる。死体は木崎乙彦。横浜市港北区大倉山にある高級賃貸マンション。木崎の自宅である。木崎乙彦は、3年前に新宿駅の山手線ホームで起きた傷害致死事件の容疑者だった。しかし、犯人に結びつく手がかりがなく、捜査本部は店仕舞いし、事件は鷺沼が属する特命捜査対策室二係に移管され継続扱いになっていた。
2週間前、横浜市港北区で車両同士の接触事故が発生。事故の犯人の顔が木崎に似ていたことで、神奈川県警から通報が入った。鷺沼と井上は木崎乙彦の自宅周辺で聞き込み捜査を行った。住人から異臭の苦情を聞き、死体の発見に至る。死体の喉元に黒ずんだ内出血の痕と周囲に引っ掻いたような細かい傷がいくつもあった。
身辺情報の捜査から、木崎乙彦は一部上場の大手金属加工機メーカー、キザキテック社長木崎忠彦の長男という事実がわかった。祖父の木崎輝正が創業者にして現会長。創業家を中心とする同族色の強い会社である。財力にものを言わせた隠蔽工作の惧れもあり、捜査を慎重に進めていた矢先だった。
木崎が3年前の事件の犯人と確定できない段階で、被疑者の木崎乙彦が殺人の被害者という疑いが浮上することになった。それも神奈川県警の縄張りである。
木崎が犯人ならば被疑者死亡で送検落着。一方、もし犯人でなければ、捜査の行き詰まりとなり、真犯人を取り逃すことになりかねない。鷺沼らは、まずい状況に直面する。
このストーリー、ここからスタートすることになる。
被疑者が死んだ。何も聞き出せない。何を手がかりにして事件を捜査しようとするのだろうか。読者としては戸惑いとともに関心が蠢く出だしである。
早速、この事件を知った宮野が鷺沼に電話連絡をしてくる。宮野は神奈川県警瀬谷警察署刑事課所属だが、不良刑事の烙印を押された鼻つまみ者。その宮野は言う。キザキテックの社長の自宅が瀬谷区にあると。
新宿駅での事件直後、木崎乙彦は留学という目的で渡米してしまい、2ヵ月前に帰国したところだった。乙彦は忠彦の長男として後継者に擬されていたので、乙彦の渡米は木崎一族が手配した隠蔽工作の可能性もあった。
鷺沼はこのスタートから宮野、福富と再びイレギュラーで密かなタスクフォースを結成するはめになる。今回興味深いのは、井上が交際を始めている彩香がタスクフォースの一員に加わってくることだ。彼女は通常の勤務後や非番の日に協力すると言う。そして、柔道に秀でる彩香がその知識・人脈を役立てるという局面を見せることに・・・・・。一方、彩香が宮野の天敵として描写されるところは、このストーリーの中で一種息抜き的な場面になっていておもしろい。
木崎乙彦が被害者となった殺人事件は神奈川県警の管轄であり、鷺沼たちは関与できない。一方、鷺沼にとり、周辺捜査として木崎一族のような有力者を捜査対象とするときは、決定的な事実を掴むまでは秘匿捜査が鉄則となる。
捜査を進めると、会長の木崎輝正はキザキテックのグループ内で独裁ぶりを発揮している人物。恐怖政治の体質が社内に見えない亀裂を生じさせているという見方もあることがわかる。キザキテックは万事に機密主義が徹底する会社だった。
木崎輝正は小規模事業者相手の貸金業を出発点としていた。だが、時代の先を読み、NC(数値制御)工作機のメーカーに貸し込み、その会社を吸収合併する。そしてビジネスの軸足を貸金業からNC工作機メーカーの経営に移して、世界シェアトップの会社に成長さたのだ。勿論、裏では様々な軋轢を経ている。神奈川県内にキザキテックが工場を作るという話も進行しているという微妙な状況も絡んでいた。一方、御曹司である木崎乙彦に関わる事件はキザキテックという会社に影響を及ぼしかねない要因だった。木崎輝正が乙彦に関連して何等かの隠蔽工作に関わっている可能性は高いと鷺沼らは確信する。
また、乙彦が高校生の頃に家庭教師との間で流血騒ぎを起こしていたということやその周辺情報も明らかになってくる。徐々に木崎一族に関わる情報とキザキテックの情報が累積されていく。
一方で、宮野は県警の動きがおかしいと感じ始める。
被疑者・木崎乙彦が既に存在しないこの傷害致死事件に対して、その捜査のために鷺沼は「動機は不純でも結果が正しければそれでいい」(p134)と割り切ったとき、ある作戦を思い浮かべた。
「我々はイレギュラーな別働隊で、庁内でその存在を知っているのは係長だけです。木崎はこれから鉄壁の防御をしてくるでしょう。懐に入り込むために悪徳捜査チームを偽装するんです。おとり捜査としては使えませんが、内情は探れます。」(p137)
三好係長に了解を取り、鷺沼の作戦が始動する。勿論、偽装の最適の役者は、宮野と福富となる。彼等はキザキテック・グループの幹部をターゲットにして偽装工作を開始する。
読者にとっては、この偽装作戦がどのように展開していくのか、それは成功するのか、興味津々となる展開に入る。犯罪すれすれの際どい捜査活動が読ませどころとなる。また、キザキテックの内情を知る上で、柔道という特技を持つ彩香が彼女の人脈を辿って重要な情報を入手することになる。
宮野と福富を中心にした偽装捜査と鷺沼・井上の捜査は、徐々にキザキテックという会社の違法行為を暴いていくことに進展する。また一枚岩ではないキザキテックの内情が明らかになるとともに、鷺沼たちに有利になる側面も見えて来る。木崎乙彦の傷害致死事件容疑や、乙彦自身が殺害された事件と切り離して考えることができない闇がそこに潜んでいた。傷害致死事件についての意外な事実も解明される。何がどこからどのようにリンクしていくかわからないおもしろさが巧妙に組み込まれている。
このストーリーの進展で読者を驚かせるのは、さらに別の「偽装」が仕掛けられていたという展開である。木崎一族側にも偽装があった! その意外な展開をお楽しみいただくとよい。それが、冒頭にご紹介したオビのキャッチフレーズにつながる。
タイトルの「偽装」はダブルミーニングである。
一点だけ触れておこう。この鷺沼たちの捜査活動は日本国内だけでは決着がつかない状況に進展する。日本国内での偽装捜査とパラレルに舞台がシンガポール、香港に広がっていく。香港に向かったのは、鷺沼、井上、そして有給休暇を取得して加わる彩香の3人。勿論、鷺沼たちには香港での捜査権はない。鷺沼たちがどのように行動するかもお楽しみに。
事件解決後、この密かなタスクフォースの全員が鷺沼の自宅に集まり、宮野の手料理で晩餐会をする場面でストーリーが終わる。このエンディングが爽やかでよい。
ご一読ありがとうございます。
この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
=== 笹本稜平 作品 読後印象記一覧 === Ver. 1 2022.1.22 時点 20册