類は名前である。姓は森。森類は森鷗外の二男で末子である。(漢字「鷗」は環境依存文字なので、以降は「鴎」で代用する。ご容赦いただきたい。)
この小説は、森鴎外の末子・類の人生に焦点をあてながら森鴎外ファミリーを描いた小説。巻末に「なお、本作品はフィクションであり・・・・」と注記があるので、史実を踏まえた上で、著者の想像が史実の空隙を羽ばたき、森類並びに森類に関わりを持った人々を描き出しているのだろう。とはいえ、森類の視点を通じて、森鴎外ならびにファミリーを理解し、思いを馳せるのに役立つ小説だと思う。2020年8月に刊行された。
森林太郎は島根県に生まれ、東大を卒業後、ドイツに留学した。陸軍軍医総監、陸軍省医務局長という地位に就き、陸軍省を退いた後に宮内省の帝室博物館総長に就任している。その一方で、明治期を代表する文豪の一人、森鴎外として煌めいていた。
「明治44年2月11日、森林太郎と志げ夫妻の間に類は生まれた。日本人らしからぬ響きを持つ名だ。もっとも、上の子供たちも同様である。」(p12)
本書のカバーには、タイトルの「類」の下に、「Louis」と記されている。
本書で初めて知ったのだが、鴎外の長男は類より21歳も年齢が離れていて、名は於菟である。鴎外と先妻との間に生まれた子。この小説では要所要所に登場するだけである。読んでいて、類にとっては敬愛しながらも遠くで眺める存在だったように感じた。類の母、志げは後妻ということになる。類には二人の姉がいた。長女が茉莉、次女が杏奴である。
本書には記されていないが、類=Louis から想像すると、於菟=Otto、茉莉=Mrie/Maria、杏奴=Anna が鴎外の念頭にあったのかなと思いたくなる。その名付けは鴎外にとってドイツでの青春時代の思いが反映しているのかもしれない。
類はボンチコと鴎外から呼ばれ、子供たちは鴎外をパッパと呼んだという。鴎外が子供たちを慈しんだ情景が彷彿としてくる。鴎外は大正11年、数え61歳で亡くなった。だが、大正期から昭和の敗戦(太平洋戦争/第二次世界戦争)までは、鴎外の遺産、文豪鴎外の印税により、母志げの裁量下で類は自由な生活を送る。
鴎外死後の場面で、鴎外の遺言内容を記述したあとに、著者は賀古のおじさんの発言として類に語らせている。「食うためにあくせく働かずとも、君は暮らしていける」「暮らしのために働かずともよいと言っているのだ。君は己の使命を果たすためだけに、生きることができる」(p67)と。その続きに「僕たち、働かなくていいんだね」類は己の発見に昂奮したと描く。類は、國士館中学の2年を修了して中退する。
この小説は、類が己の使命を果たすという意味をどのように受けとめたのか。どのように生きようとしたのか、生きたのかということをテーマにしているように思った。
類が結婚して己の家庭を持つまでの青春時代の姿と生き方を読み、連想したのは「高等遊民」という言葉だった。高等遊民の語意とされている意味とはズレるのだけれど、類の青春時代の生き様を読んでいてこの言葉がふと浮かんできた。
千駄木の家にアトリエを建ててもらい、画家になろうとする。姉の杏奴が画家を目指していたことに影響されたように思う。だが、類にはプロの画家になれる程の画才がなかったのか、あるいは、プロの画家になるというハングリーさに欠ける側面があったのかもしれない。最終的に画家志望は頓挫する。
母志げは、画家をめざす杏奴に西洋に行っておいでと告げる。そして、一人で洋行させるのは心配だからと、類を同行させたと著者は記す。「類、お前は鞄持ちだ」(p157)と。母志げはこの時点で早くも類の画家としての能力には見切りをつけていたのだろうか。興味深いところである。
一方、類はパリで姉と共に絵を学び、絵を描く機会を得て、青春を謳歌したようだ。一般庶民の目線でみれば、まさにうらやましい限りと言える。
帰国後、姉の杏奴は、画家の小堀四郎と結婚し、己の理想の家庭を築いていこうとする。画家となることは断念し、家庭の主婦である一方で、文筆家の道を歩みだす。
一方、もう一人の類の姉・茉莉は、二度目の結婚も破鏡し、千駄木に戻って来る。杏奴と入れ替わる形で、茉莉と類の姉弟関係が密になっていく。茉莉と類のそれぞれの人生が主体に描かれる形にストーリーが切り替わって行く。
この小説、森鴎外という文豪、偉人を父とするファミリーの子にとっての「プライバシー」とは何か、親の「七光り」とは何か、一人格としての能力の発揮とは何か、という側面に光りがあてられている。父が非凡であったが故にその子が感じる心理と暗黙のプレッシャーという側面も感じさせる。
昭和16年3月、類は木下杢太郎夫妻の媒酌により、帝国ホテルで安宅美穗との結婚式を挙げる。美穗の父・安宅安五郎は画壇の重鎮だった。
時代のうねりの中で、類と美穗の築く家庭もまた時代に翻弄されていく。類のそれまでの高等遊民的な生き方が不可能になっていく。敗戦は類の生活環境を一変させる。鴎外の遺産だけでは生活できない状況に立ち至る。
書店経営を生業としながら、文筆の世界で己の道を歩み始める類の姿、家族を支えるために悪戦苦闘する美穗の姿、子供たちの様子などがストーリーの後半で描き込まれていく。
だが、そこにはやはり、森鴎外ファミリーの外縁部分、森鴎外その人との関わりで形成されていた人間関係が大きく関わっている事実が見えて来る。類を支えてくれた人々は、父・鴎外との人間関係の延長線上で類を位置づける関わりだった。
森類の視点を介して、森鴎外という偉人、森鴎外のファミリーの姿が彷彿としてくる。森類の生き様、類を支えた美穗の生き様が見えて来る。
「16 春の海」(最終章)は、「元号が平成になった年に類は日在の家を建て替え、荻窪の家を引き払って移り住んだ」という一文から始まる。ここに、類の生き方、思いが凝縮されているように思う。文筆家として生きることを選択した類が父の作品を熟読するように変化していく。そして、『妄想』中の一文を媒介にして、類が父を回想している場面が描かれる。
「鴎外の末子だと、類は思った。胸を張り裂けんばかりにして、懸命に父の姿を追っている。」(p490)
「僕はこの日在の家で、暮らしているよ。
何も望まず、何も達しようとせず、質素に、ひっそりと暮らしている。
ペンは手放していない。・・・・ 」(p491)
そして、次の一文がある。
「茉莉の没後に『新潮』に書いた『硝子の水槽の中の茉莉』という随筆が、89年版『ベスト・エッセイ集』に選ばれた。」(p493)と。
森類は、森鴎外とそのファミリーを題材として書き綴る文筆家として作品を残したのだ。末尾の主要参考文献リストからもそのことがうかがえる。
文豪森鴎外とそのファミリーを、家族という内側から眺めるというプロセスを介して、森鴎外を見つめるのに役立つ小説である。さらに、鴎外の末子として生きた森類という人の存在、彼の母と姉たちに一歩近づいて行く機会にもなる。
お読みいただきありがとうございます。
本書を読み、関心の波紋の広がりからネット検索して得た情報を一覧にしておきたい。
観潮楼跡 :「文京区」
文京区立 森鷗外記念館 :「文京区観光協会」
団子坂 :「文京区観光協会」
鴎外の末子 森類の生涯 ぶんきょう浪漫紀行 文京公式チャンネル YouTube
鴎外の末子 森類の生涯 YouTube
知りたい!森鴎外 第2回(5月2日放送) 文京公式チャンネル YouTube
知りたい!森鴎外 第3回(6月6日放送) 文京公式チャンネル YouTube
森志げ :ウィキペディア
森類 :ウィキペディア
森茉莉 :ウィキペディア
小堀杏奴 :ウィキペディア
森於菟 :ウィキペディア
『半日』 森鴎外 :「青空文庫」
ドーム兄弟 :ウィキペディア
イサーク・レヴィタン :ウィキペディア
霊泉山禅林寺 ホームページ
森鴎外(森林太郎)の墓 :「miru-navi 全国観るなび」
森鴎外のお墓がなぜ三鷹に?? :「4travel.jp」
庭園や総茅葺きの本堂!森鴎外の墓もある島根・津和野「永明寺」 :「トラベル.jp」
森鴎外の墓所 :「写真紀行・旅おりおり」
高等遊民 :「コトバンク」
高等遊民 :ウィキペディア
「高等遊民」 日本語、どうでしょう? :「JapanKnowledge」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『グッドバイ』 朝日新聞出版
『落花狼藉』 双葉社
『悪玉伝』 角川書店
『阿蘭陀西鶴』 講談社文庫
『恋歌 れんか』 講談社
『眩 くらら』 新潮社
この小説は、森鴎外の末子・類の人生に焦点をあてながら森鴎外ファミリーを描いた小説。巻末に「なお、本作品はフィクションであり・・・・」と注記があるので、史実を踏まえた上で、著者の想像が史実の空隙を羽ばたき、森類並びに森類に関わりを持った人々を描き出しているのだろう。とはいえ、森類の視点を通じて、森鴎外ならびにファミリーを理解し、思いを馳せるのに役立つ小説だと思う。2020年8月に刊行された。
森林太郎は島根県に生まれ、東大を卒業後、ドイツに留学した。陸軍軍医総監、陸軍省医務局長という地位に就き、陸軍省を退いた後に宮内省の帝室博物館総長に就任している。その一方で、明治期を代表する文豪の一人、森鴎外として煌めいていた。
「明治44年2月11日、森林太郎と志げ夫妻の間に類は生まれた。日本人らしからぬ響きを持つ名だ。もっとも、上の子供たちも同様である。」(p12)
本書のカバーには、タイトルの「類」の下に、「Louis」と記されている。
本書で初めて知ったのだが、鴎外の長男は類より21歳も年齢が離れていて、名は於菟である。鴎外と先妻との間に生まれた子。この小説では要所要所に登場するだけである。読んでいて、類にとっては敬愛しながらも遠くで眺める存在だったように感じた。類の母、志げは後妻ということになる。類には二人の姉がいた。長女が茉莉、次女が杏奴である。
本書には記されていないが、類=Louis から想像すると、於菟=Otto、茉莉=Mrie/Maria、杏奴=Anna が鴎外の念頭にあったのかなと思いたくなる。その名付けは鴎外にとってドイツでの青春時代の思いが反映しているのかもしれない。
類はボンチコと鴎外から呼ばれ、子供たちは鴎外をパッパと呼んだという。鴎外が子供たちを慈しんだ情景が彷彿としてくる。鴎外は大正11年、数え61歳で亡くなった。だが、大正期から昭和の敗戦(太平洋戦争/第二次世界戦争)までは、鴎外の遺産、文豪鴎外の印税により、母志げの裁量下で類は自由な生活を送る。
鴎外死後の場面で、鴎外の遺言内容を記述したあとに、著者は賀古のおじさんの発言として類に語らせている。「食うためにあくせく働かずとも、君は暮らしていける」「暮らしのために働かずともよいと言っているのだ。君は己の使命を果たすためだけに、生きることができる」(p67)と。その続きに「僕たち、働かなくていいんだね」類は己の発見に昂奮したと描く。類は、國士館中学の2年を修了して中退する。
この小説は、類が己の使命を果たすという意味をどのように受けとめたのか。どのように生きようとしたのか、生きたのかということをテーマにしているように思った。
類が結婚して己の家庭を持つまでの青春時代の姿と生き方を読み、連想したのは「高等遊民」という言葉だった。高等遊民の語意とされている意味とはズレるのだけれど、類の青春時代の生き様を読んでいてこの言葉がふと浮かんできた。
千駄木の家にアトリエを建ててもらい、画家になろうとする。姉の杏奴が画家を目指していたことに影響されたように思う。だが、類にはプロの画家になれる程の画才がなかったのか、あるいは、プロの画家になるというハングリーさに欠ける側面があったのかもしれない。最終的に画家志望は頓挫する。
母志げは、画家をめざす杏奴に西洋に行っておいでと告げる。そして、一人で洋行させるのは心配だからと、類を同行させたと著者は記す。「類、お前は鞄持ちだ」(p157)と。母志げはこの時点で早くも類の画家としての能力には見切りをつけていたのだろうか。興味深いところである。
一方、類はパリで姉と共に絵を学び、絵を描く機会を得て、青春を謳歌したようだ。一般庶民の目線でみれば、まさにうらやましい限りと言える。
帰国後、姉の杏奴は、画家の小堀四郎と結婚し、己の理想の家庭を築いていこうとする。画家となることは断念し、家庭の主婦である一方で、文筆家の道を歩みだす。
一方、もう一人の類の姉・茉莉は、二度目の結婚も破鏡し、千駄木に戻って来る。杏奴と入れ替わる形で、茉莉と類の姉弟関係が密になっていく。茉莉と類のそれぞれの人生が主体に描かれる形にストーリーが切り替わって行く。
この小説、森鴎外という文豪、偉人を父とするファミリーの子にとっての「プライバシー」とは何か、親の「七光り」とは何か、一人格としての能力の発揮とは何か、という側面に光りがあてられている。父が非凡であったが故にその子が感じる心理と暗黙のプレッシャーという側面も感じさせる。
昭和16年3月、類は木下杢太郎夫妻の媒酌により、帝国ホテルで安宅美穗との結婚式を挙げる。美穗の父・安宅安五郎は画壇の重鎮だった。
時代のうねりの中で、類と美穗の築く家庭もまた時代に翻弄されていく。類のそれまでの高等遊民的な生き方が不可能になっていく。敗戦は類の生活環境を一変させる。鴎外の遺産だけでは生活できない状況に立ち至る。
書店経営を生業としながら、文筆の世界で己の道を歩み始める類の姿、家族を支えるために悪戦苦闘する美穗の姿、子供たちの様子などがストーリーの後半で描き込まれていく。
だが、そこにはやはり、森鴎外ファミリーの外縁部分、森鴎外その人との関わりで形成されていた人間関係が大きく関わっている事実が見えて来る。類を支えてくれた人々は、父・鴎外との人間関係の延長線上で類を位置づける関わりだった。
森類の視点を介して、森鴎外という偉人、森鴎外のファミリーの姿が彷彿としてくる。森類の生き様、類を支えた美穗の生き様が見えて来る。
「16 春の海」(最終章)は、「元号が平成になった年に類は日在の家を建て替え、荻窪の家を引き払って移り住んだ」という一文から始まる。ここに、類の生き方、思いが凝縮されているように思う。文筆家として生きることを選択した類が父の作品を熟読するように変化していく。そして、『妄想』中の一文を媒介にして、類が父を回想している場面が描かれる。
「鴎外の末子だと、類は思った。胸を張り裂けんばかりにして、懸命に父の姿を追っている。」(p490)
「僕はこの日在の家で、暮らしているよ。
何も望まず、何も達しようとせず、質素に、ひっそりと暮らしている。
ペンは手放していない。・・・・ 」(p491)
そして、次の一文がある。
「茉莉の没後に『新潮』に書いた『硝子の水槽の中の茉莉』という随筆が、89年版『ベスト・エッセイ集』に選ばれた。」(p493)と。
森類は、森鴎外とそのファミリーを題材として書き綴る文筆家として作品を残したのだ。末尾の主要参考文献リストからもそのことがうかがえる。
文豪森鴎外とそのファミリーを、家族という内側から眺めるというプロセスを介して、森鴎外を見つめるのに役立つ小説である。さらに、鴎外の末子として生きた森類という人の存在、彼の母と姉たちに一歩近づいて行く機会にもなる。
お読みいただきありがとうございます。
本書を読み、関心の波紋の広がりからネット検索して得た情報を一覧にしておきたい。
観潮楼跡 :「文京区」
文京区立 森鷗外記念館 :「文京区観光協会」
団子坂 :「文京区観光協会」
鴎外の末子 森類の生涯 ぶんきょう浪漫紀行 文京公式チャンネル YouTube
鴎外の末子 森類の生涯 YouTube
知りたい!森鴎外 第2回(5月2日放送) 文京公式チャンネル YouTube
知りたい!森鴎外 第3回(6月6日放送) 文京公式チャンネル YouTube
森志げ :ウィキペディア
森類 :ウィキペディア
森茉莉 :ウィキペディア
小堀杏奴 :ウィキペディア
森於菟 :ウィキペディア
『半日』 森鴎外 :「青空文庫」
ドーム兄弟 :ウィキペディア
イサーク・レヴィタン :ウィキペディア
霊泉山禅林寺 ホームページ
森鴎外(森林太郎)の墓 :「miru-navi 全国観るなび」
森鴎外のお墓がなぜ三鷹に?? :「4travel.jp」
庭園や総茅葺きの本堂!森鴎外の墓もある島根・津和野「永明寺」 :「トラベル.jp」
森鴎外の墓所 :「写真紀行・旅おりおり」
高等遊民 :「コトバンク」
高等遊民 :ウィキペディア
「高等遊民」 日本語、どうでしょう? :「JapanKnowledge」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『グッドバイ』 朝日新聞出版
『落花狼藉』 双葉社
『悪玉伝』 角川書店
『阿蘭陀西鶴』 講談社文庫
『恋歌 れんか』 講談社
『眩 くらら』 新潮社