奥書を読むと、この『完結篇』は全国各地の新聞37紙に2013年7月1日から2014年10月6日まで連載され、それに加筆修正して2014年11月に単行本が出版された。2016年5月に文庫化されている。
61歳で親鸞は激動の地・京都に戻る決意をした。この『完結篇』は、親鸞が西洞院の家に住まいする時点から始まる。親鸞は、長男善鸞、妻涼と子・如信(もとのぶ)の3人家族、親鸞の末娘・覚信、常陸から京にやってきて親鸞に師事する唯円たちと同居している。善鸞と涼が何かの諍いをした後、涼が親鸞に訴える会話が出てくる。夫の善鸞がなげいていうこととして「・・・・その70年の歩みとくらべると、自分はそもそも生きてきた道がちがう。それでも親鸞さまに認めていただきたいと、必死につとめればつとめるほど空回りしてしまう。・・・・・」(上、p66)と涼が語っている。つまり親鸞70歳の時点が『完結篇』の始点となる。
この『完結篇』の末尾は90歳になった親鸞が11月28日に迎える最後の場面で終わる。「すこしずつ静かになり、やがて昼過ぎに口をかすかに開いたまま息絶えた。自然な死だった。そばにつきそっていたのは、覚信と蓮位、有房、顕智、専信、そして尋有の六人だけだった。覚信が期待したような奇瑞は、なにもおこらなかった。」(下、p344-345)
つまり、70歳から90歳までの京における親鸞の晩年の人生と布教活動が描かれる。
晩年の親鸞は京でどういう生き方をしていたのか。概略で言えば、関東で一応書き上げていた6部の書き物、『教行信証』(略称)に絶えず加筆、訂正を繰り返す作業を中心に据えていた。関東から親鸞を訪ねてくる人々に応対、関東で布教する高弟たちとの文のやりとり、文による教えの伝達、身辺で親鸞に師事する唯円との念仏についての対話。さらに依頼を受けて行う写経等、それは生計への一助にもなっている。
親鸞をサポートしてきてくれた葛山犬麻呂は3年前に亡くなり、犬麻呂とそっくりな運命を背負ってきた申丸が後事を託され、商売を引き継ぐとともに、親鸞たちをサポートしている。西洞院の家も犬麻呂の持ち家ということになっている。
この親鸞の状況を描くだけでは、新聞への連載として読者を惹きつけることはたぶん難しいだろう。この小説『親鸞』は親鸞の専修念仏に対する信念、思想、晩年の史実を踏まえながらもフィクションとして大きな構図を描いている。親鸞の宗教活動に対して、大きな渦を巻き起こそうとする画策を織り込んでいく。ストーリーのダイナミックな展開としておもしろく、惹きつけられることになる。
外観的には「静」の親鸞に対して、周辺の一群の人々がそれぞれ異なる立場で「動」を画策して行動する。親鸞を渦中に引き出そうとするのだ。
読ませどころとなる大きな動きをご紹介しておこう。
1. 比叡山を去り、船岡山あたりの覚蓮寺に住み、裏天下の口入人(くにゅうにん)と呼ばれる怪僧・覚蓮坊の企みが1つの大きな動きとなる。かつては良禅と称し、比叡山で親鸞とともに修行したこともある。だが、親鸞が比叡山を去った時から彼は一貫して親鸞の専修念仏を排斥しようと画策しつづけてきた。そこには天台宗を護持する慈円の志が背景にあった。覚蓮坊は、親鸞の著述した『教行信証』を一夜で読み、親鸞を排斥する証拠を見つけ出すという狙いを画策する。
覚蓮坊の画策に、葛山申丸が商売柄、捲き込まれていく形になる。
覚蓮坊の動きに対して、後半では花山倫堂という人物が関わりを持っていく。花山倫堂は、まもなく関白の位も手にすると噂されている摂政、鷹司兼平の陰の指南役である。
さらには、あの黒面法師・伏見平四郎が再び登場してくることに。
2. 竜夫人が登場する。綾小路に店を構える女借上で実力者。金融力を武器にして、ある目的を達成するための計画を進めている。彼女は昔、人買いに売られて中国へ送られた。遊里で働くうちに竜大人に見出され、商売の道に入り、成功したのだ。
日本に戻って来たのは、貿易という面で竜大人の夢を果たすという目的があった。だがもう一つ、私怨を晴らしたいという目的を持っていた。それは安楽坊遵西が極刑に処せられるに至った裏の首謀者を突き止め、怨みをはらすということだった。この私怨は覚蓮坊の動きに対立する関係としてリンクする。読者におもしろい展開を期待させることになる。竜夫人は誰か。読み継いできた読者にはすぐに推測がつくことだろう。
私怨を晴らすための手段として、嵯峨野に竜大山遵念寺を建立するという動きをしていく。
この竜夫人に、葛山犬麻呂に仕えていた常吉がぞっこん魅せられていて、手足となり、協力者として行動する。常吉は親鸞のもとにも出入りしている。
その落慶法要に親鸞も参列することになるが、一波乱が巻き起こる。
3. 吉田山のふもとの白河には、印地御殿がある。そこは白河印地の党の拠点である。長老はあのツブテの弥七。竜夫人は弥七とのつながりがあった。最晩年の弥七が親鸞の危機状況に再び登場することとなる。
4. 布教という局面では、笠間の妙禅房に請われて善鸞が関東に赴くという形でストーリーが進展する。そこにはひとつの企みが隠されていた。関東の高弟たちの間で、善鸞は親鸞の長男という立場を主張するようになる。その背後には妻涼の行動も影響している形で描かれて行く。専修念仏の道をどう歩むか。親鸞の信念との齟齬が描き込まれていく。
善鸞の布教活動がどこまで史実でどこにフィクションが織り込まれているのか、私には判断できない。この『完結篇』で著者は善鸞の行動を介して、親鸞を描いていると言える。専修念仏の道を歩む親鸞が、善鸞を義絶したというのは史実である。
親鸞と善鸞の関係では、親鸞が唯円に語る次の会話文が印象的である。
「わたしが不安に思うのは、そこなのだよ。念仏は、わたしごころを捨てるところからはじまる。一心無私の道なのだ。それができぬ自分と知ったところに、他力の光がみえてくる。そのことがはたして、あの善鸞にはわかっているのだろうか」(下、p25)
親鸞は、法然から引き継いだ専修念仏の道を、己の専修念仏としてさらに一歩踏み出す行動を採り続けた。その信念を不動のものにするために『顕浄土真実教行証文類』という文書を結実させた。己の専修念仏の道を布教はしたが、浄土真宗というひとつの宗教教団組織を築きはしなかった。あくまで親鸞は己の専修念仏の道を歩み続けることに専念された人だったのだろう。
一点、新たな関心が生まれた。略称『教行信証』は何時の時点でその文書がオープンなものになったのだろうか。
この小説『親鸞』は、ストーリーの展開を楽しみながら、かつ親鸞聖人の専修念仏の道をイメージするうえで役に立つ。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、ネット検索した事項を一覧にしておきたい。
【第22回】帰洛後は法悦の著述 :「真宗高田派本山 専修寺」
宗祖晩年の周辺と初期の教団(2007年4月) :「真宗大谷派 東本願寺」
親鸞聖人御入滅の地/香華堂報133号[2012,02/01発行] :「香華堂」
教行信証 :「コトバンク」
『顯淨土眞實教行證文類』(續諸宗部 Vol.83):「大正新脩大藏經テキストデータベース」
唯円 :ウィキペディア
唯円 :「コトバンク」
河和田の唯円 「まいぷれ Mito」
善鸞 :「コトバンク」
如信 :ウィキペディア
如信 :「コトバンク」
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こちらも、お読みいただけるとうれしいです。
『親鸞』上・下 講談社
『親鸞 激動篇』上・下 講談社
61歳で親鸞は激動の地・京都に戻る決意をした。この『完結篇』は、親鸞が西洞院の家に住まいする時点から始まる。親鸞は、長男善鸞、妻涼と子・如信(もとのぶ)の3人家族、親鸞の末娘・覚信、常陸から京にやってきて親鸞に師事する唯円たちと同居している。善鸞と涼が何かの諍いをした後、涼が親鸞に訴える会話が出てくる。夫の善鸞がなげいていうこととして「・・・・その70年の歩みとくらべると、自分はそもそも生きてきた道がちがう。それでも親鸞さまに認めていただきたいと、必死につとめればつとめるほど空回りしてしまう。・・・・・」(上、p66)と涼が語っている。つまり親鸞70歳の時点が『完結篇』の始点となる。
この『完結篇』の末尾は90歳になった親鸞が11月28日に迎える最後の場面で終わる。「すこしずつ静かになり、やがて昼過ぎに口をかすかに開いたまま息絶えた。自然な死だった。そばにつきそっていたのは、覚信と蓮位、有房、顕智、専信、そして尋有の六人だけだった。覚信が期待したような奇瑞は、なにもおこらなかった。」(下、p344-345)
つまり、70歳から90歳までの京における親鸞の晩年の人生と布教活動が描かれる。
晩年の親鸞は京でどういう生き方をしていたのか。概略で言えば、関東で一応書き上げていた6部の書き物、『教行信証』(略称)に絶えず加筆、訂正を繰り返す作業を中心に据えていた。関東から親鸞を訪ねてくる人々に応対、関東で布教する高弟たちとの文のやりとり、文による教えの伝達、身辺で親鸞に師事する唯円との念仏についての対話。さらに依頼を受けて行う写経等、それは生計への一助にもなっている。
親鸞をサポートしてきてくれた葛山犬麻呂は3年前に亡くなり、犬麻呂とそっくりな運命を背負ってきた申丸が後事を託され、商売を引き継ぐとともに、親鸞たちをサポートしている。西洞院の家も犬麻呂の持ち家ということになっている。
この親鸞の状況を描くだけでは、新聞への連載として読者を惹きつけることはたぶん難しいだろう。この小説『親鸞』は親鸞の専修念仏に対する信念、思想、晩年の史実を踏まえながらもフィクションとして大きな構図を描いている。親鸞の宗教活動に対して、大きな渦を巻き起こそうとする画策を織り込んでいく。ストーリーのダイナミックな展開としておもしろく、惹きつけられることになる。
外観的には「静」の親鸞に対して、周辺の一群の人々がそれぞれ異なる立場で「動」を画策して行動する。親鸞を渦中に引き出そうとするのだ。
読ませどころとなる大きな動きをご紹介しておこう。
1. 比叡山を去り、船岡山あたりの覚蓮寺に住み、裏天下の口入人(くにゅうにん)と呼ばれる怪僧・覚蓮坊の企みが1つの大きな動きとなる。かつては良禅と称し、比叡山で親鸞とともに修行したこともある。だが、親鸞が比叡山を去った時から彼は一貫して親鸞の専修念仏を排斥しようと画策しつづけてきた。そこには天台宗を護持する慈円の志が背景にあった。覚蓮坊は、親鸞の著述した『教行信証』を一夜で読み、親鸞を排斥する証拠を見つけ出すという狙いを画策する。
覚蓮坊の画策に、葛山申丸が商売柄、捲き込まれていく形になる。
覚蓮坊の動きに対して、後半では花山倫堂という人物が関わりを持っていく。花山倫堂は、まもなく関白の位も手にすると噂されている摂政、鷹司兼平の陰の指南役である。
さらには、あの黒面法師・伏見平四郎が再び登場してくることに。
2. 竜夫人が登場する。綾小路に店を構える女借上で実力者。金融力を武器にして、ある目的を達成するための計画を進めている。彼女は昔、人買いに売られて中国へ送られた。遊里で働くうちに竜大人に見出され、商売の道に入り、成功したのだ。
日本に戻って来たのは、貿易という面で竜大人の夢を果たすという目的があった。だがもう一つ、私怨を晴らしたいという目的を持っていた。それは安楽坊遵西が極刑に処せられるに至った裏の首謀者を突き止め、怨みをはらすということだった。この私怨は覚蓮坊の動きに対立する関係としてリンクする。読者におもしろい展開を期待させることになる。竜夫人は誰か。読み継いできた読者にはすぐに推測がつくことだろう。
私怨を晴らすための手段として、嵯峨野に竜大山遵念寺を建立するという動きをしていく。
この竜夫人に、葛山犬麻呂に仕えていた常吉がぞっこん魅せられていて、手足となり、協力者として行動する。常吉は親鸞のもとにも出入りしている。
その落慶法要に親鸞も参列することになるが、一波乱が巻き起こる。
3. 吉田山のふもとの白河には、印地御殿がある。そこは白河印地の党の拠点である。長老はあのツブテの弥七。竜夫人は弥七とのつながりがあった。最晩年の弥七が親鸞の危機状況に再び登場することとなる。
4. 布教という局面では、笠間の妙禅房に請われて善鸞が関東に赴くという形でストーリーが進展する。そこにはひとつの企みが隠されていた。関東の高弟たちの間で、善鸞は親鸞の長男という立場を主張するようになる。その背後には妻涼の行動も影響している形で描かれて行く。専修念仏の道をどう歩むか。親鸞の信念との齟齬が描き込まれていく。
善鸞の布教活動がどこまで史実でどこにフィクションが織り込まれているのか、私には判断できない。この『完結篇』で著者は善鸞の行動を介して、親鸞を描いていると言える。専修念仏の道を歩む親鸞が、善鸞を義絶したというのは史実である。
親鸞と善鸞の関係では、親鸞が唯円に語る次の会話文が印象的である。
「わたしが不安に思うのは、そこなのだよ。念仏は、わたしごころを捨てるところからはじまる。一心無私の道なのだ。それができぬ自分と知ったところに、他力の光がみえてくる。そのことがはたして、あの善鸞にはわかっているのだろうか」(下、p25)
親鸞は、法然から引き継いだ専修念仏の道を、己の専修念仏としてさらに一歩踏み出す行動を採り続けた。その信念を不動のものにするために『顕浄土真実教行証文類』という文書を結実させた。己の専修念仏の道を布教はしたが、浄土真宗というひとつの宗教教団組織を築きはしなかった。あくまで親鸞は己の専修念仏の道を歩み続けることに専念された人だったのだろう。
一点、新たな関心が生まれた。略称『教行信証』は何時の時点でその文書がオープンなものになったのだろうか。
この小説『親鸞』は、ストーリーの展開を楽しみながら、かつ親鸞聖人の専修念仏の道をイメージするうえで役に立つ。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、ネット検索した事項を一覧にしておきたい。
【第22回】帰洛後は法悦の著述 :「真宗高田派本山 専修寺」
宗祖晩年の周辺と初期の教団(2007年4月) :「真宗大谷派 東本願寺」
親鸞聖人御入滅の地/香華堂報133号[2012,02/01発行] :「香華堂」
教行信証 :「コトバンク」
『顯淨土眞實教行證文類』(續諸宗部 Vol.83):「大正新脩大藏經テキストデータベース」
唯円 :ウィキペディア
唯円 :「コトバンク」
河和田の唯円 「まいぷれ Mito」
善鸞 :「コトバンク」
如信 :ウィキペディア
如信 :「コトバンク」
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こちらも、お読みいただけるとうれしいです。
『親鸞』上・下 講談社
『親鸞 激動篇』上・下 講談社